人生意気に感ず(5)
サンザと一緒にサルの新居を訪ねると、小一郎とかいう弟しかいなくて、サルは奉行職で城に出仕しているそうだった。
クソザルにあんな爽やかイケメンの物腰の柔らかい弟がいたなんて嘘みたいだなと思いつつ、城に向かった。
すでに西の空は夕焼けの様相だった。サンザを伴ってきたので大手門は顔パスであり、さらには城内のどこかにいるサルを呼んでくるよう、信長に目通りを願えるよう、城で働いている小者に指図した。うむうむ。事が滞りなく運べてさすがはサンザである。そして、サンザを巻き添えにしたおれの智謀もさすがである。
サンザに呼び出されているものだから、サルはダッシュで大手門までやって来た。んで、サンザの隣におれがいるものだから、しばし混乱していた。寧々さんとの婚姻のお願いをしに今から行くことをサルに伝えると、サルは飛び跳ねて驚き、おれに――ではなく、サンザの足元にスライディング土下座した。
「森三左衛門殿がおりゃあのために尽力していただけるだぎゃあなんて、おりゃあ、この上ない果報者ですぎゃっ」
と、それは絶対に嘘泣きのくせに、ううっ、なんて、瞼を拭うのだった。
「よせ。わしは牛殿がどうしてもと言うから付いてきただけだ」
「にゃっ?」
サルがまったく涙の流れていない顔をおれに向けてきたとき、さっきの小者が小姓を連れてやって来て、とりあえずサンザだけ来いと信長が言っているそうだった。なおかつ、信長は二日酔いで機嫌がめちゃくちゃ悪いという知りたくなかった情報まで小姓は寄越してきた。
溜め息をついたサンザは、小姓と一緒に本丸へと歩いて消えていくと、サルは不思議そうな顔をおれに寄越してきた。
「おみゃあ、突然すぎんかえ。しかも、森殿まで連れてきて、どうしたんかえ」
「なんスか。お願いしといて礼も無しッスか」
「そりゃあ頼んだことは頼んだけども、おみゃあ、怪しいだぎゃ。何を見返りにするつもりだぎゃ。だいたいおりゃあはこんな大袈裟なことにしてくれだなんて頼んでおらにゃあ。おやかた様に話のついでで言ってくれりゃあってだけだがや」
「なんスか。恩を仇で返すようなその言い草は」
「そういうわけじゃにゃあだけども、さすがに森殿まで連れてこられちゃおりゃあも腰が引けるだぎゃ」
なんだ、このクソザル、人のカネを騙し取った悪党のくせして腰が引けるなんてどの口がほざいてやがんだ。おれは大変な目に合っているってのによ。
そもそも、何がなんでも信長に下知を貰わなくちゃおれはウザノスケから逃れらないんだから、このサルには腹を切ってでも信長に懇願してもらわくちゃならねえ。
なので、おれは目玉を引ん剥きながら鼻先を突き上げた。
「ほーう。藤吉郎殿の寧々さんに対する思いってのはその程度ッスかあ?」
「な、なんだぎゃあとお?」
「腰が引けるだのなんだのと、そんなんじゃいつまで経っても寧々さんとは結婚なんかできないんじゃないんスかねえ」
「おみゃあにそんなこと言われたくねえだぎゃっ!」
「おれだって悪党のあんたなんかにこんなことしたくねえってんだ! でも、寧々さんが可哀想だからやってやってんだ! いつまでもうじうじうじうじしてやがるバカな男に惚れちゃった寧々さんが可哀想だからな!」
すると、サルはぐうの音も出ない悔し目でおれを睨んできた。おれはぷいっと背中を向けた。
バカバカしい。ウザノスケから逃れたいからって、いくらなんでもここまでしてやるだなんて、バカバカしい。おれはついこの間失恋したばっかだってのに、バカバカしい。
溜め息をつけば、櫓が影を長く伸ばしていた。
柿色の夕焼けを鳥の群れが横切っていき、秋だ。
「すまんかったぎゃ、牛殿」
「じゃ、ヒルモ、返してくれねえッスか」
「なんのことを言っているのかよくわからんだぎゃ」
サンザが戻ってきて、信長がサルとおれに会うと言っているそうなので、本丸館の庭に回っていった。
市姫様に会ったときのような居室や広間じゃなく、ボコられ場の庭というところに一抹の不安を覚えていると、信長はすでに縁側に足をぶら下げながら浴衣の片肌を脱いで座っており、その表情のすさまじい不機嫌さが一瞬でわかったので、サルも同じ感触を得たのだろう、どちらかというわけでもなく二人すぐさまその場に土下座して、急な目通りを願って申し訳なかったと二人揃って喚いた。
「ああ」
と、信長はそれしか言わなかった。ましてや、いつもの甲高さはなく、獣の唸り声に近かった。二日酔いですこぶる機嫌が悪いのは事実らしい。ちなみにおれは生駒屋敷の庭の隅でゲロを吐きまくっていたんで、わりと無事なのである。信長はバカだから格好つけてゲロを吐かなかったのである。なもので、このバカは二日酔い地獄に陥っているわけだ。
で、信長が「ああ」しか言わないので、しばらく庭に集う者たちはカラスがかあかあと鳴いているのを阿呆みたいに聞いていた。耐えかねて、おれたちの斜向かいに立っているサンザが用件を述べろと言ってきた。
「お、お、恐れながらっ」
と、地面とにらめっこしながら言い出したのはサルである。
「は、恥ずかしながら、おりゃあには惚れたおなごがおりまして、ほんでも、おりゃあは生まれも育ちも下人だぎゃあんで、おなごの母親が契りを結ぶんを許してくんにゃあですっ。なもんで、まことに、まことに、不躾ですぎゃあが、おやかた様にお許しを頂きたく、お願いに上がらせてもらいましたぎゃあとです」
信長は目許を押さえながら、ものすごく気だるそうにしていて、サルの話を聞いていたのか聞いていなかったのか、しばらく黙って、舌打ちしたり、ため息をついたり、何も返答してこなかった。
「おやかた様っ! この木下藤吉郎、おなごとの契りが許された暁には、子をぎょうさん産ませ、子孫末代まで織田の家を――」
「なんか、昨日、そんな話があったような気がするな」
と、信長が目許をさするまま急にぶつくさと呟き始め、幸運なことにこのバカは記憶を失っているらしかった。ウザノスケのことを口にされたら面倒だと思っていたが、おれはここぞとばかりにサルに加勢した。
「おやかた様っ! あっしからもお願い申し上げますっ! そのおなごの寧々は本当にたいそうできた女でしてっ、この藤吉郎殿が足軽大将に出世した今、なくてはならない女房になるはずですっ。それは織田のためっ。藤吉郎殿の活躍は必ずやこれからの織田のためになるはずなんですっ! あっしからも、あっしからもお願いし申し上げますっ!」
おれが頭を地面にこすりつけると、サルは唖然としておれを眺めており、いたく感激している様子だったが――。
「うるせえな」
と、信長はまったく感激していなかった。
「貴様らはぎゃあぎゃあうるせえんだ。あ? 忌々しい声を張り上げやがって」
やばい気配になってきて、サンザがあわてて割って入ってくれた。
「いや、おやかた様、確かにこやつらは恥知らずの恐れ多い者たちですが、しかし、おやかた様の親心で、こやつらの――」
「だったら俺が自らそのおふくろに言ってきかせてやる」
そう言って信長は唐突に腰を上げ、近くに控えていた小姓に草履を出させると、それを履いてじゃりじゃりと歩み寄ってきた。
「その女、俺が自ら出張るような女かどうか確かめてやる。下知を下すってのはそういうことだ。貴様ら、俺が出張るほどの女じゃなかったときはわかってんだろうな? ん?」
信長はおれとサルに睨みを与えると、片肌脱いだままじゃりじゃりと庭から玄関先へと歩いていってしまい、おれとサルは顔を見合わせたが、サンザに付いていかんかと怒鳴られて、あわてて信長のあとを追った。




