2、生術
「よし、こんなものかな」
手元の使い慣れた籠にキノコがいっぱいになったのを確認して、エルトは足元で待機中のにゃーさんの頭を撫でる。
「さぁ、帰ろう。――ティーア!帰るよ!」
しゃがんだエルトの肩に器用ににゃーさんが乗ったのを確認して落とさないようにそっと立ち上がると、木々の隙間から見える空の方に向かって声を上げる。すると間もなく近くから白い鳥が飛んできて、エルトの頭にふわりと着地した。クルルと可愛らしく鳴いた鳥は先日助けた白鳩だ。
倒れていた次の日には元気になった白鳩は、かつてのにゃーさんと同じようにそれ以来エルトの傍を離れようとはせず、そのままエルトの新しい友達となった。呼び名はにゃーさんが「にゃーあ」と白鳩に鳴きかけているのを聞いて、音の感じからエルトが付けた。また安易な理由でつけてしまって若干後悔しないでもなかったが、ティーア自身もにゃーさんもそれで不満がないようなので、そのままだ。
山道を下り、山を下りてすぐのところにエルトの家がある。
エルトの家は代々自身の家の裏にある山の管理を生業とし、エルトも幼いころからその家業の手伝いとしてキノコ狩りを任されていた。六歳になり基礎学校に通いだしその仕事を任されたときからほぼ毎日、エルトは裏山というには広大で高い山に通い、キノコを採って家族を支えてきた。昔こそ数個のキノコを探すので手いっぱいだったが、にゃーさんと出会ってからはにゃーさんが持ち前の嗅覚で次々とキノコを探し出してくれるので、エルトの体には若干大きい手提げの籠はすぐに美味しそうなキノコでいっぱいになるようになった。
十二歳になった今では町でもキノコ狩りの名人として有名になってしまっている。にゃーさんのおかげなのに、と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その一方で家族の期待も年々大きくなり、十二歳になり基礎学校を卒業したエルトはもう少しすると近場の専攻学校にある森林科に進学し、やがては家業を全て継ぐことになる。小さなころから決まっていたことだし、にゃーさんやティーアと山にいるのは楽しい。
だから、そんな未来にエルトは満足していた。そうやってずっとここで生きていくんだろうと思っていた。
思っていたのだ。
「今日はだいぶ早いし、ちょっと散歩していこうか」
キノコを探して数年、にゃーさんがキノコを探す速度は日に日に早くなっていき、学間休暇中でもあるエルトはキノコ採りだけでは一日の時間を消化できなくなっていた。早い時間に家に帰るのもいいけれど、たまには山を散歩するのも楽しそうだ。
にゃーさんとティーアに尋ねすぐさま賛同が返ってきたのを確認したエルトは普段は通らない道へと向きを変える。
この先しばらく歩くと、開けた場所に多様な花が咲いた広場のような場所がある、まだ家業を与えられる前に見つけたエルトのお気に入りの場所だった。
そういえば行くのは久しぶりだ。楽しみな気持ちから自然と足が早くなる。その勢いのまま鬱蒼とした森から出た一瞬まぶしさに視界を奪われて、その後には見慣れた広場と――見慣れない人の姿が、あった。
「え?」
その人物はエルトの方に背を向けているため、エルトが現れたことには気づいていないようだった。よくある茶色のズボンの上に初めて見る形の服を着ているのが分かる。襟と袖口に綺麗な茶の刺繍の入った膝ほどまであるクリーム色のワンピースのような形で腰から下は左右が縦に切れていて、そこをリボンのようなものでゆったりとつなげてあるその服は、町の誰も来ていないし、どこでも売っていない。それだけでこの男が遠くから来たということが分かる。
(この場所に人がいたのは初めてだ)
このまま向こうが気づかないうちに立ち去ってしまおう。町の人以外と話したことのないエルトは、咄嗟にそう思い踵を返そうとして足元に落ちていた枝を踏んでしまった。パキッと小気味いいい音が響く。
やってしまった、と思った時には広場の中央で男がこちらを振り返るとことだった。
「おや、ここの住人かな?」
エルトの姿を見て一瞬驚いた顔をしたその男は、すぐに優しげな笑みを浮かべてエルトの方へ近づいてくる。
歳は三十に満たないだろう青年と目があったエルトは思わずその場で立ちすくんでしまった。そんなエルトを尻目に男はどんどんと近づいてきて、そしてエルトの目の前で止まった。
「驚かせてしまったかな?そんなに警戒しなくても大丈夫さ、僕はただの旅人だ」
「旅人?」
男の言葉にようやくエルトが動きを取り戻す。
まだまだ子供のエルトから見ると男はかなり大きく感じられた。
「ああ、この国を端から端まで見て回っているんだ。ここに来るのには苦労したけれど、これてよかったよ。こんなにきれいな光景が見れたからね」
男は笑みを深め辺りを見渡すように顔を動かし、すぐに視線をエルトに戻した男はエルトの頭の上を見て、今度は驚いた声を上げた。
「なんだ、君も生命体を連れているのか!」
「え?」
生命体、初めて聞く言葉に首を傾げる。男の視線をたどるにそれはティーアのことだろうか?
「もしかして、ティーアのこと?」
「へえ、その白鳩はティーアというのか。そうだ、君の名前は?」
「エルト。エルト・シュプルングですけど……あの、その生命体って?」
「ん?君は生命体を知らない?それは不思議だね、この町には生術師はいないのかい?」
生術師。またも初めて聞く言葉にきょとんとした顔をするエルト。その様子を見て、男はエルトがそれも知らないと悟った。
「驚いたな。この国では常識だと思っていたけれど……いやはや世界は広いな」
「えっと、お兄さん?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったね。僕の名前はリューゼ。そして相棒が」
そこで言葉を止めるとリューゼと名乗った男は慣れた手つきで指笛を吹く。数秒後にはバサリとティーアよりも大きな羽音をさせながらリューゼの伸ばした腕に大きな鳥が止まる。茶色い体に白い模様が混ざっているこの鳥は―――――
「梟?」
「そうだよ。僕の生命体、名はフューレンだ」
「お兄さんの生命体……」
森にいる梟よりも一回り大きそうな梟は夜行性にも関わらず元気そうで、リューゼの腕の上で静かに羽を畳んでいる。首には鳥が付けるには不自然な金色の細く首輪のようなものが輝いている。首輪の正面には同じく金色で複雑な文様の刻まれた小さく丸い飾りもついていた。
「生術師を知らないということは、エルト君はこの服も見たことがないのかな?」
この服と言ってリューゼが引っ張ったのは先ほどエルトが見たことが無いと思ったクリーム色の丈の長い上着だ。正面から見ると襟が四角くなっていて、そこにも幅広に刺繍が施されているのが見えた。遠くでみるよりも薄手だけれども、高そうな生地で出来ているのが分かった。
「この服はね、生術師の証、いわば制服なんだ」
「ということは、お兄さんも?」
「ああ、フューレンを使う生術師だよ」
生術師とはね。リューゼが学校の先生のように説明してくれる。
「生術師とは生命体を連れ、生命体の力を借りて、普通の人には使えない力を使える人たちのことだ。たとえばこんな風に」
“雪降”
リューゼが聞き慣れない言葉を口にすると、声に呼応してフューレンがその羽を広げ白い光を放つ。その光はリューゼの体へと入っていき、頭上へと抜けていく。次の瞬間にはリューゼの頭上数メートルの高さからひらひらと雪が降ってきた。
「こんな感じで生術師はこの世界に生きる生物が持ち、世界に満ちている生命エネルギー、生力を操る」
リューゼは目の前にゆっくりと落下してきた雪をふっと握り込む。
「この雪は、フューレンの生力に僕が雪に変わるように指示を出した結果だ。生命体は、この世界に存在する生力が適性のある人間の意思によって生物の形に集まったモノ。つまり生命体は生力の塊なんだよ」
だから君の、ティーア君だったかな?
エルトの頭の上でくつろいだままのティーアに視線を向ける。
「君がどうやってその生命体を手にするに至ったのかは分からないが、そのティーア君もまたこの世界に存在する大半のモノが存在する物質世界とは別次元にあるエネルギーの集合体だ。君にも覚えがあるだろう?ティーアが普通の生き物ではないということに」
「あ、ティーアは他の家族には見えなくて……」
「そう、生命体は普通の人間には見えない。普通の人間の目は物質世界しかみることができないからね。ごく少数の、生力に適応のある人間にだけ生命体は見える、生命体のエネルギーを扱う生術が使える、生術師となれる」
普通の人には見えない。
エルトはティーアを素通りして自分だけを見る家族の姿を思い出す。見えないものは無いモノと同じ。ティーアはいつもエルトだけの友達だった。
「ごく少数とはいえ、その世界には一定数そういった才能を持つ人間がいる。この町に君しかいないのが不思議な程度には、ね。才能ある者のうち、専門の学校に通い、専門的な知識を身に着け、実技を訓練し、国家試験に受かった者だけが生術師として、この制服を着て学外で生術を使って生活することを許される」
「学校?」
「ああ、この国に五つある生術学校……ってそうか、君は知らないんだね」
リューゼは徐にしゃがみ込み近くに落ちていた枝を拾うと地面に歪な円を描く。その円の中に五か所点を打つとその点を一つ一つ枝で指しながら
「国のほぼ中央にあるここが第一 生術学校、その周りに均等に並ぶ四つの学校は上から時計回りに第二から第五 生術学校。年に一回の統一試験の成績に応じて行先が決められる。入学できるのは基礎学校を卒業した後。この町ではどうだか知らないが、一般的な町では六歳の誕生日に入学して十二歳の誕生日に基礎学校を卒業した後、初めてくる春に各自選んだ学校を受験し進学する」
リューゼの言葉にエルトも頷く。そのシステムはエルトも知っていた。エルトはいま丁度基礎学校を卒業した後で、次の春に進学するまでの待機期間、いわゆる学間休暇の真っ最中なのだ。この学間休暇の間に、子供たちはそれぞれ自分の進学先を決める。
進学先は主に二つ。
一つは修学学校、基礎学校で習った学問をさらに極める勉学専門の学校で、学者や教師になりたい人が進むことが多い。都市部に住んでいる人や実家が裕福な人が多いとも言われていて、だからエルトの住む町の近くに修学学校はなく、そちらに進学する生徒も一人いるかいないかであまり馴染みがある学校ではない。
そしてもう一つが専攻学校、多種多様に渡る専門分野を擁する学校で、その専攻学校のある地域によって存在する専攻も異なり、専門の内容によって三年から五年の時間をかけてその専門を生業として生きていくための知識や技術を学ぶ。
この国の学生の七割以上がこの専攻学校に通っていて、エルトもまた次の春がくれば近隣にあるこの専攻学校――周囲を山や自然に囲まれた町にふさわしい自然学の専門ばかり――に進学する予定だ。
「そうだ、この国に住む子供の実に九割以上はその二つの学校のどちらかに進学することになる。この国では進学しないで出来る仕事は無いから、万が一進学に失敗しても次の年に受け直しやがてはどちらかの学校に行くことになる」
と、まあこれが通常の場合だ。
リューゼの言葉にエルトも異論はない。基礎学校で習った内容とほぼ同じだ。
「しかし、だ。このありきたりな選択には、一つだけ例外の道がある。九割以上の平凡な道に隠された異色の道、それが生術学校だ。生術学校の受験資格は十二歳であること。だから一生で一度しか受験するチャンスはない。しかも年に一回、首都コアディニアでのみ開かれる選定会場に行かなければ受験できないという狭き道だ。まあ、それでも決して狭くないこの国のあちこちから、希望者が殺到してコアディニアの会場は大変なことになるらしいがな」
コアディニア。
名前は聞いたことがある。授業の際に地図で場所も少しだけ確認したことがあったはずだ。エルトの住む町、国の東端エンディアから遥か南西にある街だ。
「ふむ、見たところエルト君は丁度進学の年頃なのではないか?」
「はい、次の春が……あと一か月後に進学試験があります」
「やっぱりそうか。ならば生術学校の受験には間に合ったわけだ。今日、私に会えて幸いだったな」
このチャンスを逃したら君は二度と受験出来ないところだったんだから。
「あの、でも僕は家業を継ぐために専攻学校で森林学を……」
「家業――ああ、この山が君の家の持ち場なのか。まあ、それもいいだろう。君の人生だ、好きにすればいい。だが、その場合ティーアとはお別れということになるな」
「え?」
どういうことですか!?
思わず頭の上のティーアに腕を伸ばし抱きしめる。クルル?と見上げてくる白鳩は無邪気なものだ。
「生命体は生術師しか連れてはいけないという決まりなんだよ。いまは君が進学前だから問題ないが、進学後、君が生術師以外を目指し始めたなら話は違う。生術学校という国立の学校ができ、生術師という職業があるのは、生命体を何も知識を持たない者が連れているのは危険だからでもある。国家資格である生術師でない者は生命体を持ってはいけない、それがこの国の決まりだ」
「決まり……」
「まあ、この町はだいぶ辺境にあるからね。君が生術学校にいかなくても数年は誰も気づかないかもしれないな。あくまでタイムリミットが伸びたにすぎないけれど、それくらいの猶予はあるだろう。でも、いずれ誰かが気づいた時、それが終わりの時だ」
リューゼの言葉を反芻し、思わずティーアを抱きしめる腕に力が籠る。
「と、生術師についての説明はこんなところかな。もしもっと詳しく知りたいのなら生術学校に行けばいい。生術学校に行かないと決めたなら忘れてしまうことだね。必要となることはないのだから」
君に、これをあげよう。
リューゼ胸元から取り出した手帳に何か書き込んだと思うと、そのページを千切ってエルトに差し出す。
反射的に受け取ると、そこにはどこかの住所と時間が書かれていた。
「ちょうど1か月後にそこで生術学校の進学試験がある。興味があるなら行ってみるといい。では、私はこれで失礼するよ。お目当てのモノも見つからなかったし、次に移らなくてはいけないからね」
「あっありがとうございました!」
「単なる気まぐれさ、気にしなくていい。いつかどこかで君と再会出来るのを楽しみにしているよ。生術師として、ね」
まあ、君は覚えていないだろうけど。
「え?」
最後に呟くように聞こえた言葉を聞き返そうとしたが、その時にはリューゼはフューレンの名前を呼び、光を纏っていた。
次の瞬間にはリューゼの周りに風が起き、それと同時にエルトの方にも風と不思議な光が襲い掛かってくる。
「うわっ!」
飛ばされると思い咄嗟に身構える。が、風がエルトに到達する前にエルトの前に黒く輝く薄い膜のようなモノが広がり、風と光を受け止めてくれエルトには欠片も届かなかった。
「今のは、にゃーさん?」
”にゃあ!”
肩から、ティーアがいなくなったエルトの頭上に器用に移動していたにゃーさんから肯定の声が聞こえてくる。
どうやらエルトを守ってくれたらしい。
「ありがとうにゃーさん」
すでにリューゼとフューレンの姿はない。あの風はリューゼが生命術で移動するためのものだったのだろう。
そして、さきほどにゃーさんがエルトの前に創ってくれた黒い膜もまた、生術なのだろう。たぶん、きっと。
(僕にもあの技が使えるようになる…?)
ティーアを肩に移し手のひらを見つめる。まだ子供の小さな手だ。こんな自分でもリューゼのような力が使えるようになるのだろうか。使えるようになったら、何かを守れる?ティーアやにゃーさんとずっといつまでも共にいられる?
それにもう一つ。
ティーアを生命体だと、生術師とは生命体を視認しその力を借りる力を持つものだと言ったリューゼにすら見えなかったにゃーさんが一体何モノなのか。どうすればずっと一緒にいられるのか、それも生術学校に行けば分かるのだろうか?
“にゃう?”
立ったまま動かないエルトを不思議に思ったのか、にゃーさんがエルトの顔を覗き込む。腕の中ではティーアもエルトを見上げていた。
なんの濁った感情もない、どこまでも澄んだ瞳だった。
「ティーア」
"雪降”
思いつきで、呟いてみる。
リューゼの見せた白い雪を思い浮かべながら目を閉じると、腕から体に暖かい何かが、流れ込んできたのが感じられた。少ししてそっと目を開けば、リューゼの時と同じようにエルトの周りにひらひらと雪が舞っていた。
これでいいの?と視線で尋ねるティーアにお礼を言って、エルトは次から次へと降ってくる小さな白い雪片をぼんやりと眺める。リューゼの言葉と、家族との将来の約束が何重にも重なってエルトの頭の中を駆け巡っていった。
やがて雪が降りやんで、ようやくエルトは顔を動かした。
「帰ろうか」
二匹の返事を聞きながら来た道をゆっくりと引き返す。
どうしたらいいのか、答えはまだ見つからなかった。
一応割と重要な造語の読み方は
生命体
生力
生術
生術師
となっています。