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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二章 さあ、桶狭間
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本音で通用したらこの世は成り立っていない

 我がボロ家の前に到着すると、ゴンロクは視線を右にギラリ、左にギラリ、誰もいないことを確かめやったあと、

「もう一度問う。又左がここにおることは法螺ではないのだな」

「はい。法螺じゃないッス。真面目ッス」

「承知した」

 と、髭面の下の分厚い唇をへの字に曲げて、太刀の柄をぐっと握り締めた。

 そして、ゆっくり、どっしり、熊みたいな背中に殺気を携えながら戸の前に歩み寄り、柄を握ったまま、ゴンロクは一度深呼吸した。

 フヒヒ。太刀を握りしめているのが物騒極まりないが、どうせならマタザも逆ギレして斬り合いした果てに相討ちにでもなっちまえ。

 おれはゴンロクの背中に隠れるようにして丸くなり、突如ゴンロクが現れたときのマタザの驚きようを見逃さないため集中。

 すると、

 バギッ

 と、このバカゴリラ、戸を蹴破りやがった。な、何やってんだよ! この前、なけなしの俸禄のうちから直したばっかりだってのに、このカス!

「前田又左衛門っ! 神妙にいたせえいっ!」

 太刀を抜いたとともに発せられたゴンロクの喚きはボロ家中に響き渡り、おもむろに立ち上がった人影、いや、ゴリラ影、指名手配犯マタザは咄嗟に太刀を手に掴んだらしく、今まさに刀を鞘から抜き取るところだった。

「やるかっ! 又左っ! 鬼柴田と知っても斬り合うかっ!」

「なっ、し、柴田殿っ、な、なにゆえっ」

「なにゆえもへちまもあるかっ! その太刀からさっさと手を離さんかいっ!」

「くっ」

 唇を噛み締めたマタザ、かちゃっと太刀を鞘におさめ、ゴンロクを睨みつけながらもゆっくりと床の上に太刀を置いていく。

 プクク。おれは両手で口をおさえて爆笑寸前。台所と居土間の間で腰を抜かしているヌエバアが気の毒だが、マタザがいなくなりゃババア、お前も追い出すからな。避難という名目で追い出してやるからな。プクク。

 刀の切っ先をマタザに向けたまま、じりじりとマタザに近寄っていくゴンロク。おい、その前にその汚ったねえ草履を脱げや。

 そうしてゴンロクは切っ先をマタザの鼻頭の前に置いた。

「問答無用だ、又左。覚悟はできているな」

「斬られる覚悟ならできておりますが、死ぬ覚悟はまだできておりませぬ。拙者、おやかた様に恩の一つも返しておりませぬ」

「抜かせ。おやかた様に弁明も果たさずに逃げ出したお主が何をほざこうとも、それは戯言にすぎん」

 このひりひりとした緊張感、たまらん。おれはマタザに見つからないよう、玄関の陰から覗きこんでいるだけだが、我が物顔でいたあのクソマタザの観念仕切ったあの表情ったらたまらん。

「し、し、柴田様あっ」

 と、叫んだのは、腰を抜かしながらのヌエバアだった。チッ。またマタザの肩を持つ気か。しかし、無駄無駄無駄無駄! ゴンロクは性格が悪い上に、あずにゃんを嫁に出してまで信長に取り入ろうとした腹黒野郎だ。ここで取る行動は確実にマタザを殺すか引っ捕らえるかして、信長へのポイントを稼ぐというセコイ真似なのだ。

「ま、又左衛門さんはっ、織田の危機っていうのを知って、少しでも織田の力になろうと思ってここにおるんですがや! 拾阿弥さんを斬ってしまったのは悪いことかもしんねえですけどっ、それを承知で又左衛門さんはここにおるんですがやっ!」

「そんなことは言われずともわかっておる。このかぶき者のことだ。居ても立ってもおられずに清洲に舞い戻ってきたことなどは」

「そんだら、お許しをっ!」

「なんだ、バアさん、そなたは又左衛門の親類か」

「いんやっ、わっちはただのこの家の下女がね。んでも、又左衛門さんを生かしてほしいんは、清洲の皆が心の中では思っていることですがねっ」

「そうか。しかし、心の中と世の中とは違う。本音で通用したら、この世は成り立たぬ」

 そうだそうだ。ゴンロクのくせにいいこと言うじゃねえか。本音で通用したら、おれはマタザの顔面に唾をぶっかけて、今までさんざん足蹴にされてきた復讐として罵詈雑言をこれでもかと浴びせてやるところだ。しかし、そんな本音が通用したら、おれは逆ギレマタザにぶち殺されてしまうわけだ。だから、おれは我慢してやってんだ。だから、マタザ、テメーもここは我慢して殺されろ!

「だが」

 と、言って、刀を鞘にすうっとおさめていくゴンロク。

 え……。

「本音が通用するのであれば越したことはなく、わしとてその思いは常に持っている。又左、お主がその人生、何をするにも勝手だが、お主には幼い妻がいることであろう。そして幼い子も。本音で生きてやがては死ぬつもりなら、建前で生きて妻子を幸福にしてやろうとは思わんか」

 な、何をおっしゃっているんですか、あの御仁……。

 マタザはぐったりと頭を垂らしているが、おい! さっさと殺せっ!

「おやかた様に恩の一つも返したいという存念ならば、織田に戻れるその日まで耐えろ。そして許しを乞い、死に物狂いで働くのだ」

 そしてくるりとマタザに背中を向けたゴンロク。

「いずれ、お主は許される。ゆえに早まるな。もっともそのとき織田はあるかどうか」

 打ちひしがれるマタザを捨て置いて、ゴンロクはこちらに歩んでき、そのまま玄関をくぐり出てきた。

 んで、隠れていたおれをぎらりと睨んでき、

「来い」

 と、言った。

 おれは目を白黒させながらも、通りに出ていくゴンロクのあとを付いていく。と、そのとき、振り返ってきたゴンロクはおれの顎を右手で掴み上げ、目玉を剥きつつ髭面を寄せてきて、ヒグマのように唸った。

「この不逞者め。又左を陥れようと企んだようだがな、あの腐れ切った拾阿弥を斬り捨てた又左を責め立てる者などこの尾張にはおやかた様以外におらんのだ」

 ものすごい握力でおれの両ほっぺたをぐりぐりしながらのゴンロク。

「もしも又左の所在がおやかた様に知れたときは、お主の命もないと思え」

 そ、そんなあ……。



 本音で通用したらこの世は成り立たねえなどとゴンロクはほざいていたわけだが、そんなことを言う輩ってのは、そうしたテメーらの建前によって犠牲をしいられている人間がいることについては盲目的なわけだ。

 やはり本当に拾阿弥を斬り捨てたマタザは英雄なのかもしれん。だが、おれは拾阿弥に嫌な思いをさせられたことなんてないし、むしろ、おれに嫌な思いをさせている全日本代表はマタザなのだ。

 おれの人権は無視。現代もそうであったし、戦国時代もそう、毎度毎度ながら、こんな世の中はどうかしているぜ、クソが。

 だからといって、この世の不条理に屈してたまるか。

 おれは色黒ゴリラの森三左衛門さんに認められた男、そして、信長を唯一動かしている男、現代にいたときの虫けら坊やじゃねえんだ。マタザの巻き添えを食らう云々よりも、マタザというクソカスみたいなチンピラ程度の存在に負けてたまるかってんだ。マタザのゴリ押しを通用させてたまるかってんだ。


「ゴンロクさんが心配しているって話を耳にしたんで、そんなもんで我慢ならなくなってゴンロクさんに教えちゃったんッス。決して、マタザさんを売ったわけじゃないんス」

「そうか。だがな、次に勝手な真似したらわかってるんだろうな?」

「は、はいっ」

 おれの言い訳をバカマタザは黙って頷き、疑うことなく受け入れた。

 以来、マタザは若干ながらおとなしくなった。殺気をこれでもかと振りまくことはなくなった。

 しかし、こいつは根本的にバカなので、勘違いもはなはだしかった。

「牛。お前の家に居着いていることでお前に迷惑をかけていることは重々承知している。だから、お前にも恩を返してやろうと考えているんだ。たとえ俺が今川治部に殺されたとしても、お前だけには手柄を立てさせようと考えている。わかってくれ」

 バカな奴の男気ほど迷惑なものはない。こいつは人の考えを知ろうとしないのだろうか。

 だいたい、ゴンロクの言うとおり、まつにゃんを悲しませても構わないのだろうか。赤ちゃんがいるっていうのは初耳だったが、年端もいかねえ奥さんと赤ちゃんを残して、テメエの勝手でふらふらプータローしていることについて、こいつは引け目に感じていないのだろうか。

 と、憤りに近い見方をしていたら、おれは思い出した。こいつ、まつにゃんや八っちゃんには居場所は絶対に明らかにするなって言ってたな。

 こいつは前田家の四男坊だと聞いたことがある。つまり、兄貴がいるってわけで、八っちゃんは兄貴のほうの家来だとも言っていたわけだ。

 となると、八っちゃんやまつにゃんに居場所を知られてしまうと、兄貴の耳に入って連れ戻されてしまうから、こいつはまず一番にまつにゃんや八っちゃんには絶対に伝えるなって言ってきたわけだ。

 フン。だったら最初からまつにゃんに言えば良かったわけだ。おれも何をやってんだか。

 おれはやはり夜明け前に目覚め、マタザが目覚めんうちにこそこそと我がボロ家をあとにした。

 空の色は薄い青に滲んでいる。つい先日から清洲の周りの田んぼにも水が張るようになって、夜明け前の風にも季節の始まりのみずみずしさがあった。寒くもなく、暑くもなく、終わった春から始まる夏の間までの心地良い風が清洲の長屋町に流れていた。

 もうすぐ、今川が攻めてくる。

 是が非でも、おれはそのいくさに参加しちゃならねえ。万が一、連れられていったとしても、遠目に観戦するだけにとどまらなくちゃならん。

 おれは確かに信長に桶狭間を教えたわけだが、歴史は勝手に進むわけだ。それを知っていてなお、いくさ場に突っ込むなんてのはバカがやることで、勝手に進む歴史の流れに身をぷかぷかと浮かべていればいいだけの話だ。

 断固マタザを追い出す、その強い気持ち一心で人気のない長屋町の通りを歩いていたら、どこからか忌々しいひそひそ声が届いてきた。

「だからおみゃあも知っているだぎゃあろ。今川は三万の大軍だぎゃあぞ。んなもんが尾張に乗り込んできた日にゃ、この城下は焼き討ちされるんだぎゃあぞ」

 おれは立ち止まり、シラーっとした気持ちで路地裏を見つめた。

「だからなんだとおっしゃるのです。私は杉原助左衛門の娘です。いくさ場に出かける父の帰りを待たずして、お前様は私にどうしろとおっしゃるのです」

「おりゃあはおみゃあのことを思って言っているんだぎゃ。悪いことは言わねえだぎゃ。今日にでもさっさと清洲から出ていくんだぎゃ」

 長屋と長屋の間、狭い路地裏でまるでストーカーが詰め寄っているかのごとく寧々さんに押し迫っているのは、忌々しいサルであった。

 こんな夜明け前に……。チッ、朝帰りってわけか、チクショウ。ラブホテルもねえってのによ。野外か? え? 野外か? まったく、野蛮人どもが。サルもサルだが、寧々さんも寧々さんだぜ。

 おれは苛つきを抑えつつ、無視して通りすぎようとした。

 だが、どっかで見た場面だなと思ったら、ふと企みが湧いて踵を返した。「逃げろ」「逃げない」と言い争っているサルと寧々さんの近くにそろそろと歩み寄ってき、長屋の陰からそろりと目を覗かせる。

「だいたいお前様はなんなのです。始まる前から逃げろ逃げろと。お前様は常々おやかた様に拾われたからこそ今があるとおっしゃっていたじゃありませんか。それを今川殿が三万人も連れてくるとなったらいくさの前から弱気とは」

「そういうことを言っているんじゃにゃあ。それはそれ、おみゃあはおみゃあだぎゃ」

「どうスかね。フヒヒ」

「にゃっ!」

 おれの変態声に飛び跳ねたサルは、自分の懐に手を突っ込み、短刀でも出そうとしたようだが、変態がおれだとわかると、けっ、と、吐き捨てた。

「にゃ、どこのトウヘンボクかと思ったら、おみゃあかえ。なんなんだぎゃ。ずっと付けていたんかえ、この気狂いめ」

 寧々さんもサルとの情事を発見されてしまった恥ずかしさなのか、いつもの勝ち気さはなく、目をそそくさと伏せただけ。

「付けてなんかいないッスよ。あっしはたまたまそこを通りかかっただけで、そうしたらどっかで聞いたことのある声で、情っさけねえ話をしているから」

「なんだぎゃあと」

「人のヒルモを騙し取るときはたいそう饒舌だったくせに、いくさの前となるとそれなんスね、藤吉郎殿」

「騙し取ってなんかいにゃあって言ってんだぎゃあろっ!」

「ま、藤吉郎殿には詐欺する覚悟はあるけど、いくさへの覚悟はまったくねえってことで。戦国で生きるいうことは、あんたの家族も失うっていう覚悟を持たないとねえ。あんた一人が生きて、あんた一人が死ぬわけじゃないんだから」

「な、なんだぎゃあとお、知った口、叩きやがって」

「女子供を逃がすちゅう前に、女子供を守るっちゅうふうに考えないかんじゃないんがね!」

 おれはそう言ってけらけら笑い上げた。

 あー、なんて清々しい。朝帰りの男と女にケチをつけるってのがこんなに清々しい行為だとは思わなんだ。

 おれは笑い上げるままサルと寧々さんの前から立ち去ろうとした。

 しかし、サルが、だっ、と飛び出してきて、

「待てだぎゃっ!」

 と、おれに駆け寄って来ると、おれの綿抜き半纏の袖を引っ掴み、山猿が土産物目当てに観光客に噛みつくときのようなとち狂った眼差しをおれにぶつけてきながらも、薄っぺらい唇の端をにやっと歪めてきた。

「おみゃあ、ずいぶんと余裕綽々じゃにゃあかえ。まさか、おやかた様に取り入るために申したとかいう天下を統一する云々なんちゅうおみゃあの噂には、今度のいくさのための裏があるんだぎゃあろ」

 おれはドキッとしてあわてて袖を払う。なんて勘のいい詐欺師。こいつの勘の良さと嗅覚の鋭さに怖くなったおれは、サルの手を振り払おうとしたが、サルは乞食猿よろしく離さなかった。

「こんな朝早く、おみゃあどこに行くんだぎゃ」

「どこにも行かないッスよっ!」

 おれは何度も何度もサルを振り払おうとするものの、サルは絶対に離そうとしなく、どこまでもどこまでもおれに付き纏うという意志がその目を不敵にぎらつかせていた。


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