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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二、二章 勝とうとして戦う者たちよ
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勝とうとして戦う者たちよ(前編)

 善照寺砦で待機しているうち、急にあわただしくなって出陣となった。

 砦を出るころから空には雲が垂れこめていて、風も冷たく湿ったものになっていたけれど、歩き始めたころには思った通りに雨がざんざんぶりとなった。

 大きな粒がカーテンのように降り続けていた。5メートルから先ぐらいは見通しが立たなかった。地面を叩きつける雨音の中に太鼓の音が鳴ってきて、皆、かちゃかちゃと走り出した。おれも周りに習って走り出した。

 どこに向かっているのだか、なんの知らせもないが、いよいよか、と、おれは思った。

「いよいよだぎゃあぞ」

 と、サルも、雨に濡れた顔を掌で拭いながら、組の子分どもに言っていた。

 いよいよ――。

 長かったような短かったようなあっという間だったような気がする。

 前を走る奴の泥っぱねを浴びながらおれはなんとなく振り返る。

 けれども、何も思い出せなかった。今までのおれの人生の中に何かがあったことだけは漠然と思い出せた。

 漠然とした人生しか送ってこなかったからだろうか。

 でも、何かが変わる気がした。この雨を抜けて出たところに、光の注いだ景色が広がっているような気がした。

 やがて行軍は山の中に入った。鬱蒼と生い茂る林の中の道無き道を柔らかい土に足元を取られつつも、おれは汗だか雨だかわからんものを額から頬に垂らしつつ、はぐれまいとして周囲を確かめながら、かすかに聞こえてくる太鼓の音を頼りにしながら、急な斜面に生えている草根っこ引っ掴みながら、山の中を登っていった。

 何かが変わる気がするわけだった。

 いいや、むしろ、すべてが。

 こういうもんか、いくさってのは。

 何かができそうな気がして、何かに勝てそうな気がして、それを超えればすべてが変わるような気がする。


 おれは初めて、いくさに出かけてきた。


 行軍が終わったときには山を登り切っていたが、雨はまだ降っていた。

 桶狭間には雨が降るべくして降っている。

 おれたち、織田勢三千の兵を飲み込むようにして。

 いいや、雨が飲み込んでいるのは、眼下に収まっているだろう今川勢二万五千だろうか。

 とにかく、おれたちは息をひそめていた。


 勝つのか。勝てるのか。

 これは桶狭間の戦い。

 おれは知っている。これが桶狭間の戦いだと。

 でも、本当に勝てるんだろうか。実は負けちゃうんじゃないだろうか。本当に今川治部大輔は油断しているのだろうか。

 だいたいだ。たとい信長がこの戦いで天下に覇を唱えたって、おれが生きて再び清洲に帰れる保証なんてないんだ。


 でも、こんなおれだって、ここで名を上げれば、愛しの梓殿に振り向いてもらえるはず。

 勝てるいくさなら勝つしかねえ。

 おれは信長っていう勝ち馬に乗ったんだ。

 ここで勝たなきゃいつ勝つんだ。


 なんてうちに雨が本格的に小ぶりになってきやがった。

「手柄、取るだがや」

 サルの眼光鋭いままの呟きに、槍の柄を握りしめた木下組の野郎ども。

 おれはというと――、膝の震えが止まらん。

「者どもおっ!」

 信長の甲高い声が三千人のうちのどこかから突き上がり、雨はいよいよ雲の腹ばいからしたたり落ちてくる程度、嵐の様相を呈していた風は頬を撫でるような優しさに、雲間に覗けた青空からは一筋に差し込んでくる光が。

 すると、ぐいと伸び上がった一振りの槍の刃先が、その光をきらりと撥ね返し、それとともに、信長の声が響き渡ってきた。

「ここに伸びゆくが我ら天道の照覧よおっ!」

 うおっと三千人が一斉に吼えやがった。

 こいつら全員勝つ気でいやがる。こいつらのやる気は、嵐ののちの静けさに包まれていた桶狭間を再び揺るがせてしまった。

 おれはこいつらの勢いに圧倒されたか飲まれちまったか奮い立ったかして、鳥肌立った。

 これがいくさ――。

「雨は上がったあっ! 目指すは今川治部の首一つうっ!」

 ちゃっ、と、一挙に槍が構えられた。

「この三郎に続けえいっ!」

 無数の太鼓が打ち鳴らされた。無数の雄叫びが上がった。

 おれは――。おれは――。

 ぎゅうっと槍を握りしめ。

 童貞ニートキモオタがタイムスリップの第二の人生、ここで勝たなきゃいつ勝つんだ。

 おれは駆け出した。

 サルやサルの子分の木下組とともに、いや、三千人の織田勢の連中ととも、おれは坂を下っていった。


うおらあっ!


 ほとんど全員が叫んでいた。

 坂を駆け下りていく黒い波から熱気が湯気となってあらわれている。おれはただひたすら波に乗って駆け下りていくだけ。どこに向かえば敵なのか、どこに向かうと敵がいるのか、周りを全部黒い波で覆われてしまって何もわからん。

 ただただ、槍を握り締めて駆け下りる。

 振るってやる。

 敵が出てたら振るってやる。

「あっ!」

 と、黒波のどこからともなく声が上がった。なんだと思ったら、おれたちの頭上を巨大な影が飛び越していった。ひ、飛行機でもあるまいし、と、おれは目を丸めたが、どうやらあれは馬だった。

「赤母衣だ! 前田又左衛門だっ!」

「えっ?」

 う、嘘だろ。本当に来たのかよ――。しかも、なんなんだよ、あの登場の仕方。カッコいいし……。

 と、師匠の勇姿に浸っている間もなく坂を下り終え、そうしてひとかたまりだった黒波が砂浜に寄せていくように、ざあっ、と、広がっていった。

 無論、寄せては返す波のような慎ましさなど皆無で、じゃんじゃんじゃんじゃんと鐘の音、どんどんどんどんと太鼓の音がけたたましく鳴り響いていおり、がちゃがちゃと具足を鳴らしながら、槍を持った連中の叫びと怒号、馬のいななき、

「奇襲じゃあっ!」

 と、敵方の声も聞こえてきた。

 波が広がっていくとともに、おれの視界も広がっていった。そこに見えたのは丸の中に二本線の今川の家紋を印した旗、そして、襲いかかる黒波にあわてふためく敵方の者ども。

 あわてて槍を構える奴だったり、あわてて具足を着込んでいる奴だったり――。

 む……。

 なぜ、奴らは今更になって具足を着込んでいるのだろうか。休憩していたということなら理解できるが、具足を脱いでまで休憩していたということだろうか。

 なんて、間抜けな連中だろう。

「赤母衣衆、前田又左衛門がつかまつった!」

 と、マタザ師匠の声がしたので目をやると、赤色のふろしき風船みたいなのを背中に背負っている師匠は馬上から槍を一閃、具足の紐を結んでいた奴の首を吹っ飛ばした。

 噴き出した血しぶきに、うえっ、と、なって眉をしかめたが、グロいだのなんだの言ってられん。

「手柄だぎゃあっ!」

 サルが叫ぶと、木下組の連中が一斉に槍を突き出し、突撃していく。ぐさっ、ぐさっ、ぐさっ、と、敵方は次々に槍の餌食となっていく。

 ほっほう。

 今川方はここまで混乱するかというほどに混乱し尽くしていて、まさに赤子の手をひねるも同然である。

 手柄――、取ったも同然。

 しかし、こんなザコともを殺したって何にもならねえ。あずにゃんのお耳に届くほどの大手柄を取らなくちゃならねえんだ。

 そして、今川方のこのザマであれば、取れる。

 押し寄せてきた織田の黒波を受けて、そこかしこで殺され、あるいは抵抗し、つばぜり合いを催しているのをよそに、おれは戦いの波しぶきをかき分けるようにして前へ前へと進んでいく。

 狙うは今川義元の首一つ。

 ところがどっこい、どこかからおれに突っ込んできた者がいた。うおお、などと叫びながら、太刀を振り上げ、目玉をひん剥いて、混乱の末に狂ってしまっているようであった。

 おれはあわてて槍を構えた。マタザ師匠に地獄の特訓を課せられたおれだ、あんな野郎ぐらい屁でもねえ。はずだったが、槍を構えるよりも先に狂人に間合いを詰められてしまっていた。

「うおらあっ!」

 と、おれの頭目掛けて太刀を振り上げてきて、おれは咄嗟に屈んだ。太刀はビュンっと空を切った。間一髪すぎて鳥肌が立った。

 振り返れば、狂人は肩で息を切らしながらおれを睨んできており、再度、太刀を握り返した。どうして、そんなにおれを殺したがっているのか意味不明であり、おれもおれでさっきの攻撃でへっぴり腰になってしまった。

 やべえ……。足がすくんでしまっている。体が思った通りに動かない。

 頭の中ではわかっている。槍を突き出さなくちゃ殺されるとわかっている。しかし、体がまったく動いてくれない。震えてばかりで何もしようとしてくれない。やらなくちゃならないとわかっていてもなお、おれの体は殺し合いにビビってしまっている。

 おれはこのときバカみたいに冷静に悟った。誰が言ったか知らねえが、心技体とはこのことか、って。

 ちょっとだけ死亡を覚悟した。

 だが、今まさにおれを殺しにかかってきていた狂人が、急に「ぐうっ」と呻いて顔を歪め、背筋をピンと張りながらも、ゆっくりと背後に振り返った。

 なんなんだ、と、思ったら、振り返っていった狂人の首に矢が突き刺さっていた。

 さらに、ビュッ、と、矢が飛んできて、振り返っていた狂人の額にグサリと綺麗に突き刺さった。狂人はそのまま後ろに倒れていき、おれは呆気に取られながらも、矢が飛んできたほうへ目を凝らした。

 遠くのほう、二十メートルぐらい先のほうに、織田勢の黄色い旗を背中に掲げながら、弓を手にしている奴がいる。

 おれは正直、信じられなかった。

 弓を持っているのがインチキ芸能記者の太田だったのである。

 弓に腕があるとは聞いていたけれど、あんなところから狙い通りに放つことができるだなんて。

 助けてもらってありがたいような、悔しいような。

 まあいい。助けられた命だ、手柄取りのために使わせてもらうわ。

 と、振り返って再び走り出そうとしたら、足が出なくて前のめりに倒れた。

 ぐぬぬ……、この期に及んでまだビビっているだなんて。

「くっそおっ!」

 おれは踏ん張って腰を上げた。がくがくと震えている太ももを両手の拳で思い切り叩いた。




 仕方ない、とりあえずはわらわの屋敷に参ってはどうか




 おれはゴンゴンと思い切り太ももを叩く。




 兄上の非礼、許しておくれ




 おれは涙目になりながらゴンゴンと思い切り太ももを叩く。




 わらわは言われた通り屋敷でゆっくりとしておりながら、そなたの功名を待つとする




 おれは勝たなくちゃならねえんだ。

 梓殿が待っていてくれているんだ。

 こんなおれを助けてくれて、土下座までしてくれて、それでいて待ってくれている梓殿のために、おれは勝たなくちゃならねえんだ。

 だから、頼むよ、しっかりしてくれよ。




 死んだ倅が使っていたもんがね。槍や刀は小平太が持っているんでねえけども、家で埃を被っているだけだったから旦那様に着けてほしいんがね




 足の震えが止まった。

 おれは視線を持ち上げて、おれの行く道を見出した。

 視線の先は陣幕が張り巡らされていて、その周辺で百人ぐらいの織田勢と二十人ぐらいの今川勢が激闘している。

 是が非でも陣幕を破らせまいとして、今川勢の連中が激しく抵抗している。

 バアさん、ありがとう。




 無茶するぐらいが男じゃないんがね




 今川義元はまず間違いなくあの陣幕の向こう側にいる。

 おれは無茶することにした。

 槍の柄をぎゅっと握り締めると、震えが止まった足を地に踏み出して、激闘の中へと駆け込んだ。

 槍と刀を振るいながら、血で血を洗いながら、織田の黒い波と今川の黒い崖がせめぎ合っている波濤へおれは突っ込んでいった。

 甲冑と甲冑、馬と馬でごちゃごちゃしているが、おれの体なら吹っ飛ばせるはずだ。

 突っ込むなら頭を低めなくちゃならん。頭を上げていたら突撃に気づいた奴の刀の餌食になっちまう。

 肩を突き出しつつ頭を低めておけば、斬られても致命傷には至らねえはずだ。

 おれは奥歯を噛み締め、波濤が目の前に来たら、目をつむりながら上体をかがめた。

 ガンッ、と、誰かの具足に頭がぶつかって、そのまま誰かを吹っ飛ばした。味方か敵かもわからず、頭もものすごい痛くて、それでいて衝撃に耐えかねて膝をついてしまった。

 おれの周りには足が何本も行き交っている。

「牛殿おっ!」

 近くでハットリ君の声がした。

 おれは手をついて起き上がり、また再び突っ込んだ。

 目の前にあった足に突っ込んで吹っ飛ばしつつ、おれは陣幕の向こうに前のめり倒れながらも到達していた。

「おのれえっ!」

 おれは顔を上げた。

 陣幕の外とは打って変わって、中は空っぽ。ここにいるのはおれを含めて三人だけ。

 太刀を手にしておれに駆け込んでくる奴。

 そして、その後ろに、縦長の黒い帽子を被り、赤い籠手と白い胴丸に身を包んだ、眉毛がマロの奴。

 他の連中とは見栄えの違う甲冑姿、かつ、マロ眉毛。

 今川義元――。

 あれが今川治部大輔義元だ。


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