第19章-14 行動準備
「いや、まあ……体力を温存する為に寝ていたというのは分かっているし、それを責めるつもりは全くないのよ。ただ、二人揃って床で眠るのはやめて欲しいのよね。寝るのなら、せめて隅の方でちゃんとした寝床を作って寝るとかしてくれないと……流石に床のど真ん中で寝ていたら、正直言って引くわ」
食べてすぐに寝たせいで座っていた場所(テントの中央付近)がそのまま寝床となってしまった為、入ってきたクリスさんは一瞬俺とじいちゃんに何かあったのかと思ったそうだ(その疑いは、俺の寝息とじいちゃんのいびきで即晴れたらしい)。
一応、マントを下に敷いて眠っていたのだが、その冒険者スタイルはクリスさんに言わせると『ちゃんとした寝床』とは言わないのだそうだ。
「それで、何でクリスさんがここに居るの? 近衛隊を首になって、降格処分でも受けた?」
「じゃからあれほど、いい加減年相応の落ち着きを持てと方々から言われておったというのに……危なくなったら、さり気なく逃げるのじゃぞ。あからさまでは罰せられるから、絶対にさり気なくじゃぞ!」
「違います! テンマ君とマーリン様がリッチと戦う場合、その場所はかなりの激戦区となります! しかしながら、お二人はリッチに集中しなければならないので、リッチが率いていると思われるゾンビの群れの大半はそのまま進軍すると上層部は考えております。それに対応する為に、近衛隊を含めた全ての部隊から精鋭を選抜して特別部隊を作り、この陣地に配置されたのです」
さり気なく自分は選ばれてここに居るのだと言っているが……その胸を張っている選ばれし者の後方には、明らかにクリスさんよりも偉い立場の人が仁王立ちしている。
「概ねクリスの言う通りですが、正確に言うと私とクリスを含めた選抜隊の者は、オオトリ家のサポートをする為にここに居ます。陛下とライル様により、オオトリ家には私兵どころか従者すらいない為、協力者が必要だろうということで各部隊の中で一番面識のある私たちが選ばれました」
クリスさんよりも偉い人であるジャンさんによると、近衛兵を一般人のサポートに向かわせる必要はないとの意見も出たそうだが、実際はオオトリ家と近衛兵の共闘部隊という扱いで、細々としたサポートは共闘のついでに一番親しいクリスさんにでもやらせとけということだそうだ。ちなみに、クリスさんは自分が選ばれた理由の一つに俺と親しいからと言うのが含まれていることは理解していたそうだが、サポートをさせる為だとは今初めて聞かされたようで、軽く混乱していた。
「ふむ、それではクリス、茶を二杯……いや、三杯入れて貰おうかのう」
「ジャンさん、椅子どうぞ」
「これは申し訳ない……クリス、早くお二人にお茶をお出ししろ。ただし、急ぐのは当然だが、近衛の名に恥じないお茶を入れるんだぞ」
ジャンさんに椅子を勧め、三人でクリスさんの入れるお茶を待つことになった。クリスさんはぶつくさと小声で何かを呟いていたが、近衛兵への命令は王族……今回は王様かマリア様から下されたものなので、じいちゃんの指示に逆らうことなく行動していた。
そんなクリスさんの入れたお茶はと言うと、
「渋いね」
「渋いな」
「まずいのう」
俺たちから酷評されていた。まあ、渋いお茶が好きな人には許容範囲の味かもしれないが、少なくとも俺たちの口には合わなかった。そのことに対しクリスさんは、
「仕方がないじゃないですか! 普段お茶は、入れるんじゃなくて入れて貰うことの方が多いんですから!」
などと言っていたが、ジャンさんが「最低限のことは新人の頃に教え込まれるはずだが?」と聞くと、
「いえ、まあ、何と言うか……私、自分で言うのも何ですが、出世が早かったもので……」
と言っていたが……
「つまり、それにかまけて基本的な雑用は手を抜いていたということですね」
「例え出世が早くとも、近衛隊では最年少の下っ端なはずじゃから、忙しくともやらされると思うんじゃがのう?」
「多分、若すぎて他の者が手を貸していたのでしょうね。クリスもクリスで、それに甘えていたということなのでしょう」
結局のところ、俺たち三人はクリスさんがさぼっていたからだという結論に至った。
この決定にクリスさんは何も言わなかったが、渋い顔をしていたので言わないではなく言い返せないと言ったところだろう。
「それで、リッチが現れた時、ジャンさんたちはどう動くのですか? それと、精鋭部隊の人数は?」
「まず、ここに派遣されたのは百名で、有事の際は戦闘も行いますが、基本的には他の部隊との連絡隊と思ってください」
個々の戦闘能力は高いものの戦闘部隊としては人数が少ないので、この部隊だけで戦うことよりもオオトリ家と他の部隊との間を取り持つ連絡隊として動くことを優先するそうだ。
近衛兵を含む精鋭部隊を連絡員に使うというのは贅沢過ぎて普通はあり得ないことではあるが、近衛兵がいるのならば王族の率いていない部隊の指揮系統に影響されない為、ほとんどの戦場を無条件で移動することが出来る。なので、どこに現れるか分からないリッチと戦う予定の俺たちの動きに合わせる部隊としては最適なのだ。
「本当ならば最低でも五百は欲しいところでしたが、流石にそれほどの精鋭を引き抜くことは不可能でした。その分、オオトリ殿と訓練などで面識があるという者を優先して選んでおりますので、反発して和を乱すと言った心配は少ないかと思われます」
「まあ、例え五百おったとしても、数千数万の群れで動くゾンビ相手では分が悪いから無理だけはするでないぞ。わしやテンマと違い、お主らは空を飛んで逃げるということが出来ぬのじゃからな。それはそれとして……クリス、茶を入れなおしてくれ」
「あっ! 俺のも」
「俺のも頼むぞ。今度は失敗するなよ」
二度目ともなるとクリスさんは大人しくお茶を入れ始めたが、その味はやっぱり渋かった。しかも、何故かクリスさんはお茶を入れている間、ちらちらと俺を睨んでいた。そして、ジャンさんにバレて怒られていた。
「ジャン様、報告があります!」
「入れ!」
二杯目のお茶をちびちび飲んでいると、テントの外からジャンさんに声がかけられた。返事をする前にジャンさんが俺とじいちゃんに視線を向けたので頷くと、報告に来た騎士をテントの中に入れた。
「第一陣地が突破されたとのことです。正確な数は分かっておりませんが、突破したゾンビは万を優に超えるとのことです」
「こちらの被害は?」
「罠の為に残っていた者たちの内、第二陣地に来ることが出来たのは数名だけだそうですので、ほとんどが犠牲になったものと思われます」
罠の為に残ることになっていたのは騎士団の中でも魔法が得意な者たちだそうで、第一陣地では主力となるはずだった者たちばかりだそうだ。
「俺が聞いていた人数は百人程だが、そのほとんどが犠牲になったということは、何らかの理由で自分たちの魔法に巻き込まれたか、予想外のことが起こったということか……そのことについての報告はないのか?」
「今のところ、入ってきた情報はそれだけです」
ジャンさんが精鋭部隊としてここに来る前に聞いていた話では百人ということだったらしいが、もしかすると近衛隊を離れた後で計画が変更されているかもしれないので、正確な人数は知らないとのことだった。しかし、当初の予定から人数が増えることはあったとしても大幅に減ることは考えにくいので、百人の魔法を使える部隊がほぼ全滅したとみるべきだろう。
「報告します!」
最初の報告が終わってからほとんど間を空けずに、次の報告が入ってきた。
その報告によると、ゾンビの群れの中にいた四つ腕の化け物と、これまで確認されていなかった新たなゾンビにより奇襲を受けたとのことだ。
ここに来て新たなゾンビの登場と言うだけでも嫌な話だが、さらに厄介なことにそのゾンビは魔法を使うということらしいのだ。
「リッチと言うわけか……しかも、それが複数も現れただと……」
「恐らくは……ただ、その新たなゾンビは魔法こそ使うらしいのですが、オオトリ殿の報告にあったような化け物ではないとのことです。むしろ、単体でなら四つ腕の化け物の方が強いかもしれないとのことでした」
第一陣地から何とか逃げてきた騎士の話によると、『火災旋風』の邪魔をするように魔法を使うゾンビが遠距離から攻撃してきて、そこに出来た隙を突くような形で四つ腕の化け物が突進してきて暴れたそうだ。
「魔法を使うゾンビが四つ腕の化け物よりも弱いという理由は?」
「四つ腕の化け物が突進してきた後、魔法を使うゾンビも前進してきて騎士団との乱戦となったそうですが、四つ腕の化け物とは違い魔法を使うゾンビの方は力も耐久力も弱く、さらには遠距離の時も乱戦の時も強力な魔法は使わなかったとのことです。以上のことから、使える魔法は威力の低いものか隠しているかは不明ですが、接近戦ではさほど脅威ではないというのが上層部の下した判断となります」
ゾンビが力を隠しているだけという可能性もあるが現時点では確認することが出来ないので、四つ腕の化け物と比べると危険度は下がるとのことだ。
「そうすると、ゾンビの魔法に気を付けなくてはならないのは当然だが、その後の四つ腕の化け物の突進の方が脅威ということか……」
「じゃが、逆に考えれば、魔法が飛んでくればその次は四つ腕の化け物が来るということじゃから、分かりやすいとも言えるのではないか? わしとしては、ゾンビの群れと戦っている時に急に現れるよりは対応しやすいのう」
「いえ、そう言えるのはマーリン様……とテンマ君やディン隊長くらいですよ。いくら威力が低かったとしても、魔法をどうにかしないと不利な状況での戦いを強いられるわけですし」
第一陣地が突破され、リッチもどきのゾンビも現れたそうだが、標的のリッチが現れていない以上俺とじいちゃんは下手にここを動くわけにはいかないので、報告を受けても割とのんびりした空気が漂っていた……あくまでも、『俺とじいちゃんの間には』だけど。
ジャンさんとクリスさんは、表面上は落ち着いているようにも見えるけれど、よく見ると貧乏ゆすりをしていたり指がテーブルや膝などを小さく何度も叩いていたりするので、内心は焦っているのだろう。もしかすると、ジャンさんたちも俺と同じく下手にこの場を離れるわけにはいかないので、そのもどかしさが表れているからかもしれない。
「ジャンさん、とりあえずは、いつでも部隊を動けるようにしておいた方がよくないですか? 俺とじいちゃんはいつでも飛び出せますけど、騎士たちの準備……特に馬はそうもいかないでしょ?」
馬も生き物なので食事や休憩をとらせなければならないし、戦場に出る以上はその為の準備もさせなければならない。しかし、馬の負担を考えると休息中も鞍や手綱などを装備させっぱなしと言うわけにはいかない。
「確かにそうだ……ですね。クリス、部隊全体にいつでも出動できる準備をするように通達しろ。それと、馬の装備に関してはすぐに対応できるように準備をさせるんだ」
事前に鞍などを着けさせておくことが出来ないのなら、少しでも準備の時間を減らす為の行動をとらせることにしたようだ。
基本的に騎士のみで構成された部隊の時は馬の世話人を連れてくることもあるそうだが、今回の部隊は俺とじいちゃんの動きに合わせる為に動きやすいものにしようとした結果、徒歩で移動することになる世話人は連れてこなかったそうだ。まあ、世話する者の数に余裕がなかったというのもあるそうだ。
しかし、馬の世話をする者を連れて行くことが多いとはいえ、馬に乗る騎士自身が何もできないということは無く、新人の頃には徹底的に馬の装備に関することは教え込まれるそうだし、通常の訓練の中にも馬の準備に関することを行うとのことなので、心配はないとのことだ。もっとも、それでも得意不得意はあるそうだが、あまりにも目に余るような騎士は選抜する時に弾いているとのことだった。
「テンマ君……何故そこで私を見たのかしら?」
「いえ、クリスさんは先程自分は早くに出世したから、基本的なことは出来ないと言っていたので、つい」
「出来ないわけじゃないからね! 馬のことに関しては新人の頃にちゃんと教わっていたし、今でも訓練があるわけなのだから!」
などとまくし立てられた。
「それに関しては、私が普段の訓練を監督しておりますので保証いたします」
そこにジャンさんがクリスさんの腕前を保証したので、クリスさんは何故か胸を張っていたが……
「それはそうとして……クリス。オオトリ家のお二方は、王国軍とある意味同盟を組んでいる立場にあるのだが、お前は自分の言葉遣いをどう思う?」
ジャンさんの指摘に、クリスさんは「えっ! 今更!?」と口にした(俺も同じようなことを思った)が……よくよく考えてみると、テーブルを出してから打ち合わせのようなものをし始めて、俺とクリスさんがまともに話したのは今のが最初だったような気がする。多分、それまではクリスさんはお茶を入れているか黙って待機していたし、基本的に会話はジャンさんとしかしていないから指摘はしなかったのだろう。実際にそう思ったすぐ後で、ジャンさんは自分との会話に気を使う必要はないが、いくら相手と親しい仲であったとしても、今の双方の立場を考えて最低限の態度を弁えろと叱りつけていた。
「ジャンさん、気にしていませんから、それくらいにしてあげてください」
「そうじゃな。いつも通り過ぎて、わしも全く気にしとらんかったわい。わしらが気にしとらんのだから、ジャンさえ黙っておけば特に問題になることは無かろう」
ジャンさんのお叱りの言葉が切れたところを狙って声をかけると、ジャンさんはまだ何か言いたそうにしていたが、俺とじいちゃんがそう言うのならと言う感じでクリスさんを解放した。クリスさんは胸を撫で下ろす前に、俺とじいちゃんに感謝の言葉を口にしてもいいような気もするが……それを言うとジャンさんのお説教がまた始まり止めた意味がなくなりそうなので、今は黙っておくことにした。
ちなみに、ジャンさんとクリスさんの馬の準備だが、本格的に叱りつける前に近くにいた騎士に代わりに準備するように伝えていたので、今頃は完了して次の指示を待っている頃だろう。
「申し訳ありませんが、一度部下たちの様子を見てまいります。クリス、行くぞ!」
「はっ! それでは失礼します」
クリスさんは先程ジャンさんに怒られたせいか、やけに動きがきびきびとしていた。
「いつもあれなら、ジャンヌやアウラからもう少し尊敬されると思うのに……」
「まあ、あれはよそ行き用に猫を被っているからのう。うちに来たら即脱ぎ捨てるじゃろうな」
どうあっても、ジャンヌとアウラの尊敬を今以上に集めることは出来ないと、じいちゃんは笑って言った。
「そんなことよりも、魔法が使えるゾンビと言うのは厄介だよね。遠距離からの攻撃は王国軍の独壇場だと思っていたのに、威力が低いとはいえゾンビも出来るとなると、それだけゾンビが接近しやすくなるということだし」
「そうじゃな。これまで弓矢のようなゾンビに効きにくいものでも、ある程度まとめて運用すればそれなりに効果が期待できたが、次からは弓矢ではなく最初から魔法を使うことになるじゃろうな。その分、前線の騎士や兵士たちの負担は増えると言うことじゃ」
これまでは魔力の消費を抑える為に、弓矢や投げやりと言った物理の遠距離攻撃を最初に行うということになっていた。相手はゾンビなので物理の遠距離攻撃は効果が薄いが、物理攻撃では倒せなくともゾンビの進軍の邪魔になるので、時間を稼ぐという意味では友好的であるし、前にいるゾンビの歩みが遅くなればそれだけ全体的に密集するので、その次の魔法での攻撃の効率が上がるはずだったのだ。それが出来なくなると負担が増えるだけでなく、魔法の打ち合いになれば最初から被害も大きくなる恐れがある。
「じいちゃん、場合によっては、リッチが現れるのを待つだけじゃなくて、俺たちの方から戦場に出てリッチをおびき出すということも考えないといけないかもね」
「うむ。こちらから攻撃を仕掛けて魔力を無駄に消費するのは避けるべきじゃが、このまま待っておるだけじゃと、王国軍の損害が増えるだけじゃろうからな。様子見と言う感じで飛び回るだけならば、さほど疲れることは無かろう」
その分、ジャンさんたちの負担は増えてしまうだろうが、ゾンビの群れから離れた位置で待機してもらい、リッチとの戦いが始まれば動き出して貰うようにすれば、負担の増加を最低限に抑えることが出来るかもしれない。
「ジャンさんたちが戻ってきたら、すぐに相談してみようか?」
じいちゃんの同意も得られたのでジャンさんたちに相談することに決め、二人が戻って来てすぐに俺たちの案を切り出した。
それに対しジャンさんは、かなり考え込みながら渋い顔をしていたが、最終的には俺とじいちゃんに動きを合わせる部隊と言うことで賛成してくれた。だが、王国軍の混乱を最小限にする為に、こちらから動くということを近隣の部隊に通達する時間が欲しいと言われ、伝令に出した騎士たちが戻るまではこれまで通りこの場で待機することになったのだった。