運命のひとひねり
さっさと清洲に帰ってあずにゃんに告白し、あの勝ち気なお顔をぺろぺろしたいのは山々である。
だが、勲功第一の大手柄を上げた男とはいえ、ここで大喜びであずにゃんに告白してしまうと足下を見られてしまう恐れがある。
それに足軽大将二百貫程度のサンシタだったら、バカみたいに鼻息荒くするかもしれんが、おれは沓掛三千貫の偉大な男なのである。偉大なる男はどっかりと腰を据えつつ、告白はなんて事無き事のようにさらりとやってのけねばならんだろう。
むしろ、家康との同盟という手柄も付け加えて、簗田牛太郎を更に偉大ににするのだ。
まあ、昨日の今日だ、徳川家康という松平ジロサブロは敗戦のあとでゴチャゴチャしているだろうから、もうちょい日を置いてから岡崎に乗り込むべきだろうな。
何よりもおれは風呂に入りたい。
マリオに案内されたとき、おれは風呂場を発見した。これこそ、城主の特権、三千貫の男たる代物である。
タイムスリップしてこのかた風呂を浴びていない。清洲のボロ屋には風呂なんてなかった。銭湯だって存在していない。どっかの町の寺にはそういう類のものがあるらしいが、清洲にはなかった。
汲んできた水を囲炉裏で沸かし、そのお湯で体を拭くか、寒くなけりゃ川に浸かるか、なんていう、トンデモ生活だったのである。
おれは城下見聞を終えて本丸館に戻ってくると、さっそくマリオに風呂に入りたいとお願いした。戦場の垢を落としたいとかなんとか言って。
じゃあ、小者に風呂を沸かせておくと、マリオは自分の手下に薪をくべさせた。
風呂が沸くのを広間で待つ間、マリオが沓掛のこれから、対今川勢への守りについて、ごちゃごちゃ言っていたが、おれはうんうんと頷きながら、聞いちゃいなかった。難しくてよくわからんかったし、風呂に入りたくて仕方なかった。
そんで、ややもすると、小者が広間にやって来て、風呂が沸いたと言う。おれは大喜びで飛び跳ね、着ていた羽織りやら股引やらを脱ぎ散らかして、ふんどし一枚で城内を行った。
床は土盛り、壁は石と土との盛り合わせ、風呂釜は誰が使っていたんだか、湯に変な金属が浮いちゃっていて、汚ったねえ有り様ではあったが、しょうがない戦国時代なんだから。それに川の水に比べりゃどれだけ天国か。
ふんどしを脱ぎ捨てて早速つま先から浸していく。
うーん、この感触。こわばっていた肉がなめらかな温かみによってほぐれていく。
そんで、つま先から太もも、そして全身をゆっくりと浸からせていき、自然と漏れ出てくる幸福の吐息。
あったかい……。
包まれている。洗われている。風呂は心の洗濯とは誰が言ったか、肉という肉が安らいでいき、おれをかたどる骨は和らいでいき、その奥の中にある心は、世の中に歪んだ邪気邪気しい荒みをほぐしていく。
良かった、出世できて。
このときばかりはさすがのおれも信長に感謝せざるを得なかった。十貫文の正体不明の珍奇衆のままだったら、おれは絶対に風呂のありがたみを味わえなかった。
所領三千貫どころか、風呂付き物件まで提供してくれるなんて、信長ってなんて名君なんだろう。
「し、失礼します」
なんだ、と、思って振り返ると、な、なんでか、小姓の太郎がふんどし一丁になって風呂場に入ってきた。おれの三分の一ぐらいしかない小さな体をあらわにして風呂釜に近寄ってき、筒でフーフーと薪を吹き始めた。
「お、おう。悪いな」
おれは戸惑いつつも体を戻し、肩までお湯に体を沈めた。
ま、まあ、身の回りの世話をするための子供らしいからな。お湯を温めるぐらいのことはするだろうな。
それだけのことでふんどし一丁になっているのが意味不明だが。
「ゆ、湯加減はいかがでございますか、殿」
殿――っ。
おれはニヤニヤをこらえるのに必死だった。おれが、殿。
なんていい響きだろう。こうまで違うか、三千貫の城主とは。
「うむ。もういいんじゃないかな。うん。あっ、そうだ、あれを持ってきてくんないかな。洗うやつ。米ぬかを布の袋に入れたやつ。清洲のときは女中の婆さんが作ってくれてたんだが」
「あっ、はい。探して参ります」
太郎はペコッと頭を下げるとちょこちょこと風呂場から出ていった。
うむ。素直でいい子じゃないか。どうしてふんどし一丁なのかは気になるが、真面目で機転も利きそうな子供だ。
欲を言えばおにゃの子が良かったけど……。お背中流し係の……。
まあ、あずにゃんを嫁に迎える前に、そういう浮いた話を作っちゃならんからな。偉大かつ女に一途なところをアピールしないとな。
「殿」
と、ややもすると太郎は戻ってきたが、ぬか袋は用意していなかった、今日は布きれ一枚で我慢してくれと言われたということだった。
「申し訳ございません。次は用意しておきます」
「ああ、いいよいいよ。うん、次からはそうしてくれ。じゃ、いいぞ、帰って」
「殿のお背中をお流ししなさいと丹羽様に申し付けられました」
「えっ?」
おれはあからさまに嫌な顔をして太郎を見つめたが、太郎は唇を閉じ込めてうつむいてしまう。
うーん。チッ。しょうがねえな。男の子に触られるだなんて気持ち悪くて嫌だけど、追い払ってしまうとこの子はマリオに怒られるのかもしれんからな。
おれは偉大なる男だ、何事にも寛容だ。
チンコを手ぬぐいで隠しつつ風呂釜から上がり、地面の上にゴザが敷かれている部分に下りた。木の椅子に座り、太郎に背中を見せた。
「ほら、さっさと洗え」
「はい」
太郎はおれの背中をごしごしと洗い始めた。ぬめりがないから痛かった。痛かったけど、おれは我慢した。ちょっと可哀想だからな。
五回ぐらいゴシゴシとされたあと、おれは太郎に横顔を見せ、もういいぞ、と、言った。太郎の手から手ぬぐいを奪い取り、掌でしっしっと払った。
「もういいから。帰れ。風呂に入りたいんなら、おれが上がったあとに入れ。わかったな。ん?」
しかし、太郎はじっとおれの顔を見るだけで動こうとしない。
「なんだよ。帰れよ」
「でも――」
「何」
「丹羽様が、殿のおちんちんを召し上がってきなさいと」
「え、えっ?」
「殿にべたべた触ってきてもらいなさいと」
おれは時間が止まったかのように固まりつつも、太郎の言葉を理解するよう努めた。
どういうことなんだろうか、チンコを召し上がれって、なんなんだろうか。
こいつはおにゃの子じゃないし、小姓だし……。
ま、まさか、おホモだち?
おれはガバリと腰を上げた。チンコを手ぬぐいで隠し、泣きそうな顔でいる太郎の脇を抜けて脱衣場に戻り、あわててふんどしを締めていく。
あかん。やばい。なんだよ、それ。鳥肌が立ちまくって仕方がねえ。どうして子供の太郎がマリオに命令されてケツを掘られに来てるんだよ……。
「殿……」
と、太郎は風呂場から女の子みたいな顔つきでおれを見上げてくる。
「うわあああっっっ!」
おれは逃げた。全速力で逃げた。あかんあかんあかん! この城、あかん! マリオあかん! 太郎、あかん!
おれは風呂に入っていたのも忘れて冷や汗垂らしながら広間に戻ってき、さっき脱ぎ散らかした服が畳まれて置かれてあったので、あわてて股引を履き、羽織りに袖を通して帯を締めた。
すると、マリオがやって来た。
「いかがした、そんなにあわてて」
と、なんでもないことのように言っている。
「太郎は好みではござらんかったのか?」
「こ、好みってっ、あ、あ、頭、おかしいんじゃないんスかっ?」
「なにゆえ」
むしろ、マリオは語気を荒らげていた。
おれはもう、目の前で繰り広げられているおホモだちが理解できなくて、パニック寸前だった。
「お、お、おかしいでしょっ! だって、男の子じゃないッスかっ! あっしはねっ、そっちの気はさらさら無いんスよっ! お、女だったらね、そりゃ、あ、ありがとうございます、ゴロザさんスけどね、男って。男ってありますか、ええっ?」
「何を申しておる。女など昨日の今日でこの城におるわけないであろう」
「いや、だからって男の子を寄越すのっておかしいんじゃないんスかっ! あっしは、そっちの趣味は無いんスからっ! そういうふうに見えます? ねえ」
パニック寸前のおれが焦りと恐れで騒ぎ立てていると、マリオは首をかしげてしまった。
「衆道は好まんと言うか、お主は。その役目の通り、珍奇な御仁だな」
珍奇? ホモじゃないことが珍奇?
どうかしている。マジでどうかしている戦国時代。信長もそうだったしな。どいつもこいつも頭がおかしい。恐ろしい。こんなところにはいたくない。
「もういいっ! もうあの子供はいらないっ! 実家に戻してくださいよっ!」
「いやっ、それはっ」
「あんな目に合うんだったら、身の回りの世話をする奴なんていらないッスよっ!」
すると、広間の戸の陰から太郎の顔がちらっと見えた。
おれと目が合うとあわてて飛び出してきて、ふんどし一丁のまま縁側に土下座した。
「申し訳ございませんっ!」
太郎は涙を流して頭を下げていた。おれは健気な太郎の姿に尻込みしてしまった。
てか、太郎がおホモだちかどうかじゃなくて、太郎はこのマリオに命令されておホモだちになろうとしていたのだ。
さすがのおれも太郎が可哀想になってきてしまう。
「い、いや、太郎、いいんだ。やっぱり、いいよ。居ていいよ。キミがいたいんだったらいていいよ。おれは全然怒ってないから。うん。ただ、男の子は好きじゃないんだ。ね。うん。だから、さっさと服を着なさい。ね」
太郎はしくしくと泣いていたが、
「簗田殿がそう申してくれたのだ。礼を申して服を着てきなさい」
と、何を言ってんだ、この野郎。
「はいっ。殿、ありがとうございます」
そう言って、太郎は瞼の下を拭いながら立ち去っていったが、おれはマリオを睨みつける。
健気な子供を取っ捕まえてきて、大人のオモチャにさせようだなんて、こいつはどんだけの鬼畜野郎だ。真面目ぶっているくせしてやっていることはヤクザじゃねえか。
「マリオ――、ゴロザさん。あのね、もう余計なことはしてもらわなくていいんで。あっしの家来はあっしで探すんで。余計なことは今後一切しないでくださいよ」
マリオはふてくされた顔でおれを眺めていたが、
「かしこまった」
と、言い残し、広間から出ていった。
城主二日目。
マリオが城郭の隅々を見て回りながら、ここの土塁は直さなくちゃ駄目、ここの矢倉はこれこれこうこうしなくちゃ駄目と、足軽や自分の手下に言って聞かせて回っているのをおれは眺めているだけだった。
土塁も何も、おれは城を改築するつもりだからどうだっていいのだが、そういうのは口うるさいこいつが清洲に戻ったあとに進めるとして。
今、おれがやらなくちゃならないのは、服の新調である。松平ジロサブロのところに行かなくちゃならんし、それにあずにゃんに告白するのである。そのときに今のこんな格好――、半纏股引突っ掛け草履なんて格好じゃ、結べる約束も結べなくなってしまうかもしれん。
サルみたいな詐欺師にだまされないよう、今度は慎重に選ばねえとな。ただ、沓掛には呉服屋がなかったっぽいので、結局のところは清洲に戻らなくちゃならんのかもしれない。
おれは後ろをくっついてくる太郎をちらっと見やった。折り目正しく羽織りの襟を締め、帯で締めて袴を履いている小僧は、おれに急に振り返られてぽかんとした。
駄目だな。こんな可愛いお子チャマじゃ、サルみたいのに騙されかねん。
くそう。おれの使いっ走りになれるような野郎はいないか。
「そういえば簗田殿」
大手門をくぐったところで、マリオは足を止めた。
「おとついのいくさで今川方が捨てていった馬があり、見た分、なかなかの駿馬であったから、簗田殿にいかがと思ったのだ」
「えっ?」
「太郎、馬屋に行って呼んできなさい」
「はいっ」
太郎は館前の広場をちょこちょことどっかに走っていった。
「い、いいんスか」
「ああ。簗田殿は馬を持っていないようだからな。三千貫の主ともなればそれなりの数の兵も従えねばならんし、そうなると馬ぐらい跨っていなければ格好がつかんだろう」
確かにその通りだ。服もそうだが、馬もそうだ。桶狭間にいざ出陣ってなったとき、信長に捨てられちまうという有り様だったからな。
なんだいなんだい、マリオさん。案外、いい奴じゃん。
んで、太郎が、小袖着流しのねじり鉢巻きを頭に巻いた奴を連れてきて、鉢巻き野郎は馬の手綱を引いてきた。
おお――。あれがおれの馬か。昼前のお日様を浴びて栗色にきらきらと輝いているじゃないか。たてがみと尾っぽが銀髪で格好いいし。フヒヒ。あんな格好いい馬に跨れば、あずにゃんもいちころだぜ。
おれの前に引っ張って連れてこられた馬は、鉢巻き野郎が止まると、一緒にピタッと止まった。一度止まれば微動だにせず、どこかをじいっと見つめていた。
マリオが馬の鼻面を撫で撫でする。
「おとなしい性格ゆえ、乗り易いと思う。簗田殿、試しに跨ってみてはどうか」
「あっ、いいッスか」
マリオはうなずき、おれはにやつきながら鞍の前に立った。うむ。ちょっと背中が高いかな。どうやって乗ればいいのかな。
すると、ねじり鉢巻き野郎がおれの横に来た。
「旦那。俺が手出すから、左足を鐙にかけて、鞍をまたぐ右足はおれの掌に乗せろ」
なんでこの野郎タメ語なんだ? おれは城主様だぞ?
まあいい。おれはちょっと怖かったけれど、言われたとおりに鐙に足をかけ、ねじり鉢巻き野郎が出してきた掌に足を乗っけた。鉢巻きはおれの右足を鞍の向こうに放り投げた。あわわっとあわてたが、おれのケツはスッポリと鞍におさまった。
お、おおう……。これが馬上の景色か……。
ところが、
ヒヒーンッ
と、このバカ馬っ、おれが乗った途端に急に暴れ始め、前脚を空高く突き上げて、馬のくせに二足歩行で立ち上がりやがった。
「手綱っ」
と、マリオが叫んだが、パニックになったおれはアワアワと両手を踊らせ、そうして、すってんころりんと地面に放り投げられた。
おれを振り下ろした馬は、前脚を着地させると、何事もなかったかのようにしてまたおとなしくなった。
こ、この、駄馬……。
ねじり鉢巻きが腕を組みながら首を傾げる。
「おかしいなあ。誰を乗せても振り落とす真似なんてしなかったんだけどなあ」
「ま、まあ、こういうこともある」
と、マリオが苦々しく笑いつつ、おれを励ましてき、
「大丈夫ですか、殿」
と、太郎がおれに寄り添ってきたが、おれは太郎を払いのけ、腰を上げると馬にも背中を向けた。
「ゴロザ殿。あっしは馬はいいッス。ええ。いらねえッス。てか、こんな駄馬いらねえッス。おい、お前、さっさとこの駄馬をどっかに連れてけ。こんな駄馬見たくもねえ」
おれがねじり鉢巻きをしっしっと手で払うと、ねじり鉢巻きはむっとして、ぷいっと顔を背けて駄馬を馬屋のほうへ連れて帰る。
「いや、しかし、簗田殿、そういうこともある。これまで跨ったことがないのだろう? 鍛錬すれば良いことではないか」
その言い方がなおさらおれの屈辱に苛立ちを煽らせてきた。
「いらねえッスからっ。あっしはそもそも馬なんていらねえんだっ」
すると、
「貰ってやればいいじゃねえか、牛」
突如聞こえてきたその声に、おれはびっくりして大手門へと振り返った。
いくさは終わったってのに甲冑姿で門の下に仁王立ちしているのは、マタザであった。




