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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第三章 沓掛三千貫の男
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不肖簗田牛太郎政綱、恐れ多くて震える

 八つ時(14時)に城に参上しなくちゃいけねえってことなので、ボロ家で昼メシを済ませたおれは、仮眠しようと思ってゴザ仕様の汚ねえベッドに寝転がった。

「殿。丹羽様はおやかた様にお姫様もご一緒されるとおっしゃってました。髪を結い直したほうがよろしいと思うんですけど」

「えっ?」

 おれは飛び起きた。そんなこと言っていたっけか。まあ、太郎が言っているんなら言っていたんだろう。おれはあわてて髷の紐を解き、イエモンとソフエは庭のくさむしりをさせているので、太郎に櫛を入れてもらった。

「イッテ。痛いってば」

「ごわごわしてます」

「もうちょっとゆっくりやってくれよ」

 それにしてもお姫様って誰だ。

 信長の嫁さんってことは濃姫かな。愛人の吉乃さんは姫様なんて呼ばれていないからな。

 前に芸能記者の太田が濃姫を「マムシの娘」ってバカにしていた。タイムスリップ前のイメージだとめちゃくちゃ妖艶だったけど、聞いたところによると斎藤道三にくりそつみたいで、だから信長も愛人の吉乃さんばっかりだって太田が言っていた。うん。マムシに会う程度ならおめかしは適当でいいや。

 髷を結い直すと、一応、信長の正室だから、半纏びらきはまずいかもしれないので、買ってきた帯だけを締めていく。太郎とともに再び城下へ。

 む。

 外に出てみたら、南の空から湿った風とともに灰色の雲がやって来ている。間違いなく降ってくるので、太郎と二人、箕笠を被って城へ向かった。

 道中、向かっているうちに頭上はすっかり分厚い雲に覆われてしまい、ぽつらぽつらと大きめの玉が落ちてきた。

「こりゃ降るな」

 おれと太郎は笠を右手におさえつつ小走りになって大手門までやって来る。

「簗田牛太郎ッス。おやかた様に呼ばれて参りました」

「聞いております。どうぞ」

「太郎はここで待ってろな。あ、この子供、雨宿りしててもいいッスか」

「ええ。構いませんよ」

 おれは太郎を門前に残して城内に入り、雨足も強くなってきたので駆け足に本丸へと向かった。

 ふむ。

 どこへ行ったらいいんだろうか。

 おれは城に何度か来ているが、引っ立てられた牛のようにして連行されてくるか、クローザが偉そうな態度で出迎えに来るかであった。

 笠の縁からしずくを垂らしながら、おれはざあざあと降りしきる雨の中をきょろきょろと見渡す。城内の連中は小走りになってあわてて雨から逃げており、とても声をかけられる状況じゃあない。見守りの雑兵どもですら消えてしまっている。

 館の玄関口から勝手に上がるのも、おれが一人でそうしたことはないので憚られ、とりあえず館の庭先に回った。この雨の中、おれが乞食みたいにのっそり立っていたら、縁側を通った誰かが声を掛けてくるだろう。

 前に村井の八っちゃんと二人で土下座させられた庭先に回ってくると、打ちつける雨の陰で植木の葉っぱも墨絵のように黒ずんでいて、八っちゃんと二人でやんややんやと騒がれたあの日が嘘のように、人の香りがどこにもない。

 屋根の縁から雨滴があわただしく落ちており、縁側も死んだようにがらんどうである。

「クソ。参ったな」

 おれは呟きながら遠目に広間の中を覗いた。誰もいない。信長の野郎、人を呼び出しておいてどこにいやがるのか。

 それにしたって、雨墨の庭を眺めながら、おれはよくよく思うのだった。

 あのころ、川の水は冷たかったから、マタザの件で引っ立てられてから一年は立っていない。それから今まで、あっという間だったような、長かったような。雨空を見上げれば桶狭間のときを思い出す。おれはよくやれたんだろうか、まだまだやれるんだろうか。

 そういえば、八っちゃんの姿もここ最近は見かけていない。

 マタザの野郎も今どこで何をしているのだろうか。

 戦国時代ってのは滅茶苦茶な野郎ばっかりだけど、なかなかどうして寂しいものだ。

「姉上。ずいぶんと降っておりますわ」

 縁側から声がして、おれは振り返った。そこに立って屋根のひさしの下から雨空を見上げているのは、淡い黄色の小袖をまとったおにゃの子だった。おまつよりも少々若いらしきおにゃの子。若葉色の帯を締めていて、暗がりで顔はよく見えないが、雨足だけが強いだけの静かな時間に、急に明るい花が咲いていた。

 おにゃの子は雨に紛れているおれに気付かなかったらしく、空を見上げたあとすぐに廊下に顔を向け、誰かに話しかけた。

「簗田牛殿。きっと濡れてしまっていますわ」

 あっ、と、思い、おれがおにゃの子に声をかけようとしたら、廊下から縁側に、また一人おにゃの子が現れて、つい、おれは足を止めてしまった。

 縁側に出てきたもう一人のおにゃの子が、ものすごく可愛かったから、おれは声を掛けられなかった。

「そうね。どこかで雨宿りしてらっしゃればいいのだけれど」

 姉上と呼ばれたもう一人のおにゃの子はそう言いつつ、やはり、雨空を見上げたのだが、その人は薄墨の世界でも輪郭がはっきりとわかるぐらいに色白だった。淡い紫色があじさいのような小袖で華奢な体を包んでおり、締めているのは桜色の帯、しかし、色白で華奢だからと言っても決して病弱な気配ではなく、その表情が判別できなくてもわかる、溌剌としたたたずまいで背中を伸ばしていた。

 美少女だった。

 おれは顔立ちがいまいち見えないのにも関わらず、その人の雰囲気だけでどぎまぎしてしまった。挙げ句には、見つかってしまうのが怖くなって、あわてて植木の陰に隠れた。

「あっ! 姉上っ、今、何か動きましたわっ!」

 黄色の妹が声を立てて、おれは焦ってさらに身をひそめた。

「え? どちら?」

「あすこですわ!」

 美少女のお姉ちゃんは植木をじいっと見つめてくる。おれは観念して、声だけを発した。

「あっ、す、すいませんッス。あっし、簗田牛太郎ッス」

 植木が喋っているので、美少女のお姉ちゃんと黄色の妹はきょとんとしながら顔を見合わせた。

「あ、あ、あの、ちょっと、おやかた様にお呼ばれしまして、ハイ」

 黄色の妹が縁側から前のめりに身を乗り出してじいっと覗きこんでくる。美少女のお姉ちゃんは右に左に顔をかたむけて植木のこちらを探りながら、ゆったりとした口調かつ、乞食だって招き入れてくれるような優しい声音で問いかけてきた。

「どうして隠れていらっしゃるの? あなたは本当に簗田牛殿?」

「い、いや、ちょっと、あの、どこからお屋敷に入ればいいんだかわからなくて」

「隠れていたのではわかりませんわ。あなたは誰?」

「姉上! 曲者かもしれませんから、わたくし、おやかたの兄上様を呼んできます!」

「あっ、いやっ」

 無駄に元気な妹を止めにかけたかったが、黄色の妹は真っ直ぐに駆けていってしまった。

 や、やっべ。おやかたの兄上様って、信長のことだよな……。兄上様が何人いるんだか知らねえが、絶対に信長だよな。あの子たちは信長の妹なのかよ。妹ちゃんたちに曲者のレッテルを貼られたおれは絶対に信長にボコられるじゃねえか。

 しかも、同席するお姫様って、彼女たちが話している内容からして、あの美少女と黄色の妹なんだろう、参ったな、半纏股引適当髷で来ちまった。クソ、縫物屋のババアが急いで作ってくれりゃこんな目には。あっ、だからマリオは古着を買えって言っていたのか、クソッ。しかも昨日は風呂に入らなかったし。ああ、クソ、どうせならこのまま植木マンでやり通すか。チックショウ、あんな美少女が同席するって知っていたんなら、壺の中身全部使い果たしても着飾ってきたってのに。

 む……。

 信長の美少女の妹――。

 市姫?

 おれはハッとして顔を上げた。そうしたら縁側に美少女はいなくなっていた。ヤバ。お姉ちゃんも信長を呼びに行ったに違いない。無駄に騒ぎ立ててくれるに違いない。マジでやべえ。このまま行ったら、信長にボコられてクローザに雨ざらしの庭に捨てられて、お姉ちゃんと妹にゴミでも見るような目を与えられちまうんだ。

 とりあえず、逃げよう。一回、大手門に戻って、何食わぬ顔をして戻ってこよう。そうして植木マンって誰なんスかってすっとぼけよう。

 おれは腰を上げ、植木から出ようとする。

 そこにお姉ちゃんは立っていた。

 降りしきる雨に打たれて綺麗な着物をずぶ濡れにさせながら。

 ぬかるんだ地面に骨董品のように白くて細い裸の足を乗せている。

 肩口あたりで切りそろえた髪先から玉のしずくを垂らしつつ、お姉ちゃんは笠を被ったおれを覗き上げてくる。

 信長に似た目許、切れ長の瞼、その中から黒玉に澄み切った瞳を向けて――。

 おれはあわててその場に這いつくばり、蓑笠の紐をほどいた。

 すると、

 ふふ、

 と、お姉ちゃんは笑い声を雨音の中に弾ませた。這いつくばっているおれの顔の高さまで膝を折り曲げてくると、首をかしげ、また再び、笑顔でおれを覗きこんでくる。

「兄上様がおっしゃていた通りの大柄な御仁ですが、あなたは簗田牛殿?」

「は、はいっ! 不肖簗田牛太郎政綱ですっ!」

「どうして隠れていらっしゃったの? 曲者だったら、こらしめてやるところでした」

 冗談なのか本気なのか、お姉ちゃんは再び笑って見せてきて、強い雨足などお構いなしの可憐さだった。おれはお姉ちゃんの、その包み込むような眼差しと、胸が安らぐような笑顔にまったく恐れ多くなってしまった。外した箕笠を差し出した手つきも震えに震えていた。

「ぬ、濡れてしまいますゆえっ、汚ったないものですがっ」

「牛殿が濡れてしまう。いちは着替えがありますよ」

 お姉ちゃん、いや、市姫様はそうおっしゃられながら、雨に紫色が濃くなった着物の袖から手首を伸ばしてきて、おれの胸に汚い箕笠を優しくそっと押し返してきた。

 おれは雨水を弾いているその白くなめらかな手首に見とれながらも、市姫様に視線を上げた。

 市姫様は切れ長の目尻を緩め、にこっと笑った。

「市は、あなた様のお話を妹のいぬとともに楽しみにしておりました。雨の中わざわざ来ていただきありがとう」

 おれは頭が真っ白になった。こんなに可愛い人がこんな世の中にいただなんて。

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