調子狂う。
rose5 調子狂う。
鏡夜の声が聞こえた瞬間、涙が溢れた。
今までの、怖さと気持ち悪さ。そして、助けに来てくれた嬉しさが混ざり合って良く解らない。まるで、夢でも見てるみたいに頭がぼんやりとして。それでも、もう怖くはない。
────いつの間にか、身体の震えは止まっていた。
ボソボソと、低く鏡夜の声が聞こえる。声の雰囲気だけでも、鏡夜が酷く怒っていることがわかる。
体育倉庫の中にいた人達に見覚えは無かった。けれど、そこに日下部くんが決まりが悪そうに立っていた事が、酷く悲しくて、痛かった。
「……次こいつに手ぇ出したら、本当に許さないからな」
鏡夜がそう言って目線を外すと、彼等は逃げるように体育倉庫から立ち去る。埃臭い体育倉庫には、僕らだけが取り残される。
「…………おい、綺流社」
鏡夜が僕に触れないよう、屈んで目線を合わせる。
「帰るぞ」
けれど、足がすくんで動かない僕をみて、少し手を伸ばす。
「…………触れても、良いか?」
その低い声に、鼓膜が震える。さっきとは違う、どこかふわふわとした気持ちに包まれる。
「…………っ、い、いいよっ!ひ、一人で歩ける…………!」
恥ずかしくて、ふわふわとした気持ちから逃げてしまいたくて、鏡夜から目線を外す。鏡夜は、ほんの少し不服そうに眉を寄せてから、意地悪そうに笑う。
「……………………歩けんの?」
「あ、歩けるよ…………っ!僕だって、男なんだから…………!」
「…………へぇ。その割には、足が震えてるな」「ふ、震えてない…………っ!」
「いいから」「…………え?」
「…………大人しくしてろよ…………」
そう言うと、鏡夜は僕をそっと抱える。そして、静かに唇が頬に触れた。
沢山のビックリマークとクエスチョンマークが浮かんで、頭の中を埋め尽くしていく。
どうやら僕は────…………鏡夜に、キスをされてしまったらしい……
「…………?…………!…………!?!?!?」
突然の事に驚いて、目線を左右に動かしてしまう。すると、
「…………くくっ、ぶっ…………ははっ」
鏡夜が耐えきれないように噴き出す。いつもの微笑みとは違った、「鏡夜」らしい笑顔に驚く。
「…………消毒。あいつらの」
目尻にほんの少し涙を浮かべて、僕を見て赤い顔で言う。赤いのは、笑っているせいかもしれない。
「…………お前と居ると、本当に調子狂う…………。さっきだって、必死でお前のこと探して、叫んで、走って走って走って走りまわった。心配で、たまらなかった。
もう帰ったのかと思ったら、日下部に連れられて何処かに行ったって噂で聞いて…………」
日下部は、綺流社のこと、前々から目をつけてるって噂になってたから……。どういう意味で目をつけてたのかは解らなかったけど。そこまで言って、鏡夜は一度、言葉を切る。ぽたり、と汗が体育倉庫の床に落ちた。
────…………そこまで、必死で走って来てくれたんだ
「それから、人があまり通らない場所を中心に校内を探して…………でも、まさかここだなんて思わなくて…………。
早く見つけられなくて、本当に悪かった」
そう言うと、鏡夜は僕を引き寄せて言う。
「無事で、本当に良かった…………」
痛いくらいに僕を抱きしめる。鏡夜の声が、体が震えている。
さっきは僕が震えていたのに、なんて思ったら、何故だか少し笑ってしまった。
「鏡夜…………」
鏡夜の顔が近くなる。
「…………なんだよ?」
強い言葉とは反対に、泣き出しそうな子供のような瞳に、思わずクスリと笑えば、不服そうに目線を外されてしまう。
「…………あのね…………?」
僕は、そっと鏡夜の耳に囁いた。
────ありがとう
そう言うと鏡夜は、いつものように不機嫌そうな表情で、けれど、耳だけは赤かった。
「……どういたしまして。……でも」
鏡夜はまた僕を抱きしめて言う。
「…………お願いだから、どうかもう俺から離れないで」
鏡夜の声が寂しそうで、それが少し気になったけれど
「…………うん」
そう言って僕らはもう一度、今度は少し長めのキスをした────
少しずつ、心が近づいてきた鏡夜と綺流社。
でも、少しずつ彼らに近づいてきた災難を彼らは乗り越えられるのでしょうか…?