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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第二章 さあ、桶狭間
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牛太郎

 クソマタザのいびきが大きかったせいもあるが、夜明け前に目覚めたおれはマタザが目覚めんうちにこそこそと我がボロ家をあとにした。

 マタザがうっかり起きてしまっておれを追いかけてこないかどうか、後ろを何度も振り返りながら、おれはスタスタと静まり返った城下を行く。

 清洲城の近くまで来ると、目抜き通り沿いの家屋の陰に隠れ、そこで丸くなって夜明けを待つことにした。

 マタザを追い出すには、マタザを捕まえてもらわないといかん。

 信長に直談判したいところだが、底辺のおれは信長の許しがなければ門前払い、ならばここをクローザが絶対に通るはずで、冷徹なクローザならばハットリ君みたいに情にほだされることもなく、即刻マタザを逮捕してくれるはずだ。

 んで、朝日が昇り、空には鳥の鳴き声が、町にはあくびをかきながらの人々が一人また一人と出てくる。

 おれはじっと待つ。目を光らせて目抜き通りを見つめ続ける。

 絶対にクローザを見落としてはならん。マタザは絶対に追い出さなければならん。

 あいつのことだからマジで今川勢に単騎乗り込みかねん。マジでおれを巻き添えにしかねん。

 おれは二時間ぐらい我慢してクローザが通るのを待っていた。腹が減ったし、眠いし、退屈だしで、現代ではキモオタニートになるべくしてキモオタニートになっていたおれは、何度も帰ってしまいたくなったが、短気が起きそうになるたびに自分に言い聞かせた。

 この日このときはおれの新たなる人生の最大の岐路なのだ、と。

 ここで強敵マタザを滅亡させられれば、おれは一つ強くなれるはずだ。やって来る困難をはねのける力をおれは得られるはずだ。

 DQNの横暴に泣き寝入りするような今までのおれじゃない。

 すると、羽織り袴に刀の大小を腰から下げるクローザが、下人を一人引き連れてスタスタとおれの目の前を横切っていった。

「クローザさん!」

 おれは飛び出した。我慢に我慢を重ねていたおれの胸の内は、クローザを呼び止めた必死の叫びとともに一挙鼓動が高まった。

 クローザは咄嗟に腰の太刀を握りしめながら振り返ってきたものの、呼びかけたのがおれだと知ると、チッ、と、舌を打って太刀から手を離した。

「この呉牛め。驚かせおって」

 いくさが近くなっているためか、織田方劣勢という噂が城下に蔓延しているせいか、久方ぶりに会ったクローザは元からの神経質そうな風貌に輪をかけて神経質な殺気を漂わせていた。

 おれはたった数歩飛び出してきただけなのに息を切らしていた。そんなおれの様子に気づいてクローザは目の色を変えるとともに細い眉の間に皺を集めた。

「何事だ」

「す、すいません。じ、実は――」

 おれは周囲をきょろきょろと見やった。ここに来てまさかマタザがおれを追いかけてくるとは考えられんが、一応はビビった。

 クローザもおれの視線の先を追った。そうしてもう一度言ってきた。

「何事だ」

 おれはクローザが従えている下人をちらっと見やった。クローザも見やった。おれはクローザの袖を掴み、おれが隠れていた家の陰に引っ張っていく。「む」と、呟いたクローザは、下人にそこで待っているよう言葉をかけると、おれに引っ張られるままに家の陰まで入ってきた。

「何事よ」

 さすがのクローザもおれのただならぬ様子に声をひそめてきた。

 おれは一度ごくりと唾を飲み込んだあと、震える声で言った。

「じ、実は、あっしの家に、ま、マタザさんが。前田マタザさんが乗り込んできているんス」

「何っ!」

 おれがあわてて自分の口の前に人指指を立てると、大声上げたクローザはすぐに居直り、うん、と頷いた。

「して、な、なにゆえ又左衛門がお主のところに」

「なんでも、織田の危機だからとかなんとか言って、今川義元を単騎ぶち殺しに行くだとかなんとか抜かしやがっておりまして、なもんであっしの家を拠点にするだなんて調子こいているんス。あっしがおやかた様に報告しようとするもんなら、あっしを殺そうとする勢いなんス」

 クローザは周囲に目を配りながら、ゆっくりと腕を組んだ。

「今もあっしの家で寝ているところッス。いや、起きちゃっているかもしんないッスけど、絶対にいるはずッス」

「まことなのか」

「まことッス」

「左様か。ならば、聞かなかったことにする」

 と、クローザはおれの前からすうっと離れていってしまい、それはまさしく逃げ出すかのように、マタザの事実を知っているおれから素知らぬ振りして逃げ出すようにして、クローザらしくもないとぼけたツラで目抜き通りに戻っていってしまう。

「ちょ、ちょっと! クローザさんっ!」

「行くぞ」

 と、下人に声をかけると、もんのすごい早足で、城のほうへ去っていこうとするので、おれはあわてて走り寄っていき、クローザの前に飛び出した。

「クローザさんっ! 聞かなかったことってなんスかっ!」

「のけえっ!」

 突如、鬼のような咆哮を放ってきたクローザのその圧力に、おれは腰が砕けた。

「まったく。法螺ばかり吹きおって。目障りにもほどがある」

 捨てぜりふを吐いたら、さっさと早足でおれの前から去っていってしまった。

 目抜き通りの真ん中で尻もちをついているおれは町の人々から視線を集める。くすくすと笑っている輩も。

 朝の日差しとともに通りに注いでくる風は名残惜しいばかりに甘ったるい春の終わりのかおり。

 散りゆく花とともに春の思い出が取り残されていくようにして、おれもまた季節の中に取り残されている。

 なんじゃい……。

 クローザともあろう人までも、マタザにビビっているのかい。

 衆目の晒しにあっているおれは、腰を上げると股引のケツを払い、さっさとスタスタ目抜き通りから逃げ出すが、内心穏やかじゃあない。

 マタザは一体どこまでDQN野郎なんだ。クローザさえビビっちゃうほどの野郎なのか。そりゃ確かに喧嘩の延長で人殺しをしちゃう野郎だ、ビビる気持ちもわからなくはない。

 だからと言ってここで泣き寝入りしちまったら、おれはマタザの無謀な突撃の巻き添えを食っちまうんだ。たとえマタザが無謀な突撃をしなかったとしても、ここでマタザに一矢報いんかぎり、おれはこのままずっとマタザの言いなりになっちまうのだ。

 クローザがダメなら、他の手段で。



 ということで、おれは重臣どもの屋敷が軒を連ねる高級住宅街にやってきた。

 マタザが拾阿弥を殺した日をよくよく思い出してみれば、信長の他にも怒り狂っている奴が数名いた。それはおれと八っちゃんを裁判していたときに信長の周りにいた五人のゴリラどもだ。

 残念ながらおれはあのゴリラどもが誰なのかわからない。しかし、一人だけ知っている。

 柴田ゴンロク。

 ゴンロクなんかに顔を合わせたくはないのだが、しかし、織田家重臣でなんとかお話しができるのは、ゴンロクしかいない。そして、あのとき怒り狂っていたゴンロクだったらマタザなんか殺したいに違いなく、ゴンロクは性格も悪いからなおさらだ。

 毒を持って毒を制す。

 おれはゴンロクの屋敷の前を行ったり来たり、かつてあずにゃんを待ち伏せていたときのようにうろちょろする。

 ところが、おれに声をかけてきたのはゴンロクでもゴンロクの手下でもあずにゃんでもなく、向こうの屋敷の門から現れて馬に跨った人。その人は跨ったあと、うろちょろしていたおれをじいっと見ていたらしく、城に向かうようだったのが、馬首をこちらに翻してきて、パカパカとやって来た。

 不審者と察したに違いない、おれはヤバイと思って逃げ出そうとしたが、その人は急に馬を走らせてき、おれの前に回りこんできて、ズザザッと馬を止めてしまった。

 あ、あかん。

 あ、でも、この人って、裁判のときにいたゴリラのうちの一人。色黒ゴリラ。

 色黒ゴリラは馬上から彫りの深い開いた瞼の中からじっとおれを見下ろしてき、しばらくの間は黙っていた。おれはどうしようかあたふたした。このゴリラにマタザのことを話してしまうか、このままやり過ごすか。

「お主、ここで何をしている」

「あっ、いやっ、ちょっと、ゴンロクさんに用がありましてっ」

「権六なら自領に戻っているぞ」

「へっ? あっ、そうッスか。じゃ、あっしはこれで」

 と、おれはやり過ごすことに決めた。というのも色黒ゴリラにマタザのことを話しても、騒ぎ立ててくれそうな感じではなかったからだ。威厳があって、どこか真面目そうで、ゴンロクみたいにヒステリックな感じではなかった。

 こういう人にマタザのことを話しても、おおかた自分の掌中で丸めちまいそうである。おれに対する物言いも、威厳がありながら威圧的ではなかったのである。性根が優しい人っぽいのである。マタザのことも許してしまいそうな感じなのである。

 なので、おれはさっさと帰ることにした。自領ってのがよくわからんが、ゴンロクがまたこっちに戻ってくるまで我慢するしかない、と。

「待て」

「はいっ」

 おれは直立不動で立ち止まると、視線をそろっと色黒ゴリラに向けていった。

「お主が珍奇衆なる者よな」

「は、はい……。って言っても、それきりおやかた様にはお呼ばれされてないッスが……」

「付いて参れ」

「えっ?」

 パカパカと、城とは反対方向に進んでいく色黒ゴリラ。

 おれはどうすればいいんだかしばし悩んだが、とりあえずゴリラに付いていくことに。



 色黒ゴリラに付いていくと、かつておれが信長と初めて出くわした川べりに辿り着いた。

 道中ずっと無言だったゴリラは、馬から下り、川べりに打ち込んであった杭に手綱を巻きつけ、突っ立っているだけのおれをよそに朝日にきらめく川面をぼんやりと眺めていた。

 なんなんだろう。おれはゴリラの横顔をじっと眺めた。

 おれに出くわした輩が斬る斬ると例のごとしに騒ぎ立てるのでもない、インチキ芸能記者や天下の詐欺師のようにへらへら媚びへつらってくるのでもない、おれを誘ったくせに、おれなんかいないかのようにして、瞼を細めながらぼんやりとしている。

 武骨そうな面構え、袴の裾からちらちらと覗けた傷跡から見れば、結構な武士っぽいし、重臣屋敷街から出てきたんだから、相当な御仁だろう。

 でも、ぼんやりとした佇まいは、そんな身分の上下、腕っ節の強弱をおれに感じさせない。

「申し遅れたが」

 と、ようやくゴリラは口を開き、おれのほうへゆっくりと顔を向けてきた。

「わしは森三左衛門。かつては木曽川付近の蓮台を領していたが、今は落ちぶれて織田の客将だ」

「はあ」

 落ちぶれてって言っても、重臣屋敷に住んでいるし、風格はあるしで、何が落ちぶれたんだかよくわからん。

「お主、名は。牛と呼ばれているそうだが」

「あっ、はい。あっしは簗田マサシって言いまして、テメーなんかが名を持っているのは贅沢だから、テメーなんかは牛でいいって、おやかた様が」

 ハッ、と、色黒ゴリラこと三左衛門さんは白い歯を見せて笑った。

「それはむごい。しかし、おやかた様の命ではな」

「は、はい」

「しかし、牛、牛、と言うのもな。そう呼ぶのもなかなか憚れる」

「いや、馴れましたんで。全然気にしないッス」

「牛太郎とはどうだ。そちらのほうが呼びやすい」

 どっちも同じだわい……。

「そ、そうッスね。アハハ……」

「して、牛太郎。お主は柴田権六にいかなる用件であった。こう言ってはなんだが、お主のような者が柴田権六に自ら会おうとするなどと、ただならんではないか」

「あっ、いやっ、その、マ――」

 おれはマタザの件を言おうとしたが、躊躇した。

 偉ぶることもなく、おれなんかにも優しい態度の三左衛門さんである、マタザの件はゴンロクが騒ぎ立てる前に丸くしてしまいそうである。柴田ゴンロクと呼び捨てているあたり、ゴンロクよりも偉いっぽい。ヒステリー野郎のゴンロクをも口止めできそうなのである。

「じ、実はその……、あっし、その、前に、柴田様のところの梓様に優しくされたことがありまして……、その、はい」

 おれの咄嗟の機転のきいた嘘でもない真実を聞いて、三左衛門さんは一瞬目を丸めた。そうして、笑った。

「左様か。あの跳ね馬に。しかし、うーむ、だからと言って屋敷の前をうろついているのはいかがなものではないか?」

「あ、そ、そうッスね」

「お主のその図体なのだ。目立って仕方ないぞ」

「そ、そうッスね。これからは控えます」

「それと――」

 三左衛門さんはそう言葉を繋ぎつつ、また川面のほうに顔を向けた。いや、そこから空へと、視線を持ち上げていった。

「お主、おやかた様に申し上げたそうだな。今川治部を桶狭間に討ち取れと。おやかた様は天下を統べる男だと」

「えっ、あっ、はい」

「いかなる了見で、だ」

 三左衛門さんは再度おれに振り向いてきた。その目はそれまでの優しい態度の三左衛門さんではなくて、見た者すべての胸の内を貫き刺すような厳しい武将の目だった。


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