人生意気に感ず(1)
暦の上じゃ夏も通りすぎてくれたってのに、また急に暑くなりやがった。
「殿」
おれが好きな季節は秋だ。涼しくて好きだ。それと冬にかけて枯れてゆく寂しさってのがいい。吹く風のたそがれは自分を見つめ直させてくれる。
今年も一年は終わっていくなあ、今年一年おれはどうしていただろうかなあ、と。
でも、今日はふざけた暑さだ。秋は好きだが、残暑は嫌いだ。
「殿」
「なんだよ、うるせえな」
縁側でふんどし一丁で寝転がっていたら、太郎がさっきからムスッとした顔で突っ立っているのだった。
「殿に文が届いております」
「フミ?」
太郎が差し出してきたのは、こより状にぐしゃぐしゃに絞られて、紐で縛られている手紙だった。おれに手紙なんざ届いたのは初めてだ。誰だろうと思って紐を解いていく。
紐を解いていく間も太郎が立ち去らないので、そこで何をやっているのか訊ねた。
「足軽兵卒の皆様は土塁の改修作業にあたっているというのに、殿は裸で寝ています」
「だからなんだ。イエモンとソフエが手伝っているだろ」
「殿が陣頭指揮を執るべきだと私は思います」
「うるっせえなあ。がたがたがたがた。お前、言われたのか? ゴロザ殿におれを監視しろって言われたのか?」
「いいえ」
「じゃあ黙ってろ」
まったく。マリオがせっかく居ないんだからちょっとはだらだらさせろっていうんだ。マリオの野郎、おれを沓掛のあちこちまで連れ回したかと思えば、城の土木工事を城主のおれにまで現場作業に当たらせるし、トンデモ時代のミミズ文字が読めないのを知ったら、おれに勉強までさせるし、ふざけんな、バカ野郎。二十六歳にもなって、いろはにほへとを書いている城主様がどこの世界にいるってんだ。
んで、紐を解いて、ぐしゃぐしゃの手紙を床で真っ平らに伸ばしていったが、やはり、ミミズ文字で読めねえ。
おれは太郎に手紙を突き出す。太郎はお子ちゃまのくせに生意気に溜め息をつきながら手紙を手に取った。
「誰だ、差し出し人は。おおかた、陰険クソ野郎の塙九郎左衛門か、芸能記者のインチキ太田だろう」
「木下藤吉郎殿です」
「ああっ?」
おれは太郎の手首を掴み取り、予想外の詐欺師からの手紙を覗きこんだ。太郎はここに木下藤吉郎秀吉と書いてあると言って指差した。
「これ、本当に藤吉郎殿が書いたのか? あの人、絶対に読み書きできねえだろう」
太郎は首をかしげながらも手紙を読んでいった。
――。
「ということです」
「いや、まどろっこしくて何がなんだかわからなかったんだが。ソウロウとかベカラズとか、なんだかよくわかんねえんだが」
「つまり、木下藤吉郎殿は、寧々という女の人とご婚姻したいとお考えなのですが、寧々様のお母上が反対するので、殿からおやかた様にお願いしてほしいと言っております。殿はおやかた様に雑談を披露できるので、そのついで、おやかた様に木下殿と寧々様のご婚姻をお許しする下知を出してもらいたいと」
おれは太郎の手から手紙を引ったくった。怒りの手つきでビリビリに細かく破っていって、叩きつけるようにして紙片を庭にばら撒いた。
「ナメてんのか、あの詐欺師っ!」
おれはそれでも飽き足らず、裸足で庭に飛び降りると、ちらばった紙片をこれでもかと踏んづけていった。
ふざけんじゃねえ、バカ野郎。デザイアにこてんぱんにされた傷もまだ癒えねえってのに、猿のくせして人間みたいな色ボケ手紙を寄越してきやがって。しかも、おれに恋のアシストをしてくれだと? ふざけやがって。人からカネをふんだくったくせに、よくもいけしゃあしゃあとのたまえるもんだ。
紙片をあらかた踏んづけ終えたおれは縁側に腰掛けた。いつのまにやら太郎がいなくなっており、おれは舌打ちした。
どいつもこいつも。
何が沓掛三千貫だ。何が勲功第一だ。クッソみてえな出来事しか起こらねえ。何もしないでゴロゴロしていたってクソみたいな出来事が降りかかってくる。本当にやる気のやの字も湧いてこねえ。
おれはデザイアからひどい仕打ちを受けてからこのかた、何らやる気は湧かなかった。沓掛城の天守閣なんてどうでも良かった。松平ジロサブロとの同盟なんてどうでも良かった。
所詮、おれはキモオタ。訳のわからねえ女に惚れちまって訳のわからねえうちに胸をボコボコにされてしまうキモオタ。
おれはがっくりと頭を垂らして溜め息を垂らす。バカみたい。思い出すと泣けてくる。
瞼をこすっていると太郎が桶に水を汲んできた。おれの足下に桶を置いた。そのままシラーッとした目で見上げてくると、土塁の改修を手伝ってくると言って庭から館を出ていった。
チビのくせに頑張っちゃって、バカ。
それにしてもサルの野郎ってのは本当になんでもかんでも周りを巻き込もうとするクソ野郎だ。テメエの力で寧々さんの鬼母なんか説得すりゃいいのに、おれから信長に頼みこんでくれと来たもんだ。
だいたい我らが親分の信長を使おうとするだなんて頭がどうかしているだろ。おれでさえデザイアのことを信長にお願いしてみるかだなんて微塵も思わなかったんだから。
信長が激怒するのは見え見えじゃないか。そんなくだらねえことで俺を使ってんじゃねえって言われて頭をゴリゴリ踏んづけられるに決まっているじゃねえか。
いや……、そうだよな、信長は激怒するに決まっているよな。だったら激怒させちゃおうかな。フヒヒ。信長が激怒してサルはボコられ、挙句の果てには寧々さんとの仲も破談。
そうだ、そうだ、おれだけが傷ついているのは癪だ。サルも傷つけてしまえ。
「簗田殿。小袖など羽織ってどちらに参るのだ」
「ちょっと、生駒屋敷の吉乃さんのとこに」
吉乃さんの名前が出た途端、おれをシラーッとした目で見ていたマリオは途端にびっくりして瞼を開け広げた。
「なっ、なにゆえっ」
「おやかた様から吉乃さんにおもしろ話を聞かせてやれって手紙が来たんで。そういうことで、あっしは一週間ほど留守にしますんで、城のことはゴロザ殿がよろしくってことで」
「ちょ、ちょっと待たれいっ。年貢の勘定が――」
うるせえ、バカ。城のあれこれなんて目付けのテメーがやってろ。
太郎を連れて吉乃さんのところへ向かう。生駒屋敷がある丹羽郡ってのは尾張の北部にあるんで、南東部の沓掛からはかなり遠い。しめしめ。信長もナイスタイミングで珍奇衆の仕事をくれたもんだ。口うるさいマリオとは長い間おさらばできるし、サルのボコリ計画も始動できる。
吉乃さんのところに行けと言われたのは明後日なので、鎌倉街道をのんびりと歩いていったおれは清洲宅に一泊した。次の日は様子見に朝から寧々さんのいる杉原家に顔を出してみた。
「あらっ。牛殿じゃありませんかっ。聞きましたよっ、勲功第一ですってねっ」
寧々さんはそう言ってにこにこと笑いながら、おれの肩をバシバシと叩いてきた。フヒヒ。いい女性だよな、寧々さんは。元気をくれる。やさぐれた心を明るくさせてくれる。
これからサルとの縁はぐちゃぐちゃになるんだ、どうせならおれはこれから寧々さんを狙ってみようかな。
ところが付き人のガキがシラーッとした目でおれを見上げてきている。
「やめろってんだろ!」
おれが太郎の頭に拳骨くれると、太郎は頭をおさえてうずくまり、寧々さんは瞼を広げて驚いている。
「あら、こちらの可愛いお侍様はどなた様? 牛殿のご子息?」
おれがムッとすると、冗談冗談と寧々さんは騒ぎ立てながらおれの肩をバシバシと叩き、ついで痛がっている太郎の頭を掌ですりすりと撫でた。
「藤吉郎さんから聞きましたよ。あなたは牛殿の小姓さんなんですってね」
すると、拳骨で半べそ掻いていたくせに、寧々さんに顔を寄せられた途端、クソガキは顔を赤らめながらもぽけえっと寧々さんを眺めた。
「おい」
おれは太郎にシラーッとした目を送る。
「でも親子みたいじゃない。同じ色の小袖で」
寧々さんに言われて、おれと太郎は揃って袖の内側から摘み上げた。しまった、そういえば、同じ藍染である。
「帯は違うッスから」
「はい。帯は違います」
おれと太郎は顔を見合わせた。お互い、ぷいっと顔を背けた。
おれと太郎の様子に寧々さんが笑っていたら、長屋の奥から「誰と話しているんだいっ!」と、鬼ババアの金切り声が届いてきた。女の鬼声がトラウマとなっているおれは、途端に震え上がり、サルが信長を使って企んでいることを寧々さんに伝えたかったんだが、太郎の手を取って長屋からそそくさと立ち去った。
とりあえずは鬼ババアが相変わらずの鬼ババアであったことを確認できたおれは、情報収集のため、インチキ芸能記者の本拠地である安食村を目指す。太郎が前に住んでいたところが春日井郡で、安食村も春日井郡なので、クソガキは芸能記者が住んでいる場所を知っているようだった。
「あの方が木下殿のお相手ですか?」
途中、太郎が訊ねてきたが、おれは無視。
「殿もああいう女性をお求めになられたほうがよろしいのでは」
「何が言いたいんだ? ん?」
「木下殿は見る目があります」
おれは太郎の頭に拳骨を叩き落とした。




