第20章-13 変貌
見た目も完全に化け物となった女は体の調子を見る為なのか、軽く肩を回した後で十に枝分かれした左腕を軽く振るった。
見た感じ、女の左腕は肩から一番長い腕の先端まで大体二十mと少しと言うくらいで、弛みなどを加味してもニ十五mまでは無い。
それに対して俺は女から五十m以上離れているので、目算通りなら鎌のほとんどが俺と女の中間辺りで空を切るはずなのだが……
「伸びた!」
全ての腕が倍以上に伸びて、俺の居るところまで届いた。
距離が離れていたおかげで、俺は女の攻撃を余裕を持って躱すことが出来たのだが、空ぶった十本の鎌に抉られた地面には、長さ十m以上はあろうかという穴が一瞬で出来ていた。
(なんていう威力だ! 俺が王都で作った堀よりも、深さと幅があるぞ!)
あんなものがまともに当たれば、俺の体は一瞬でひき肉にされてしまう。掠っただけでも致命傷になるはずだ。
(ワイバーンなんて今の俺なら百いようが敵じゃないけど、使える部分だけを抽出して作り直せば、これほど厄介になるのか)
もちろん、それを行ったのが化け物だから厄介なことになっているというのもあるだろうが、左腕だけであれなのだ。太くなった右腕にも何か隠されているかもしれないし、女の下半身の下にある龍を模した胴体など、明らかに怪しさ満点だ。
女の下半身……むしろ、龍の首の先に女の上半身がくっついているように見えるが、その龍の部分は鱗に覆われて見るからに固そうな、一般的に思い浮かべる龍の体とは違い、全体的に細い……いや、細すぎる。
まるで、芯となる骨に筋肉や筋を巻きつけたかのようなその肉体は、不要なものなど存在していないとでもいうかのようだ。その様子は、腹部に一番現れている。
胴体部分の胸部はある程度の厚みがあり、肋骨の形が見て取れるのだが、その下にあるはずの腹部は完全につぶれている。もしかしたらあるのかもしれないが、あの様子では例え内臓が存在したとしても、それらしい形のものが入っているだけで、その役目などは果たせないだろう。それよりも、
(もしあの胴体の全てが左腕と同じもので出来ていたとしたら……)
左腕と同じような伸縮性を持ち、そこから生み出される破壊力は桁違いだということだ。まともに正面から当たれば、重さで負ける俺に勝ち目はない。おまけに、あの女の変化は細かなところまで起こっていた。
(大鎌に刃が生えたか……下手に小烏丸で受けたら絡めとられるな)
よく目を凝らしてみると、女の大鎌にノコギリの刃のようなものが生えているのが分かる。あれのせいで、小烏丸で大鎌を受けることが出来ないのだ。
(腕を一本一本切っていくか? それとも、女の首を狙うか?)
しかし、一本目の腕を切り落としたとしても、二本目に取り掛かっている間に再生しないとは限らないし、首に関しても同じだ。女の首を切り飛ばしたとしても、それで女が死ぬとは思えないし、魔物の弱点の一つである魔核を破壊しようにも、女の頭部、胸部、龍の胸部と、魔核がありそうな場所は複数あるし、あいつのことだからそれ以外の場所に移動させている可能性もある。
様子見の為に、さらに距離を取ろうとするが……
「グァァァアアアア!」
女が後ろに一歩下がったかと思うと、いきなり雄たけびを上げた。そして爆発音が聞こえ……次の瞬間には女の大鎌が目前まで迫っていた。
雄たけびに気を取られたとはいえ、その時間は一秒にも満たないはずだ。それに、爆発音に反応して、俺はさらに距離を取ろうとしていた。ただ、女の方が速かっただけだ。俺が爆発音を聞いてから距離を取ろうと動き出す間に、女は百m近い距離を詰めて腕を振るっていたのだ。
だから、俺が女の攻撃を躱せたのは奇跡かもしれない。たまたま俺に直撃する腕が他の腕よりも遅れていて、その遅れた分だけ下がることが出来たのだ。ただ、大鎌自体は躱せたが、大鎌が起こした真空の刃までは完全に躱すことは出来ず、俺の胸を切り裂いた。
(大丈夫、切られたのは肉だけ……魔力の込められた攻撃じゃないから、わき腹の傷よりも治りは早い)
胸の傷は割と深いもので血もかなり出ているが、その傷は回復魔法ですでに塞がりつつある。
(くそっ! せっかく能力が互角まで上がっていたのに、あいつが無理やり肉体を強化したせいで差を広げられた!)
俺が亜神の能力に慣れればあいつとの力は逆転するはずで、その時は目前まで来ていたはずなのに、あいつの反則技とも言える能力のせいで差は逆に開き、俺が力を完全に使いこなせたとしても勝てるか分からないくらいあいつは強くなってしまった。
(今は回避を優先しないと。最低でも、俺が力に慣れるまでは……それでも勝てる可能性は低くいけれど、今のままだと絶対に勝てない)
俺は女に背を向けて逃げ出した。もしこれで女が俺を無視してどこかへ逃げてしまえば、これまでしてきたことの全てが無駄になってしまうが、今のあいつはそれを選ばないという確信があった。
これまでそれであいつは何度も痛い目に遭ってきているし、戦い方を覚え始めたあいつが、俺よりも格段に強い状態で、さらに絶対的に有利な状況にある中で俺を逃がすはずはないと考えた。そして、それは当たりだった。
女は逃げる俺に向けて腕を振るい、届かないとみるとまた大地を爆発させながら追いかけてきた。最初の爆発音は、女が地面を蹴った時の音だったのだ。
女は龍を模した脚で馬のように走るのではなく、カエルのように力を溜めて地面を蹴っていたので、あっという間に俺との距離を詰めることが出来たということだ。
確かにあの速度は驚異的で、一瞬でも目を逸らしてしまうとその次の攻撃の餌食となってしまうだろうが、その動きは直線的で力を溜める時は予備動作があるので、それさえ気を付ければ躱すことは可能だ。ただ、その後に続く腕による攻撃に関してはタイミングの予測が難しいので、フェイントを仕掛けながら攻撃範囲を予想して、それ以外の場所に全力で逃げるくらいしか出来なかった。だが、今のところはそれが上手く言っている。もっとも、いつ女がフェイントに慣れるか分からないので、何度も使うことは出来ないが、三回目の攻撃をかわしたところで俺は『大老の森』に逃げ込むことが出来た。
森の中だと障害物のせいで逃げる速度は落ちるものの、『隠蔽』のおかげで女は俺の姿が見えないので攻撃は勘が目視に頼るしかなく、その分だけ女の方も速度を落とさざるを得なかった。
(亜神の力にも慣れてきたけど……やっぱり足りない)
森の中を逃げる内に亜神の力の使い方にも慣れてきたが、それでもあの女を倒すにはまだ足りない。もしあの女が最初の状態のままだったなら、今の力でも倒すことは可能だったのに……
俺が力不足に苛立ちを覚えているように、女の方も俺に攻撃を当てられないことに苛立ちを覚えているようで、左手の大鎌の攻撃だけでなく、右手でも魔法を放つようになってきた。
女の攻撃は苛立っているからか、少しでも怪しいと思ったところにめちゃくちゃな攻撃を仕掛けていた。
それは、左の大鎌を何度も振るって木々を粉々に砕いたかと思えば、右手から魔法を放って木を燃やしたり地面を爆発させたり、整地でもするかのように地団駄を踏みながら走ったりと攻撃の法則がまるで読めず、何度か魔法を食らいそうになってしまった。
しかし、攻撃がめちゃくちゃになった分だけ隙も大きくなり、少なくとも大鎌による攻撃は届かないだろうというところまで差を広げることが出来た。
これで少しでも態勢を……と思ったところで、いきなり目の前の風景が変わった。
「ここは……ドラゴンゾンビと戦ったところか?」
かなりの年月が経っているのにすぐに気が付けた理由は、地面に刻まれた渦状の跡のおかげだった。
(木どころか、雑草もほとんど生えてない……それだけドラゴンゾンビが穢れていたということなのか?)
森の中で何の手入れもされない空き地が十年近く放置されていたというのに、特に生命力の強い雑草を除けば、若木どころか苗木と呼べるサイズの木すら生えていなかった。
他のゾンビや防衛の為に俺たちが荒らした場所は、元通りかそれ以上に木や草が生えているので、この場所がいかに異様であり、それだけドラゴンゾンビが特異な存在だったのかが分かる。
「まずい!」
この場所への懐かしさや異常さに、逃げていたことを一瞬忘れて足を止めてしまった。そこに上空から俺の進路を塞ぐように、魔法が降り注いだ。
あまりのタイミングの良さに、女は苛立った振りをして俺をここに追い込んだのではないかと言う疑問がわいた。もしもここで足を止めていなかったら、あの魔法は直撃もありえた。
そう言った意味では、俺に運があるという証拠でもあるが……もしかしたら、あの魔法の方が逃げ切る可能性が高かったかもしれないので、あるのは幸運ではなく悪運なのかもしれない。
「逃げるのはここまでか……やるしかない!」
振り向くと同時に、俺の居る場所へ十本の大鎌が襲い掛かってきた。力に慣れた分だけかわすのは容易くなってはいるが、力は上がったとしてもこの体の耐久力はあまり変わっていないので、掠っただけでも致命傷になるのは間違いない。
いつも頼りにしている小烏丸も、あの女の武器とは相性が悪い。少なくとも、あの大鎌をどうにかするまでは、小烏丸ではなく魔法で戦う方がいいはずだ。
(肝心の魔法が、あいつに効果的かは微妙なところだけどな)
一応、一本の大鎌に対して魔法を数発当てれば破壊することが出来ている。しかし、次の大鎌を標的にしている間に、破壊したはずの大鎌は半分以上再生してしまう。まるでイタチごっこだ。しかも最悪なことに、それは上手く行っている状態での話なのだ。
実際には一本目を破壊しようにも残りの九本が邪魔をするので、連続で同じ腕に魔法を当てることすら困難であるし、女には十本の左腕の他にも、魔法をつかう為に残している右腕もある。よくてイタチごっこ、普通でジリ貧、悪くて一方的になぶられる状況だ。
今のところは女の詰めの甘さもあって一方的な展開になっても長くは続いていないが、女も成長していることを考えればその詰めの甘さがいつ消えてしまってもおかしくはない。
(戦い方を変えるしかないか?)
「『ストーンブリット』!」
女の龍の胴体に向かって石の弾を飛ばしてみたが、当たった場所に小さな傷がついたぐらいで、全くと言っていい程ダメージを与えることが出来なかった。
(一応、ワイバーン程度なら楽に貫通するぐらいの威力はあるはずだったんだけどな……まあ、予想の範囲内か)
あれくらいの威力で傷付くということは、胴体の方が左腕よりも強度が低いということだ。まあ、低いとは言ってもあまり差は無いが……細い腕よりも胴体の方がはるかに当てやすいので、やはり的を変えた方がいいようだ。
出来るだけ大きなダメージを与える為にも、俺はわざと威力を押さえた魔法を女にあて続けた。女からすればそれは、これまで通り腕を破壊する為の攻撃か、女の攻撃から逃れる為のけん制のように見えるのだろう。それまでと違う動きを見せる様子はなかった。
「今だ!」
適当に放った魔法が女の顔に当たり、視界を少し奪ったタイミングで、俺は腕にある神から貰ったマジックバッグから武器を取り出し、魔力を込めて投げつけた。
回転しながら女に向かって飛んで行く六つのそれは狙い通り龍の胴体部分に命中し、四つが完全にめり込み……残りの二つは貫通した。
「ギヤァアアアアー--!」
俺の持っている武器の中で、タニカゼの体から作った手裏剣はある程度のダメージを与えることが出来るだろうとは思っていたが、投げた全てが想像以上の威力を発揮したことに驚いた。
(なんにせよ、嬉しい誤算だ)
貫通してどこかに飛んで行った手裏剣を手元に呼び戻し、追加を三枚取り出して再度女に投げつけた。そして、今回の手裏剣も全てがめり込むか貫通したので、最初の攻撃はまぐれでも何でもないというのが確認できた。
通用した理由ははっきりと分からないけれど、魔鋼以上の素材を使った武器だから通用した可能性が高い。ただ、魔鋼以上の素材で出来ている武器はいくつも持っているものの、投擲に適した武器はこの手裏剣以外持っていないので、しばらくは手裏剣を中心に戦うことになるだろう。
(十数枚しか持ってきていないけど、サモンス侯爵家の魔法のおかげで破壊されるまでは手元に戻すことが出来るのが救いだな)
女の大きさに対して手裏剣はとても小さな武器ではあるが、それでも回数を重ねればある程度のダメージは期待できるだろう。
(攻撃した端から回復されるだろうけど、末端と中心部付近では痛みの質が違うだろうし、単純に攻撃手段が増えたと考えれば、さっきまでよりは状況は良くなっているはずだ)
女の方も、まさかこんな小さな武器が自分にこれ程のダメージを与えるとは思っていなかったようで、大鎌の攻撃の速度と正確さがかなり落ちていた。
鎌の攻撃が雑になった分だけ楽になると思ったのだが……女は、またも苛立ちからか、もしくはそれが一番効果的だと判断したのかは分からないが、その場で回転しながら左腕を振り回し、右手で魔法を乱射し始めた。これにより、飛んでくる手裏剣と逃げ回る俺を同時に排除するつもりのようだ。
(めちゃくちゃなくせに、それが効果的だから厄介だ)
力が桁違いに優る相手が力押しで来ているだけでも厄介なのに、回転による遠心力も加わって破壊力はさらに増している。
(それに、思い出したように魔法を飛ばしてくるせいで、飛び出すタイミングが取りづらい……)
ここで隠れて女の攻撃をやり過ごせるのならそれが一番かもしれないが、いつ俺の方に進路を変えるか分からないのでもう少し離れたいのだが、たまに飛んでくる魔法のせいで動くタイミングが掴めずにいた。
(魔法を食らわせるにしても、生半可なものだと効き目はないだろうし、かと言って大技だと魔力を込めている間に鎌が飛んでくるはずだ)
何にせよ、隠れたままでは状況は改善されないので、半ば賭けになるが危険を承知でここから飛び出すしかない。余程運が悪くない限りは魔法の直撃は無いだろうし、俺の姿を見れば女も回転を止めるだろう。そう考えた丁度その時、俺の隠れているところ目掛けていくつもの岩が降り注いできた。
それはたまたま女の大鎌が地面を抉った時に巻き込まれたもので、隠れている俺を狙ったものではないだろうが、その岩を避ける為に隠れていた場所から反射的に飛び出してしまった。女に対し、無防備とも言える体勢で……
「しまっ……『ギガント』!」
飛び出したすぐ後で今の状況に気が付いた俺だったが、その時にはすでに女の腕は俺に向けて振るわれようとしていた。
とっさに『ガーディアン・ギガント』を呼び出して盾にしたが……リッチとの戦いで酷使されたギガントでは勢いの乗った十本の大鎌を防ぐことは出来ず、俺は粉砕されたギガントの破片と共に吹き飛ばされた。
「ぐっ……がっ!」
ギガントは粉砕されたとはいえ盾の役割はしっかりと果し、俺は大鎌の直撃だけは免れた。しかし俺は勢いのついたまま、百m以上も全身を打ち付けながら森に突っ込んだのだった。
もしも亜神になって居なかったら、ギガントを破壊されるか森に突っ込んだ時点で死んでいただろう。しかし、亜神の体であっても今受けたダメージはすぐに動けるものではなく、女の追撃を受ければ死は免れない……はずだった。
(何であいつは俺に回復させる間を与えたんだ?)
俺としては一か八かのつもりで自身に回復魔法をかけたのだが、その場から動けるようになるどころか戦えるくらいにまで回復魔法を使っても、女は攻撃を仕掛けてこなかった。
(何か企んでいるのか? いやでも、回復するまで待つ意味が分からない)
俺が動けるまで、時間にして一分も経っていない。そこからさらに回復魔法を使って、およそ二分程……どんな企みがあるのか知らないが、俺を殺せる絶好の機会に二分もほったらかしにする意味があるとは思えなかった。
「ダメージを受けてさらに不利になったけど……腹をくくるしかないか」
これ以上機会を窺う為に逃げ隠れしても、それは俺が不利になるだけだと判断し、意を決して森から飛び上がった俺が見たものは……
「何を……しているんだ?」
身もだえるようにしてたたらを踏む女の姿だった。