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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二、二章 勝とうとして戦う者たちよ
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天下への道は桶狭間より開ける

 昼中、三河勢を率いた松平次郎三郎により、丸根と鷲津の砦が襲撃され、今川の牙はついに尾張織田に刺し込まれた。

 一報を受けてただちに招集された各将であったが、甲冑を着込んでいくさ支度に身を整えた彼らは籠城策か野戦に打って出るかで意見は真っ二つに割れていた。

 この期に及んで浴衣姿の上総介は、重臣たちがぶつけ合う怒号をただただ腕を組んで聞いているのみで、結局、

「もうよい。俺は寝る」

 と、言って腰を上げると、唖然呆然とする配下の者たちを尻目に、広間から立ち去ってしまった。

 奥の一室にこもると、燭台の火に額を焦がしながら、切れ長の瞼を閉じて、じっと座した。どのくらいの間、無に還っていただろうか、細長い息をつくと、森三左衛門を呼び寄せた。

「牛はどこだ」

「牛殿ですか?」

 と、三左衛門は太い眉根をひそめた。

「牛と言ったら牛しかいねえだろうが。あの野郎を城に呼び寄せているはずだ。どこにいやがる」

 やがて、牛は上総介の前に引き出された。

 なぜか、図体ばかりのこの男は籠手袖に脛当て、鉢巻きだけを身に着けている。

 出陣間際とだけあって張り詰めていた上総介は、牛の身なりを前にして緊張感が崩れたようにして苦笑しながら眉をひそめた。

「なんだ、貴様、その身なりは」

「あ、いや」

 牛は頭をちょいと下げたあと、三左衛門をちらりとうかがい、その場にそそくさと両膝をついて、頭を垂らした。

「お、お、お呼び、でしょうか」

「呼んだから貴様はここにいるんだろうが」

「あ、あ、はい」

 上総介は腕を組んだ。

 瞼を閉じると、長く、細く、息をついた。

 しばらく無言でいた。

 燭台の蝋が溶け落ちていく気配が大きく感じられるほど、広間の空気はしんと張り詰めた。

 瞼を薄く開いた上総介は、履き潰した草履のようにして這いつくばっている牛にぼんやりと呼びかける。

「牛。貴様に会うは久方ぶりだが、どうだ」

「へ?」


 どうだ? なんて言われたって、何がどうなのか意味がてんでわからん。

 今川に勝てるかどうかってことなんだろうか。

「か、勝てます」

「あ?」

 と、なぜか、信長は眉毛の間に皺を寄せておかんむり。

「んなことは訊いちゃいねえ。貴様はあれからどうだったのだと訊いてんだ」

「え、いや、あの、その、ま、まあ、ぼちぼち、でした」

「ぼちぼち、だとお?」

「えっ、いやっ」

「呑気にやっていやがったってことか? あん? 糞尿漏らした恥知らずの貴様が呑気にやっていたってことか?」

「の、呑気だなんて、そんな」

 すると、このバカ、急にキャッキャッキャと笑い出した。あんまりにも急だったので、おれはびくっとして仰け反った。

 なんなんだよ、このバカ……。久しぶりに会ったと思えばこれかい……。いざ、今川との戦いを目前にして、頭がおかしくなったのか……。

 ひとしきり笑い上げた信長は、笑いをクツクツとおさめていき、やがては、フン、と、鼻で笑った。

「貴様が呑気にやっている間、俺は身も切れるような思いであったわ」

 信長は口許では笑っておれを眺めてきていたが、右の拳を握っていた。

「貴様は俺が天下を取るだなどとほざきやがった。貴様のごとき下郎の法螺など相手にするはずもねえが、それどころか貴様は今川治部を桶狭間に討ち取れるとも吹きやがった」

 信長の切れ長の瞼の中にある黒々とした瞳は、俺を見つめながらも俺を見ていなかった。俺の向こう側か、それとも遥か遠くにいる自分自身か、ひとりごとのようにして喋っていた。

「俺を織田の嫡男としたのは俺じゃねえ。天命だ。だが、俺に織田の家督を継がせたのは親父であり、俺に織田の家督を守らせようとしたのはこの俺だ」

 おれはちらっとサンザを眺めやった。サンザは口許を結んでじいっと信長を見つめていた。

「だが、誰が決める。俺が天下を取るなどと。貴様か、牛」

 信長は瞳孔を広げておれに食いついてきた。その目はイッちゃっていた。おれは額から脇から背中まで汗だくであった。

 信長の話はべらべらと長いし、ろうそくの火でこの部屋は暑くなっているし、それに信長は異様な空気を放ってしまっているしで、おれは冷たい汗が止まらなかった。

 正直、イッちゃっている信長を目の前にして震えるのを我慢しているほど恐ろしくなっていた。DQNの親玉のバカかと思いきや、やっぱりこいつは織田信長らしい。なんと説明したらよいものか、半端じゃないオーラを感じる。この野郎の背後でとぐろを巻いている黒々とした何かにおれは飲み込まれそうである。

「貴様は決められるのか、牛」

 言っている意味がめちゃくちゃだし、何か言おうものならぶち殺されかねないぐらいに信長はイッちゃっているし、おれは視線を落としてどうしたらいいものか考えあぐねたが、

「あ、あっしは」

 と、決心して顔を上げた。

「世の中をどうこうするなんて決められないッス。ただ、テメエの生き方だけは決めようって心に誓ったんス。あっしは、今日この日から、テメエの生き方を決めます」

 すると、広げていた瞳孔をさらに広げた信長は、目を血走らせながら吼えた。

「貴様の生き様なんかじゃねえっ! 天下だっ!」

「それは信長様ッスっ!」

 おれが焦っておでこを床にこすりつけると、信長は急にだんまり。

「おやかた様」

 おれが攻められているのをよそに黙っていただけのサンザがようやく口を開いた。

「勝利は目前にございます。天下への道は、明日、桶狭間より開けます」

 フン、と、信長は笑った。

 そうして、突如、がばっ、と腰を上げた。

 びっくりして這いつくばったままに見上げてみると、信長はおれを見下ろしながら笑っていた。

「痺れる。痺れるわ。何者を抱くときよりも痺れる。たまらん」

 キャッキャッキャ、と、再度笑い上げた信長は、おれの横をどしどしと歩いていき、板戸をバチンッと叩き開けると、かがり火がこうこうと浮かび上がらせる館の全域に向けて大声を放った。

「誰かっ! 鼓を持ていっ!」

 で、振り返ってきた信長、口許に笑みを浮かべたままおれに言う。

「俺が決めるのか、牛よ」

「はっ、はいっ」

 キャッキャと、ちょっとだけ笑い上げた信長は、さっきまでイッちゃっていた瞳を今度はキラキラと子供みたいに輝かせた。

「痺れるな。なあ、牛」

 館中を照らすかがり火と、世界中を染める暗闇の間にあって、信長の横顔ははつらつとして若かった。

 おれはその若さに吸い込まれるようにして信長を見つめ、肌にぞくぞくとしたものを走らせながらも、胸を沸き躍らせた。


 小さい太鼓を持ってきた少年がポンポンと太鼓を叩くのに合わせて信長は奇天烈な声で人間五十年の唄を歌っていた。夜更けともあっておれは次第にうとうとと舟を漕ぐようになってしまったが、

「支度だ!」

 と、信長が怒鳴り散らしたのに目が覚めて、

「御意!」

 と、叫びながら部屋を飛び出していったサンザ、サンザと入れ違いに部屋の中へと押しかけてきた女中のオバサンやおにゃの子や少年やらで部屋の中はごった返し、

 信長の足元に小さい椅子がささっと差し出されると、浴衣を剥いで脱ぎ捨ててふんどし一丁になった信長はそこにどっかりと座り、両腕を伸ばした。

 女中が少年たちに籠手袖を渡すと、信長の両脇を固めた少年たちは籠手袖を装着させ、「足!」

 と、叫ぶと、おにゃの子の女中があわててひざまずき、信長の右足を手に取って袴を通させ、次は左足、おれはあんぐりと口を開けてその様子を眺めるだけ。

「湯漬け!」

 脛当てと足袋、草履をセットした信長が怒鳴り散らすと、オバサンが膳を運んできて、沢庵と白い米の入った茶碗にお湯を注いで信長に手渡し、信長はそれをガツガツと食っている間にも、

「頭!」

 と、米粒を吹き飛ばしながら怒鳴って、信長の頭には烏帽子とかいう黒いとんがり帽子が被せられ、鉢巻きで縛り留められ、行ったり来たりの少年が息を切りながら兜を持って入ってき、鎧を二人がかりで担ぐ少年が入ってき、静寂から一転して突如めまぐるしくなった状況におれは目をきょろきょろとさせてうろたえていたが、少年たちが持ってきた鎧が、信長の信長たる信長のための、あの南蛮風のものじゃなかったことにおれはぽかんとした。

 誰でも着てそうな、黒い、地味なやつ。金ピカの飾り一つもない。

「ん?」

 メシをかっこんで茶碗をオバサンに突き返しながら、信長はおれに向けて眉をひそめた。

「そういや、貴様、袖と脛だけで、具足はねえのか」

「あっ、はいっ」

「おい、誰か、きゃつの具足も用意してやれ。槍もだ」

 えっ、と、オバサンやらおにゃの子やら少年たちは、おれに目を向けた。おれの存在にこのとき初めて気づいたかのような仕草。

「し、しかし」

「なんだ」

「こちらの御仁は体も大きいようで、この方に見合うような胴丸は」

「なにい」

 おれをじいっと見つめる信長。おれは愛想笑いでほっぺたをぽりぽりと掻く。

「ならば綱でも縄でも巻いとけ! 持ってこいっ!」

 ということで、女中四人がかりで体に×印に綱を巻きつけられたおれ。

 地味とは言え、ちゃんとした鎧兜に身を包んだ信長に比べて、おれのこの格好……。

 全身を真っ黒に固めた信長は、太刀を二本、脇差しを一本、腰におさめながら、フン、と、笑った。

「出陣! 法螺貝を鳴らせ!」

「御意っ!」

「馬を持てっ!」

「御意っ!」

 少年が一人、二人、と、だっと走り去っていき、ガチャガチャと甲冑を鳴らしながら信長は敷居をまたいでいく。「ご武運を!」「ご武運を!」と女中たちが頭を床につけてお見送り。

 あっという間のいくさ支度を前に綱巻き変態野郎のおれは呆気に取られた。

「あんたも行くんだがや!」

 と、オバサン女中に突き飛ばされ、ゴロゴロと廊下に転がっていったおれ。

 法螺貝が、ぼーう、ぼーう、と、闇を斬り裂くように鳴り響き、庭先に下りていた信長はガチャガチャと鳴らしてかがり火の向こうへ。

「あ、あっ、あっしもっ!」

 おれはあわてふためきながら信長のあとを追うも、追いついたところで信長は用意された馬へと少年の手を踏み台にして飛び乗り、ぼうぼうと鳴り止まない法螺貝の音が降り注がれる中、

「向かうは熱田宮! 皆に伝えいっ!」

「承知っ!」

「あ、あ、あっしの馬はっ!」

「あるかっ!」

 びしっ、と、馬のケツに鞭を入れた信長は、門の向こうへ颯爽と飛び出して行ってしまい、その後を追うようにして四騎、おれの脇を通り過ぎて門をすさまじい勢いでくぐり出て行った。

 ぼうぼうと法螺貝は鳴っているが、おれは取り残されている……。

「あ、あのう」

「なんですっ!」

 おれに呼び止められた少年は、早く皆に伝えなくちゃという焦りと興奮で目が真っ赤でいて、

「あ、熱田宮ってどこスか……」

 かわいい顔して、おれの訊ねに鬼みたいに顔を歪ませて睨みつけてきた。

「付いてけばわかるでしょっ! 付いてけばっ!」

 言っているそばから、おれと少年の脇をたいまつを持った具足姿の連中がぞくぞくと門をくぐり出ていき、

「おやかた様はいずこだっ!」

「すでに出て行かれたのかっ!」

 などと、右往左往ぎみだったけれども、少年が額に汗水垂らしながら「熱田の宮様ですっ! 熱田ですっ!」と声を飛ばすと、野郎どもはあっちの方向に一斉にだっと走っていった。

「ほらっ! 綱巻き殿も付いていきなされっ!」

 少年はそう言って館のほうへ、熱田、熱田、熱田の宮様と、叫び回りながら走っていった。

 つ、ツナマキ殿って……。


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