第20章-2 精神攻撃
ここはどこだ……
「……マ……」
体が重い……
「テ……マ……」
動かない……
「テン……マ……」
何か懐かしい匂いが……
「テンマ!」
「え……母……さん?」
目の前に母さんが居る。
「ん? テンマが起きたのか?」
父さんもいた。
「あなた、ものすごくうなされていたのよ」
「あ……ああ、そう、なの?」
間違いなく、これは夢だ。母さんも父さんも、この世にはもういない。それに、どこがとは言えないけれど、目の前の母さんと父さんは何かが違う気がする。
「父さん、母さん。体が動かないんだけど……」
「まあ、仕方がないだろう。何せ、フェンリルの番に襲われたんだからな」
「ええ、最初に見た時は、テンマもフェンリルも両方死んでいると思ったくらいよ。それくらいの怪我だったから、回復するまで大分かかるかもしれないわね。生きているだけでも奇跡だわ…………どうせなら……のに……」
二人の言葉に強い違和感を覚えながらも、何故かその内容以上に母さんが何を呟いたのかが気になった。
「ねぇ、テンマ。本当に動かないの? 少しも?」
「あ、いや、少しは動かせるけど、なんだかすごく重い感じがする」
手は持ち上がらないけれど、集中すれば力は入らないものの、ゆっくりと手を閉じることは出来た。
そのことを母さんに伝えると、
「そう……じゃあ、仕方がないわね」
母さんはそう呟き、冷めた目をしながら俺の胸にナイフを突き立てた。
「えっ……母さ……」
「おい、シーリア! ベッドが使い物にならなくなるだろ!」
「父……さん……」
いきなり母さんにナイフで突かれたことも、父さんが俺よりもベッドを心配したことも理解できなかった。
「別にかまわないでしょ? どうせこれが殺したフェンリルを売り払えば、新しいベッドなんていくらでも買えるんだし。それよりも、役立たずになったこれを生かして世話する方が手間よ」
「まあ、それもそうか。でも、それの血が床に落ちないように、ちゃんとシーツで包んでおけよ。後で一緒に処分するから」
「ええ、お願いね。それにしても、あなたが気まぐれでこんなのを拾ってきた時はどうしようかと思ったわよ。皆の手前、捨てて来いとは言えなかったし」
「それでも、最後に金を稼いで来たし、良かったんじゃないか?」
「そうね。数年面倒見ただけでフェンリルの素材が三体も手に入ったし、結果だけを見れば上々ね」
「だろ! それに、フェンリルの子供が綺麗な状態で手に入るとか聞いたことが無いから、はく製にでもしたらもの好きがいくらでも金を出すぞ!」
顔を醜く歪めて嗤う二人を見ながら、俺の意識は薄れて行った……
「テンマ! シロウマルが行ってしまうわよ!」
「は? えっ?」
「だから! シロウマルが、どこかに向かって走っているわ!」
どうやら俺は少しの間眠っていたようで、少し怒ったようなジャンヌの声で意識がはっきりとしてきた。
「急いで迎えに行って!」
「わ、分かった!」
ジャンヌに急かされて馬車から飛び出し、豆粒のように小さくなったシロウマルの後を追いかけるが、全力を出しているのになかなか追いつけない。
しばらくの間追いかけ続け、ようやくあと少しでシロウマルの尻尾に手が届きそうなところまで来た時、シロウマルの前方に人が立っているのに気が付いた。
「あぶな……えっ?」
その人とシロウマルがぶつかると思った瞬間、シロウマルがその人をすり抜けた。いや、すり抜けたように見えただけかもしれないが、現にシロウマルは人にぶつからずにそのまま走り続けている。
「テンマ!」
「じいちゃ……」
シロウマルの前に立っていた人物はじいちゃんだった。しかし、俺はそこにじいちゃんが立っていたことには驚かなかった……と言うより、驚く暇がなかった。何故なら、目の前にシロウマルをすり抜けたじいちゃんが現れたので慌てて速度を落とした瞬間、じいちゃん愛用の杖で殴られたからだ。
「お前があの時……ドラゴンゾンビが現れた時に『テンペスト』を使っておれば、シーリアやリカルド……それに多くの村の者たちを助けることが出来たはずじゃ! なのにお前は、自分の命を惜しんで大勢を見殺しにした! お主のせいで皆は死んだのじゃ! 死んで償え!」
最初の一撃で顔面を潰されて瀕死状態の俺に、じいちゃんは何度も杖を振り下ろした……
「久しいな、テンマ。息災であったか?」
「えっ……あ、はい、お久しぶりです。元気に……ぐっ!」
王様の前だと言うのに、俺は一瞬何故こんなところに居るのか理解できなくて言葉に詰まってしまったが、すぐにじいちゃんと再会して王城で王様たちに会っている最中なのだと思い出した。
そして頭を下げた瞬間、柱の陰から俺を狙っている奴がいることに気が付いたので、攻撃をかわして正体を突き止めようとしたのだが、何故か足が床に張り付いたかのように離れず、混乱している間に首元に矢を受けてしまった。
普通なら致命傷となる傷ではあるが、今ならすぐに矢を抜いて魔法で治療すれば死ぬことは無いはずだと思い急いで行動に移そうとしたが、矢に痺れ薬でも使われていたのか腕を動かすことが出来ず、その場に倒れ込んでしまった。
何とか首から上だけはわずかに動かせるようなので矢の飛んできた方に目をやると、俺に矢を撃った資格が姿を現した。柱の陰から出てきたのは……ティーダだった。
「よくやった、ティーダ!」
「ええ、本当に……龍殺しの英雄なんて、生きていてもろくなことにはなりません。王家の権威と利益を損ねる可能性がある以上、死んでもらった方が利用しやすくて色々と好都合ですからね」
倒れ込む俺を見て嗤い、ティーダを褒める王様とマリア様。
「むしろ、ククリ村のことで貴族を恨み、陛下との拝謁の機会を狙って犯行に及ぼうとした冒険者を、ティーダ王子が未然のところで防いだことにした方がよいかと思います」
背後からディンさんの声が聞こえたかと思うと、うつぶせに倒れている俺の体に四本の剣が突き立てられた。
「ジャン、さっさとこいつの首を刎ねろ!」
「そのような名誉は隊長にお譲りします」
「俺の剣が汚れるだろうが」
「自分も汚すのは嫌ですし、そもそも隊長の剣はすでにそいつの血で汚れているでしょ?」
「これ以上汚したくないと言っているんだ。さっさとやれ、命令だ!」
「はい、はい……っと!」
ジャンさんの大剣が振り落とされ、俺の首は高々と宙を舞い、
「気持ちわるっ! あっちに行け!」
転がった先にいたルナに蹴飛ばされた。
目まぐるしく変わる視界に入り込むのは……部屋の天井に床、そして転がる俺を見て嗤う、王様にマリア様、ティーダにルナ、そしてディンさんたち近衛隊の面々だった……
「ふっ!」
「……えっ! くそっ!」
気が付くと目の前に拳が迫っていた。その攻撃はアムールのものだ。ギリギリのところでその拳を払いのけると、今度は蹴りが側頭部目掛けて放たれた。
何らかの攻撃を受けて一瞬意識を飛ばしていたのか、ようやく今が武闘大会の個人戦決勝なのだと思い出し、俺はその蹴りをしゃがんで躱すと同時に水面蹴りでアムールの軸足を狙った。
完璧に決まると思われたタイミングだったが、アムールは放った蹴りの勢いを利用して軸足をわずかに浮かせ、ダメージを最小限に抑えていた。
今日のアムールは絶好調のようで、いつにも増して身軽なアムールは、水面蹴りのダメージなど無かったかのように猛攻を仕掛けてくる。しかも、身軽さだけでなく力もいつも以上にみなぎっているらしく、一撃一撃がかなり重い。
しかし、それでもブランカより上かと言われればそうでもなく、落ち着いて対処すれば余裕を持って捌くことは可能だ。
俺は冷静に一つ一つの攻撃を受け流し、アムールがばててきた頃合いを見計らって背後を取った。そして、
「ギブアップしろ!」
裸締めで勝負を決めようとした。ギブアップをするように言ったが、ここまで綺麗に入っているとアムールがギブアップするよりも先にオチてしまうだろう。
裸締めが決まって数秒後、抵抗を試みていたアムールの腕から力が抜けてだらりと垂れ下がった時、
「勝負あ……」
アムールが戦闘不能になったと審判が判断し、俺の勝ち名乗りを上げようとした瞬間、
「うるぁっ!」
いきなり背後から頭部に攻撃を受けた。
「だ、れが……」
一対一の決勝に乱入してきたのはブランカだった。あのブランカがこういった暴挙に出るとは信じられないが、実際にここいて血の付いた棒のようなものを持っている以上、これは事実なのだ。
「隙あり!」
ブランカの乱入で自由の身となったアムールは、俺をサッカーボールのように蹴り飛ばした。
明らかなアムール側の反則行為であるにもかかわらず、審判は止めるどころか試合の続行を宣言した。それに反応して盛り上がる観客たち……
全てがおかしいはずなのに、ここにおかしいと指摘する者はおらず、俺は二人のなすがままにしばらくの間いたぶられ続けた。
「もういい、飽きた……」
その言葉のすぐ後に、地面に倒れていた俺の顔面をアムールが踏み抜き、
「武闘大会個人戦、優勝はアムール!」
アムールの優勝を告げる審判の言葉と共に、観客の拍手と歓声が試合会場を包み込んだ……
「テンマ、なんか貴族が沢山来たわよ」
俺は少し疲れたからなのか、サソリ型ゴーレムに乗ったジャンヌに声をかけられるまでボケっとしていたようだ。改めて周囲を見回すと、いたるところに誘拐犯の死体、もしくは体の一部が転がっていた。そのうちの一人はどこかで見たことがあるような気がするが、どこで見かけたのかどうしても思い出せなかった。
「分かった、すぐに行く。それにしても誰が来たんだろ?」
思い出せないということは取るに足らない人物だったのだろうと思い、ジャンヌに返事をしてやって来たという貴族のところに行こうとジャンヌの指差した方角へ体の向きを変えた時、
「テンマ、後ろ!」
ジャンヌが慌てた様子で俺の背後を指差した。
「生き残りがいたか! ……って、誰もいな……ふぐっ!」
すぐに振り返って魔法で攻撃しようと腕を突き出したもののそこには誰もいなかった。
ジャンヌの言った『後ろ』とは何だったかと思いながら腕を下ろした瞬間、突如頭上から重くて固いものが落ちてきて俺は潰された。
「マスタング子爵がね、私を養子にしてくれるって。ただ、奴隷だと色々と問題があるからテンマと交渉しないといけないそうだけど、そのテンマが死んだら楽に話が進むわよね? 今はこんな状況だから、テンマはクーデターで巻き込まれて死んだことにしたら、証拠さえなければ疑われはしても話の筋は通るわよね? 幸いなことに、私の養父になってくれるマスタング子爵は中立派の有力者だから、いくらでもごまかすことは出来そうだし」
そう言うとジャンヌはサソリ型ゴーレムに銘じて、瀕死状態の俺の手足をハサミで引き千切り始めた。
「テンマのこと、少しくらいは覚えておいてあげるわね。一応、あなたのおかげで変態に売られずに済んだし、何よりマスタング子爵と会えたからね」
俺の四肢を引き千切り終えたジャンヌは、
「バイバイ、テンマ……潰しなさい」
と、最後に感情の籠っていない声で、俺の頭を潰せとサソリ型ゴーレムに命じた……
「テンマさん、聞いていますか?」
「ん? ……ああ、ごめん、少しうとうとしていたみたいだ」
個々のところ色々なものを作り過ぎて疲れが出たのか、プリメラと話している最中に寝落ちしかけたみたいだった。
「え~っと……乳母車の改良案だったな? 悪いけど、もう一度話してくれないか?」
ほんの数秒前の話のはずなのに、全くと言っていい程プリメラの話したことを思い出せなかった俺は、素直に謝ってもう一度説明してもらうことにした。
「今日はここまでにしましょうか? このところのテンマさんは、少し疲れているように見えますし、子供が生まれるまではまだ時間がありますから」
そう言ってプリメラは席を立ち、お茶の準備を始めた。
「実家から珍しいハーブティーが送られてきたので、それを入れますね。何でも、疲労回復に効果があるそうで、よく眠ることが出来るそうです」
プリメラは自分の机の引き出しから小瓶を取り出すと、慣れた手つきで準備を始めた。
「かなり独特な香りだね」
ハーブティーは赤ワインのような綺麗な色をしていたが、その独特の臭いのせいで口を付けるのを少しためらってしまうものだった。もしかすると、薬の意味合いが強いお茶なのかもしれない。ちなみに、プリメラもこの臭いは苦手のようで、入れている最中は少し嫌そうな顔をしていたし、俺の前に置いた後は入れる前よりも少し距離を空けて座っていた。
「ん? 臭いと違って、味はいいな。少し苦味はあるけど、後口に清涼感があるな」
好みの差はあるだろうけど、俺としては特に苦も無く飲める味だった。
そのハーブティーをプリメラと話しながらゆっくりと飲み、カップが空になった頃、
「少し眠くなってきたな……申し訳ないけど、乳母車の話は明日にしようか……」
急に睡魔に襲われた俺は、プリメラに断りを入れてから自分の部屋に戻ろうとして席を立ち……足をもつれさせて、その場に倒れてしまった。
「な、にが……どう……なって……プリ……メ……」
激しい動悸と胸の痛みに苦しみながらも、プリメラに助けを求めようと必死になって手を伸ばしたが……
「ようやく効いてきたんですね。お父様からは『常人なら一口飲むだけで数秒もあれば死に至る毒薬』だと聞かされていたのに、やはりテンマさん……いえ、こいつは化け物だったということですか」
プリメラは冷たい目をしながら、伸ばされた俺の腕を踏みつけた。その痛みに俺が顔をゆがめると、
「化け物でも、痛いものは痛いのですか」
そう言って嗤った。
「プリメラ、何をしている!」
突然ドアを蹴破る勢いで部屋に入ってきたのは、アルバートたち三人だ。
厳しい口調でプリメラに詰め寄るアルバートだったが、それは俺を助ける為ではなく、
「早くそれを始末しないと、また動き出すぞ!」
「化け物だけあって、回復は早そうだしね」
「しかしアルバート、いくらプリメラに剣の心得があったとしても、身重の状態でこいつに止めを刺すのは骨が折れるだろ? だから俺たちが来たんだし」
「それでも、目や口からねじ込めば、今のプリメラでも出来ることだ」
「確かにそうだろうけど、下手に止めを刺そうとして最後の力を振り絞られたら大変だから、僕たちを待つのは当然のことだよ。まあ、足を出したのは少しうかつな行動だったかもしれないけどね」
「それじゃあ早速、殺すとするか!」
ゴミでも見るかのような視線のアルバートに、楽しそうに笑うカイン、そして嬉々として剣で素振りをするリオン……
「お兄様、その前に少し時間をください」
そんな三人を手で制したプリメラは、
「このまま死ぬのは可哀そうですから、少しだけ今後のことを教えてあげます。まずオオトリ家ですが……これはサンガ公爵家が管理する形で、名前だけ残ることになります。まあ、この子の代までの話になるでしょうが」
そう言ってプリメラは、先程よりも明らかに大きくなった自分のお腹をさすった。
「技術やものに関しては王家と分け合う形になるでしょうが、大部分は私が後見する子供のものとなります。そしてその子供ですが……オオトリの名前が付くのは残念ですが、本当の父親と一緒に、大切に育てますので心配する必要はありません。それではリオンお兄様、お願いします」
「ちょ……」
「よし来た! ……そいやっ!」
俺の言葉を遮り、楽しげな様子でリオンは俺の首に剣を振り下ろした……が、
「やべっ! ミスった!」
「何やってるんだよ、リオン!」
「苦しめるのには賛成だが、こんなことに時間をかけるな! ふざけてないでちゃんとやれ!」
「そうですよ。今後もこの屋敷は私が使うのですから、汚れと傷は最小限に抑えてください」
「わりぃ、わりぃ……よしっ! 今度こそっ!」
二回目でも俺の首は落ちず、四人で代わる代わるに俺の首目掛けて剣を振り下ろすのだった……