第19章-19 敗北
「こんなリッチ以上の化け物が控えていたなんて、どういう悪夢だよ……」
愚痴りながら女から距離を取ろうとすると、意外なことに女は妨害などしようとはせずにただ空を見上げているだけだったので、俺はその場から簡単に移動することが出来た。ただ、逃がしてはくれそうになく、五十mくらい離れたところで俺に視線を向けて嗤った。
その顔は何ともおぞましく、先程から冷や汗が止まらない。女の醸し出す不気味さは、ドラゴンゾンビの時以上かもしれない。
「あいつ、俺の血をなめている……」
女は嗤ったまま、俺の腹を貫いた際に手に付いた血をなめ始めた。それも、どこか恍惚とした表情で……そしてその顔がより一層、女の不気味さを引き立てている。
見た目はプリメラやクリスさんの年齢に近い女性と言う感じだが、気配は明らかに人間の物ではない。かと言って、リッチやゾンビのように腐っていたり骨が見えていたりと言うことも無い。しかも『鑑定』が効かないので見た目以外のことは何も分からず、正体不明の化け物としか言いようがない。
「じいちゃんが異変に気が付いたとして、助太刀に来るまで数分はかかるかな?」
飛んでくるだけなら一分ちょっとあれば来られるだろうけど、『テンペスト』によって巻き上げられた砂などのせいで視界が悪くなっているので、あの化け物と俺が対峙していることにまだ気が付いていない可能性がある。そうだとすれば、もう少し視界がよくならないと助けは望めないだろう。
こちらからじいちゃんに気が付いてもらえるように、魔法をバンバン使って戦うというやり方もあるが、その前のリッチとの戦いで残りの体力と魔力が少々心もとないし、貫かれた腹の傷の治療も続けなければならない。まずは、少しでも身動きがよくなり魔力を抑える為にギガントをマジックバッグに戻すことにした。
傷と魔力に関してはそれぞれの薬である程度は回復だろうが、俺の魔力を回復させる為にはどれくらいの薬を飲めばいいのかと言う話だし、傷に関しては内臓に大きな傷は付いていないみたいだが、普通は腹に穴を空けられたらしばらく安静にしなければならないくらいなのだ。そんな傷を回復させるにはまだ時間がかかるし、リッチ(ゾンビ)の仲間だとしたらばい菌などの心配もあるので、念入りに治療しなければならない。
「片手間での治療だと、痛みが全然引かないな……この状態で戦うのは、かなり厳しいな」
数分稼げばじいちゃんが駆けつけてくるだろうが、その数分は俺の中で最も長い数分になるかもしれない。正直、ドラゴンゾンビを相手にした時の方がまだ余裕があった気がする。
「このまま睨み合いで時間が過ぎればいいんだけど……そこまで甘くないよな!」
距離があるうちにある程度傷の治療をしたいところだったが、傷が半分も塞がっていないと言うのに、女が突然距離を詰めてきた。
いつの間にか背後を取られたくらいだから、目にもとまらぬ速さで移動できるのかと思っていたのだがそう言うわけではなく、俺やじいちゃんが飛ぶ時とあまり変わらないくらいの速度だった。そのくらいの速度なら対応は難しくはないのだが……今の俺の状態だと、少し動くだけで傷が痛むので、どうしても普段通りの動きが出来ないし、さらには体力的な問題で全力で回避することも難しい。
「それでも、防御するだけなら何とか……くそっ!」
逃走も回避も難しいが、待ち構えて防御するだけなら何とかできそうだと思ったのだが、女の持つ武器のせいでそれは甘い考えだと思い知らされた。
「あの槍、伸縮自在なのか!」
女の持つ武器とは俺の腹を貫いたもので、棒のように見えたが実際は棘のように先が尖っている槍のようだ。しかし、先が尖っているだけで刃は付いていないので、先端にさえ気を付ければ大した脅威ではないと考えていた。しかし、防御する為にタイミングを見計らっていたところ、小烏丸で受ける寸前に長さが変わったのだ。
突きのような体勢から急に槍が伸びたので反応が遅れてしまい、何とか紙一重のところで躱しはしたが無理に体をひねったせいで傷口が開いてしまった。
「やば……今ので塞がりかけていたところが完全に開いた……」
しかも、ただ傷が開いただけではなくさらに広がったようで、貫かれた時よりも血が多く出ている。今すぐにどうなるというわけではないが、血の量からしてあまり長くは動けないだろう。
「まだ残っているな……不完全だけど、やるしかない」
このまま時間を稼ごうにも、俺の体力的が持たないと判断したので、一か八か勝負をかけることにした。もしこれで倒すことが出来なかったとしても、当てさえすればじいちゃんが来るまでの時間を稼ぐことが出来るだろう。
「問題は、一発分しかない魔法を確実に当てることか……」
動きを止めることが出来れば何とか命中出るるだろうが、その為の時間も魔力も体力もない。
(少しでも体力と魔力の消耗を抑えないと……)
空を飛ぶのにも魔力を消費するので、上空から襲われる危険はあるが薬を使う為にも一度地上に降りようと高度を下げると、何故か女も高度を下げてきた。そして俺から数十m離れた所に降りると、こちらをじっと見ていた。
(なぜかは分からないけど、今がチャンスか……)
女から視線を逸らさずに傷薬と回復薬を手早く使用し、
「『エアカッター』!」
横に薙ぐような形で、『エアカッター』を数発放った。無論、これで倒すことが出来るとは思っていないし、放った瞬間に女は回避の為に上空に浮き上がっていた。そこに、
「くらえ! 『タケミカヅチ』!」
リッチを『テンペスト』で倒すことが出来なかった時の為に準備していたのだ。
「何とか当たったか……威力が落ちていても、あれを食らえば無事で済まないだろう……」
準備してから放つまで時間がかかったせいで、上空に巻き上げたうちの半分近い魔力が散ってしまい威力は落ちているが、それが原因で雷の落ちる速度がかわせる程遅くなるわけもなく、神の名を冠する雷は女を撃ち貫いた……が、
「えっ!」
砂ぼこりで視界が遮られる中、その場から離れようとした俺の胸に、黒い棘が突き刺さった。
その棘は俺を貫くわけでもなく、左胸に二~三cm程刺さっただけだ。そして俺はその棘を見て、それが何なのか? 何故突き刺さったのか? を考えるよりも先に、反射的に棘を掴んで抜こうとした……が、
「ぐがっ!」
棘を掴んだ瞬間、全身に衝撃が走った。その衝撃のせいで視点が定まらない。
やがて徐々に土煙が晴れると、『タケミカヅチ』の落ちた中心地には、俺に刺さっている棘の端を右手で握っている女がいた。女の左腕は二の腕の半ば辺りから無くなっていて、その無くなった左腕の少し下には、もう一本の黒い棘が地面まで伸びて刺さっていた。
意識を失いそうになりながらも、何とか棘を抜いて逃げ出そうとする俺を見た女は、嗤いながら近づいてきて片手で俺の首を持ち上げた。そしてリッチはそのまま俺ごと上空へと浮かび上がり……
「あはっ!」
嬉しそうに笑った。そしてその笑い声の直後、俺の意識は途切れたのだった。
マーリンSIDE
「むぅ……かなりの規模の『テンペスト』じゃな。大分離れておると言うのに、ここまで強い風が来ておるのう。ジャン、何が飛んでくるか分らぬから、皆に気を付けさせた方がよいぞ」
「はっ! おいっ! 皆に飛来物に注意することと、風や音におびえる馬がいる場合、軍の後方に下げるように通達しろ!」
「了解しました!」
鍛えられている軍馬が風や音におびえるとは思えぬが、もしもこれまでの戦闘で気が高ぶったままでおれば、ちょっとしたはずみで暴れだすじゃろう。
「流石にこういった連携はお手の物じゃな」
「もう醜態は晒せませんし、この戦いでこれ以上役に立つことも難しいかもしれませんから、こういったことは確実にしておかなければなりません」
「そう謙遜するものではないぞ。それに、テンマがこのままリッチを倒しても、まだ多くのゾンビが残っておるのじゃ。活躍の場はまだまだあるぞい」
ジャンは、最初の突撃で大きなミスをしてしまったことをまだ引きずっておるようじゃな。聞いた話では隊長であるジャンに責任が無いとは言えぬが、クリスに言わせればあれは一部の騎士たちの暴走であるとのことじゃし、そのミスはクリスがフォローしておるし、その後のジャンの活躍で挽回したと見ていいじゃろう。注意くらいはされるじゃろうが、全体的に見れば大した問題にはならぬであろう……と言うよりは出来ぬはずじゃ。
流石に一部の暴走における全ての責任をジャンだけに負わせるのは難しく、かと言ってその原因の騎士の大半はすでに戦死しておるようじゃし、生き残っている者を探して罰すると、今度はその者の主やそれに近しい者が派閥変えをしてしまう恐れもある。まあ、改革派の騎士ならば大した問題にはならぬじゃろうが、この援軍に参加しておるということは王族派寄りの改革派じゃろうし、王族派や中立派ならば敵が増えるだけじゃ。ならばここは、特殊な状況で起こってしまった想定外の事故とし、その後の個々及び全体の活躍により挽回したとして、罰ではなく逆に報酬を与えた方がアレックスとしても後の問題が少なくて済むじゃろう。
「それにしても、リッチはかなり粘っているようじゃな」
「でもマーリン様、テンマ君が言うには『テンペスト』は範囲攻撃の魔法とのことですから、リッチ一体を相手にするには効率が悪いのではないですか?」
「しかしクリス、オオトリ殿は過去にドラゴンゾンビや『大老の森』に出たというリッチにも『テンペスト』を使っているぞ。まあ、『大老の森』の方はその後で違う魔法で止めを刺したということらしいが……」
クリスの質問にジャンは最初こそ反論したが、途中から自分の言葉に自信が無くなってしまったようじゃ。
「確かにクリスの言う通り、『テンペスト』を少数の敵相手に使うのは、魔力的でと言う意味で効率は悪いじゃろう。しかし、ジャンの言う通り、単体相手でもドラゴンゾンビのような巨体で防御力の低い相手には有効じゃ。『大老の森』のリッチに関しては、例外じゃな。あれはテンマ曰く、『タケミカヅチ』へとつなげる為の布石とのことじゃし」
「と言うことは、今回も『タケミカヅチ』で止めを刺すと言うことですね!」
クリスは、合点がいったというような声を出していたが、
「確かにテンマは『タケミカヅチ』の準備もしておるじゃろうが、今回は『テンペスト』で終わらせると思うのう」
「それは何故ですか?」
今度はジャンが興味があるという感じで聞いてきた。
「わしは中に入ったことは無いが、『テンペスト』の内部は周囲を風の壁に囲まれて逃げ場がないとのことじゃ。正確には上の方に逃げ道はあるそうじゃが……そこに行くまでには、真下からの攻撃に無防備になるとのことじゃ。まあ、逆さになって攻撃に備えるということも出来るじゃろうが、『テンペスト』はある程度テンマの意志で動かせるそうじゃから、普通に逃げるのと大して危険度は変わらんらしい」
「つまり、オオトリ殿はリッチの逃げ場がなく、自分に有利な状況で決着をつけるつもりですか?」
「そう言うことじゃな。しかも、弱体化した状態のリッチでは、風の壁を突き破ることも上空から逃げることも難しいじゃろうから、不利な状況でもテンマと戦うしかない。まあ、リッチがまだ戦える状態じゃったらの話じゃがな」
弱っておる上に身動きを封じられたリッチが相手なら、テンマは高い確率で一方的な状況に持ち込むことが出来るじゃろう。じゃからこそわしは、リッチが予想よりも粘っていると感じたわけじゃ。
「あら? 風が弱まってきたような?」
「うむ。確かに弱くなってきておるのう。恐らく決着が付いたのじゃろう。テンマが勝ったとは思うが、万が一ということもある。ジャン、わしはもう少し視界がよくなるまで待つが、お主たちは煙が完全に晴れるまで待った方がよいじゃろう」
本当はすぐにでも飛んで行きたいところじゃがもしテンマが負けていた場合、視界の悪い中に突っ込んでいってリッチに待ち構えられでもしたら、これまでの全てが無に帰すこともあり得る。ならば、最悪の場合も考えた行動を取るべきじゃろう。
「マーリン様、私たちも同時に進んだ方がよくないですか?」
「わしは空を飛んで行くからよほどのことがない限りものにぶつかるということは無いじゃろうが、地上を進むお主たちは違うじゃろ? 視界が悪い上に足元がどうなっておるのか分からぬところを進むのは、流石に馬が可哀そうじゃ」
と言うとクリスは納得しておったが、もしもテンマが負けておった場合、わしと同時に軍を進ませると、まず間違いなくクリスたちが真っ先に狙われて命を落とすことになるじゃろう。
「おっと……わしはそろそろ行くとする……ん?」
煙も薄くなってきたことじゃし、そろそろテンマを迎えに行こうかとしたところ、遠くで……まだ煙の濃い辺りで魔法が使われたような気配(長年の経験から、煙の動きでそう感じた)あったかと思うと、そのすぐ後で雷が落ちて小さな爆発が起きた。
「あれは『タケミカヅチ』か! まだ戦闘は続いておったのか!」
こんなことなら、『テンペスト』が消えたすぐ後で動いて居ればよかったと思いながらすぐに空中に浮かんだのじゃが……先程の雷の爆発でさらに砂煙が舞ってしまい、テンマのいるであろう周辺はさらに視界が悪くなっていた。
そんな状態でもわしは全力でテンマの下へと向かったが……半分も進まないうちに、煙の中心部から上空へと向かう二つの影を見つけてしまい動きを止めてしまった。
「テンマ……」
それは、ぐったりとした様子で動きのないテンマと、そんなテンマを片手で持ち上げている見知らぬ女じゃった。
マーリンSIDE 了