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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第一章 いざ、戦国
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死ねば狂気、生ければ豪気

 なかぞらに貼り付けられたような月が、秋の風の香りをよりいっそうかぐわしくさせてる。

 吉乃の太ももに頭を預けながら、上総介は庭先をじっと見つめる。

「どうしたんです、ほんだら怖い顔して」

 吉乃のしわがれたながらも妙に甘ったるい声にも無視して、上総介はただただ庭を見つめる。すると、ふうっ、と、吉乃がこめかみに息を吹きかけてきて、上総介はもだえた。

 上総介は彼女の太ももから睨み上げる。

 ふふっ、と、吉乃は笑う。

「ほんだら怖い顔して、どうしたの?」

 チッ、と、舌打ちながら、再び庭へと顔を向ける。

「風を見ているんだ」

「はれまあ。やかた様は風が見れるの?」

「見ようと思えば見れる。見れぬと思えば見れぬ。時代の風とはそんなものじゃねえのか」

「吉乃はよくわかりませんよ、難しいことは」

「だが、貴様のようなたわけでも、人は見れるだろう。貴様、牛をどう見る」

「どうって。さあ。愉快な仁でございませんか」

「きゃつ、正気かと思うか」

「正気でしょう。目が正気ですよ。気がおかしい仁は、あんなまともな目の色をしてませんよ」

「貴様に言われんでもそのぐらいはわかる」

 上総介は吉乃の太ももから上体を起こすと、庭先に飛び降りた。

「はれ? 今夜はお帰りに? お泊りになるんでは?」

「貴様といると俺が腑抜ける。今日は腑抜ける気分ではない」

「よくわかりません仁だこと」

 吉乃はふてくされながら腰を上げ、上総介にそっぽを向きながら屋敷の奥へと引っ込んでいってしまった。

 上総介は鼻で笑った。

 生駒屋敷の馬屋に繋いでいた黒鹿毛の愛馬に跨がり、上総介は一人ゆっくりと、清洲への帰路をたどる。

 尾張一国を束ねる大名が、たった一人で夜道を往くとは狂気の沙汰である。上総介は常日頃から何者かに命を狙われているのである。東海道の今川方、美濃の斉藤方、敵ばかりではない、下克上を成し遂げて平定したこの尾張にも、自らの配下にも、上総介の命を狙う者は必ずいる。

 だが、

(これしきで殺されるようなら、それまでの人物よ)

 豪気。

 上総介はそれを好む。

(俺という人物を光り輝かせるものは唯一その気概のみだ)

 計略で一族を放逐し、同腹の弟さえも謀略の餌食にした上総介は思う。自身に漂う、この陰気でじめじめとした匂いを一掃できるのは、その自らが放つ豪気だけしかないと。

 豪気。

 しかし、それは一歩間違えば狂気ともなる。

(今川治部の首を討ち取るなどという考え――)

 狂気の沙汰であろうか。

(あの牛めの法螺を間に受けるなど)

 狂気の沙汰であろうか。


 上総介が領する尾張北部は、濃尾平野の一角を連ねる有数の穀倉地帯であり、石高は三、四十万石、動員兵数は一万五千に上る。

 ただ、上総介はこの尾張北部を平定したばかりであり、各所土豪が上総介に心酔しているはずがない。つまり彼ら土豪をかき集めての一万五千の足並みが揃っているとは言い難い。

 それに、強大な敵が尾張織田領を狙っていた。

 木曽川の向こうの斉藤方。

 そして、駿河、遠江、三河の東海道三州を領する今川方。

 この今川方とは、上総介の父の代から尾張南東部の支配権を目指して小競り合いを繰り返してきたが、今現在、この地域は今川方に侵食されており、尾張内部の下克上にかまけていた上総介がわりと劣勢である。

 美濃の斉藤方、東海道の今川方を向こうに回し、差し当たっての打開策はない。

 そこに牛は言ったのである。


 桶狭間にて奇襲を打ち、今川治部を討ち取る。


 あの気狂いが兵法をかじっているとは思えないが、なぜに「桶狭間」などと出してきたのか、上総介が一笑に伏せることのできない理由である。

 尾張南東部、知多半島のちょうど付け根に位置している桶狭間は、小高い丘陵地帯の一角にあり、その名の通り、丘と丘との狭間である。一戦を展開するにはまったく不向きである。

 が、奇襲は向く。

(桶狭間とは、目の付け所が異様だ)

 もしも、そこに今川治部が着陣したか、逃げ込んだかしたならば、その大将首をもぎ取るのは夢物語ではない。

 ところが、その奇襲とやらは今川治部自らが尾張に遠征して初めてかなうものであり、今川治部をこの尾張南東部に誘いこまなければ、さらに桶狭間という一点に誘いこまなければ、牛の口からついて出た一言は達成されない。

(だが、あやつ、妙に自信ありげであった)

 かといって、どのように今川治部を誘い込むのか牛にたずねたとて、無駄のような気がする。



 清州城に戻ってき、自身の寝室に帰ってきてもなおのこと、上総介は牛の一言にとらわれており、燭台の火を頬に受け止めながら、じっと考察にふけっていた。

 すると、障子戸の向こうから人の気配がした。

「おやかた様。お帰りでございますか」

 その声は斉藤家からやって来た上総介の正妻、帰蝶である。

 上総介が何も応えないでいると、気配は消えた。

(野暮ったい女め)

 嫌っている。男色女色共に激しい上総介だが、帰蝶を抱いたことは一度もない。見てくれも好かないし、田舎臭さも嗅ぎたくない。さらには父を兄に討ち取られたとあって、帰る家もなくなってしまったその不運ぶりには近づきたくもない。

(たつものもたたんわ)

 それはともかく、今川治部。

 もしも、仮に治部を討てたとすればどうなるか。

 彼が領する三河国は、近年まで豪族の松平氏が立っていた。しかし、先々代の当主が死亡すると弱体化し、先代の当主が殺されると、今川方が一挙に併呑してしまった。

 その強引な作法により、三河はくすぶっている。それが暴発しないのは、松平氏の嫡男、次郎三郎が今川治部の下に人質となっているからである。

 治部がこの世から亡くなるとなると、今川の嫡男は愚将の器、三河松平の旧臣どもが次郎三郎を担ぎ上げ、今川に反旗を翻すはずである。

 そして、この上総介が今川を共通の敵として三河松平と盟約を結べれば、東海道に脅威はなくなり、天下への道が一挙に開ける。

「まさか」

 と、上総介は思わず声に出して笑ってしまう。

(俺が天下とは――。桶狭間といい、俺は牛に当てられているか)

 だが、一発、桶狭間という博奕を打てば、天下は見えなくもない。

 死ねば狂気、生ければ豪気、どうせやがては死ぬのであれば、

(目指してみるか)



 何の用もないけれど、おれは柴田ゴンロクの屋敷の前を軽く十往復はしている。

 ご承知のとおり、うっかりあずにゃんに出くわしてしまうのを期待してだ。

 タイムスリップしたあの日からすでに一週間は経っている。以来、あずにゃんにはお会いしていないのである。

 マタザという邪魔者が消え、珍奇衆筆頭とかいう役目によってニートは脱出し(役目を与えられたその日から今まで信長には一度も呼ばれていないが)、おれの身の回りの世話をしてくれる人間も雇って(ゾンビみてえなババアだが)、戦国時代に突然落とされたものの、神様の約束によって死亡は免れられたのである。

 しかし、神様の約束通りであれば、決定的な一つが欠けていた。

 ぽっくんのヒロイン。

 一週間、音沙汰無し。

 本当ならばおれに惚れているはずだ。本当ならば一週間のうちに二度ほどうっかり出会っちゃっているはずだ。なのに、このざまだ。

 まさか、照れているのかな。ならば、こちらから積極的になるしかねえってことだ。

 ということで、かれこれ十往復はしているのである。

 は~、あずにゃん出てこないかしらん。

「お主、何をやっておるか」

 ん?

 と、顔を上げてみたら、げげっ、尾張のヒゲゴリラことゴンロクっ!

 おれはあわてて両手を胸の前で振り、

「い、いやっ、何をやっているも何も、ただ通っただけでっ」

「ほざけ。お主がさっきからこっちからこっちへ行ったり来たりしているのを目にしているのだ」

「い、いやいやっ、何かの間違いッスよっ」

 これはあかん。絶対にゴンロクは腰に吊るしているものを抜刀するに違いねえ。

 だが、おれの予想に反して、ヒゲむくじゃらゴンロクは、フン、と、鼻で笑いながら、腰の刀の柄に両手を置いて、

「おおかた梓目当てなのだろうが、お主は何もしらんからな。この世に梓を御せる男がおるならば、是非とも貰ってもらいたいものだ。まあ、お主なんぞ梓の目の、片隅のこれええっぽちも入っていないだろうから、その性根の腐った金玉を蹴り飛ばされるのが関の山だ」

 かっかっか、と、自分で言って自分で勝手に愉快になりながら、ゴンロクは屋敷の中に消えていった。

 なんだ、あのバカ。

 しかし、あんまりうろちょろしているとマジで叩き殺されそうだから、今日のところはあきらめるか。



 我が家に帰ってくるとヌエババアが台所で糠床に野菜を突っ込んでいた。

 ボケているのかどうなのか、おれが帰ってきたことにも気づかずに、コネコネやっている。おれは痩せぎすのその背中を眺め、思わず溜め息。これがあずにゃんだったらおれは死んでもいいってのに。

 まあ、そうとは言っても、ヌエババアのおかげで助かっている。メシや洗濯はもちろんのこと、知り合いのジイさんを呼んで、おれの家の井戸を綺麗にしてくれた。ヌエババアがいなかったら、おれは雨水を飲んでいたところだ。

 だがしかし、あのインチキ芸能記者を許したわけじゃねえ。あの野郎、若い女を寄越すとは言っていなかったけれども、若い女を寄越すような雰囲気だったのは間違いなかった。だいたい、浮かれているおれを見て、一言、言ってもいいもんじゃねえか。いやいやババアですよ、と。

 安食村ってのがどこだかわからねえからあいつの家に押しかけることもできねえが、今度見かけたらぶん殴ってやる。あ、いや、文句の一つぐらい言ってやる。

「そういや、旦那様」

 寝転がっていたおれは、台所からこの世の残りカスみてえな幽霊が出てきたので、びっくりして飛び跳ねた。

「旦那様の、ふんどしがねえかったもんで、近くの杉原の家に、もらってきたんで。杉原の家のモンに会ったら、礼の一つでもしてちょうせんか」

「う、うん」

 言うだけ言うと、また台所にのっそりと戻っていたババア。

 なんだよ、帰ってきていることに気づいていたのかよ。おっかねえな。

 てか、杉原って誰だよ。


 こんこん。


 む。縄しばりの戸がノックされ、おれは眉根をひそめる。この雰囲気、あずにゃんではない。あの野郎じゃねえのか。あのインチキ芸能記者じゃねえのか。

 どのツラ下げて来やがったってんだ、あの野郎。

 おれは鼻息荒く腰を上げ、のっしのしと玄関に下りると、戸を外した。

 現れたのは、やはりチビ、だったが――。

「おたずねしますぎゃあが、ここは簗田牛殿の住まいで間違いないかえ?」

 と、空豆を捻り潰したような顔つきをおれに向いて上げてきたのは、憎きインチキ芸能記者ではなく、誰?

「そ、そうッスけど」

 すると、その、おでこ禿げ上がりの、なけなしの髪でちょびっとだけ髷を結い上げた野郎は、黄色い歯をにかっとあらわにしながら、

「ほんだら、おみゃあ様が牛殿かえ?」

 子供みたいに目をキラキラ光らせてくる。

「そ、そうッスけど」

「やっぱりそうかえ! 聞いたとおり、おみゃあ様はえらい大きいですにゃあ。おたく様みてえな大きい御仁が織田にいるとなったら、こりゃあ、千人力ですにゃあ」

「はあ」

 んで、禿げチビは、にゃあにゃあにゃあにゃあ言いながら、馴れ馴れしくおれの手を取り、もう片方の手でおれの腕をペチペチと叩き、にゃあにゃあとうなずく。

「な、なんスか……?」

「あっ、いんにゃっ、お節介かもしんにゃあけど、おみゃあ様は織田に仕えたばっかだぎゃあ。なもんで、織田の者どもにおみゃあ様を紹介して歩こうかと思ったんですぎゃあ」

 な、なんだ、こいつ。急におれのところにやって来て、急に連れて歩くだなんてなんなんだ。町内に一人ぐらいは必ずいる、お節介でしゃばり野郎か?

「い、いや、そんなの別にいいッスよ……」

「いいわけにゃあだぎゃあ」

 と、おれのものすごい嫌がりようにも関わらず、禿げチビは全然気にせずに脳天気な口調。

「おみゃあ様はこれからは織田のモンだぎゃ。たいがいの者どもは知っておかにゃあ、これからに差し支えあるだぎゃあ」

「いやっ、いいッスってっ。あっしはそういうの苦手なんですって」

「なあにを言ってんだぎゃあ。そう遠慮することはにゃあだぎゃ」

 禿げチビがそう言いながらおれの手を無理やり引いていこうとするので、おれは「憤怒ッ」とチビの手を振り払う。

「いいって言ってんじゃねえッスかっ! 余計なお世話ってのはこのことッスよっ! てか、そもそも、あんた誰なんスかっ!」

「にゃっ? あっ、いやいや、すんませんだぎゃ。遅れましたぎゃ。おりゃあは織田で足軽組頭をやっている木下藤吉郎って者ですだぎゃ」

「へっ?」

「おやかた様にはサルだなんて呼ばれているだぎゃあけども、これも何かの縁だぎゃ。おみゃあ様も遠慮なくおりゃあをサルなんて呼んでくれだぎゃ」

 木下、藤吉郎、だと……?

「ほんだら、行くだぎゃ」

 それって、豊臣秀吉じゃ……。

「織田のことならこのサルに任せてくれんかえ。なあんにも案ずることにゃあだぎゃ。な、牛殿」

 木下藤吉郎という名を耳にして、すっかり言葉を失ってしまったおれは強引に連れだされてしまう。

 でも、こいつが豊臣秀吉ならば、絶対に今のうちに友達になっておくべきなんだ。


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