第15章-3 こんにちは、赤ちゃん!
「姉上! プリメラの話は」
「アルバート、少し黙りなさい」
アルバートもプリメラの話だと思ったのか、慌ててアンジェラさんの言葉を止めようとしたが、逆にアンジェラさんに睨まれて黙り込んだ。
「アルバート、私はお父様が終わらせた話を蒸し返すつもりはありません。個人的な感情は別ですが、少なくともサンガ公爵家に関わる者として、当主が決めたことに異論を挟むつもりはありません」
その言葉を聞いた俺とアルバートは、だったら何の話なのだろうかと言った感じで、思わず首をかしげてしまった。
「頼みたいのは……これにサインを書いてほしいのです」
アンジェラさんがサインを書いてほしいと言って取り出したのは、一冊の絵本だった。
「これは……」
それは俺の子供の頃の話を基にした絵本で、マリア様が監修した第一号の本だ。あの後、同じ作者から三冊ほど絵本が発表され、子供たちに人気のシリーズになっていると聞いている。
「一番下の子にせがまれて、どうにかお父様経由でサインを貰えないか考えていたのですけど、今回のアルバートの件でのお詫びと、今後のことを考えて一度ごあいさつをということになりましたので、直接お願いしようと思いまして」
ということだったそうだ。プリメラのことで俺を見るという理由もあっただろうが、それ以上にカリオストロ家としての顔つなぎや、サインが目的だったようだ。まあ、アルバートの謝罪も目的の一つだっただろうが、それについては手紙やサンガ公爵に頼んでもいいことだったので、アルバートは利用されただけだろう。もっとも、アルバートが怒られるのは決定事項だっただろうが、うちに宿泊していたのはアンジェラさんにとって一番いい状況だっただろう。もしかするとサンガ公爵も、そのつもりでアルバートを俺に貸し出したのかもしれない。
「ええ、それくらいなら構いません。ですが、あまりうまく書けませんよ?」
何せ、これまで本にサインを書いた事など、数えるくらいしかないからだ。ちなみに、サイン入りの絵本を持っているのは二人だけで、マリア様とヨシツネにそれぞれ四冊ずつという感じだ。
そのことを話すと、アンジェラさんは他の絵本も持ってくればよかったと言うので、うちに置いてあった残りの三冊にサインをして差し上げることにした。
「これはうちの子も喜びます! それで、厚かましい話ですが、恐らくレイチェルお姉さまの子供もサインを欲しがると思いますので、その時はよろしくお願いします」
サインをするのは別にいいが、上のお姉さんの子供の分は、サンガ公爵に預けようと決めた。さすがに、もう一度今日のような話し合いの場は設けたくないので、どうしても会う必要が出来た時は、サンガ公爵に頼んでパーティー形式にしようと思う。その方が、カインやリオンといった壁……もとい、生贄……ではなく、道連れも用意できるかもしれないので、精神的に楽になるだろう。
話が終わると、ちょうどお昼の準備が出来たとのことだったのでアンジェラさんを昼食に誘ったが、この後は予定が詰まっているとのことで、アルバートを連れて色々と回らないといけないとのことだった。そのことを聞いたアルバートは、驚いた顔でアンジェラさんを見ていたが、反対できないと思ったのか大人しく頷いていた。
アルバートの荷物は後日取りに来るので、このまま帰るというアンジェラさんとアルバートを見送りに玄関に向かうと、
「ん? おお、久しぶりだな」
「ライル様も、お久しぶりです」
途中で廊下を歩いていたライル様と鉢合わせた。二人は年齢が近く、学園では先輩後輩の間柄で顔見知りだったらしい。
その場で簡単な挨拶と世間話をすると、アンジェラさんとアルバートは馬車のところへと向かったが、その見送りにライル様も付いてきた。顔見知りと言っていたが、それなりに親しい間柄だったのかもしれない。
「それじゃあ、昼飯にしようぜ! ……それにしても、厄介なことにならなければいいけどな」
ライル様が最後に呟いた言葉に不吉な予感がしたが、それを聞く前に食堂に到着した為、聞くことが出来なかった。
「それじゃあ、皆自分のどんぶりが用意ができたね……では、最初の指名は?」
ナミタロウのお土産による、海鮮丼の具材の指名が始まった。皆が指差した最初の具材は……
「やっぱり、マグロのたたきが一番人気か。じゃあ、じゃんけんだな。あっとその前に……レニさん、単独指名なので、お先にどうぞ」
「それじゃあ、お先に」
レニさんが指名したもの……それは、『生シラス』だった。レニさんは初めてだからと言う理由で選んだらしいが、初めてで選ぶにはハードルが高いような気がした。
「え~っと……一回一すくいで、どんぶりに移す前に、完全にスプーンを浮かせないといけないのが決まりでしたね……それっ!」
レニさんは、ルールを確認しながら慎重にスプーンを入れ、素早くどんぶりに移そうとしたが、
「やっぱり、そう簡単に上手くは出来ませんね」
失敗して、あまりどんぶりに乗らなかった。
「それじゃあ、次は私たちの番ね!」
クリスさんの音頭で、マグロのたたきのじゃんけんが始まった。
「一番、ゲット!」
「二番、貰った!」
「三番か」
一番を取ったのがアウラで、二番がアムール、三番が俺だった。
「今回こそは……あっ……」
「ぷふっ……あっ……」
アウラとアムールは大量ゲットを目論み、中心部を底の方から救い上げようとしたが……二人そろって失敗し、ほんの少ししかすくうことが出来なかった。
「それじゃあ俺は、ここを狙って……まあまあかな?」
二人が失敗して出来た隙間からスプーンを入れると、なかなかの量をすくうことが出来た。それを見ていたクリスさんやジャンヌは、俺の真似をしてスプーンを入れると、アウラとアムールの十倍近くどんぶりに乗せていた。まあ、十倍とはいっても二人の量が少ないだけなので、少し失敗したライル様でも、二人の三~四倍くらいの量を乗せていた。
「それじゃあ、いただきます」
皆のどんぶりが完成したところで、揃って食事開始となったが……
「「お代わり!」」
アムールとライル様がすぐに食べ終わって、二杯目に突入しようとしていた。
「出遅れた!」
「二人とも、取り過ぎはいかんぞ!」
クリスさんとじいちゃんも、二人に負けじと食べ終えてお代わりに行った。
「わた……う、うぐ……」
「はい、お水」
アウラは、四人に追いつこうと慌てて頬張ったせいでのどを詰まらせ、ジャンヌに介抱されている。
そんな騒がしい昼食が終わり、それぞれ思い思いにくつろいでいると、ライル様がトイレに行くのが見えたので後を追いかけた。
「ライル様、聞きたいことがあるので、少しいいですか?」
「何か、問題でもあったか?」
トイレから出てくるのを待ち構え、そのまま俺の部屋に向かった。部屋に入ってカギをかけたので、ライル様が一瞬警戒していたが、すぐに警戒を解いて近くにあった椅子に座った。
「それで、鍵をかけてまで俺に何を聞きたいんだ?」
「アンジェラさんを見送った後で、『厄介なことにならなければいい』と呟いていたのが聞こえたので」
俺の直球の問いにライル様は驚いた顔を見せた後で、深くため息をついた。
「口に出したつもりはなかったんだがな……」
「とても小さな声でしたので、俺以外には聞こえていないと思います」
たまたま近くにいた俺にのみ聞こえたのだと言うと、ライル様は少し渋い顔をしたが、すぐに真面目な顔になった。
「まあ、聞かれてしまったのは仕方がないし、今のところは『もしかすると』といった予想でしかないが、簡単に言うと『王族派が割れる可能性があるかもしれない』と、アンジェラを見てそんなことを思ったというわけだ」
「王族派が割れる? アンジェラさんが、新しい派閥を作るかもしれないということですか?」
そんな感じには見えなかったと言うと、
「いや、アンジェラにそのつもりはないだろう。派閥の長になるとしたら、父親のサンガ公爵だ」
王国の貴族にはいくつかの派閥があり、有名なのが『王族派』、『改革派』、『中立派』の三つで、その他の派閥は残りのすべてを合わせても、三つの中で一番小さな『中立派』の半分にも届かないと言ったものだ。
「そういった派閥の中には、さらにいくつかの派閥が存在しているんだ。例えば『王族派』なら、父上を中心とした中央の派閥や、北部の王族派の派閥、西部の王族派の派閥……と言った具合にな」
ちなみに、王様を中心とした派閥には、ライル様たち王族やサンガ公爵にサモンス侯爵、ハウスト辺境伯と言った貴族が所属している。
「だが、ここ最近になって王族派の貴族で、一気に影響力が増した貴族がいるんだ」
「それが、サンガ公爵様ですか?」
「その通りだ。元々の影響力に加え、近年では三人の子供たちが有力貴族と婚姻関係を結んでいる。さらには、次期当主の婚約者の実家の養女は、将来の国王最有力候補の恋人だ。これだけでも、何十年後かには、サンガ公爵家の血を直接引く者が国王になってもおかしくない。それどころか、王家の乗っ取りもありえる話だ……まあ、今のサンガ公爵やアルバートを見ていると、そんな野心は抱いていないと判断できるが……その次の世代までは分からないし、急に野心を抱かないとも限らない。人の心は分からないからな」
確かに、ライル様の危惧していることは理解できるが、その話は以前から出ていただろうし、それだとアンジェラさんを見て、思わず呟いてしまったことに繋がらない。
そのことを話すと、ライル様は少し考えこんでから、
「テンマ、アンジェラが来ると聞いた時、何の話をする為だと思った?」
「へ? それは、その……プリメラとの結婚話だと思いました」
そう答えるとライル様は頷いて、
「アンジェラの行動はテンマが思ったことと同じように、他の貴族にもそう思わせただろう。つまり、サンガ公爵が娘を使って、テンマと言う『龍殺し』にして最強の冒険者を、自分の陣営に引き込もうとしているのではないかと勘繰る者が出てくるかもしれないということだ。さらに言うと、テンマは王都の住民の人気が高い。そんなテンマがサンガ公爵の作る派閥に入るとなると、サンガ公爵は権力、戦力、人気を手に入れることになる。その気になれば、新たな国を興すことも可能だろう」
すごく考え過ぎな気もするが、可能性だけで言うのなら確かに出来ないことも無いだろう。
「サンガ公爵にその気はなかったとしても、他の貴族たちの中には『もしかしたら』と言う思いで勝手な行動を起こす者や、王族派を混乱させる為に暗躍する者が現れるかもしれない……『改革派』の貴族とかな」
王族派に差を付けられている改革派としては、サンガ公爵と王族を対立させる、それが出来なくても疑惑を植え付けるだけで、王族派の力を削れるだろう。
「まあ、こういった問題は、貴族の結婚なんかが絡むと起こりやすいからな。実際に、アルバートの婚約や、アンジェラの結婚の時にも出たから珍しくない話とも言えるが……起こるたびに対策を取るのが面倒でな」
「もしかして、アンジェラさんが他にも行くところがあると言っていたのは……」
「間違いなく、対策の為だろうな」
公爵家ともなると、色々と面倒くさいことが起こるんだな……と思ったところで、上のお姉さんの子供の分のサイン本のことを思い出したので、ライル様にサンガ公爵に預けるかパーティーの席で渡すのどちらがいいかと聞いてみると、
「パーティーの方がいいかもしれないな。預けて渡して貰ったとしても、貴族としては直接会って礼を言った方がいいから、どちらにしろ会わないといけないだろう。ならば、パーティーで渡した方が、一度に済ませることが出来て楽だとは思う。ただ、レイチェルだけに渡すのだから、特別扱いしているとみられるのは避けられないだろうな」
ということらしいが、そこは先にサンガ公爵に渡しておいて、サンガ公爵を経由して渡せば、ある程度問題を回避することは可能だろうとのことだった。
「ついでに、そのパーティーにサンガ公爵の名でティーダに招待状を出せば、王家とサンガ公爵家の仲の良さもアピールできるだろう。幸い、ティーダの恋人であるエイミィはエリザベートの義妹だから、その関係で招待状を出したと言えばおかしくはないからな」
ライル様の助言は、早いうちに王様とサンガ公爵に伝えよう。おそらくは二人とも同じことを考えているとは思うが、俺の政治能力は付け焼刃、もしくは力押しが多いから、二人の考えた通りに動けるように準備しておかなければならないだろう。
「まあ、テンマは巻き込まれた側なんだから、難しいことは父上や兄上、それにサンガ公爵に丸投げしておけばいいさ。その三人なら、悪いことには……いや、母上も混ぜた方がいいかもしれないな。父上とサンガ公爵は大丈夫だろうが、兄上は思いっきりテンマを利用しそうだ」
シーザー様に関しては王様たち程付き合いが多いわけではないので、それはないとは言い切れないが、王家の利益の為に使われる可能性はあり得ると思う。まあ、利益とは言っても、マリア様に多少小言を言われるくらいの範囲に収まるとは思うが……油断していると、いつの間にか王族の……アーネスト様辺りの養子になってはどうか? くらいのところまで話が行きそうなので、気を付けなければならない……ような気がする。
「俺の方から母上に報告しよう」
王様たちへの報告はライル様に頼むことにした。王様たちに丸投げして、王家とサンガ公爵家の動きが決まってからの方が口を出しやすいだろう。
「それじゃあ、俺は城に戻るとするか。近いうちに母上が来るか呼び出しがあると思うから、その時は頼むな」
急いでやることも出来たし、ここで王城に戻るというライル様に、俺は少し待ってもらうことにしてお土産を用意した。ライル様は気が付いていなかったかもしれないが、ナミタロウを送ると言う仕事があったとはいえ、自分だけおいしいものを食べたと知られたら嫌味を言われるだろう。それに、巻き込まれた形とはいえ、俺のことでマリア様に迷惑をかけるので、その分の賄賂……心遣いはしなければならないだろう。
「それじゃあ、これをマリア様に渡してください。調理の方は、クライフさんかアイナが出来るはずなので」
「すまん、助かる」
ライル様は俺が用意したお土産を見て、このままだとマリア様に嫌味を言われるところだったと気が付いたみたいで、深々と頭を下げていた。お土産の内容は、十数人分の海鮮丼が出来るくらいの海産物とお米で、ナミタロウとの連名と言うことにした。これで、ライル様だけ食べてきたからと、ハブられることはないだろう。
ライル様が見えなくなるまで見送ってから、食堂に戻ると……
「ほれほれ、もうちょい頑張りや!」
「ふんむ~~~!」
「がんばれ~! お・じょ・う・さ・ま~~~!」
ナミタロウを中心にして、皆で集まって何かしていた。
「むふ~……頑張った! けど、無理!」
「やっぱり無理か~。今んとこ出来たのは、マーリンとジャンヌだけやな」
アムールが降参すると、ナミタロウは先程までアムールが触れて何かしていた卵を軽くたたいていて、残念そうな声を出していた。
「何やってんだ?」
「おっ! 本命が来たで~! ほな早速……テンマ、ここにおいでやす~」
俺が声をかけると、ナミタロウは「待ってました!」とばかりに、何故か京都弁を使いながら手招きした。
「ほらほら、ここや、ここや。この卵に手を添えて、ちょっとばかし魔力を注ぎ込んでほしいねん。ちょっとでええんや! ほんのちょっとだけ頼んます!」
「分かった」
「ん? テンマ、触るのはわいの顔やのうて、卵の方やで? なぁ、テンマ……聞こえとる?」
完全にふざけているナミタロウに合わせて、俺も少し遊ぼうと思い、ナミタロウの顔を両手で挟んだ。そして、
「タケミ……」
「ちょい待ったーーー! それはあかん! それはシャレにならんからーーー!」
一番効きそうな魔法の中で、一番威力のある魔法を唱えようとしたところ、ナミタロウは誰かから聞いていたのか、もしくは名前から察したのかは分からないが、素早く俺の手を引きはがすと、ものすごい勢いで後ずさりして俺との距離を取った。
「冗談だって。いくら俺でも、準備なしで『タケミカヅチ』は使えないから……せいぜい、体がビリビリしびれるくらいだって」
「小さな声で言っても、ナミちゃんイヤーにはちゃんと聞こえとるからな! 魚にビリビリはいかんやろ! ビリ漁は禁止なんやで!」
興奮したナミタロウは、「ビリは魚の敵や! 環境破壊や! 神様が許しても、ナミちゃんは許しまへんで!」と騒ぎ立てていた。
「それで、一体俺に何をさせようって言うんだ?」
「この卵に、テンマの魔力を分けてやってほしいんや」
「あれだけ騒いでおいて、何普通に会話しているのよ……」
ナミタロウの興奮が収まるのを待って、俺を呼んだ理由を聞くと、ナミタロウは何事もなかったかのように用件を話した。
そんな俺たちの様子を見ていたクリスさんが、他の皆の心の声を代弁するかのようなことを言っていたが、俺とナミタロウはこういう関係だからとしか言いようがないし、いつものことなので聞こえなかったふりをした。
「テンマは昔、ソロモンをふ化させる時に魔力を注いだんやろ? それとおんなじことをやってほしいんや」
そのナミタロウの言葉で、この卵が普通の卵ではないと言うのを確信した。まあ、『鑑定』が聞かない時点で、普通の魔物の卵ではないと分かってはいたが……少し嫌な予感はしている。
「何か警戒しとるみたいやけど、これはこの卵の母親に頼まれたことなんやで。色々な魔力を注がれた方が、強い子が生まれてくるらしいんや」
俺が警戒しているのはそこではないけれど、卵の母親が許可しているならいいだろうと、ソロモンの時のことを思い出しながら、卵に魔力を注いだ。
「おお! やっぱり経験しとるだけあって、上手いごと魔力が入っていきよるな!」
久々だったが魔力の注入は上手くいったようで……と言うか上手く行き過ぎたようで、『テンペスト』を使ったくらいの魔力を持って行かれてしまった。その結果、
「ひびが入った!」
「生まれるんですか!」
「二人共、危ないから下がりなさい!」
卵にひびが入り、それを見ていたアムールとアウラが身を乗り出してのぞき込もうとしたが、警戒したクリスさんに後ろ襟を引っ張られて無理やり距離を取らされた。
「出るで、出るで~……出たーーー!」
「ぶひぃ~~~……ぶい?」
バリっという音を立てて、卵の中から『亀』のような生き物が顔を出した。俺とナミタロウ以外は、亀のような魔物の赤ちゃんを見て、喜びながら、もしくは興味深そうに見ていたが、俺は冷や汗をかいていた。何故なら、
種族……ベヒモス
と、『鑑定』に出たからだ。この世界において、ベヒモスとは古代龍の一種であり、翼は持たないが百mを優に超える巨体を持つ龍だ。同一個体の龍種としては目撃例が最多で、比較的穏やかな性格の為、遠くから見ている分には危険はないらしいが、巨体過ぎるので不用意に近づくと、移動の衝撃に巻き込まれることがあるのだとか。ちなみに、その姿はリクガメを巨大化させた形をしているが、基本的に海に住んでいるらしい。
「あっ! 殻の中に隠れた!」
囲まれたのが嫌だったのか、ベヒモスの赤ちゃんは殻の中に隠れるように首を引っ込めた。そんな姿に皆が夢中になっている隙に、俺はナミタロウを引っ張り出して、
「どういうことだ?」
「もしかして、バレた?」
とぼけるナミタロウに、今度こそ『タケミカヅチ』を食らわしてやろうかと思ったが、そんな気配を察したナミタロウの土下座に、殺す気が失せてしまった。
「前にちょろっと言ったかもしれんけど、ひーちゃんっていう友人が、あの赤ん坊の母親なんよ」
確かに聞いた覚えのある名前だった。あの時も、非常に嫌な予感がしたので聞かなかったが、その予感は当たっていたようだ。そもそも、卵に『鑑定』が効かない時点で、あの卵は並の魔物のものではないと分かってはいたが……
そのことをナミタロウに言うと、「わいが変な物を持ち込むわけないやんか!」と、何故か怒っていたが、あんな大きくていかにも怪しい卵を持ち込んでおいて、そんな言い分は通用しない。
「そんなことは置いといて……俺が聞きたいのは勝手にふ化させて、親のベヒモスが怒ってやってこないかってことだ」
皆に聞こえないように気にしながら言うと、ナミタロウはニヤリと笑い、
「来るかもしれんな~……嬉しさのあまり、お礼を言いに! ぐだっ!」
あまりにもムカついたので、ナミタロウの頭部に思いっきり殴りつけた。昔の俺なら通用しなかっただろうが、ここ数年で力も強くなり、魔力の使い方もさらに上達したので、ナミタロウに素手でダメージを与えることが出来るようになったようだ。まあ、まだ俺が反動で受けるダメージの方が大きいようで、拳のどこかの骨にひびが入ってしまったみたいだ。
「ま、まあ、そんなことにならんように、わいの方からよく言っておくから、ここに来ることはないとおもうわ。もしかしたら、来てくれとは言うかもしれんけど」
王都に来られるくらいなら、俺の方から会いに行った方が色々と楽だ。なのでナミタロウには、ひーちゃんに会った際にはくれぐれも上手く言っておいてくれと、強く念を押した。
ナミタロウとの話し合いが終わったので、赤ちゃんの様子を見に食堂に戻ると、食堂を出る前は卵の周りをじいちゃんたちが囲んでいたのに、今は遠巻きに見ているだけで、代わりにスラリンたちがそばに付いていた。
「おお、戻ってきたか」
「こんなに離れて、何かあったの?」
俺に気が付いたじいちゃんが安心した顔ような顔をしていたので、いない間に何があったのかを聞くと、どうやら皆に囲まれたことで赤ちゃんがストレスを受けたらしく、じいちゃんたちに向けて魔法を使ったそうだ。幸い、使われた魔法は水を出すだけのものだったそうで、スラリンがすぐに吸収したので被害はなかったそうだが、かなりの量の水を出したのだそうだ。
「なので、あの子亀から離れたのじゃ。それで、スラリンたちがそばにいる理由じゃが、同じ魔物だからなのか、子亀はあの三匹に対しては警戒しなかったのじゃ」
その為、スラリンたちに赤ちゃんを落ち着かせてもらっているとのことらしい。
「そのことで言っておいた方がいい情報があるんだけど……ちょっとこっちに来て」
「何じゃ?」
じいちゃんを連れて食堂の隅へと移動すると、クリスさんやアムールが付いてこようとしたが、手で制して待っているように指示した。そして、
「何じゃと!」
事情を聞いたじいちゃんの声が、屋敷中に響いたのだった。