第10章-2 クリス、暴走
王都にも問題なく到着した。大体五日くらいだろうか?
途中で大きな寄り道はしなかったが、一つだけ野生の牛の事が気になり、ティーダ達に出会った草原に寄ってみたのだが、そこに牛達の姿は見当たらなかった。
たまたまその近くで狩りをしていた冒険者に話を聞くと、どうもティーダとルナの問題行動の後、この辺りを縄張りにしていた他の牛の群れは、違う場所へと移動したそうだ。あの時の事で牛の数が大幅に減ったのではないかと心配したが、この草原にはあの群れ以外にも複数の群れが存在し、群れが一つなくなったくらいでは絶滅するという事は考えられないそうだ。
牛達の様子を知りたくなり、最近牛を狩りの対象にしたか聞いてみたが、冒険者は慌てて首を横に振って否定していた。その冒険者が言うには、最近になってこの草原を狩場にしている者達あてに、ギルドを通じて狩りの制限が通達されたそうだ。
その内容は狩りの対象を、『害獣(ネズミやウサギと言った、農作物や人に被害を与えるもの)』や『外来種(よその土地から来て繁殖、または繁殖の恐れのあるもの)』、『在来種(害獣以外で元から草原に生息していたもの)』に分け、基本的に『在来種』を狩る事を禁止したのだそうだ。ただ、例外として間引く必要がある時などは、ギルドから信頼できると判断された冒険者やパーティーに直接指名依頼されると決められたそうだ。ちなみに、この制度はティーダの名前で王都や周辺のギルドへと通達されたとの事だった。
王都の入口で門番にマリア様から依頼を受けた事を伝えその証明書を見せると、軽く本人確認をされた後で入る事ができた。屋敷の事も気になったが、先にマリア様へ報告に行くのが筋だろうという事で、そのまま王城に向かう事にした。
王城では事前に俺達の事が通達されていた様で、名前と家紋、依頼の事を話すとすぐに入城が許され、そのまま門番に馬車置き場へと誘導された。
馬車置き場ではすでにクライフさんとアイナが待っており、マリア様達が待っている部屋へと案内された。その時にお土産を渡そうとしたのだが、アイナにマリア様達より先に受け取るわけにはいかないと言われ、後で渡す事となった。
案内された部屋には、ティーダとルナを除く主要なメンバーが揃っており、一番目立つ場所にマリア様が座っている。この国のトップであるはずの王様は、マリア様の隣で大人しく座っていた……表向きはともかく、裏では誰が権力を握っているかがわかる構図だ。
「ご苦労様、テンマ」
「これがハナ子爵からの返信となります」
普通はマリア様(本来は王様)が受け取って中身を確かめ、正式に発表して子爵となるのだが、マリア様がこの話を持ちかけた時点で、ハナさんの陞爵は決定したも同然のものだった。なのであえて子爵とつけたのだが、これを聞いたマリア様は自分の計画がうまくいったことを確信して、内容を読む前から笑顔になっていた。
「確かに受け取ったわ。改めて、ご苦労様でした。こちらが依頼完了の証明書ね」
この時点を持って、俺への依頼は終了したという事だ。まあ、正確にはこの証明書をギルドに持っていかなければならないが、持っていくのはいつでもいい(あまり長い期間いかないのは怒られるが)ので、普通は証明書を貰った時点で終わったと言って過言ではない。
「それで南部はどうだった?」
依頼が終わって、冒険者と依頼主という関係から戻った(という感じの)マリア様が、南部での出来事を事細かに聞いて来た。ただ、マリア様ほどではないが、王様やライル様も南部の話を聞きたそうにしていたが、マリア様の勢いの前には口を挟む事ができなかった。
「やっぱり、王都とは色々と違うわね……ところで、その娘……アムールは、将来的に南部に帰るつもりかしら?」
「ん~……テンマが南部に行くならついて行く……ますけど、行かないなら行かない……ません」
「そう、ようこそ王都へ。問題を起こさないなら、あなたを歓迎するわ」
マリア様はアムールの返答を聞いて、ニッコリと笑って歓迎の言葉を口にした。どうやらマリア様は、俺とじいちゃんがハナさんと密約の事(アムールを預かる代わりに、いざという時の逃げ場とする)を薄々気がついているみたいだった。だからアムールが帰る気がないと言った事で、少し安心したのだろう。
「それはそうと、これが南部のお土産です」
俺はマリア様にショールなどの南部土産を渡してから、それぞれにお土産を手渡していった。この場にいないティーダとルナの分はイザベラ様に、ミザリア様の分はザイン様に預けた。
マリア様とイザベラ様は、ショールを肩にかけたり感想を言い合ったりしているが、概ね好評な様で俺としては一安心というところだ。
それに対して王様達男性陣(クライフさんを除いて)は、流石にこの場で着替えるわけにも行かず、自分の体に作務衣を当てて感想を言い合っていた……正直、おじさん達がはしゃぎ気味に感想を言い合う姿は、あまり見たくはない光景だった。まあ、はしゃぎ気味だったのは王様とライル様だけで、残りの二人は軽く体に当てた後は、服の作りや手触りを確かめていただけだった。
「テンマ、こんな素敵なものをすまないな」
未だにはしゃいでいるマリア様に変わって、王様がお土産のお礼を言っている……まあ、王様が前に出て俺の対応をするのが普通だと思うけど、王様とマリア様の力の差(決して権力の差ではない)を考えたら仕方がないか。
「なかなかいい服じゃな」
「着替えやすいし、風呂上がりにはちょうど良さそうだ」
「暑い日には重宝しそうだな。ミザリィの分もありがとう」
「部屋着や寝巻きに使わせてもらうぜ」
順に、アーネスト様、シーザー様、ザイン様、ライル様だ。今回用意したお土産には、長袖長ズボンの『作務衣』と半袖半ズボンの『甚平』の二種類がある。本来ならこの二つは明確に分けられるべきものだが、サナさんのところでは両者の呼び名がごっちゃになっていた。どうも、この世界では両者に明確な基準があるわけではなく、人によって呼び方が違うだけの様だ。
「私達の分までありがとうございます」
続いてお礼を言ったのは、クライフさんとアイナだった。二人にはそれぞれのハンカチに加え、南部で購入したナイフもつけた。最初はクライフさんがマリア様との話の中で出た南部の武器に興味を持ったらしく後で見せて欲しいと言ったので、自分用に購入していた内の一本もつけたのだ。アイナのお土産に加えたのも同じ理由である。
ひとしきりお土産の話で盛り上がった後、そろそろ屋敷に帰る事にした。アイナに聞くと、一応ゴミや壊れた塀などの撤去作業は終わっているらしいが、勝手に処分するわけにはいかなかったとの事で、ジャンヌ達に預けてあるマジックバッグに入れているそうだ。
マリア様には、先程となりの土地を購入する予定だと伝えたので、数日後には権利書など必要な書類を用意してもらえる事となった。
皆に送られて部屋を出ると、外で待機していたらしいジャンさんと出会った。そういえばディンさん達がいなかったなと思うと、ディンさん達は今郊外の草原で野外訓練をしているとの事だった。近衛隊を二つに分けて交代で訓練を行うのだそうだが、見事に第一陣にジャンさんを除いた俺の知り合いが固まったのだそうだ。
近衛隊のいつものメンバーにお土産を渡す様に頼むと、ジャンさんは個人用のお土産にお菓子が入っていた事に喜んだ。お土産を買う時にジャンさんに娘さんがいるというのを思い出したので、お菓子を選んでみたのだが、反応は上々だった。ただ、温泉まんじゅう(個人的には中のあんこの甘味が物足りない)なので、あんこで好みが分かれるかもしれないが、最悪ジャンさんが食べるだろう。
ジャンさんと別れて馬車乗り場に帰るまでの間、案内のアイナにここ最近の話を聞くと、一番の話題はうちの屋敷の横の土地の事で、他は特に変わった事はないらしい。平和だったんだなと思っていたら、王都で火事が起こる事自体が珍しく、さらにほとんどの財産を失うほどの火事は数十年に一度あるかないかの事なのだそうだ。それを聞いたじいちゃんが、「そういえばそんな話は聞いた事がないのう……」とか言っていた。
「なので、大きな騒ぎは火事だけでしたが、他の犯罪なんかはいつも通りの件数ですね」
いくら警備が厳重な王都といえども、様々な人が集まる以上ある程度の犯罪やトラブルが起こるのは仕方がない。むしろ、王都の広さを考えれば少ない方だと思う。厳密な統計が取れているわけではないが、セイゲンやグンジョー市と比べれば、衛兵などの数が多い分だけ犯罪やトラブルは少ないし、前世の大都市と比べても少ないだろう。まあ、人口の違いなどもあるが、それ以上に奴隷制度や死刑制度が簡単に適用されるのが大きいのだと思われる。
アイナと門番に見送られて屋敷に向かったのだが、屋敷に近づくに連れて以前との違いがはっきりと見て取れた。
「本当にお隣の屋敷が綺麗に燃え落ちてるね」
「そうじゃのう……大した付き合いはしてこなかったが、実際に見てみると、なんだか寂しげな気持ちになるのう」
「テンマ、屋敷もだけど、前の通りのいたるところに焼け跡なんかがある」
俺とじいちゃんが隣の屋敷ばかり見ていると、アムールが屋敷の前の通りに、焦げた跡や燃えかすが落ちているのに気が付いた。
「他の建物に飛び火しなくてよかったな……これで死人なんかが出ていたら、お隣さんの命がなかったかも」
「本人達のみの被害ですんだのは、不幸中の幸いじゃったな」
自分の屋敷のみならず周囲へも被害を及ぼしたとなったなら、下手をすると死刑もあり得る。火事で死刑と言ったらひどい様にも感じるが、それだけ王都で火事を起こしたというのは大変な事なのだ。大げさに言えば、火事が広がればその混乱に乗じて近隣諸国が侵略を開始する事も考えられるし、クーデターを起こす輩が現れるかも知れない。それが賠償金のみで済むなら、言い方は悪いが安いものだろう……まあ、安くてもお隣さんは破産寸前ではあるが……
「ただいま」
「帰ったぞい」
屋敷に着いた俺達は、周囲にいる野次馬達を無視して門をくぐり、庭で作業をしていたジャンヌとアウラに声をかけた。二人は屋敷を守る為に配置していたゴーレム達に指示を出して、壊れた塀の片付けや燃えた木の欠片片付けたり、焼けた芝生を切り取ったりしていた。
「テンマ、マーリン様、お帰りなさい」
「お帰りなさい……って、なんでアムールが?」
ジャンヌはアムールを見ても、特に何も思わなかったみたいだが、アウラは思いっきり疑問を口に出していた。取り敢えず、南部自治区の新子爵との密約で、アムールをうちで預かる事になったと言うと、アウラはイマイチ理解していない様子ながらも、じいちゃんが決めた事だからまあいいか、という感じで納得した(考えるのをやめたとも言う)。
庭の作業も急ぐ様なものはないとの事なので、屋敷で余っている部屋をアムールの部屋にするべく、ジャンヌとアウラに掃除をお願いした。空いている部屋はいくつかあるが、一応俺やじいちゃんの部屋から離れている方がいいので、不満そうな顔をしているアムールを無視してジャンヌ達の近くに部屋に決めた。
それから旅の垢を落とす為に風呂に入り、二人に南部のお土産を渡してから今日の予定を終えた。ケリーや三馬鹿達へお土産を持っていくのは、明日以降で問題はないだろう。流石に帰ってきた日くらいはゆっくりとしたい。
次の日、久々にゆっくりと眠る事ができた。まあ、ゆっくりしすぎたせいで、朝というよりは昼に近い時間になっていたが、特に予定があるわけではないのでたまにはいいだろう。
本日の予定は、庭と塀の修復だ。ジャンヌ達では、勝手に修復する事は出来なかったという事なので、防犯上の理由からも、塀の修復を先にする必要があった。なお、お隣の土地を買うとマリア様達に言ってはいるが、手続きの関係上、まだお隣の土地に手を加えたりゴーレムを配置する事が出来ないのだ。しかし、泥棒からすれば塀がないのは好都合と言う風に見られるかもしれないので、簡単な塀だけでも作っておこうという事なのだ。
「それじゃあ、ほいっと」
壊れた塀のところで、俺は土魔法で塀を作り出した。ダンジョンで作る様な壁より壊れやすいが、実際に壊そうとすれば魔法を使わない限りは簡単には壊せないし、俺とじいちゃんと警備のゴーレム達に気がつかれずに魔法を行使できるとは考えにくいので、手抜きの壁でも充分だ。
「それにしても、こうやって見てみると、結構大変な火事だったんだな」
塀は倒壊したお隣の屋敷に巻き込まれたり、塀の骨組みに使われていた木材が炭化していた。それだけ火の勢いが凄かったのだろう。壊れた塀は焼けたお隣の屋敷から少し離れていたのだが、運悪くうちの方へと倒れたそうだ。しかも、壊れた塀の近くに植えていた木も駄目になっており、延焼を防ぐ為なのか、ゴーレムによって切り倒されていた。
「根も引っこ抜かないとな」
俺は縄を切り株に結び、土魔法で切り株の周辺の地面を柔らかくしたところで、ゴーレムを何体か呼び出して縄を引っ張らせた。
切り株は地面を柔らかくした事もあり、ゴーレム達に簡単に引っこ抜かれていた。その結果を見て、俺は残りの切り株にも順番に準備をしていき、次々とゴーレムに抜かせていった。
「こんなものか。大きな根っこは大体抜けたし、多少土の中に残るくらいは問題ないだろう……それにしても、セミの幼虫が結構いるな」
引っこ抜いた切り株を観察していると、意外とセミの幼虫が多い事に気がついた。普段は見る事ができない生き物だが、特に可愛い虫でもないし、それそもこれだけの量が蠢いているのは少しキモイ。
「まあ、かわいそうではあるから、目立つものだけでも他の木のところに移動させるか」
マジックバッグからバケツを取り出した俺は、目に見える範囲でセミの幼虫を回収した。集めた事でキモさが増したがなるべく見ない様にして、今回焼け落ちた塀とは違う場所の木の根元に何箇所か穴を掘り、そこにセミの幼虫を放した。一応軽く土をかぶせたが、これでいいのかは分からない。まあ、ダメだったとしても、特に被害があるわけではないので問題はないがな。
セミの移住を終えた俺はちょうどおやつ時だなと思い、厨房で何か食べる事にした。厨房に向かう途中で、俺のおこぼれに与ろうとする者を二人と二匹仲間に加える事となり、ついでだからと他の二人と一匹も呼ぶ事にした。ちなみに、途中で仲間に加わったのはうちのメイド長(仮)の妹と居候、それに食いしん坊二匹だ……本当に食い物の事に関しては、妙に勘の働く者達である。
ちなみに、おやつの代わりに作ったのはお好み焼きだ。ソースがないので生地を醤油や濃い目の出汁で味付けし、マヨネーズを付けて食べたのだが結構美味しかった。
皆からも高評価をもらったのだが、お好み焼きにというよりは、どちらかというとマヨネーズの方が評価が高かった様に思える。何気に今世で初めて作ったマヨネーズだが、こってりとしていて中毒性がある(アウラ&アムール談)のだそうだ。ジャンヌにじいちゃん、それにスラリン達も気に入った様なので、今後うちの定番調味料になる事だろう……作るのは主に俺になるが。
マヨネーズ降臨から数日後、クリスさんとアイナが隣の土地の権利書を持ってやってきた。二人によると、この権利書を受け取った瞬間から隣の土地は俺の土地となるそうだ。ここで、『俺と爺ちゃんの土地』ではない訳は、土地の権利をオオトリ家で買う事になった為、オオトリ家当主である俺の土地となったのだ。ちなみに、じいちゃんはついでとばかりに今住んでいる屋敷がある土地の方も俺名義に変えたらしく(曰く、生前贈与なのだそうだ……あと数十年は死にそうにないが……)、今年から両方の土地の税金を、俺が支払わなければならなくなった。なお、税金は年五万G×2(元の土地と隣の土地がほぼ同じ大きさなので)の十万Gで、数年分の前払いが出来るとの事だったので五十年分先払いしておく事にした。
一般人がこれだけまとめて税金を払うのは珍しい……と言うか初めての事らしいが、高位の貴族にはよくある事らしいので、前例があると判断され問題なく支払いを許可された。
「取り敢えず、これで今日の私の仕事は終わりね~……おいで、シロウマル」
クリスさんは仕事が終わったのをいい事に、シロウマルをモフりながらうちに居座るつもりの様だ。
「全くクリスときたら……連れてきてしまって、申し訳ありません」
アイナはクリスさんを(名目上の護衛として)連れて来てしまった事を謝りながら、アウラ達の仕事ぶりを確かめていた。
クリスさんがシロウマルをモフり初めて(アイナがアウラ達を監督し始めてから)数時間後、疲れた様子のアウラが休憩しに居間にやってきた。そして、シロウマルをモフり続けてご満悦のクリスさんを見て、何か悪い顔をし始めた。
「アウラ、顔がブサイクになってる」
「失礼なっ!」
アムールがぶつけた辛辣な言葉をアウラは強い口調で否定していたが、その顔を見ていた俺とジャンヌは、アムールの言葉を肯定する為に頷いた。
「本当に失礼なっ!……クリスさ~ん、もっといいモフモフがありますぜ~」
「ますますブサイクになった!」
アムールの再度の指摘を完全無視し、アウラは揉み手をしながらクリスさんの方へと近づいた。あれではまるで色町の下品な客引きの様だ……行った事はないけど、見た事はある。大事な事だからもう一度言うけど、見た事だけはある!
「うっ!」
背中に何か鋭い視線を感じ、咄嗟に振り返ってみると、少し離れたところからアイナがこちらを見ていた。
(本当に行った事はありませんね?マリア様に誓えますか?)
(自信を持って誓えます!)
口パクで聞いてくるアイナに、俺は即座に口パクで返事をした。
俺の返事に満足した様子のアイナは、俺に向けていた以上の鋭い視線をアウラに向けている。ただ俺と違い、アウラはクリスさんの事で頭がいっぱいになっているのか、全くもって気づいた様子はない。
「もっといいモフモフ?」
「今連れてきますね~」
そそくさと居間から出て行くアウラ。部屋を出る時にアイナの横を通ったのだが、アウラはアイナの存在に全く気がついていなかった……と言うよりも、アイナが気配を綺麗に消していた。あれがクライフ直伝『気配遮断の術』なのだろう……適当に言ってみたが、本当にありそうで少し怖い。
「お待たせしました~ご要望のかわいこちゃんです~」
しばらくして戻ってきたアウラは、服と顔を汚して髪をボサボサにしながら、ディメンションバッグをクリスさんに手渡した。
「この中にいるのね。どれどれ……ふごっ!」
何の疑いもなくバッグの口を開けて中を覗き込んだクリスさんの顔面に向かって、黒い生き物が勢いよく飛び出してきてぶつかった。アウラは子羊達を紹介した時にやられた事を思い出し、子羊Ⅰを紹介する名目でクリスさんにもさせたのだ。
ちなみに子羊Ⅰの体当たりをまともに食らったのは、俺達の中ではアウラだけである。俺とじいちゃんとアムールは普通に避けたし、シロウマルには弾き返され、ソロモンには届かなかった。スラリンに関しては、体当たりをした瞬間絡め取られ、身動きがとれない状態に陥っていた。なお、ジャンヌはスラリンが子羊Ⅰを絡め取った時のターゲットにされていたが、スラリンが間に入った為、被害はなかった。アウラに関しては、そんな俺達の様子を見て、子羊Ⅰの体当たりはそれほど大した事がないのではないかと油断した瞬間に食らったのだ。
「めーーっ!めっ?」
クリスさんに体当たりを成功させた子羊Ⅰは、勝鬨を上げるかのごとく吠えた?が、クリスさんから離れる前に空中で捕まった。そして……
「モフモフーーーっ!モフモフモフモフ、モフーーーーっ!」
クリスさんが壊れた……じゃなくて、子羊Ⅰは奇声を上げるクリスさんに抱きしめられながら、体中をモフられた。クリスさんは困惑する子羊Ⅰを無視し、子羊Ⅰの背中の毛に顔を埋めながら両手でお腹の毛をモフり続けた。
「め、めぇぇぇ……」
クリスさんが子羊Ⅰを開放したのはモフり始めてからおよそ三十分後の事で、その間成すすべなくモフられ続けた子羊Ⅰは、ダウン寸前のボクサーの様にフラフラになっていた。なお、その間子羊Ⅱの方はというと、ディメンションバッグの中でスヤスヤと寝息をたてていた。




