第20章-5 災厄の接近
死神SIDE
あいつが地下のダンジョンの主である『古代龍』を味方につけることに失敗したことは、とりあえず喜ばしいことではあった。けれど、未だにこの世界の危機は継続中だ。出来ることなら、あの古代龍の骨があいつを倒してくれればよかったのに……
「とにかく、これで破壊神が出向かなくてもよくなった」
「まあ、まだ少し時間が伸びたと言ったところだがな」
「それでも、対策を練る時間が出来たのはありがたいわよ」
創生神も武神も、一時的にしろ最悪の事態を免れたことに胸を撫で下ろしているようだ。
「そうも言ってられない。あいつ、古代龍の骨の代わりに、最深部にあったヘビの死体を手下にした」
あいつは器用なことに、古代龍を手下に出来ないとみると戦闘中にもかかわらず、近くにあった大蛇を代わりに手下に変えていたらしい。
生きている時はかなり強力な魔物だったみたいだけど、死んでからかなり時間が経っているせいでその能力は大幅に低下しているはず。けれど、その大きさは人間にとっては脅威ではある。
「上のダンジョンの最下層に、マーリンが到着した。それとほぼ同時に、雑魚が穴から出始めている」
「戦力はスラリンにシロウマル、ディンにジンか……王国では最高クラスの戦力で、古代龍は無理でも中級……いや、上級の龍なら倒せるくらいの戦力だね。でも……」
「あの女には敵わない……か。でもそれは、マーリンも分かっているだろう」
「多分、勝ち負けよりも、いかにテンマちゃんを救出するかに重点を置いているのでしょうね。だから雑魚が溢れて来ても魔法は極力使わずに温存しているんでしょう」
「しかし、問題はどうやってテンマを助け出すかだが……」
「それについての方法はある。問題はその方法にあいつらが気が付いているかということと、それを実行に移せる能力と余裕があるかだ」
技能神の言う方法とは、以前テンマがやっていたマジックバッグとマジックバッグを繋ぐ方法の応用で、テンマが吸い込まれた辺りとディメンションバッグを繋いで、繋いだ方からテンマを引っ張り出すと言うものらしい。ただ、技術的にマーリンたちでは成功率が一割あるかどうかだと、技能神は険しい顔をして言った。
「マーリンたちがあいつと戦闘を開始した!」
マーリンたちは、序盤こそ創生神たちの想像を超える善戦を繰り広げたけれど、それもあいつの手のひらの上だったようで、大蛇のゾンビが現れてからは一気にマーリンたちは追い込まれていった。
あのヘビのゾンビ……あの女は、戦力としてではなく、最初から回復の為の生贄として利用するつもりだったようだ。あの蛇のゾンビに雑魚どもを吸収させて力を蓄えさせ、最終的にヘビが蓄えた力ごと自分の回復に使用するつもりだったのだ。やはりあいつは侮れない。そのずる賢さで、あの時も創生神たちの目をごまかしたのだろう。
「あいつのやらかしたことだから、その尻拭いは私がしないと……」
皆は止めるだろうけど、誰かが犠牲になる必要があるなら、破壊神よりも先に私がなるべき。それに、あいつに出来て、私に出来ないことは無いはず。
「それが、現死神の使命」
あいつが自分勝手な理由で地上に被害を出し皆に迷惑をかけ、今また世界を混乱に陥れようとするのなら、私が止める。多分私なら、ここに居る誰よりも上手くやれる可能性が高いから。
そう決意を固め、少しの機会も逃さないように神経を研ぎ澄まし……
「今!」
マーリンがあいつ……元死神の胸に小烏丸を突き立て、あいつのディメンションバッグがわずかに開いた瞬間を狙い、私はあいつの中へと飛び込んだ。小烏丸を握ったままの、マーリンの千切れた腕と共に……
死神SIDE 了
ジャンヌSIDE
「そうですか。王国軍はゾンビに押されていますか……」
サンガ公爵家とシルフィルド伯爵家の騎士が立て続けに持ってきた情報を聞いて、プリメラさんは表情を曇らせていた。
「王都から逃げるなら、そろそろ覚悟を決めないといけないと思うけど、どうするんだい?」
ケリーさんは、プリメラさんにやんわりとこのまま王都に留まるのかそれとも脱出するのかを決めろとの選択を迫っている。
難しい判断であると思うけど、テンマとマーリン様がいない以上、オオトリ家の責任者はプリメラさんしかいないし、今オオトリ家の敷地内に居る人たちは全員、事前にプリメラさんの判断に従うと誓っている。
「失礼します!」
判断に迷っているプリメラさんの下に、新たなサンガ公爵家の騎士が、
「中立派の連合軍が敗走ですか! しかも、敗走させたのは地龍のゾンビですって!?」
更なる戦場の変化を伝えに来た。
「敗走! 中立派は大丈夫なんですか!」
中立派の連合軍を率いているのはマスタング子爵で、出陣前にわざわざあいさつに来てくれていたのだ。
マスタング子爵とは小さな頃に何度か会ったことがあるらしいけれど私は覚えておらず、私にとってはクーデター騒動の時が最初の記憶だった。しかしその後、王都で時間が合う時はたまにオオトリ家を訪ねてきて、お土産をくれたりお父さんの話をしてくれるくらい目をかけて貰っている。
そんな親戚のおじさんのような子爵が敗走したという報告に、私は思わずプリメラさんを押しのける形で公爵家の騎士に詰め寄ってしまった。
騎士は、一度プリメラさんに目配せをして頷くと、私に中立派の敗走について話し始めた。
その話によると、一度態勢を整える為に後方に居た別の中立派の部隊と交代しようとしていたところに、数体の四つ腕の化け物が突進してきて暴れたらしく、その混乱から軍の動きが鈍ったところに地龍のゾンビが襲い掛かったそうだ。地龍のゾンビは四つ腕の化け物程ではないが動きが速かったそうで、接近に気が付くのが遅れた中立派はかなりの被害を出してしまったそうだ。ただ幸いなことに、動きが速いとはいえ馬の脚程ではなかったそうで、部隊の真ん中あたりに居たマスタング子爵は怪我をすることなく戦場から離脱出来たとのことだった。
そのことに安堵したものの、地龍のゾンビは速度を落としつつも王都に向けて移動しているそうで、そのまま接近を許してしまえば、恐らく王都を護る城壁は破壊されてしまうだろうとのことだった。
「プリメラさん! 私の持っているサソリ型なら、多分止められます!」
もしこれが普通の地龍なら、サソリ型ゴーレムでも止めることは難しいだろうけど、今のサソリ型はテンマによって何度か改良されて強化されているし、ゾンビとなって能力の落ちている地龍なら十分勝算はあるはずだ。しかし、
「待ちな、ジャンヌ! そのサソリ型ゴーレムはテンマに預けれらたものなのだから、あくまでもオオトリ家の為に使うべきだよ! わざわざ危険なところに持って行って、オオトリ家の守りを減らす必要は無いはずだ!」
プリメラさんではなく、ケリーさんが待ったをかけた。
確かにオオトリ家の傘下に加わったとは言え、ドワーフの鍛冶師集団と言う戦力を引き連れてきたケリーさんは、軍で言えば部隊長のような立場に立っている。
その為、オオトリ家の関係者とは言え、奴隷でありメイドである私の発言に真っ向から反対したのだと思う。
しばらくの間ケリーさんが私を睨んでいると、
「ケリー構いません。ジャンヌ、中立派への援軍をお願いします。ただし最悪の場合、サソリ型ゴーレムを破棄し、中立派を見捨てでも無事に戻ってきなさい」
「いいのかい?」
「ええ。マスタング子爵を始めとした中立派の中心にいる貴族には、オオトリ家に友好的な家が多くあります。ここで援軍を出すのは、後々のことを考えれば大きな意味を持ちます。それに、例えサソリ型ゴーレムを失う結果となったとして、王都から逃げ出す状況に追い込まれたとしても、援軍を出したという理由で中立派を戦力として数えることも可能だと思いますから」
王都の内部まで攻め込まれる状況になれば、それはほぼ王国側の敗北と見るしかない。そうなればオオトリ家だけでなく、中立派の部隊も逃げ出すだろうから、それらの部隊の協力を得られればサソリ型ゴーレムの抜けた穴を塞ぐことは可能と言う判断らしい。
「ジャンヌ、移動はソロモンにお願いしてください。今この状況で、オオトリ家の者が街中を歩くのは危ないですから」
「なら、私も護衛としてついて行くよ!」
「お願いします。もしジャンヌが退却を渋った時は、気絶させてでも連れ戻してください」
「了解! 行くよ、ジャンヌ」
「はい! ありがとうございます、プリメラさん!」
プリメラさんに頭を下げてケリーさんと外に飛び出し、中庭で寝ていたソロモンに事情を話すとひと鳴きして首輪を外した。するとソロモンの体は私とケリーさんの二人が十分乗れるくらいに大きくなったので背に跨った。けれど、
「ちょ、ちょっとソロモン、飛ぶのはまだ待って!」
ソロモンの背中には翼以外に掴むところがなく、ソロモンが体を起き上がらせただけで私とケリーさんは滑り落ちそうになってしまった。
「お前ら、どうにかしろ!」
「ちょっと待ってください……これで体を固定して!」
すぐにケリーさんが周りで見ていた従業員の人たちに指示を出すと、すぐに手綱と体を固定する為の道具を即席で作ってソロモンの体に装着してくれた。即席だから少し強度に不安があったけれど、短時間なら問題ないようなのでソロモンに改めて中立派の居る方角の城壁まで跳んでもらうと、王都の外が見えるにつれて戦場の音が聞こえ始めた。
「ソロモン、あそこ! あそこに降りて!」
城壁の上に居た貴族たちの内、ソロモンに持たせていたオオトリ家の旗に気が付いたいくつかの貴族が場所を空けてくれた。そのうち、私はマスタング子爵家の家紋がある場所にソロモンを誘導すると、降りてすぐにマスタング子爵家の騎士が駆け寄ってきて状況を説明してくれた。
「それじゃあ、マスタング子爵は無事なんですね」
「はい。しかし、地龍のゾンビは中立派に目を付けたらしく、ゆっくりとこちらに向かってきております。ですので子爵は体勢を整え次第、もう一度前線に出るとのことです」
「子爵に出撃は少し待つように連絡してください。オオトリ家のゴーレムで、地龍のゾンビを止めてみます!」
「了解しました! 突撃中止だ! すぐに子爵に伝えろ! オオトリ家の援軍が出るぞ! 道を空けるんだ!」
騎士が城壁の上から下にいる人たちに大声で指示を出すと、すぐに子爵たちまで話した言ったらしく、私は首飾りに魔力を込めて下に投げた。
すると空中でサソリ型ゴーレムは姿を現し、その大きな体で地面に着地したので少し混乱が起きていたが、マスタング子爵たちが落ち着かせたのですぐに静かになった。
「ゴーレム、最優先は地龍のゾンビの撃破、もしくは撃退! 後は向かって来る敵の排除! 行って!」
私の命令を聞いたサソリ型ゴーレムは両方をハサミを振り上げると、地龍のゾンビが向かってきている方角へと走り出した。
「大きさでは負けているみたいですけど、重さではゴーレムの方が上でしょう。援軍、感謝します!」
私たちを出迎えた騎士は子爵軍でも上の役職に就いている人らしく、マスタング子爵の代わりに頭を下げてくれた。
「それじゃあ、オオトリ家に戻るかい?」
「いえ、本当にサソリ型が地龍のゾンビを止めることが出来るのかを見てから戻った方がいいと思います」
「それもそうか。地龍のゾンビを撃破した後は、サソリ型を回収しないといけないしね」
ケリーさんにまだこの場に残ることを話し、視線をサソリ型ゴーレムの方に向けようとした時、
「そこにいるのはオオトリ家のジャンヌだな!」
下から聞きなれた声が聞こえた。身を乗り出して下を覗くと、丁度真下にライル様がいた。
「そうです! 上から失礼します!」
「緊急事態なのだ、かまわん! それよりも援軍感謝する! すまないが、もう少し戦況が安定するまでサソリ型の力を貸してくれ! ソロモン、何かあったらジャンヌをちゃんと逃がすんだぞ! ジャンヌが怪我でもしたら、テンマに怒られてしまうからな!」
ライル様はそう言って笑った後、周囲にいた騎士たちを集めて話し合いを始めた。王国軍が押されているので、士気向上の意味も込めて前線に出てきたみたいだ。だが、半ば強行的にやってきたようで、時々護衛としてついてきている近衛兵から戻るようにと説得されていた。
そんな中、
「ライル様! サソリ型が地龍のゾンビと戦いを始めました!」
サソリ型ゴーレムが地龍のゾンビに体当たりをし、その足を止めさせることに成功していた。
そのままサソリ型は、両方のハサミで殴りつけたり挟んだりして地龍のゾンビを攻撃するが、地龍のゾンビはサソリ型よりも大きな体で覆いかぶさるようにして動きを鈍らせ、その隙に周囲のゾンビたちに攻撃させている。
「ちょっと押され気味かな? まあ、一番ヤバい地龍のゾンビはほぼ抑え込めてるんだ。周りに居る四つ腕どもも、流石にサソリ型の敵ではないようだね」
「見えるんですか?」
「私は目がいい方だからね。あっ! また一体、四つ腕が潰されたね! そろそろ、地龍もサソリ型を抑え込むことが難しくなるだろうよ」
ケリーさんのように四つ腕の化け物までは見えないけれど、そんな私でもサソリ型の動きが少しずつ大きくなっているように見える。この調子なら、あと少しで地龍のゾンビには勝てる。
そう言った雰囲気が私たちの周りに広がり始めた時、
「何だ、あれはっ! 空から何かが来るよ!」
目がいいと言っていたケリーさんが、いち早くこの戦場に飛来する何かを発見した。
その何かは高速で王都に接近すると、その姿を私たちにしっかりと見せる為なのか一度速度を落とし……高度をギリギリまで下げてから再び加速して飛び去って行った。
「きゃあっ!」
「ジャンヌ、あぶな……うわっ!」
それが加速して城壁の上空を通り過ぎた瞬間、私はその風圧に負けて空中に舞い上げられてしまった。それに気が付いたケリーさんがとっさに私の腕を掴んだのだけれども、そのケリーさんもバランスを崩してしまい宙に浮かびかけていた。
「ギュイ!」
「ふぐっ!」
「つぅ……腰打ったぁ……」
ソロモンは、そんな私たちを助ける為に翼を使って飛ばされるのを防いでくれたのだけど、ソロモンも自分が飛ばされないように四肢の爪を立てて城壁にしがみついていた。その為、私とケリーさんは翼で包み込まれるというよりも叩きつけられるような形で引き寄せられてしまい、私は翼で顔を打ち、ケリーさんは私の背中に顔をぶつけてから腰から(私の体重も乗った状態で)落ちてしまった。
「ありがとうソロモン、助かった……ソロモン?」
ソロモンに助けてくれたお礼を言おうと視線を向けると、ソロモンは険しい顔つきで飛び去って行った何か……『赤い龍』が向かった先を睨んでいた。
もしかすると、あの赤い龍はソロモンを挑発する為だけにわざと高度を落としたのかもしれない。
「ジャンヌ、大丈夫か!」
「ソロモンが守ってくれたので、私とケリーさんは無事です! でも、他の人たちが!」
「そっちはすぐに救援に向かわせる! それよりも、サソリ型にまた何かが近づいているぞ!」
ライル様に言われてサソリ型の方へと視線を向けると、先程の赤い龍よりもかなり小型の空飛ぶ龍のようなものが三頭もサソリ型に近づいていた。
「あれはワイバーンだね。繁殖期なのか興奮しているからかなのかは分からないけど、どれも赤い色をしているね。しかもどれもかなり大きい……これはちょっとヤバいかな」
赤い理由は分からないけど、どちらにしろ通常よりも大きなワイバーンが三体もサソリ型に向かっているのだ。いくらサソリ型が地龍のゾンビを倒しかけているとはいえ、同時に四頭相手は分が悪い。私に割り当てられているゴーレムを向かわせようにも、合流するまでサソリ型が持つという保証はない。
私が対策を考えている間に、サソリ型は三頭のワイバーンと拘束から逃れた地龍のゾンビに囲まれて集中攻撃を受けていた。
「キュイッ!」
「ソロモン、行ってくれるの?」
「キュ~イッ!」
ソロモンは、「任せろ!」とでも言っているかのような声を出すと、城壁から勢いよく飛び立って行った。
飛び立つときに大きく吠えたのが聞こえたのか、サソリ型を襲っていたワイバーンが三頭とも揃ってこちらに首を向けている。
「よし! やれ! ……よっしゃー!」
そんな三頭の内、サソリ型に一番近いところに居たワイバーンは、体を思いっきり伸ばしたサソリ型のハサミに首を挟まれ、そのまま地龍のゾンビに叩きつけられていた。
先程の歓声はケリーさんが叫んだものだったけど、同じような声がライル様やその周辺からも聞こえていた。
叩きつけられたワイバーンは、動いてはいるものの首が背中側に曲がったままで起き上がれないようだった。ケリーさんによると、曲がっているところからかなりの血が出ているとのことなので、首の骨が折れて皮膚を突き破っているのだろうとのことだった。そんなワイバーンの下敷きになった地龍のゾンビは、体の大半が爆発したかのように飛び散っていて、動く気配を見せなかった。
一瞬で地龍のゾンビとワイバーン一頭を倒したサソリ型の活躍はすごかったけれど、その代償として尻尾と片方のハサミ、それと足の数本が砕けていた。
「仲間がやられたのを見て、残りの二頭は迷っているようだね。そのまま逃げてくれるといいんだけど……」
残った二頭のワイバーンは、サソリ型のハサミが絶対に届かない高さまで上がって様子を見ていた。ケリーさんによれば、あと少しでソロモンも到着するからこのまま逃げ出す可能性が高いだろうとのことだった。
「ソロモンは、大分速度を落として迫っているね。ワイバーンに考える時間を与えた方が、怪我せずに終わるかもしれないと思っているんだろうね」
勢いよく飛び出たソロモンも、出来るなら二対一の不利な状況での戦闘は避けたいらしく、わざと逃げ出す時間を与えているらしい。
ライル様たちも、あの二頭のワイバーンがいなくなればこの辺りの戦場は安定すると思っているらしく、ワイバーンが逃げ出すことを期待するような言葉が聞こえている。しかし、
「グルァァァアアアア――――!!」
そんな期待を打ち砕く、死を運んできたとしか思えない衝撃波が大地を揺るがした。
「……かはっ!」
「ジャンヌ、大丈夫かい!」
その衝撃で私は息が出来なくなってしまい、ケリーさんに背中を叩かれて何とか息を吐きだすことが出来るようになった。
「ケリーさん、今のは……」
「私の目でも、まだ見えないくらい遠くにいるね……つまりあの衝撃波……咆哮は、そんなものすごい遠くから発せられたということだよ……そんなことが出来る存在がいるとすれば、それは……『古代龍』くらいだろうね」
私には魔物の声でその主を当てるなど出来ないけれど、今回のケリーさんの予想は間違っていないと思う。
私は魔物の声を聞き分ける程の経験があるわけではないけれど、『龍の声』に関してはそれこそケリーさんどころかこの世界でも上位に来るくらい聞いている。それに、さっき王都の上を通過していったあの大きな赤い龍よりも、声だけなのに迫力が段違いだと思えた。
それに何よりも、あの赤い龍には怯まなかったソロモンが、あの咆哮を聞いてからは怯えて地面に蹲ってしまっている。
「くそっ! あのワイバーンたちがこっちに向かってきてやがる!」
「ソロモン、逃げて!」
さっきの咆哮はソロモンを怯え、ワイバーンにとっては逆に士気を挙げる効果があったらしく、迷いを見せていた二頭のワイバーンは目を血走らせて、ソロモンに襲い掛かっていた。
「ギャッ!」
蹲っていたソロモンは空からの攻撃に気が付くのが遅れ、二頭に圧し掛かられてしまった。
そのまま二頭のワイバーンは何度もソロモンを踏みつけていたが、少しずつ移動していたサソリ型ゴーレムが残った方のハサミで地面を思いっきり叩くと、その音に驚いてソロモンの上からどいて、空へと飛び上がった。
その隙にソロモンも空へと飛び上がったけれど……ソロモンの白い体は、土と血で全身が汚れていた。
「普通のワイバーン二頭くらいなら、ソロモンだったら問題は無いと思うけど……怪我もしているし、あのワイバーンは普通の個体じゃないみたいだからね……空を飛ぶ相手じゃなければ、援護くらいは出来たのに」
ライル様も近くの兵たちに弓矢や魔法の準備をさせているみたいだけれど、ワイバーンはそれを見越してなのか、高度を先程までよりも上げてしまった。
「危ないのはソロモンだけじゃないみたいだね。ゾンビがこっちに向かってきているし、さっきの咆哮で多くの味方が逃げてしまっている。それに何よりも、あの咆哮の主が姿を現したよ」
そう言うケリーさんの指差す方を見るけど、私にはそれらしき豆粒よりも小さなものが見えるだけだ。
「グギャ!」
突然上空から聞こえた悲鳴に驚いて目を向けると、ソロモンが一頭のワイバーンの首に噛みついたところだった。悲鳴を上げたのがソロモンじゃなくてホッとしたのもつかの間。残りの一頭がソロモンの背後から飛び掛かり、翼の根元に噛みついた。
三頭が空中で絡み合う形となり、一塊となった三頭はすぐに墜落を始めた。その途中で、
「ソロモン!」
ソロモンの翼が根元から噛み千切られた。しかしソロモンは、それでも噛みついているワイバーンを放すことはなく、そのまま二頭揃って地面に落下した。落下の衝撃で、二頭は地面に叩きつけられて一度弾んだ後で、そのままゴロゴロと数m転がって止まった。
城壁の上から身を乗り出してソロモンが転がった方を見ると、ワイバーンは落ち方が悪かったらしく頭部が潰れて動かなかったけど、ソロモンは仰向けの状態で荒い呼吸を繰り返していた。即死ではなかったけれど、かなり危ない状態のようだ。
ソロモンの翼を噛み千切ったワイバーンは、落下したソロモンを見て死んだと思ったのか、ソロモンの翼を咥えて咆哮の主が来ている方角へと飛んで行った。
「ケリーさん! すぐにソロモンのところに向かいます!」
「分かった! 階段は……ええいっ! こっちの方が早い! ジャンヌ、しっかりと掴まってるんだよ!」
ケリーさんに声をかけて二人で階段を探したけれど、階段は少し離れた所にあるようで、おまけに外への出入り口はさらに離れた所にあった。
そこでケリーさんは、自分のマジックバッグから数十mはあろうかと言うロープを取り出して端を城壁の欄干に結び、私を背負って下へと降りて行った。
その様子を見ていた人たち(主に改革派の貴族)が悲鳴を上げて集まってきたけど、その時の私は不思議と怖いという気持ちは無かった。
「ジャンヌ! ソロモンのところに行くのなら、この馬を使え!」
下に降りると、集まってきた人たちをかき分けるようにしてマスタング子爵がやってきた。マスタング子爵は私たちが降りてきた理由に気が付いていたらしく、馬を一頭貸してくれた。
「ありがとうございます!」
「助けられたことを考えれば、これくらいお安い御用だ! おい! 念の為何人か護衛としてついて行け! 我々の為にソロモンは命を懸けたのだ! もしもの時は、ジャンヌたちを最優先しろ!」
マスタング子爵がそう叫ぶと数人の貴族と騎士がどこかに走って行き、私とケリーさんが馬に乗り終えるとほぼ同時に馬に乗って現れた。
「ジャンヌ! 近衛からも数人回す! 急いで行けば、今ならまだゾンビはソロモンのところに到達しないはずだ!」
「ライル様、ありがとうございます!」
中立派だけでなく、ライル様の護衛としてついてきていた近衛兵も数人加わり、私たちは即席の救出部隊を編成してソロモンのところへと馬を走らせた。
「皆さん! まずはソロモンに傷薬を浴びせます! その後はディメンションバッグに入れて戻りますけど、ソロモンが自力でバッグに入れない時はゴーレムの力を借りて入れることになります。その間、周囲の警戒をお願いします。ただ、無理はしないでください! ケリーさんは、私がソロモンの治療をしている間に、サソリ型の回収をお願いできますか?」
「少し距離があるけど、多分大丈夫だ!」
ソロモンのところからサソリ型までは一km無いくらいなので、往復の時間とサソリ型の核を回収する時間を入れたとしても、五分もかからずに戻ってくることが出来ると思う。
「ソロモン! 皆さん、薬をかけるのを手伝ってください!」
本当なら、傷の一つ一つを丁寧に手当てした方がいいのだろうけど、いつゾンビがやってくるか分からない状況なので、今は緊急処置だけに留めるしかない。
「ソロモン、動ける?」
「キュ……イ……」
薬で少し痛みが消えたのか、ソロモンは仰向けの状態から体を起こし、何とかバッグの中に移動しようとしていた。けれどそこに、
「ジャンヌ! ワイバーンが戻ってきた! 逃げろ!」
サソリ型を回収し終えたケリーさんが、ワイバーン引き返してきたと叫びながら戻ってきた。それを聞いた他の人たちは、半分は馬に乗ってワイバーンが向かってくる方向に走り、残りはその場で私とソロモンを護るようにして武器を構えている。
「ゴーレムを出します! 壁代わりにしてください! ソロモンは今のうちにバッグの中に……ソロモン?」
ゴーレムを十体出して壁にし、その間にソロモンにバッグの中に入るように促したけれど、ソロモンはバッグを無視してゴーレムの真後ろに移動した。
ソロモンが移動している間に、ワイバーンは私たちまで残り数百mというところまで迫ってきている。ワイバーンが私たちに襲い掛かるまで、後十数秒というところだろう。
「ソロモン、早くバッグに入って!」
ワイバーンに襲い掛かられても、ゴーレムが壁になれば数回くらいなら攻撃を防ぐことが出来るかもしれない。そう思ってもう一度ソロモンをバッグに入れようとしたけれど、ソロモンはさらにゴーレムに近づいて……前足で踏みつけた。正確にはゴーレムを踏み台にしたという感じで、あまり動かすことの出来ない自分の顔を、体ごと無理やりワイバーンの方へと向けて……
「ガァアァアア!」
口から光線を発射した。前に何度か見たことのある、ソロモンのブレスだ。テンマが言うにはソロモンはあまりブレスを使わないせいか得意ではなさそうとのことだったけど、威力はかなり高いそうだ。
そんなソロモンのブレスが、回避できないくらいの近距離で防御なんか考えずに突っ込んできたワイバーンの顔面に正面からまともに当たった。
ワイバーンの顔はソロモンのブレスが当たった瞬間に消し飛んだけど、体の方は飛び掛かってきた勢いのまま私たちの方へと突っ込んできた。しかし、それは壁として出していたゴーレムが受け止めた。ただ、完全に勢いは止められず、激突の衝撃でソロモンを含めて何人かがひっくり返ってしまったけれど、誰も大きな怪我はしなかった。
こうして一難が去ったこの戦場だったけれど、何よりも大きな次の一難……いや、災厄とも言えるものが、私の目でも分かるくらいのところまで近づいてきていた。
「テンマ……助けて……」
徐々に近づいてくる『古代龍』と言う名の『災厄』に心が折れかけそうになり、思わずテンマに助けを求めてしまった時……割と城壁に近いところから、ソロモンが墜落した時のような音が聞こえた。
ジャンヌSIDE 了