奪ったヒルモ、奪われたヒルモ
「行き先は宮さんじゃ! 遅れるな!」
「いくさじゃいくさじゃいくさじゃあ!」
「一番槍は我が組のもんじゃぞ! 功名じゃあ! 功名を上げるんじゃあ!」
清州城から法螺貝がぶおぶお鳴り響く城下で、信長の後を追う連中の後をおれが必死こいて付いていっていると、長屋という長屋から蟻塚から溢れ出たアリのように黒い具足姿のザコどもがぞくぞくと沸いて出てきていて、もう暑いったらありゃしない。夏目前だとは言っても夜なんだし、まだ真夏じゃねえんだし、しかし、たいまつの火と、むさ苦しい野郎どもの熱気とで、真夏の夜のキャンプファイヤーの真ん中に飛び込んできちまったぐらいに暑いったらありゃしない。
んで、もうすでに汗びっしょりとなって走っていると、
「牛殿でにゃあか!」
げっ……。
ハアハア言いながら振り返ると、茂助やらのザコどもを従えたサルが、槍を片手に、陣笠翻しながら、おれの後ろを走ってきていた。
「なんて格好しているんだぎゃ!」
サルなんかと関わっちゃいかん。
おれは辻の角を左に折れた。
「おみゃあっ、逃げるんかえっ! 宮さんはこっちだぎゃあぞっ!」
ぐっ。
サルとは離れたいが、サルと離れようとすると道に迷う可能性は大なのであった。
逃げるに越したことはないんだが、と、弱気がちらりと頭をよぎるが、逃げてたまるかい。手柄取るんだい。あずにゃんを迎えに行くんだわい。
おれは踵を返して仕方なくサルと合流する。
「おみゃあ、ふざけてんのかえ、その格好は」
大勢の足軽の波とともに走りつつ、サルが軽蔑の眼差しを注ぎ込んでくるが、おれは鼻先を突き上げる。
「ふざけてなんかねえッスよ。あんたにヒルモをだまし取られたから、鎧を買うカネがねえんだ」
「なあにを言ってんのかえ? 買えたでにゃあか、絹の小袖」
サルがにやっと笑って、おれは一挙に頭にカチンと来て、斜め後ろからサルを突き飛ばそうしたが、サッとかわされてしまった挙げ句、ひょいっと出してきたサルの短い足に引っかかって、ゴロゴロと転倒。
「だ、大丈夫ですかっ、牛殿っ」
茂助が手を貸してきて、起き上がったおれ、怒髪天突き上げて猛ダッシュでサルを追いかけていくも、サルもサルでにゃっはっはと笑い上げながら猛ダッシュで逃げ出し、そのまま突っ走って気づけば神社に到着していた。
夜明け前の薄い藍空には星の名残り火がひっそりと瞬いていて、「熱田の宮様」とかいうでっかい神社の境内は、普段はきっと荘厳な静けさの中に浸っているんだろうが、今日ばかりは具足がこすれ合うがちゃがちゃという音であったり、馬がブルブルと鼻を鳴らしていたり、目許にいくさ前の殺気を漂わせている奴もいれば、呑気に鼻糞をほじっている奴もいて、すっかり、ならず者の溜まり場と化している。
多分、10kmばかりは走ってきただろう、バカみたいにサルと追いかけっこしてきたおれは、さすがにへばって前のめりに倒れていた。
やべ……。これから手柄取りだってのに、余計な体力を消耗しちまった……。
「それしきで手柄を立てるだなんてにゃあ」
顔を上げてみりゃ、サルがにやにやと笑いながら見下ろしてきている。
「まあ、ほんでも、おみゃあがいればおりゃあには得になることもあるだぎゃあろ。せっかくだからおみゃあはこの木下組の一員にしてやるだぎゃ」
そんなのこっちから願い下げだと言いたかったが、ダッシュのしすぎでゲボ吐きそうだったので、フシューフシューと吐息をもらしながら、サルを睨みつけるのが精一杯。
そうこうしていると、
「者どもおっ!」
と、神社の社が建っている一番前のほうから信長の甲高い声が届いてきて、境内はしんと静まり返り、ぶっ倒れていたおれは木下組のザコ二人に綱を雑多に掴まれ起こされた。
「我らの戦勝を祈願するっ!」
んで、パチンパチンと信長が柏手を打った。
二百人ばかしだろうか、境内に詰めていた連中もパチパチと手を叩いた。おれも周りに合わせて、見よう見まねで手を打った。
目を閉じて礼し、境内は草木も生えていないのではないかというほど、しーん、と、した。
すると、
ポンポン
と、拝殿の中から太鼓を叩く音がした。
「あっ!」
と、おれの隣の木下組のザコが声を上げた。
は?
「い、今のはっ」
と、茂助が目を丸めながらおれに顔を見合わせてくる。
ざわついているのは木下組だけならず、境内にいる全員がなんだなんだと驚いており、
「み、宮さんじゃないのか」
「い、今のは、わしらの祈願に応えたんじゃ。宮さんが応えてくれたんじゃ」
大の大人が鼻息荒くして何を気色ばんでいやがんのかおれにはさっぱりわからず、おれは腕組みをしながら拝殿をじいっと見つめた。
どうやら、あの中には太鼓好きの宮さんとかいう野郎が住んでいるようである。宮さんはこんな朝っぱらから叩き起こされてさぞかし迷惑だったろうが、参拝者が織田のならず者とあって、今川義元にこの神社を占領されてはたまらんから、太鼓を叩いていくさを応援してくれたんだろう。
キャッキャッキャ、と、信長の甲高い笑い声が上がった。
「聞いたか、者ども! なんとめでたいことか! 熱田の神々は我らに勝利をもたらしたぞ!」
そうしたら、うおっと、ザコどもは声を上げた。よっしゃーっと言わんばかりに槍や刀を振り上げて大盛り上がり。
「善照寺砦にて軍勢を整える! 進軍だ!」
信長の声にうおって声を上げて応えた者ども。
……。
宮さん宮さんって言ってたのは、太鼓好きの宮さんじゃあなく、神様のことか……。
連中はめちゃくちゃ盛り上がっていて、神様が太鼓の音で反応しただなんて本気で思っているっぽいが、んなの信長のやらせに決まっているだろうが。
いちいちこの神社に寄り道して、人が集まってくるのをいちいち待っていたあたり。
お幸せ者とはまさにこいつらのことだ。
桶狭間っていう勝利をもたらすのは神様なんかじゃねえ、おれなんだからよ、まったく。
空が明けきって、白い雲がゆうゆうと流れる真っ青な空のもと、熱田の宮さんから善照寺砦とかいうところまでがちゃがちゃと進み、砦にやってくると、その中に入って休憩。
足軽ザコどもは各々の組に分かれて車座に地べたに座り、火を起こして、汚ったねえ鍋で米の偽物のヒエを炊き、その中に味噌玉をぶち込んで、干し柿をおかずに、昼食。
おれもこのときだけは木下組の一員となって遠慮なくメシにありつくが、はて、どうしておれはここにいるんだろうか。
昨晩まで清洲城の牢屋にいたんであって、牢屋から解き放たれて、信長のあとにくっついて出陣だったのに、いつのまにやらサルの手下になっちまっている。
おかしい。
いざ出陣となったから、おれは城に呼び出されたはずなのだ。出陣前の最後の儀式、信長の人間五十年の唄もおれはそばで聞いていたのだ。つまり、おれは信長にとても近しい家臣のはずなのだ。
それなのに、信長は砦の真ん中の陣幕を張った館に引っ込んでいて、おれは雑兵扱い。てか、おれのことなんか忘れてんのかな?
「丸根と鷲津の砦がマツなんとかダイラって奴に攻められているらしいぜ」
木下組の雑兵がぺちゃくちゃヒエを食いながら言った。
「じゃあ、そこに援軍かあ。三万とも四万ともって話なんだろう。本当に宮さんのご加護があるんかねえ」
「敵方は一万にも満たねえだがや」
と、サルが干し柿をかじりながら言う。
「ええっ? だって、皆、言うておりますよ」
「流言だぎゃ。それに――」
サルはごくりと干し柿を飲み込むと、手下どもににやっと笑って見せた。
「丸根と鷲津の両砦はおとりだぎゃ。松平次郎三郎率いる威勢のいい三河勢が今川治部の本隊とは別れて攻めておるが、治部の本隊は出張るつもりがなく、両砦が見渡せる桶狭間山に陣を張るつもりだぎゃ」
「はあ」
と、手下どもはわかっていなかったが、黙々とメシにありついていたおれは眉をひそめた。桶狭間山だと? なんでサルの口から桶狭間が。
「んで、おりゃあは手を打ってるぎゃ」
「カシラが?」
「治部の進軍途上、桶狭間山に登るんは、一度丘と丘の間の狭いところに入らなくちゃならねえだぎゃ。ほんで、そこの近在の村の連中におりゃあはヒルモを渡してきたがや。それと引き換えに治部の軍勢に村中のありったけの酒を持っていくようににゃ。ほんだら、勝ちを確信した治部はそこで兵どもに酒を飲ますかもしれんからにゃあ」
ひ、ヒルモ……って。
おれは我慢ならずに立ち上がった。
「ちょっと待ってくださいよっ! ヒルモって、そのヒルモって、あっしのじゃねえんスかっ!」
「にゃあ?」
「だ、だ、だいたい、な、なんで、あんたが桶狭間のことを知っているんスか。なんで、藤吉郎殿が桶狭間のことを」
「だって、おみゃあが言ったんじゃにゃあか。あんとき。おみゃあの家でおりゃあとか寧々とかで酒を飲んだとき」
「ええっ?」
おれは思わず頭を抱えた。肌の下の筋という筋が寒々しくなっていき、血の気が引いていくのが自分でもわかった。
おれは、そんなことを言ったのか。
あのとき、言ってしまったのか。
覚えてねえ。でも、サルが知っているってことは言っちゃったんだろう……。
「おりゃあの独断だったけんども、おやかた様に報せたら、おやかた様は大喜びだったぎゃあ。あ、ほんでも、牛殿、案ずるでねえだぎゃ。桶狭間のこと誰に聞いたんだって言われたけれど、このいくさ、よおく考えたら、今川治部は桶狭間を通るもんだと思ったからと言って、おやかた様にはおみゃあの名を出さなかったからにゃ」
サルは黄色い歯をにかっとあらわにした。
おれはへなへなと腰が砕けて尻から座り込んだ。
やっちまった……。
サルに手柄を取らせちまった……。




