第9章-14 黒いお土産達
「テンマ、あそこ」
隠れ里からの帰り道、そろそろ日も暮れる頃という時間帯に、馬車の屋根の上で寝転がっていたアムールが何かに気づいて御者席に座っていた俺に知らせてきた。
「魔物でもいたか?」
「魔物だけど、野生じゃないっぽい」
その言葉を聞いてアムールが指差す方を見てみると、遠く離れた上空に大きな鳥が飛んでいるのが見えた。しかも、その鳥の足には人がぶら下がっている様に見える。
「あれは……テッドだな」
『探索』と『鑑定』で調べた結果、テッドとその眷属のサンダーバードだった。仕事が終わって帰るところかもしれないが、こんなところで知り合いを見かけて声をかけないのも変なので、俺達がここにいるというのを知らせる事にした。
「アムール、目を閉じていろよ……絶対に目を開けるなよ。それっ!」
俺は掛け声と共に、魔法で生み出した光の玉を上空へと投げた。光の玉は五十m程上空まで上がって弾けた。玉は弾ける瞬間に強烈な光を出して辺りを照らした。これは以前、王都の武闘大会でアッシュに使った『ライト』を改良したもので、音の出ないスタングレネードの様な魔法だ。これと似た様な魔法はいくつかあるが、今回使った魔法は他の属性の魔力と同時に使用する事で、様々な色の光を出す事が出来る。例えば、光魔法だけなら白い光、火属性の魔力を混ぜると赤い光といった具合に。ただ、他の属性の魔力を混ぜると魔法の難易度が格段に跳ね上がるので、今回の様に信号弾代わりに使用するのなら白い光のままの方が都合がいいし相手からも見やすい。
「何事じゃ!」
突然の光に驚いたじいちゃん達が慌てて外に出てきて周囲を見回していたが、近くで変わった事と言えば、地面を転げまわっているアムールだけだ。アムールは目を押さえながら、「目が、目がっ!」とかどこぞの大佐の様な叫び声をあげていた。
「ごめん、テッドが遠くの方にいるのが見えたから、知らせる為に魔法を使ったんだ」
「そうだったのね。敵でも現れたのかとびっくりしたわ……ところで、あの子は何をしているの?」
安心した表情を見せたハナさんは、未だに転げまわっているアムールを不思議そうに見ていた。
「どうも今の光を直接見てしまったみたいです。見るなと釘を刺したけど、好奇心に負けてああなってるんだと思います」
日が落ち始めて目が暗さに対応し始めたところに、強烈な光を見たせいで一時的に視力を奪われてしまったんだと思う。失明はしないとは思うが、このまま放ったらかしにしておいたら視力が落ちる可能性があるので、アムールの両目に回復魔法をかけておいた。
「お~い、テンマ~」
光に気付いたテッドが、サンダーバードに両肩を掴まれて吊るされた状態で手を振りながら近寄ってきた。
「こんなところまで『運び屋』の仕事か?」
馬車の近くに降り立ったテッドをハナさんに紹介してから南部に来た目的を聞くと、テッドは肩にかけたマジックバッグから二通の手紙を取り出して俺に渡してきた。
「確かに仕事だけど、相手はテンマだ。差出人はジャンヌと王妃様だ」
差出人を聞いて何かあったのかと思い、テッドから半ば奪い取る様にして手紙を受け取り中身を読んだのだが……
「なんじゃそりゃ……」
などという言葉が思わず出てしまう内容の手紙だった。
「なんと書いてあったのじゃ?ん……確かに、『なんじゃそりゃ』じゃな」
じいちゃんに手紙を渡すと、中を読んだじいちゃんも俺と同じ感想だった。ただ、手紙の内容を聞いたハナさんとブランカは、当然だろうと言っていた。その手紙の内容とは……
「うちの屋敷のお隣さんが火事で家を焼失。それでその跡地を巡って騒動が起こるなんて、普通は思わんぞ」
王都の屋敷の隣家(付き合いはほぼ無い)が過失による火事で家を全焼させて、土地を手放さなければならなくなり、その跡地の買い手がすぐに集まったまでは良かったが、うちの隣という事で数十人が買い手として名乗りを上げたらしい。そこで欲をかいたお隣さんが土地の値段を吊り上げていき、最終的には通常の十倍以上まで上がったところで、王様が待ったをかけたのだそうだ。
ちなみに、数十人も買い手が現れたのは俺とじいちゃんが住んでいる屋敷の隣という事で、何らかの思惑を持った貴族や大店の商家ばかりだったらしく、王様から待ったをかけられたのは今回の火事が過失であったのと、うちにも多少の被害(飛び火などで隣とうちを隔てていた塀が壊れたり、その近くの木や芝生が燃えた事。屋敷などには被害はなかったらしい)があった為、事件として扱われる事となったので、罪の大きさが決まるまで土地の売り買いを止めたのだそうだ。
しかも、このままだとお隣さんの土地は国の預りとなる可能性が高いらしい。
「まあ、焼けた木や芝生はもったいないが、木は森に行って採ってきたのを植えればいいし、塀も魔法ですぐに直せるから大した問題じゃないのう」
そうなのだ。木に関しては、森に行った際によさげなものを土魔法で掘り起こしてマジックバッグなんかで運んでくればいいし、塀は似た様なものをダンジョンなんかで何度も作っている。つまり、焼けた芝生以外はただで直す事が出来るのだ。
「問題は、あそこの土地が誰のものになるかだよね」
金銭的な被害は出なかったにしても(うちが特殊なだけだが)、次に誰があの土地を手に入れるかによっては今後トラブルが起きる可能性がある。国が管理するにしても、王都にある土地を遊ばせてばかりという事はないはずなので、何らかの施設などが建てられるだろう。その場合は、前よりも騒々しくなる事も考えられる。他にも、国が土地を売りに出したとしても、買い手として集まるのはうちと懇意にしたい人達だろうし、最悪の場合は俺達を利用したい奴が買うという事もありえる。直接的な被害はそうそう無いだろうが、ストレスの溜まる生活になるかもしれない。
「せめて、王族関係者やサンガ公爵とかサモンス侯爵みたいな人が買ってくれればいいけど……難しいよね」
「そうじゃな。いくら王都とはいえ、王族や上級の貴族が権力を使って買い取ったりしたら、一部の者達から非難されるのは間違いないじゃろうな。しかも、下手するとその土地を手に入れたいが為に、事故に見せかけて火事を起こしたとか言う馬鹿も現れるかもしれんしのう」
大半の人達はそんな噂を信じる事は無いだろうが、改革派に近い思想を持つ者ならば攻撃材料として利用する事も考えられる。自分達に大した利益がないのに(王族やサンガ公爵とサモンス侯爵の関係者なら、わざわざうちの隣の土地を確保する必要はあまりない)、わざわざ攻撃材料を作らせる様な事はしたくはないだろう。ただでさえ、なあなあな関係だと言われているのに……
「取り敢えずは、王様達が土地を押さえている以上、そこまで急いで帰る必要はないか。一応手紙は書いておくけど」
と結論づけて、手紙を持って帰ってもらう為にテッドを雇う事にした。ただ、もうすぐ暗くなるので、夜目がきかないサンダーバードを飛ばすのは無理との事で、テッドは明日の朝早くに王都に向かってもらう事にした。そもそもテッド自身そのつもりだったそうで、ナナオに着いてすぐに宿をとったそうだ。なので、明日テッドの出発に合わせて手紙を渡したらいいとの事だった。
「それじゃあナナオに戻るか。テッドも乗っていくだろ?そろそろサンダーバードが活動しづらい時間帯になるし」
というと、テッドはありがたいと言って馬車の中へと入っていった。サンダーバードはテッドのディメンションバッグに入れるそうだ。ただ、テッドのサンダーバードはディメンションバッグの中に入るのはあまり好きじゃないらしくかなり渋っていたが、テッドに怒られていやいや入っていった。
「鳥型の魔物は、ディメンションバッグの様な空間を嫌がるのが多いからな……テンマの持っているやつみたいな広さがあれば別だろうけど、俺のそんなに大きくはないから余計にな」
何でも鳥型の魔物は自由に飛ぶ事が出来ない空間を嫌うらしく、サンダーバードの様な大型の魔物は特にその傾向が強いらしい。それを聞いてエイミィのいーちゃんしーちゃんが気になったが、あの二羽の様にヒナの時から狭い空間に慣れさせていれば、成長しても大人しくしている事が多いそうで、今のところ深く考える必要はないと言われた。
「まあうちのと違って、ロックバードなら外に出しっぱなしでも問題はあまりないだろう。最も、獲物と間違われない様に気をつける必要はあるけどな」
他人の眷属をわざと傷つけたり殺したりした場合、相手はそうとう重い罰を与えられる事になるが、はっきり眷属と分かる様にしていない場合は、下手をすると無罪という事もありえるのだそうだ。そしてたちの悪い事に、それを利用して他人の眷属を殺して素材を得ようとする者もいるので気をつけないといけないらしい。
テッドは同じ鳥型の魔物をテイムしている者同士という関係で、俺がいない時などにエイミィに二羽の育成方法や注意点などで相談される事がよくあったらしく、色々なアドバイスをしていたそうだ。そして、よく顔合わせをするおかげで、いーちゃんしーちゃんもテッドのサンダーバードと仲がいいらしい。他人からすると、完全に捕食者と獲物に見えてしまうのが問題だそうだが……
これまでテッドとここまで長く話す機会がなかった事もあり、エイミィの事以外でも面白い話も聞かせてもらう事ができた。テッドは『運び屋』として色々な場所を訪れているので、ある意味じいちゃんより物知りな面もあった。じいちゃんもテッドと同等以上に色々な土地の事を知っているが、かなり前に訪れた時の事なので情報の鮮度に差があった。
「む~……テンマと出会う少し前から、遠出の旅はしておらんかったからのう。ナナオも今回が初めてだったしのう」
じいちゃんは昔南部に来た事があったらしいが、ナナオのだいぶ手前で引き返してしまい、それ以降は南部に足を踏み入れた事がないそうだ。
「それは残念ですね。もしその時にマーリン様がうちのおじいちゃんと出会っていたら、絶対に気が合ったはずですよ」
ハナさんがそう言うと、ブランカも頷いていた。ケイじいさんが俺の予想通りの人ならば、確かに気が合いそうな感じはするが、ブランカがその後に言った「ケイじいさんは豪快な人ではあったが、根は真面目で苦労人でもあったからな。マーリン殿も昔はかなり苦労したそうだから、共感するところは多いかもしれないな」という話を聞いて、予想の人物のイメージには似合わない気がしてきた……最も、俺の予想の人物は後世に伝わっている話や物語が元になっているので、本当にその通りの人物だったのかは不明ではあるが。
そんな事を考えていると馬車はいつの間にかナナオに到着していて、丁度子爵家の前で停止したところだった。ハナさんから夕食を一緒にどうかと誘われたが手紙の事もあったので断り、部屋でマジックバッグに入っている出来合いのもので済ませる事にした。ちなみにテッドもハナさんに誘われたが、俺がいないので居づらくなりそうなのと、サンダーバードの世話もあると言って断っていた。
次の日の早朝、夜遅くまで書いた二通の手紙と代金をテッドに渡して出発してもらった。一応、帰りは特に寄るところはないので、セイゲンまで二週間程で到着する予定だ。なるべく早く出発したいがサナさんに注文しているお土産が明々後日に出来上がる予定なので、それまで基本自由時間となる。一応その間に馬車の点検や他の買い忘れがないか確認し、ついでに追加で買っておきたいもの(主に醤油や味噌など)も手に入れる事にした。それが終わると、後は知り合いへの挨拶回りだが、せいぜい子爵家の人々とリュウサイケンの人達くらいしかいない(南部の上位者達は、すでに自分達の村や町に帰っている)ので、リュウサイケンの人達には出発の当日に、子爵家の人達には出発の時とその前日の夜に開いてくれる宴会の時に挨拶すれば問題はない。取り敢えず今日のところは、馬車の点検から始めるとしよう。
そんな感じで迎えた出発前夜の宴会では、アムールを送り出すという事もあり、子爵家の関係者全員(極一部の例外を除く)が楽しんでいた。
「そういえば、テンマは刀を武器として使っているのよね?どこで知ったの?」
宴会が始まってチラホラと酔っぱらいが出始めた頃、思い出した様にハナさんが俺の刀について聞いてきた。
「ほら、南部でならともかく、他のところだと刀はマイナーだし、刀を探すよりも剣のいいものを探した方が早いでしょ」
ハナさんの疑問を聞いたじいちゃんやブランカも興味がある様で、俺の方をじっと見ていた。
「簡単に言うと、刀の方使いやすかったんですよ。ククリ村には大人用の剣ばっかりで、子供だった俺には使いづらく、森に行く時は剣じゃなくて大ぶりのナイフばっかり持っていったんだけど、そうしているうちに片刃の刃物の方に慣れちゃって……それで刀の存在と特徴は父さんから聞いていたから、錬金術も使えるし自分で作ってみるか、って感じで使い始めたんですけど、ね……」
「何かあるの?」
「実は、俺が使っているのは、本当の刀じゃないんですよ」
俺の言葉に、皆同時に不思議そうな顔をした。
「ハナさんは刀の作り方を知っていますか?」
俺の質問にハナさんは頷いて答えたが、それがどうしたのかという顔をしていた。
「いくら魔法が使えるからといって、あんな複雑な工程は再現できません。俺が使っているのは、『刀の形をした剣』なんです」
前世で日本の武術を習っていた関係で、大まかな刀の作り方は知っているが、肝心な部分はほとんど知らない。なので俺の刀は、熱した金属を叩いて強引に刀の形にした『片刃で細身の剣』といった感じなのだ……まあ、めんどくさいので刀と呼んでいるが。
「確かに昔からある刀の作り方ではないわね。でも、最近ではテンマの刀と同じ様な作り方をする職人も増えてきたから、刀と呼んでもあまり問題はないわよ」
何でも、オリハルコンやヒヒイロカネといった金属だと、熟練の刀鍛冶でも昔からある作り方では刀を打つ事は難しいので(硬すぎてまともに折り返しが出来ない上に、無理に折り返すと元の金属の塊より強度が落ちるそうだ)、鋳造で形を作って叩いて鍛えたりするそうだ。他にも、量産品の刀を作る職人の中には、鋳造しただけのものを砥いで売る者もいるらしい。
「昔気質の職人の中には、鋳造しかしない職人を嫌う人もいるけど、結局は需要があるから鋳造しかしない職人もいるのよね」
鋳造なら鍛造した刀より安く買えるし、強化魔法が使えるのなら鍛造した刀より長く使える事もある。その為、練習用や駆け出しの冒険者に人気があるのだとか。
「それに、元々『刀の定義』が曖昧なところがあるから、鍛造したものだけが『刀』だというのは、少し無理があるのよ。鍛造の方が質が高い刀が出来易いのは確かなのだけど……」
何でも、刀の本場である南部では、昔から『鍛造で作ったものを刀と呼ぶ』派と『形状によって刀と呼ぶ』派がいるらしく、時折職人達の間で白熱の議論が交わされるらしい。
「ちゃんとした技術を学びたいのなら、知り合いの職人を紹介するけど?」とハナさんに聞かれたが、きちんと学ぶだけの時間は取れそうにないので断った。
その後も宴会は遅くまで続き、宿に戻ったのは日が変わるくらいの時間帯だろう。翌日にはナナオを立つというのに、アムールとの別れを惜しんだ子爵家の家臣達の熱が冷めず、あと少しだけが何度も続いたせいだ。
翌日……と言うか数時間後、俺達はリュウサイケンの人々にお礼を言ってナナオの入口へとやってきた。そこにはすでにハナさん達が待っており、何故か南部の上位者達の姿も見えた。話を聞くと、俺の出発が決まってからすぐに人を向かわせて話を聞かせたところ、皆ナナオへとやってきたそうだ。中には自分の村につくとほぼ同時に使者がやって来た為、荷解きもせずにそのままの格好でナナオへと戻ってきた者もいるらしい。
「わざわざ見送り、ありがとうございます」
「それでな、お土産というわけではないんだが、引き取ってもらいたいものがあってな。ちょっと待ってろ、ぐふっ!」
上位者の内の一人が、自分のディメンションバッグを覗き込んだ瞬間、バッグの中から黒い塊が飛び出してきた。その塊はバッグの持ち主に体当たりをかました後、素早い動きでこの場から逃げだした。そしてその黒い塊の後を追うように、もう一つ黒い塊がバッグから出てきたが、先に出てきたものよりも動きが鈍く、何故か俺の方へと進んで来て股の間を通ろうとした。
「なんだこれ……黒い羊か?」
俺の股の間に挟まって身動きが取れなくなっていた黒い塊を掴んで持ち上げてみると、その正体は黒い子羊だった。子羊は俺の持ち上げられた後、少しの間何が起こっているか分からないといった顔をしていたが、自分の体が空中に持ち上げられているのに気が付くと急に暴れだした。最も、暴れたといっても動きがゆっくり過ぎるので、本人は必死なのだろうが傍から見ると可愛らしく動いている様にしか見えない。
「め~~~~!」
俺に持ち上げられた子羊が疲れてぐったりした頃(暴れていた時間は一分ほどだったと思う)、先に逃げ出した黒い塊……もう一匹の子羊が、怒りの声をあげながら俺の方へと突っ込んできた。その動きは俺の腕の中の子羊と同じ生き物なのか?と疑いたくなる様な俊敏な動きで、かなりの速度を持っていた。このままの勢いでぶつかられたら、軽く飛ばされてしまいそうなくらいの威力があるだろう。
「ガウッ!」
「めっ!め~~~~」
ただ、子羊が俺にぶつかる瞬間、間に割り込んできたシロウマルにぶつかって、逆に弾き飛ばされてしまった。だが驚く事に飛ばされた子羊は、地面に叩きつけられる瞬間に背中から着地して、鞠の様に弾んで足から綺麗に着地した。
「ガルゥ」
「めっ!めっ!めっ~~~!」
さらに驚く事に、子羊はシロウマルの威嚇に怯える事なく、逆に声を荒らげている。シロウマルが本気でかかれば、ものの数秒で子羊は命を散らす事となるはずだが、子羊は引く気は無いようだ。
「シロウマル、下がれ。こいつが心配なのか?そら」
俺は子羊の背後を確認してから、持ち上げていた方の子羊を地面に下ろした。すると先程まで威嚇していた方の子羊は、「早く来い!」とでも言うような鳴き声をあげ、駆け寄ってきた子羊(ややこしいので、威嚇していた方を子羊Ⅰ、抱き抱えていた方を子羊Ⅱと仮称する)を呼び寄せた。
「めめめっ!」
「めっ!……めっ!」
子羊Ⅱは子羊Ⅰの方へと涙を流しながら駆け寄っていたが、驚く事に子羊Ⅰは子羊Ⅱに頭突きをかました。そして、一声鳴き声を上げてから、子羊Ⅱを伴って逃げ出そうとした……が、その背後に忍び寄っていたスラリンにより、二匹揃って容易く捕獲された。
「それで、こいつらは何なんだ?」
「うむ、わしの村では羊毛を特産品としていてな。毎年の様に子羊が産まれるのだ。ただ、うちの羊達の毛色は『白』で、黒いと売り物にならんのだ。そこで黒い子羊は食肉用として他の村に売り出すのだが、この二匹は……と言うより、先ほど威嚇していた方はものすごく凶暴でな、うちの羊小屋に閉じ込めていたままだったのだが、このままだと他の子羊に悪影響を与えそうなので、テンマ達の旅の途中の食料にと思って持ってきたのだ」
「つまりは、お土産という名の厄介払いか」
「そうとも言う」
子羊の頭突きをくらった上位者は、悪びれもなくそんな事を言った。それなら殺したもの持ってきた方がいいのにと思ったが、彼の村では子羊は血の滴る様な状態のものが一番いいとされているので、あえて生かしたままの状態でもってきたそうだ。
上位者でも手を焼く暴れん坊だが、俺なら問題なくさばけるだろうとの考えらしかったが、流石にわざわざ子羊を殺して食べる程食料に困っているわけではない。そんな事を考えていると、
「め……め~め~」
子羊Ⅰが先程までとは違う声で鳴き始めた。なんだか、俺に媚を売っている様な鳴き声だ。
「取り敢えず、連れて帰るか……」
羊の癖にかなりのあざとさだが、ここまでされると多少の罪悪感が出てくるので、取り敢えず王都の屋敷まで連れて行く事にした。あそこならジュウベエ達もいるので、子羊が二匹増えたくらいでは問題など起こらないだろう……あるとすれば、子羊Ⅰとタマちゃんが喧嘩しないかという事だけだ。子羊Ⅱの方はかなりのんびりした性格の様で、問題は起こさないだろう。何せ、スラリンに捕獲されて諦めたのか、それとも単に疲れただけなのかは知らないが、子羊Ⅰが媚を売っている横で穏やかな顔をして寝ているくらいだからだ。
「それと、これが頼まれていたものね」
俺と上位者の話が終わったところで、サナさんが頼んでいたショールを包んだ布を出してきた。一応中を確認したが、何も問題はなさそうだ。
「ありがとうございます」
サナさんからショールを受け取りバッグに入れていると、スラリンが二匹の子羊を抱えた(取り込んだ)ままでやってきた。スラリンに子羊達をその場に放す様に言うと、解放された子羊Ⅰが一瞬逃げ出す様な素振りを見せたが、隣で寝ていた子羊Ⅱを見て諦めた様だ。
「言葉が分かるか知らないけど、逃げない限りは危害を加えない。ただ、逃げて野生で生活していくとしても、お前達は魔物の餌になるだけだ。最も、野生で魔物の餌になる前に、この場で肉になる可能性の方が高いけどな」
子羊Ⅰが逃げ出す素振りを見せた時、この二匹を連れてきた上位者がナイフを抜いて飛びかかろうとしていたので、確実に逃げ切る事は出来なかっただろう。流石に南部の上位者として、お土産として持ってきた食料に逃げられる様な不名誉な称号は回避したいらしい。
「めっ!」
言葉が通じたとは思えなかったが、子羊Ⅰはナイフの柄に手をかけていた上位者を見て何かを悟ったらしく、気合の入った鳴き声で返事をした。そして、子羊Ⅰの鳴き声を聞いた子羊Ⅱが薄らと目を開けていたが、すぐにまた眠りについた……シロウマルに対抗しようとした子羊Ⅰも大物かもしれないが、案外子羊Ⅱの方も大物なのかもしれない。
この二匹(特に子羊Ⅰの方)は、馬車の中に入れておいたらいつの間にか逃げ出していたとかいう事になりそうなので、屋敷に着くまでシロウマル達が入っているディメンションバッグで飼う事にした。バッグに入れる際に子羊Ⅰはかなり抵抗していたが、先に子羊Ⅱを中に入れると(子羊Ⅱは、なんの疑いもなしに素直に入っていった)、諦めた様にバッグの中へと入っていった。バッグの口を閉じる前に、子羊Ⅰが子羊Ⅱをどつく音が聞こえていたので、この二匹の間には明確な上下関係が存在するのだろう。
「上には逆らえないという事か……どこかの姉妹と一緒だな」
「姉妹?あの二匹は血が繋がっていないぞ。しかも、どついていた方はメスで、どつかれていた方はオスだ」
「今から尻に敷かれているのかよ……」
今後子羊Ⅱの方を相手にする時は、少し優しく接しようと決めた瞬間であった。
「テンマ、そろそろ出発するぞい」
じいちゃんが御者席でそう言うので、俺とアムールは皆に別れを告げてから馬車へと乗り込んだ。その時、スラリンは俺達と一緒に中へ入ったが、シロウマルとソロモンは少し運動しながら馬車についていくそうで、外で待機したままだった。
「世話になったのう。今度王都に来る事があったら、わしの屋敷に来るといい。わしらが不在の時でも誰かいるじゃろうから、利用出来る様に言っておくからのう」
その言葉が終わると同時に、じいちゃんはライデンに指示を出して馬車を進ませていく。
見送りに来た人々は、思い思いに手を振ったり声をかけたりしているが、その中でもロボ名誉子爵は半泣きの状態で、千切れるのではないかというくらい腕を振っていた。
「いつ帰ってきてもいいからな!と言うか、俺の方から会いにいくからな~~~~!」
「来なくていい。子供が出来たら見せに来る」
「のぉ~~~~~~~!!!」
ロボ名誉子爵の言葉にアムール窓から身を乗り出しながら簡潔に答え、俺の予定に組まれていない願望を口にしていた。ロボ名誉子爵はその言葉を聞いて絶叫し、膝をついて絶望感を体で表していた。
予定は未定であり、そもそも俺の予定表にそんな事は書かれていないので、俺はバッグの中にいる二匹の子羊の様子を見る為に、顔を思いっきり突っ込んで聞こえなかったふりをした。
聞こえないふりをする為に突っ込んだバッグの中では、子羊Ⅰがゴルとジルにちょっかいをかけた様で、糸でぐるぐる巻きにされて転がされていた。そして、ゴルとジルはそんな子羊Ⅰの周りを変な踊りをしながら歩き回るという謎の儀式をしている。もしかしたら、自分達の餌として二匹がバッグの中に入れられたと勘違いしているのかもしれない。
「ゴル、ジル、新しい仲間だから、食べちゃダメだぞ。代わりにこれを食べていいから」
俺の言葉に少しがっかりした様子の二匹は、俺の差し出したスピアーエルクの細切れを受け取り、子羊Ⅰを解放する前に食べていた。取り敢えず、これで子羊達が食べられる事はなくなったけど、餌認定されてもなお眠り続けていた子羊Ⅱは、確実に野生では生きていく事は出来ないだろうと確信した瞬間だった。
「め~、め~、め~」
その後、蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされていた子羊Ⅰは、異変に気づいたスラリンによって救出された。救出された後、子羊Ⅰはこの中では自分より弱いものは子羊Ⅱしかいないと理解したらしく、比較的大人しくしていた。




