困った息子
イマイの裏工作により、信長に二万貫文を上納して降伏した堺の町は、織田の直轄領となった。
名物の茶器を献上して時の権力者に擦り寄ったイマイは、見返りに要望通り遠里小野の代官に信長から任命された。
イマイと信長との取り次ぎはサルがやり、吉田さゆりん早之介はイマイにサルを紹介しただけ、おれはなんのかすり銭も得られず。
イマイとハセガワが信長に何を進言したのかは謎であったが、諜報活動してきたさゆりんが「おそらく」と付け加えた上で言った。
「但馬国の生野ってところに銀山があるそうや。山名氏の支配域やが、毛利に滅ぼされた尼子の残党が山陰で発起していることに関係がありそうや」
いろんな名前が出てきてまったくわからんが、要は銀山利権を得たいがためにイマイとハセガワは信長に但馬を攻め込むよう、もしくは謀略戦の展開を進言したのではないかとさゆりんの推測だった。
「どちらにしろ、話がでかすぎて、あんたにはかなわんことや。木下藤吉郎とてな」
結局、おれもサルも使いっ走りにさせられただけのことだった。
「そもそも」
と、さゆりんは挙句に説教を開始した。
「商人とつるんで権益を得ようだなんていうあんたの野心はわからんでもないが、織田におるかぎり無駄や。摂津池田みたいな一族合議制ならまだしも、織田の権力は上総介がすべてを握っておるんや。誰も介入できないんや。だから、あんたや木下藤吉郎は出世できたんやろが。小遣い稼ぎぐらいならともかくな、でかい利権にあずかろうだなんて身の程をわきまえろって話や」
うるせえ……。
お前こそ愛人なんだから身の程をわきまえろって話だ、クソが。
このころ、おれの気分を愉快にさせてくれたのはただひとつ、武田信玄が駿府攻略に失敗したという話だった。
同盟を破棄した相手の北条氏が今川方に援軍を派遣し、武田勢は退散したらしく、さらにはデブの徳川三河との約定も破って伊那谷から遠江に勝手に侵攻していたそうであり、デブの三河がブチ切れているそうだ。
策士が策に溺れてお仲間がすっかりいなくなってしまったらしい。
そればかりは笑いが止まらなかった。
これを好機として、信長には武田攻めでもしてもらいたいところだが、畿内の政権基盤を盤石にしたい今の織田勢には、武田と事を構えるほどの余裕はないそうで。
毎度のこと、おれは二条城の工事現場で監督の日々である。
梅の花が咲くころにもなると、二条城はその形を現しつつあった。
全容に堀と石垣が張り巡らされて、櫓門も完成している。
石垣巡りの城はなかなかないものだから、蛸薬師のおきぬも驚いていた。
「ほんま、織田様はたいそうなお殿様どすね。あないにでかい囲いは初めて見た」
これで足利公方や公家の連中も金持ちになって、また昔のように呉服を買ってくれればいいのだけれど、とも言っていたが。
そんなある日、明智十兵衛がおれの宿泊寺にやって来た。春のかすみが宵の風に紛れている日のことだった。
たまにはどうか、と、酒も持ってきている。
それでもって、太郎も同席したらどうかとも言ってきた。
あっ、と、おれは思った。十兵衛が娘を嫁がせたがっているのをおれはうっかり忘れていたのである。
太郎はいないと言って嘘をつこうとしたが、間の悪いことにちょうど通りがかってしまった。
「これは明智十兵衛様。わざわざご足労いただき」
「いやいや、私が押しかけただけのことです。左衞門太郎殿も一緒にどうですか」
太郎はおれに一瞥くれたが、おれはうんともすんとも言わず黙っていた。
「それでは、せっかくなので、お言葉に甘えて」
もちろん、太郎とて公方側近の十兵衛の誘いを無碍にできるはずもないが、うまいこと言って逃げてもらいたかったところである。
寺の坊主が用意した膳をさかなに、十兵衛は気分よさげに盃を舐める。
「簗田殿と左衞門太郎殿はよくこうして盃を交わされるのですか」
「いえ。父も拙者も下戸でして」
「それはもったいない。いやいや、拙者は子が四人おるんですが、どれもおなごで、そろそろ五人目が産まれそうなのですが、これも女だったらたまりません」
「ああ、そうッスか。アハハ……。子だくさんで……」
「簗田殿は祝言を挙げられて一年が経ちますか? 奥方にそういう兆しはないのですか」
「いやあ、ないッスね」
子供の話題というのはまずいと思い、おれは話を変えた。
「ところで、甲府の武田が不義理を働いたそうッスね」
「ああ――。厳しい状況に置かれているそうですな。信玄入道から織田殿に文が届いたそうで。越後の上杉家との仲を公方様に取り持ってもらいたいとか」
「えっ? そうなんスかっ?」
おれは喜々として腰を浮かした。越後の上杉と言えば不倶戴天の敵であるはずなのに、あのハゲ、信長に泣きついて宿敵と手を結びたいだなんて、よっぽど窮地に追い込まれているに違いねえ。
「ここはあの忌々しい信玄入道を叩き潰す好機だってのに惜しいッスね」
十兵衛は苦笑した。
「しかし、一筋縄ではいきませんでしょう」
「いいや、あの悪人をのさばらせておくのはよくないッスから。是非とも十兵衛殿から公方様に申してくれませんか。武田を潰すべきだって」
「それはいかにもな」
おれの鼻息の荒さから逃れるようにして十兵衛は酒をすすり、すでに顔を赤らめている太郎が口を出してくる。
「父は信玄入道をたいそう嫌っておりまして。というのも一度お目見えさせてもらったことがあるのですが」
「左様なのですか?」
「ええ。二年前か三年前か。あの日のことは死んでも忘れませんよ。武田信玄の野郎は、あっしを殺そうとしたんスから」
「ええっ?」
おれは湯村山の一件を十兵衛に話した。十兵衛は驚きの表情で盃を手にしたまま、それを口にするのも忘れておれの話に聞き入っていた。
「ということで、あっしには絶対に殺したい奴がこの世に四人ばかしいましてね、一人は信玄入道、もう一人が赤備えの山県三郎兵衞、あとは……、まあ、どっかの下っ端と織田のボンクラ重臣ってことで」
「いやはや」
十兵衛は手に持っていたものを思い出したようにして唇に運んでいき、ずずっとすする。
「しかし、左衞門太郎殿、万が一にもそのときが来てしまったら、簗田殿を引き止めなければなりませんぞ。このぶんでは天下無双の武田騎馬隊へと血気はやって突っ込んでいってしまうでしょう」
「ええ。心得ておきます」
十兵衛が笑いながら冗談っぽく言って、太郎も笑いながらうなずいたが、おれは真顔である。何を言っているのだと。あんな山県クソ三郎のどこが天下無双なのだと。
それに十兵衛も太郎も、いずれ武田と事を構えるだなんてゆめゆめ思ってもいなさそうなのである。
おそらく、彼らは古い考えである。幕府という中央政権のもとで、各地の戦国大名が半独立的にこれに従うような、室町幕府の体制がそのままスライドするような考えでいる。
十兵衛は足利幕臣だからそう考えても無理はないし、太郎もどちらかと言えば保守的な思考の持ち主である。
だから、信長が武田信玄のような巨大な大名とやり合うだなんて思ってもいないのだろう。
「いずれはやりますよ、武田とは」
おれはそう言った。
おれが表情を物騒にさせて酒をすするためか、十兵衛と太郎は顔を見合わせた。
「山県の赤備えだなんて天下無双じゃないッスから。あっしがこの手で蜂の巣にしてやるんスから」
「蜂の巣、とは、父上、どういうことなのですか」
「火縄銃だ」
「火縄銃?」
「火縄銃をたくさん並べれば騎馬隊だなんて一網打尽だ」
「ははあ。ゆえに拙者に火縄銃の値を訊ねられたのですか」
「えっ?」
と、太郎が眉をしかめた。すぐさまおれに怪訝そうにして視線を向けてくる。
「父上がどうして火縄銃の値を訊ねておられるんです」
「い、いや……。べつに……」
「まさか購入するつもりなんですか」
「ち、違う。世の中のことは知っておかなくちゃならんって思って、十兵衛殿に訊いてみただけだ。物の値段ぐらい知っておかないと笑われちまうからな」
「さきほどたくさん並べるだなんておっしゃっていたじゃありませんか」
「そ、そ、それは、そうなったらいいなっていう願望であって」
「明智様。火縄銃はおいくらぐらいするのですか」
「なんだよ。お前だって知らねえじゃねえか」
「先ほどまで知る必要がなかったですが、父上が購入しようとしているので知る必要ができたのです」
十兵衛はくすくすと笑いながら、百五十貫文ぐらいだと答えた。
太郎が目玉を大きくして呆気に取られ、そうしておれにじろりと目玉を転がしてくる。
「もっとも、これから先、もう少し安く収まってくると拙者は考えますがね」
「五丁までです」
太郎はそう言ってお母さんみたいにしてつんと鼻先を突き上げる。
「ふざけんな。たった五丁で何ができんだ。そんなのただのお飾りじゃねえか」
「明智様。父の申していることはいかがなのですか。まことに火縄銃がいくさ場で役に立つのですか」
「うーん。もちろん、役に立つでしょうが、武田騎馬隊を仮想しているのでは訳が違いますかな。火縄銃というのは弓と違い、弾を込めるまでに時間がかかりますからな。二回、三回と攻撃を繰り返すには、そのつど弾込めしなければいけませんから、騎馬隊の突撃に追いつかないでしょう」
「だそうです」
十兵衛までそんな古典的発想だとは恐れ入った。
三段撃ち戦法を発表して頭の硬い二人の舌を巻かせたいものだが、暴露してしまえばおれの手柄とならず、むしろ、山県を殺す前に広まっていってしまう恐れもある。
「フン」
と、おれは鼻を背けるだけだった。
「とはいえ、親子でいくさ談義というのも良いですな。羨ましいものです」
またその話に戻すのかとおれが眉をひそめれば、太郎が隣で「お見苦しいところを」とおれの保護者気取りで頭を下げる。
「いやいや、拙者も倅にはっきりと物申してもらいたいものです」
「今度生まれてくるお子さん、男だったらいいッスね。アハハ……」
十兵衛は結局、娘を太郎の嫁にしたいとは口にしなかったが、太郎が何か言葉を発するたびに興味を持つようにして、あるいは愛でるようにして目尻を緩めていた。
次はいよいよ言い出しそうな予感がする。
十兵衛が明智光秀じゃなければ、おれだって是非ともそうしてもらいたいものだ。
十兵衛ほどいい奴はなかなかいない。
本当に本能寺で信長を裏切るような明智光秀なのかとも疑わしくなるぐらいだ。
とはいえ、万が一にも災いの種を摘み取っておかなければならないのだし。
太郎を誰かと結婚させてしまえば十兵衛もあきらめてくれるだろうが、誰がいるかって話だ。
あいりんと好き同士ならそうしてやってもいいんだが、彼女はただの女中だ。死んだお父さんだって武将というより、足軽組頭ぐらいだったろう。
十兵衛には前から冗談半分ながらも言われていて、それでただの女中と結婚しちゃいましたなんて、気分も悪くなる。
織田家中で、安全かつ、おれに害がなさそうで娘を持っている人物はいないか。
マタザの娘の幸ぐらいしか思いつかん。
まだ、幸は幼女だし。
やっぱり、あいりんなんだなあ。あいりんが誰か武将の娘だったら悩まずに済むんだけどな。
それに太郎が好きみたいだから、嫁さんをあてがっちゃうとあいりんが可哀想だ。
もっとも、あいりんが武将の娘だったらおれの家で女中なんかやっておらず、あずにゃんみたいにどっかの箱入り娘なのだが。
ましてや、マリオの隠し子――、天涯孤独だったどこの馬の骨かわからない太郎に娘をやりたいだなんていう奇特な奴は十兵衛ぐらいのもんだ。
マリオに相談してみるかな……。
でも、相談したら十兵衛の娘がいいって絶対に言うよな……。
マリオってしたたかな野郎だからな。それこそ太郎のためともなると。
――。
あいりんをマリオの娘にしちゃえばいいのかな?
おれが太郎を養子にしたみたいに、あいりんをマリオの養子にしちまえば。
普通だったら、そんな真似をする人間はいない。が、マリオは太郎の本当の親父だ。しかし、隠しているわけだ。
ところが、あいりんを養女にし、太郎と結婚させれば、マリオは建前上でも太郎の親父になれる。太郎に対して親父ヅラができる。
ほほう。おれは天才じゃないか。
しかも、そうすれば誰もが傷つかなくて済む。十兵衛だって、織田の丹羽五郎左衞門とあっちゃ、あきらめられるはずだ。
ふむ。以前からそういう話がまとまっていたということにしちゃおう。
翌日、たまにはごちそうしてやると言って、太郎を二条城の内堀現場から城外へ連れ出し、ご機嫌取りのために団子屋に連れていった。
「そういえば、先日、父上に頂戴した鞭、クロも気に入ってくれたようです」
濡れ縁に腰かけ、屑茶をすすって団子を待つあいだ、太郎がそう言うので、クロスケが気に入ったというのはどういうことか訊ねると、
「鞭をこういうふうに見せると」
右手を出して振る前をする太郎。
「クロの鼻息が荒くなって、気合いが乗ってくるのです」
「ハハ……。そいつは良かった……。でも、クロスケはいつも気合いが乗りすぎなんじゃないですかね……」
ババアが焼き団子を持ってきた。玉をくわえて引きちぎり、太郎くんは「うん」とうなずいてご機嫌の様子。
「試しに栗綱に振るってみたら、見向きもしませんでした。こちらが何を考えているのかわかっているような具合で」
「ああそう。まあ、おれの馬だから賢くて当然だな」
団子茶屋の濡れ縁の脚には竹筒がくくられていて、梅の白い花が活けられている。
団子を頬張り、屑茶で流し込めば、温かさが満たされた食欲とともに胃袋へ流れていく。
相変わらず寒いけれども、日差しは柔らかい。往来の人々ともに春の香りがほのかにゆったりと巡っている。
「あのう、太郎くん」
おれがなかなか切り出せないでいると、太郎はじろりと目を向けてきた。
「火縄銃は五丁までですから」
「違う。そんなことじゃない」
「じゃあ、なんです」
「その、あの、あいりんと結婚しろ」
「え――」
太郎は団子の串を手に持ったまま、唇をわずかに開けたまま固まった。
おれは団子を一玉くわえ取る。むしゃむしゃと食べる。ごくごくと流しこむ。空っぽになった喉から決心の息をつく。
「好きなんだろ。あ、あ、あいりんのこと」
「え、いや、そんな――」
おれに説教を吐くときはそんな顔をしないくせして、太郎は顔を真っ赤に染め上げて、目は泳いでいた。
結婚させてしまおうだなんて軽々しく思ったわけだが、お父さんのおれからしてみても太郎の動揺ぶりを目の当たりにしていると恥ずかしくなってくる。
胸が苦しくなるというか、ちくちくするというか、甘酸っぱくなってくるというか。
太郎の、そのうぶな具合。
たぶん、経験済みではないのだ。
お父さんであり主人でもあるおれからすれば、健全な恋愛はとてもいいことだが、十代も半ばを過ぎた太郎のその少年ぶりというのは、こちらまで小っ恥ずかしくなってくる。
とはいえ、普段は小姑のようにうるさい太郎の動揺ぶりは、それもそれでなかなか愉快である。
なので、おれは意地悪してやった。
「いやならいいんだが」
「でも、拙者はまだそんな齢では――」
「いやじゃないってことか? ん? 十兵衛の娘を貰うか? ん? 昨日、十兵衛が来たのは、そういうのがあって来たんだぞ?」
「しかし、明智様がそうおっしゃったとしても、お断りすればいいだけでは」
「断れるわけねえだろうが。そんぐらいお前にだってわかるだろ」
太郎は視線を落とす。いつまでも団子を持ったままでいる。
おれはにやにやとしたい唇を口の中に押し込んで我慢する。
「あいりんでいいって言うんなら、丹羽ゴロザ殿にあいりんを養女にしてくれってお願いするつもりだ」
「ええっ? そんなっ。丹羽様がそんなことまでしていただけるはずがっ」
「いや、そうしてもいいってさっき言っていたぞ」
「ま、まことですかっ」
「ああ」
おれはきっぱりとうなずいたが、そんな話なんかマリオにしていない。しかし、どうせマリオはあいりんを養女にしてくれるのである。万が一にも断ることなんてない。
「しかし――」
「じゃあ、やめよっか。十兵衛に言ってくるわ。娘を太郎にくれって」
「そんな」
「なんだよ、そんなって。公方様の直臣の十兵衛が嫁をくれるだなんて、こんな話はねえだろうが。ただ、お前があいりんを好きって言うんなら、可哀想だからあいりんと結婚させようってことだ。あいりんもお前のことが好きっぽいしな」
そう言うと、太郎はさらに顔を赤くしてしまい、もうゆでダコを通り越して紫色だった。血圧が上がりすぎてぶっ倒れてしまうのではないかと不安になるぐらいだった。
「はっきりしろ。あいりんはお前のことを待っているぞ」
「そ、そうなんですか?」
なんなんだろう。うぶすぎるのもいい加減にしろってところだ。
おれなんか、昔からあずにゃんと好き同士だったっていうのに、波瀾万丈、いろいろなごたごたを通り越すまでにさんざん嫌な思いをしてきたってのに、こいつはすでにあいりんと好き同士だとはっきりわかっているのに、これだ。
ほんとに、まったく……。
そもそも、こういう裏工作をする前に太郎とあいりんができちゃった結婚でもしてくれればおれがやきもきすることなんてなかったんじゃねえのか。
まあ、おれが甲府に行くとき、太郎にそういう真似はするなときつく言った覚えがあるから、矛盾しているけれど。
それでもね。
男なんだからヤッちまうべきだろう。
しょうがないんで嘘をつく。
「あいりんは梓殿に言っていたらしいがな。若君が求めてくれればだなんていう意味のわからないことを」
太郎は紫色の顔をうつむかせ、まだ団子を食わない。
お父さんがいないと恋愛もろくにできないんだから、困った息子だ。
「はっきりしろ。てか、もう結婚させるぞ。わかったか。いいな。お前の嫁さんはあいりんだからな。わかったか」
「で、でも、あ、あいり殿が、せ、せ、拙者でよいのかどうか」
「情けない。お前はおれがおにゃの子に積極的になっているとシラーッとしていたけれど、なんだい、お前はおれをバカにする前に自分が惚れた女にも手が出せねえじゃねえか」
「だ、だって、父上がそういう真似はするなとっ」
「じゃあ、言わなかったら手を出していたんだな。じゃあ、言わないよ。結婚しろよ」
「し、しかし、そういうのは順序が――」
「だから、なんだよ、順序って。お前、おれが梓殿にこてんぱんにされたとき、ゴンロク殿の屋敷に一人で乗り込んでいったってのに、なんだよ、大きくなったらこのざまか?」
「わ、わかりましたよっ! あいり殿を娶らせてくださいっ!」
おれは笑いがおさえられず掌で口をおさえた。太郎は紫色に染め上がった顔の中で半べそをかきながらおれを睨んでくる。
「いやあ、めでたい。ああ、すっきりしたわ。おれも太郎とあいりんはお似合いだと思っていたからなあ」
太郎はむしゃくしゃと団子を頬張っていき、一気に二つも放り込んだものだから、ごほごほと蒸せてしまって、屑茶でなんとか押し流している始末であった。
「おい、姐さん。勘定」
「まいどおおきに」
おれは袖の下から取り出した五文をババアに渡し、腰を上げる。
「じゃ、祝言の日取りはゴロザ殿と決めておくからな。あと、ちゃんとあいりんに文を出しておけよ。結婚してくださいってな。こういう話になったって言う前に、まずは自分の口から言うんだぞ。わかったな」
「は、はい……」
通りには沈丁花の香りが漂っている。どこからだろう。鼻孔の奥につんと刺さるようなきつさだけれども、今日ばかりは実に清々しい香りだ。
太郎のあの顔ったら。
「お、お客はんっ、駄賃を頂いておりまへんさかいっ」
「えっ?」
と、おれが振り向いたら、おれじゃなかった。どっかのメシ屋から出てきたマッチョな奴の袖裾を、その店の主人らしきオヤジが引っ張っていた。
「駄賃だと? 俺からふんだくろうってか?」
どこのならず者だと思って眺めていたら、
「おれは織田の兵卒だぞコラ。お前らを三好悪党から救ってやった織田のモンから駄賃を取ろうだなんてやってくれるじゃねえか」
おれはため息をついた。上洛したばかりのころならまだしも、まだこんな奴がいたとは。
「おい」
と、おれが歩み寄っていこうとしたら、
「お主っ! 何をしておるのだっ!」
太郎が先にすっ飛んでいた。
「なんだ、テメー」
「沓掛勢、簗田左衛門太郎だ!」
「あっ、いやっ」
「お主はどこの者だっ! 名乗れ!」
「え、えっと。浪人です」
「ほざけっ!」
太郎がバチンとぶん殴ってならず者は吹っ飛び倒れ、マッチョを一発でなぎ倒してしまった太郎のしようにおれは棒立ち。
想像していたよりも太郎が強いんだが……。
「一介の浪人がなにゆえ俺の名を知っておる! 塙九郎左殿の前に引っ立ててやる!」
「い、いや、違いますっ! これには深い理由がっ!」
「おやかた様に恥を欠かせる理由などあるかっ!」
太郎はブチ切れてしまい、マッチョをボコボコにしてしまう。さっきおれに茶化された八つ当たりでもしているかのような凄まじさで。
そして、茶屋の主人に代金を支払った太郎は、マッチョの襟首を掴んで引きずり、
「歩けえっ!」
と、怒鳴り散らしながらも、真っ赤な顔をおれに向けてきて、こいつをクローザのもとに連れて行くと言って通り過ぎていく。
「う、うん。気をつけてな」
太郎をあんまり茶化すのはよそうと心に決めて、さっさと結婚させて丸くなってもらわなければと思いつつ、おれはマリオのもとに向かった。




