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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二章 さあ、桶狭間
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今日の痛みは明日への糧

「マタザさん、ちょっとおたずねしてよろしいッスか」

「あん? なんだ? 急に真面目なツラして」

「たとえば、仮にマタザさんに妹さんがいるとするじゃないッスか」

「ああ。つうか、仮にじゃなくて、いるがな」

「余計なツッコミいらないッス。そんで、例えば見ず知らずのあっしがその妹さんの耳に入るような手柄を立てるとすると、最低でもどんぐらいのことをやればいいんスか」

「はあ? なんだかよくわからねえが、要は女子供の耳に入るような手柄はどういった手柄だってことか?」

「そうッス」

「うーん、そうだなあ、足軽組頭の首をせめて十本引っさげるか、足軽大将、部将級の名のある者の首を討ち取るか、だな」

「そうスか。じゃあ、マタザさん、今川が来るまでの間にあっしを強くしてくんねえスか。足軽大将殺せるぐらいの猛者に鍛えてくんねえスか」

「なにい? テメー、今までは嫌々付き合っていたくせに、急にどういう風の吹き回しだ、あん?」

「あっし、手柄立てたいんス」

「……。おなごにでも惚れたか、テメー」

「はい」

「ハッハ。いいじゃねえか。いい面構えしてんじゃねえか。よし、やってやろうじゃねえか」


 その日からマタザ師匠による地獄のトレーニングが始まった。

 それまでの鍛錬というのはマタザ師匠のお付き合い程度だったようで、本気でおれを鍛え上げるとなったら師匠はえらく地味なトレーニングを課してきた。

「いくさってのはな、走って走って走りまくったすえにいくさ場だ。テメーは馬上の武者の格もねえ。てことは、いくさ場に着いた途端にぜえぜえ息を切らしてはならねえってことだ」

 ということで、朝起きて一番にやることは体力造りのマラソンだった。

 二十六にもなって体力造りとはえらいしんどい。清洲中を走り回ってこいとの師匠の達しの通り、おれは清洲中を走り回ってくるわけだが、当然、指名手配犯のマタザ師匠は付いてこない。おれは師匠の目がないのをいいことにさぼろうかたくらむ。

 だが、さぼりたくなったときに思い出す。あずにゃんのあの言葉を。待っているというあの言葉を。

 おれはやらなくちゃならん。走らなくちゃならん。強くならなくちゃならんのだ。マタザ師匠を信じて、マタザ師匠のような猛者になるために、走るのだ。

「次に牛、テメーのそのだらしねえ腹を絞り上げろ。足と腰もだ。槍は手で振るんじゃねえ。足腰で振るんだ。足腰から伝わる力が刃先の勢いになってこそ、槍一閃、敵の首から下を両断できるんだ。槍捌きの術云々の前に、今の牛の腹じゃあ、首など斬れん。皮一枚を斬るのが関の山だ」

 ということで、裏庭で腹筋、スクワットの連続トレーニングだった。これにはマタザ師匠も付き合ってきた。腹筋運動が十回もできないおれをよそに、さすがは師匠、フンッフンッフンッ、と、ものすごい速さで腹筋を繰り返す。

「おいっ! ぼさっとしてんじゃねえっ! 二百回だぞ! 上がらねえとは言わせねえぞっ!」

「い、いや、師匠、上がらねえッス。二百回も無理ッス」

 そうしたら師匠はおれの髷を掴み上げ、フンヌッ、と、引きちぎらんばかりに無理やり持ち上げて、フンヌッ、と引きちぎらんばかりに引き下げて、痛さに喚いて手を離してもらい、自力でなんとか体を持ち上げる。

「おいっ! たらたらやってんじゃねえっ!」

「師匠っ、いくらなんでも限界ってもんがあるんじゃないんスかあっ!」

「ああん? 限界だと? テメー、なにゆえそれが限界なんだ。俺が出来てることがなにゆえ限界だ。テメーは強くなるんじゃねえのかっ! ああっ?」

 そ、そうだ。おれは強くなるんだ。師匠のような猛者になるんだ。俺の帰りを待つあずにゃんのために強くなるんだ。師匠を信じれば、絶対に、絶対に、勝てるはずなんだ。

 しかし、さすがに二百回は無理だった。気持ちは上がっていても、体は上がらなかった。

「情けねえな、牛。そんな程度で惚れたおなごを振り向かせられるか? 手柄立てんじゃねえのかっ? ああっ?」

「立てたいッス」

「じゃあ、上げろやっ!」

 ぐぐぐ。上げようと思っても上がらねえ。気持ちは上がっているけど腹は折り曲がらねえ。チクショウ、クソウ、腹上げたい、手柄上げたい、それなのに上がらない。

「上げろって言ってんだろうがあっ、この鈍牛っ!」

 ううっ。上がらん。罵られた怒りに任せようとしても上がらん。くうっ。なんて情けない。悔しいばかり。クソマタザが出来ておれができねえなんて悔しすぎて涙が出てくる。

 で、どうあがいても腹が上がらないおれは、涙を流してしくしく号泣。

 師匠は泣いているおれなどお構いなしに腹にドスンと右足を乗せてきて、ヴォエッ、と、おれはちょいゲロを漏らした。

 鬼師匠、ペッ、と、おれの顔に唾を吐きかけてくる。

「わかったか、牛。吐かれた唾すら拭けやしねえ、その情けねえ有り様。それが今のテメーだ。それしきで手柄立てたいだなんてよくもほざいたもんだな。だがな、今日の痛みは明日の糧だ。忘れるんじゃねえ、今のこの痛み、今のその情けなさを」

「はい……」

「声が小せえっ!」

「はいぃっ!」

「よし、立てや、次は槍を持って素振りだ」

 そんな地獄のトレーニングが一週間ばかし続いた。


 今川の大軍、総勢二万五千が駿府を発ったという噂が城下に流れるようになった。


 おれは全身筋肉痛である。だが、歩くのがやっとだったのは三日目までで、四日目ぐらいからは痛みに慣れた。

 心なしか、ぶよぶよだったお腹が引き締まってきたような。

「そもそも手柄を取ると言ってもだな」

 西日を背中にしてスクワットをしているおれを眺めながら、師匠は呟く。

「籠城となったら手柄を取る機会もねえ。じゃあ、俺が襲撃に行くか。だが、俺がこの手で治部を討ち取れたとしても意味はねえ。牛、俺はお前に手柄を上げさせてえんだ。お前のその手で。俺の力など貸さずに」

「大丈夫ッス」

 と、おれはスクワットしながら答える。

「おやかた様は籠城なんかしないッスから。野戦ッスから」

 師匠は眉をしかめた。

「お前が聞いてきた巷の風聞が本物ならば二万五千なんだろう。対して織田は幾千だ。三千がせいぜいなんだろう?」

「いや、それでも大丈夫ッス。野戦スから」

 フウ、と、吐息をつきながら、師匠は槍を手に取り、ビュッ、と、空を突いた。突いたあとは静かに槍を抜いていき、呟く。

「籠城か」

「とにかく、師匠」

 スクワット二百回を終えたおれは、トレーニング用の棒きれを手に取り、師匠に向かって構えながら言う。

「噂だと今川方が到着するのはあと一週間って話ッス。師匠、あと一週間で足軽大将一人を殺せるぐらいにあっしを鍛えてくださいッス」

 眼差しを据え置くおれに対し、マタザ師匠は唇を結んだまま、槍を構えようとはしなかった。西日を横顔に受け、目許に憂鬱な陰をしのばせたまま、黙っている。

「なんスか、師匠。まさか今更怖気づいたんスか」

「違う」

 師匠は槍を右手だけでくるくると回した。砥石に研ぎ澄まされた刃先は橙色の日差しをきらきらと照り返しつつ旋回し、ぴたりと止まったときには、槍の刃先はおれの鼻先に突きつけられていた。

 片手で槍をおれに突きつけながら、師匠はおれを見つめてくる。

「牛よ。やはり、俺たちは夢物語の者どもなんじゃねえのか」

「は?」

「今川治部を単身奇襲しようとしていた俺もしかり、二万五千もの大軍を相手に手柄を取ると息巻くお前もしかり、籠城か野戦かなどと論ずる前に、もはや織田は風前の灯火なんじゃねえのか」

「はあっ? 何を言ってんスか、師匠っ」

 おれは棒きれでバチンッと師匠の槍を弾き飛ばし、その棒きれを放り捨て、師匠に詰め寄った。

「籠城も何も、野戦なんスよ。てか、なんなんスか。一番鼻息荒くしていたのはあんたじゃないッスか。それがいざ現実的になってきたら尻込みッスかっ! あと一週間、あっしを鍛えてくださいよっ! あっしはあんたを信じてきちんとやって来たんだっ! あんたなんか大嫌いなのに!」

「最後のは余計だろうがっ!」

 と、急に怒り出した師匠は、おもむろに右フックを放ってき、おれはぶちかまされて吹っ飛んだ。

「野戦野戦と、テメーは何を根拠に吠えてやがんだ!」

「根拠お?」

 ほっぺたさすりながら腰を上げたおれは、弱虫師匠の小袖の襟を掴み上げた。

「根拠がなかったら、師匠は勝負を諦めるってんスか!」

「そうは言ってねえだろうっ!」

 襟首掴むおれの手を右手で握ってき、力強い握力のままに離そうとするけれども、おれは離さん。

「言っているようなもんじゃねえッスかっ! てかよお、籠城もへったくれも、その日までわかんねえじゃねえッスか!」

「わかるだろう! 三千と二万五千だぞっ!」

「二万だろうが三万だろうが十万だろうがっ、野戦は野戦なんッスよっ! 森三左衛門さんが言ってたんスよっ! おやかた様もそのつもりだって三左さんが言ってたんスよっ!」

「何っ?」

 あっ。ついうっかり。三左衛門さんには誰にも言うなって口止めされていたのに。

「森殿が言っていただと」

 重臣の名前を出した途端、弱虫マタザはおれの話に信憑性を得たらしく、目の色を変えていた。ついうっかり口を滑らせてしまったおれはマタザの襟首から手を離し、裏庭から台所へと、スタスタと引っ込んでいこうとする。

「なにゆえお前の分際が森殿の言葉を頂戴できる」

 おれはマタザの問いを無視。引き戸に手をかける。としたとき、引き戸が勝手に開いた。

「旦那様と又左衛門さんにお客様がね」

 と、西日を受けてヌエバア、意味深な目の動きでちらっとマタザを見やる。

「俺と牛に客? 誰だ。どういうことだ」

「又左衛門さんの奥様がね」

 あっ。

 おれは恐る恐るそろーっとマタザに振り向く。そろーっと振り向いていくおれの意図を感じ取ったらしく、マタザはみるみるうちに顔を紅潮させていく。

「まさか、牛、テメーか」

「いっ、いやっ」

 や、やべ……。まつにゃんにチクったことを忘れていた。このまんまじゃボコられちまう。いや、ボコられるんならまだしも、おれは残り一週間、マタザ師匠に鍛錬つけてもらわなければならんのだし。

「あと、杉原んとこの娘と、それと藤吉郎さんもおるがね」

「えっ?」

「何?」

「にゃっ、これは前田又左衛門殿っ」

 言ったそばから、台所から顔を出してきたのはやっぱりサル。にたにたと笑いながらハゲ頭を日差しに照り輝かせて、指名手配犯の発見にも動じる演技さえまったくせずに、

「にゃあにゃあ、お久しぶりですだぎゃあ。いんや、今日はおりゃあんとこの寧々がおまつ殿に頼まれちまって。又左殿に会いに一緒に行ってくれにゃあかと。ほんで、仕方にゃあからおりゃあも付いてきたってわけですだぎゃ」

 チッ、と、舌を打ったマタザ、サルの肩を掴んでぐいっと退かし、沸騰釜の顔つきでドカドカと台所の中へ入っていってしまった。

 やっべ……。

 サルがにたにたと笑っておれを眺めている。

「なんスか。なんで藤吉郎殿まで付いてきてんスか」

「だからさっき言ったじゃにゃあか」

 背中の後ろで手を組み、ヒューヒュー口笛拭きながらサルは台所へと敷居をまたぐ。が、ふいに立ち止まって、にやっと振り向いてきた。

「そういや、おみゃあと又左殿はさっき言い争っていたけども、森三左衛門殿がどうかしたのかえ?」

 やっぱり……。テメエの手柄欲しさに探りを入れに来たんだ、この悪党。

「持ってきた酒でも飲みながら、ゆっくりと聞かせてもらうだぎゃ」


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