第5章-21 個人戦決勝
後一時間もせずに、個人戦決勝が始まる。大会役員によると、今日の観客の入場数は過去最高級であり、それに伴って、会場に設置してある屋台や賭けの利用客が必然的に多くなり、上の役職についている者達の笑い声が絶えないそうだ。
「テンマ、緊張しておるのか?」
俺のセコンドとしてここに居るじいちゃんが、黙っている俺が緊張していると思い、声を掛けてきた。
本来、個人戦はセコンドを付ける事は無いのだが、決勝戦に限り一名だけセコンドを付ける事が許可されていた。これは、決勝進出者の護衛や貴族からの強引な勧誘を防ぐ為、との名目で当事者が大会に集中できるように、身の回りの世話をしたりする為である。
「いや、緊張はしていないよ。ただ、対人戦で自分より小さいのを相手にした事が、これまでほとんどなかったからね、どういった戦い方がいいか考えていたんだ」
これは本当の事だ。これまで戦ってきた相手は、どれも俺より大柄か同じくらいの体格の者ばかりであった。これは俺がまだ若いといった理由でなめられ、利用しようという奴が多かった為だ。
「まあ、確かにそうじゃろうな……わしもそう大きい方ではないから、自分より小柄な者と殴り合いはほとんどした事は無いしの。でも、客観的に言える事と言えば、力と小回りに関してはあの子の方が上で、それ以外はテンマの方が上だと言う事じゃ。つまり、普通に戦ってさえいれば、テンマの方が有利じゃな」
じいちゃんの言っている事は、『魔法も含めて』と言う事だろう。確かにその通りだ。
だが、そう言われて素直にその通り戦うのは面白さに欠ける。これは真剣勝負ではあるが、一種のお祭りでもあるのだ。余裕があるのなら、少しは楽しんでもいいだろう。
「その様子じゃと、素直に魔法を使うつもりはなさそうじゃな……テンマらしいと言うか、何と言うか……」
俺の考えを読んだじいちゃんが、呆れ気味の声を出した。
「まあ、何にせよ。わしはテンマが勝つと信じておるよ……わしの小遣いの為にも頑張ってくれ!」
そう言って、懐から俺に賭けた事を証明する札を取り出した。ざっと計算しただけで、100万G分はある……たしか、俺の倍率が1.2倍程だったから、当たれば20万Gの儲けである。
「賭けてんのかよ……まあ、俺も賭けてるけど。そんな事はいいや。じいちゃん、少し準備運動に付き合ってよ」
俺の言葉にじいちゃんはフードを脱いだ。因みに、じいちゃんは年寄とは思えないくらいの体をしている。筋肉質で引き締まり、無駄な贅肉が無い。そして、かなり強い。魔法を使った戦いが、では無く、殴り合いの戦いが、だ。
さすがに年なので、力はそれほどでもないが、じいちゃんの本質はテクニカルファイターと言う感じで、カウンターに関節技、投げ技と力をあまり使わない戦い方をし、魔法無しの条件なら、俺を抑え込む事もある。
なので、最近では俺だけで無く、ジャンヌやアウラ、アイナまで、じいちゃんに戦い方や護身術を習っている。伊達に武神の加護は持っていない、と言う事だ。
それからしばらくの間、じいちゃんと軽めの組み手で汗をかき、体を温めた。なお、俺の様子を見に来た係員は、じいちゃんが俺とハイレベルな組み手をしているのを見て驚き、何度も目をこすって確認していた。
「テンマ選手。そろそろ時間です」
係員に呼ばれ、俺とじいちゃんは闘技場に向かった。
闘技場への道すがら、俺は係員の注意事項の確認を聞いてバッグを預けた。
案内された入り口は、これまで使用していた所では無く、王様達の席の正面に位置する所にあり、これまでの通路より幅が倍以上広かった。
「では、ここで少しお待ちください。間もなくアムール選手がこちらに来ますので、同時に入場していただきます」
この大会は元は戦勝祈願の大会であったので、決勝は王様達に最初に顔が見えるようにするらしい。その為のパフォーマンスだろう。
「アムール選手、こちらにお願いします」
「ん」
俺がここに着いてからすぐに、アムールも到着したみたいだ。
足音が聞こえる程まで近くに来たので、アムールの顔を見ようと振り向くと、そこには小さな女の子がいた。いや、単にアムールが山賊王バージョンで無いというだけで、あれが本体なのだが……違和感がある。
そして、そんなアムールの後ろにはセコンドとしてついている、見覚えのある男が立っていた。
「よう、坊主!」
その男は凶暴そうな笑みを浮かべながら手を上げた。その男の名は『ブランカ』、俺に負けた男だ。最も、今大会で俺が一番苦戦した男でもある。
「怪我はもういいのか、ブランカ。それと何でアムールのセコンドなんだ?同じ虎の獣人だからか?」
俺はやけに親しげに話しかけて来るブランカに言葉を返すと、ブランカは笑いだした……凶暴そうな顔で。
「はっはっはっ。怪我はもう治った!セコンドの事だが、元々俺とお嬢は知り合いだからな。俺はお前に負けたから、丁度暇が出来てお嬢のセコンドに回ったんだ」
怪我が治ったというのは半分嘘だろうが、普通に歩く分には何の問題もなさそうだ。
俺がブランカと話していたら、急にアムールが俺とブランカの間に割り込んで来た。
そして俺を見つめる……そこで俺はある事に気が付いた。
「おい……よだれが垂れてるぞ」
アムールは俺の指摘を受けて後ろを向き、いそいそと服の袖で口元を拭いてから、再度俺の方を向いた。
「戦うのは私、ブランカじゃない」
どうやらアムールは、俺が対戦相手の自分を放って、ブランカと仲良く話しているのが気に食わなかったらしい。
「そうだな、悪い。テンマだ。よろしく」
俺は素直に謝り、手を差し出した。
「ん、アムール。よろしく」
アムールは頷いた後、俺の手を握った。互いに握手を交わし終えた頃、丁度時間が来たようで、それまで閉ざされていたドアが開いた。
ドアが完全に開くと、一番最初に正面にある王様達の観覧席が見える。王様を含むすべての王族が立ち上がり、揃ってこちらを見ていた。
俺達は係員に誘導されて前に進む、そして沸き起こる拍手。最初は俺とアムールを見ての物であったが、俺達の後ろ続く、じいちゃんとブランカに気が付くと、更に大きな拍手と大歓声が起きた。
俺達四人が闘技台の中央に着くと、じいちゃんとブランカは一礼をして下がっていった。これは昔の名残だそうで、セコンドを従者に見立てて連れ、ここから先は対戦する二人だけのものだという演出だそうだ。
セコンドが下がった事を確認し、王様が闘技場に近い位置まで階段を下り、手を軽く上げて観客達に静かにするようにそくした。
「双方とも、よく決勝まで勝ち進んだ。双方共にまだ成人を迎えていないと聞いている。そのような若者がこの場に現れた事を、余はこの国を治める者として嬉しく思う。どちらが勝ってもこの勝負は歴史に残る物になるであろう。双方共にその事を心に刻み、悔いを残す事なく戦うのだ!個人戦、決勝を始めよ!」
王様が話し終わると、静まり返っていた観客達の熱気が再度爆発する。
それからすぐに、俺とアムールは互いに距離を取って対峙した。
そして互いにバッグに手を突っ込み武器を取り出す。
アムールの武器は、ジンとの戦いで使ったのと同じタイプの斧だ。しかし、斧の色が違う。ジンの時と比べて濃い黒色をしている。おそらくは魔鉄製なのであろう。
対して俺は、アーネスト様に頂いたアダマンティンの剣を取る。
その剣を見て大歓声が上がった。どうやら俺とアムールの武器から、迫力のある戦いを予想したのであろう。
観客達の盛り上がりとは対照的に、一部の貴族達はがっかりとした表情をしている者が多いようだ。
おそらく、この剣の前の持ち主が誰だか分っているようで、おそらく俺はもうアーネスト様に召し抱えられた、と勘違いしているんだろう。
「個人戦、決勝戦!テンマ対アムール、試合開始!」
ついに始まった決勝戦。俺が剣を構えると同時に、アムールの体がぶれた。
ブランカが俺の腕を破壊した攻撃と同じ動きだ。だが、武器の重さの分だけ、ブランカよりはわずかに遅く、この技を見るのは二度目なので余裕をもって対処できた。
アムールの横薙ぎの一撃に対して、俺は剣を上段から振り下ろし迎撃する。
しかし、速度はブランカより遅かったが、攻撃の重さはブランカ以上であった。その為、ブランカと同等の攻撃を想定していた俺の体は、アムールの一撃で飛ばされてしまった。
吹き飛ばされた事で、かなり無防備な体勢になっていたが、幸いアムールも体勢を崩しており、尚且つ俺が思った以上に飛ばされて、だいぶ距離が開いたので追撃は無かった。
今の一撃だけを見たら、俺が力負けしたように見えるが、実際は武器の運動量の差が出ただけなので大して気にはしていない。それにきちんと剣で受けているのでダメージは大した事は無い。
「それに連発は難しそうだしな……」
さすがにブランカの奥の手と言うだけあって、アムールの小柄な体では連発は出来ない様だ。
それに、あの技は両者の距離が開くほど見破られやすく、対処がしやすくなるので、今の俺とアムールの距離では使う事が出来ない筈だ。
だが、このままでは俺が受け身に回る事が多くなりそうなので、思い切ってアムールに接近戦を仕掛ける事にした。
にわか仕込みではあるが、俺もブランカの技を模倣しようと何度か試したので、多少なら使う事が出来る。
この技の仕掛け合いになったら分が悪いが、奇襲で使う分には虚を突くのに効果があったらしく、アムールの機先を制する事が出来た。
「この距離なら、あの技は使えないだろ?」
俺はアムールの僅か2m程の距離まで近づき、剣を振るう。負けじとアムールも斧を振るい、そこから重量兵器による打撃戦が始まった。
そこから数分の間、その場から動かずに打ち合いが続く。手数では俺が勝っていたが、武器の熟練度では両者に差があり、斧の扱いになれているアムールは、俺の攻撃を2~3回凌いで強烈な一撃を放つという形になった。
互いに決め手がないまま、一旦アムールが距離を取ろうとした。
俺はこれを悪手だと思い、アムールの動きに合わせて一歩踏み出し剣を振るった。だが……
「甘い」
アムールが急加速して後ろに下がり、俺の剣は空を切った。
「もらった」
静かな声で、アムールが俺の胴体目掛けて鋭い一撃を放ってくる。
……まずい!どう見ても、十分俺を戦闘不能にするだけの威力を持っている!
「間にっ合えっ!」
俺は咄嗟に剣を手放し、手を魔力で強化して斧の刃を挟み込んだ。そして、斧の勢いに逆らわずに横っ飛びをする。
一か八かの賭けに近い方法であったが、俺は賭けに勝ち、ダメージを最小限に抑える事に成功した。
斧の勢いがなくなった所で足を地面につけ、驚いているアムールから斧を奪う様にして投げようとした。
しかし、アムールは俺が投げを行う瞬間に、更に力を込めて斧を引き抜こうとする。なので、俺は無理に投げるのを止め、手を離した。
するとアムールは、急に抵抗が無くなった為、後ろにひっくり返りそうになってしまう。
「ふっ!」
その隙を逃さずに、俺は拳を振るう。
その一撃は、あと少しでアムールの顔面を捉える所であったが、アムールの腕があと少しと言うところで割り込んで来た。
しかし、体勢不十分での防御であったので、俺の拳はアムールの腕ごと顔面にダメージを与える事に成功した。
そのままアムールは後ろに転んだが、転んだ勢いを殺さずに後転して立ち上がった。
立ち上がった瞬間、アムールは俺の追撃に備えるような構えを見せていたが、俺は追撃を行うよりも剣を拾う事を優先させたので、またも戦いの流れが途絶え、仕切り直しの形となってしまう。
剣を構え直してアムールを睨む。アムールは小柄な体のどこにそんな力を秘めているのか?と思うくらい、身の丈以上ある斧を振り回して構えを取った。
そしてアムールが先に突進してきた。今度はただの突進で、ブランカの技を使っているわけでは無いが、それでもかなりの速さである。
この一撃を受けてしまうと、最初の時と同じように飛ばされてしまう可能性が高いので、今度は避ける事に集中をするが、アムールは斧を振るそぶりだけを見せて、更に突っ込んできた。
「むん!」
そんな掛け声とともに、アムールは斧では無く拳を振りかざした。
俺は剣の間合いに入って来たアムールを、剣で切り伏せようとしたが、一瞬だけ躊躇してしまった。
その為、アムールの拳が俺の顔に当たり、後ろに倒れそうになる。アムールは、ここぞとばかりに追撃を仕掛けて来るが、二発目は何とか首をひねって躱した。
二発目を躱したところで、アムールは斧を振るおうとしたが、これは俺の一撃の方が早かった。
アムールは反射的に斧の柄で防ごうとするが間に合わず、横っ腹に剣が当たった。
しかし、俺とアムールの距離が近かった為、思ったほどの威力が出ずに、アムールを引きはがす事が出来なかった。
しかも、アムールに剣を掴まれてしまい、俺は無防備な状態を晒してしまった。
そこに振りかざされる斧。アムールは斧の柄を短く持って、俺に刃の部分が当たるように調整していた。
「くらえ!」
アムールは上から叩きつけるようにして斧を振るってくる。俺は斧が落ちて来る一瞬前に、アムールの肩を掴み、自分の方に引き付けるようにして体を密着させた。
そして、そのついでに頭突きを食らわせる。続けてボディ、アッパーカット、最後に大外刈り。
かなりの勢いで地面に叩きつけたが、止めを刺す前にアムールは転がりながらその場を離れていった。
しかし、流石に斧は落としていったので、遠慮なく遠くへと投げさせてもらった。
だが、思った以上に斧は重く、5mも飛ばなかった。
「降参は……しないみたいだな」
ふらふらになっているアムールではあったが、その目は試合開始前より鋭くなっている。
まだ諦めていないみたいだし、ジンはこの状態のアムールにやられたので、油断はできない。
その証拠に、アムールの雰囲気に変化が現れ始めた。それまではまだ人間の気配であったが、今のアムールは獰猛な獣……ブランカが本気を出した時の感じに似ている。
「フガァアアーーー!」
斧の無い状態で、直線的に突っ込んで来るアムール。どうやら、防御は考えていない様だ。
無造作に突っ込んで来るアムールに、俺はカウンターを合わせようと構えたが、アムールはかまう事無く走って来る。
そんなアムールに対し、俺は袈裟切りを仕掛けるが、なんとアムールは左腕を盾にして防いでしまう。
「痛く……無いっ!」
アムールは左腕を魔法で強化しているみたいだが、剣から伝わる感触から、最低でも左腕の骨にはひびが入っているはずだ。それに、苦痛に歪む顔から、明らかにやせ我慢だと分かる。
そして、痛い筈の左腕を使って剣を掴み、右手で殴りかかってきた。
俺の顔面目掛けて伸ばされる手を、顔をそらして躱そうとしたが、アムールは躱される直前に指を突き出し俺の目を突こうとしてきた。その為、指が伸ばされた分だけ回避が間に合わず、目には当たらなかったが、左のこめかみ辺りにかすり、血が流れてきた。
俺の流血に会場がどよめく。アムールは勢いに乗って攻撃を続けて来るが、主導権を渡すわけにはいかない。
俺はアムールに掴まれている剣を手放し、右手の指で目を突きに行くそぶりを見せる。
アムールは俺の指が伸びたのを見て、そちらに気を取られた様だ。なので、右手を途中で引っ込めて、代わりに左でアムールの顎を打ち据えた。
俺の左拳は綺麗にアムールの頭を揺らし、そのまま崩れ落ちるかに見えたが、アムールは完全に崩れ落ちる前に俺の体に抱き付いてきた。
「捕……まえたっ!」
アムールはがっちりと俺の体に腕を回し、強引に俺を持ち上げようとする。俺もすぐに腰を落として抵抗するが、俺より小さなアムールに下にもぐられている為、思うように踏ん張る事が出来ずに宙に浮いた。
そして、そのまま横に投げられてしまった。アムールの投げが強引であったので、俺はろくに受け身も取れずに地面に叩きつけられた。しかも、叩きつけられた直後に、アムールに足を掴まれ、そのまま振り回される。
アムールは、片手で俺を捕まえて振り回しているのに、特に無理をしているわけではなさそうだ。
多分、純粋な力だけでは今大会一番であろう。
俺は何度か地面に叩きつけられそうになるが、その度に魔力で強化した手で地面を叩いくようにして回避している。だが、そう何度も成功しそうには無い。
数度目の地面との激突の瞬間、俺は地面を思いっきり殴り、地面に拳をめり込ませた。
めり込ませた拳のおかげで、アムールに振り回されていた俺の体は一時的に動きが止まり勢いが消えた。
その隙に、俺は逆立ちをするような感じで力を入れて、アムールから逃れようとした。
だが、それくらいではアムールは手を離す事はせず、逆に俺の脚に抱き付いて来ようとした。
このままでは足関節を決められてしまう。そう判断した俺は、アムールが足に抱き付くより早く、地面に叩きつけた。
アムールは、抱き着こうとするのを止め、激突を避ける為片手を地面につけて防ごうとしたが、それが俺の狙いだった。
アムールの意識が地面に向かい、地面に手をついた瞬間を狙って、掴まれていない方の脚でアムールを蹴り飛ばした。
蹴りは顔面に命中し、アムールは耐え切れずに俺の脚から手を離した。
そのままアムールは急いで俺から距離を取ったが、それは俺にとってもありがたかった。
何せ、中途半端な体勢から体を無理に伸ばしたので、起き上がるので精一杯であり、ここでアムールが無理にでも攻めて来ていたら、おそらくは中腰の様な体勢で戦わなければいけないところであった。
何度目かの仕切り直しで、互いに間を取って構えた。
一見、最初からやり直しの様にも見える。しかし、アムールは大きく肩で息をしており、確実に俺に有利な状況へとなりつつあった。
俺の方は体中薄汚れており、装備(皮鎧)のいたる所に擦り傷があるが、致命的なダメージは無い。こめかみの傷も血は止まっている。
一方アムールは、体の方は見た感じ俺と同じような状態だが、顔の方は俺と違っていた。
アムールはかなりの量の鼻血を流しており、息がしづらそうになっており、それが原因で肩で息をしているのだと思われる。
あの鼻血量を見るに、おそらく鼻の骨が折れているはずだ。少しだが鼻が曲がっている様にも見える。
俺はアムールに降参するか聞こうとしたが、それよりも先にアムールは鼻をつまみ、強引に鼻の曲がりを修正し、ギュッと力を入れた。
すると、鼻血がほとんど止まり、呼吸も整って来たようである。
「もう大丈夫。続きを……」
そう言ってアムールは軽く礼をしてくる。おそらく、俺がわざわざ治療を待った、と勘違いしたようだが、俺はただ単に女の子が自力で鼻の曲がりを治し、血を止めたのに驚いて動きを止めただけの事だった。
最も、降参勧告をしようとしていたくらいなので、あのままアムールが治療の為の行動を起こさなくても、俺から攻撃はしなかったと思うが、好機を逃したのには違いない。
しかし、観客達には中には俺が攻撃をしなかった事を『紳士的な行為』、とでも勘違いしたのか拍手が起こっている。
少し恥ずかしいが、照れている暇など無く、俺とアムールは互いの隙を伺っていた。
俺とアムールの武器は、互いに離れた位置に落ちており、取りに行く余裕はなさそうだ。
バッグから新しい武器を取り出すにしても、そんな時間は取らせてもらえないだろう。
そうなると素手での勝負となる訳だが、それはアムールも望むところの様で、いつでも飛びかかれるような姿勢になっている。
そんなアムールの鼻血はもう止まっており、息の乱れも収まっている。魔法を使った形跡は見られなかったので、よっぽど回復力が高いのか、他の理由があるのかだろう。
多少医療をかじっている身としては気になるところではあるが、今はそんな事を考えている暇はない。
じりじりとすり足で差を詰めて、いよいよアムールが俺の間合いに入って来た。その瞬間……
「ガァッ!」
獣の様な声を出し、アムールが大きく動いた。
アムールは右手を上段から大きく振り下ろし、俺を叩きつけようとして来る。かなりの速度で迫って来たので、これが不意打ちであったら直撃を受けていただろうが、俺はこの攻撃を予想していた。
なにせ、雰囲気がブランカの様になったので、二人が知り合いであり親しそうだった事から、おそらく攻撃方法も似たようなものがあるだろう……と思い、カウンターを狙っていたのだ。
俺の狙い通りの展開となったので、半身になりながら軽くステップを踏んで避け、左で殴りかかろうとした。
だが、そこから想定外の出来事が立て続けに二つ起こった。
まず一つ目は、アムールの攻撃が鋭すぎた事で、カマイタチのような現象が発生し、俺の腕を切り裂いた。まあ、切り裂いたと言っても、引っかかれたようなものであったので、傷自体は大した問題では無かった。
問題だったのは二つ目の方だ、腕を振り下ろしたアムールが、そのままの勢いで一回転したのだ。
これにはさすがに驚き、拳を振り抜かずに引っ込めてしまった。
「んりゃっ!」
そのままアムールの踵が俺を襲う。プロレスで言うところのフライングニールキックだ。
引っ込めた左腕でガードするが、ガードした腕ごと押し込まれた。
アムールは小柄な分だけ体重が軽いので、そのまま押し倒される事は無かったが、それでも肩の骨が折れ、膝を突いてしまうくらいの威力があり、左腕が上がらなくなってしまった。
「んっ!」
俺が膝を突いた隙に体勢を整えたアムールは、続けて右足でのミドルキックを放つ。
俺はこの蹴りを間一髪で転がって避けた。だがアムールの攻撃は止まらない。
転がる俺を追いかけて、踏みつけて来る。
何mか転がった所でアムールに隙ができ、勢いをつけて立ち上がった。
それでもアムールは攻撃の手を休めずに、体当たりを仕掛けて来る。
俺は、向かってくるアムールを跳び箱に見立てて片手で跳び、宙返りをうって着地する。
着地した時に、先程から痛みがあった肩が、更に痛みを増したが、我慢して一旦アムールから距離を取ってから、肩に魔法をかけて治療した。ただし、時間が無かったので、骨を繋げる事に集中し、痛みを取るのは二の次とした。その判断は正しく、肩の骨を繋げたところでアムールが迫って来たので、治療を中断し、迎撃態勢をとった。
そこからは乱打戦となり、互いに足を止めて殴り合った。
だが、殴り合いは長くは続かなかった。
序盤こそ力で勝るアムールがその剛腕を振るってきたが、アムール自身の技術はそう高い物では無く、また、ここまでのダメージからか、時間が経つにつれて大振りでの空振りが目立ち始めた。
対して俺は、アムールの攻撃が直撃しない様に注意し、回避に重点を置いてカウンター主体の勝負に出た。
ダッキングやスウェーを使い躱し、パーリングでアムールの拳を叩き落とし、カウンター気味にパンチを放つ。
肩の痛みもあるので、拳を振り抜けば逆にバランスを崩して隙を見せかねないので、一発一発を小さく確実に当てる事に専念する。
他にも、テレビや本で読んだボクシングの技術を思い出しながら真似していく。
うろ覚えのぶっつけ本番でも、子供の頃に遊び半分でやった事は意外と覚えている物だ。
この世界ではこのような技術は確立されておらず、例え中途半端な練度でもその効果は抜群だ。ボクシングの技術は殴り合いに特化しているだけあって、世界を超えてもその有効性は変わらなかった。
そんな前世の技術も駆使した俺の拳が、動きの鈍り始めたアムールの顔を捉えるのは時間の問題であった。
そして、その時はやって来た。
『紳士的な行為』について感想がありましたので補足します。
作中に出てきた『紳士的な行為』は、テンマの中での、冒険者基準で、です。
観客には、殺し合いに近い殴り合いの中で相手に治療の時間を与えた、と見えた為、拍手が起こった感じです。
冒険者の中には野蛮な者も多いので、鼻の骨を折っているアムールに攻撃せずに応急処置させた事を、観客は『冒険者にしては珍しい行為』とみて、テンマは拍手に対してそれくらいしか思いつかなかった為、近そうな言葉として『紳士的』を使いました。