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蒼い華  作者: 桜ノ夜月
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最悪な出会い

 ────例えるのならそれは、熱に浮かされた時にとてもよく似ていて。恋愛と言うものは、これほどまでに深く人を変えてしまうものだったのかなんてほとほと呆れてしまう。

 僕は昔から弱虫で、鈍感で────それでもそんな自分を嫌わずにいられたのは、あの時に彼と出会ったからなのかもしれない。

 杉原 鏡夜(すぎはら きょうや)。僕は彼と出会ってから、今でもずっと、彼に惹かれ続けている。


綺流社(きると)、おはよう!」「わっ!」


 後ろからわしゃわしゃと頭を撫でられたことに驚いて、変な声が出た。その勢いに驚いて前につんのめると、慌てたように僕の制服の裾を掴んで、バランスを崩した体勢をもとに戻してくれる。


「はは、ごめんな?」「何するんだよ、正世(ただせ)っ!」


 怒りながらその声の主を振り返れば、色素の薄い髪に太陽のような笑顔を浮かべ、何処か悪戯めいた瞳をした高橋 正世が立っていた。

 正世は僕の友達で子供の頃からずっと一緒にいる幼馴染でもある。いつも僕をからかって遊んでいるが、情けない僕の手をいつも引いてくれた頼りになる兄のような存在で────本当に優しい何よりも大切な友人だったのだ。


「綺流社は可愛いなぁ───昔から、本当に変わらないよ」


 そう言って笑う正世に「恥ずかしいからやめて!」と言えば、正世はぱっと手を離すと「はいはい」と笑った。


「この分だと、まだまだ彼女なんて出来そうにないな?」「正世だってそうじゃん」「俺は良いんだよ」「理不尽だ!」


ぎゃあぎゃあと騒ぎながら正門をくぐって、自分達の教室へ行こうとした────時だった。


「おい」


 ふいに、後ろから低く透明な、氷のように冷たい声が聞こえた。ひやりとした手に掴まれたように、不意に心臓が冷たくなるような声。


「そこどいて。邪魔」


 冷たく響く低い声が、するりと鼓膜に入り込んで。それは否応なしに、「彼」の存在を意識させられる。

 すみませんと振り返れば、その整った顔に思わず息を呑んで、僕はついその場に固まってしまう。

 

「……っ、ご、ごめんなさい!」


 慌てて頭を下げれば、彼は片眉をぴくりと上げると、僕と正世の顔を見てフッと息を吐く。


 ────もしかしなくても、今、鼻で笑われた?


 思えば僕は、十六年間そこそこ周りと友好的な関係を築いてきたつもりで。少なくともこんな風に、初対面の人からあからさまな悪意を向けられたことは無くて────だからこんな時は、どうしたら良いのか解らずに固まってしまう。


「え、えと……」「なに?まだ何か用?」


 何か用?って、こっちが謝ってるんだから何か返せよ────なんて思わなくはないけれど。それでもぶつかったのは僕だし、謝罪を受け入れるのは向こうの勝手で。……ただ、何というか……


「……ぶつかってしまって、ごめんなさい」「ごめん、橘! 俺のせいなんだ! 怪我ない?」


 僕はそう言うと、再び彼に頭を下げて。まだ何かを話していた正世の腕をむんずと掴むと、引きずるように校舎の中へ入ってゆく。「おい、綺流社!」と咎めるように正世が僕の名前を呼ぶ。自分が失礼なことをしている自覚はあったけれど、頭に血が上った僕には彼の言葉は届かなくて────


 ────そりゃ、ぶつかったのは僕の不注意だし、彼には謝罪を受け入れなきゃいけない義務もない。……ない、けど。


 僕はちらりと後ろを振り返ると、先程の男子生徒をもう一度見て。けれど彼は、先程の自分の発言になんて何も非が無かったかのように欠伸をしながら歩いていて。それが無性に、僕を苛立たせた。


 ────なんて言うか、すっごい()な奴!




 ────ああもう、苛々するなぁ!確かに僕が悪かったけど、そもそも言い方ってものがあるだろ!


 僕はがしがしと日直の仕事である黒板消しをしながら今朝のことを思い出す。あの後、正世からは僕に対する謝罪と注意をされてしまった。ちゃんと誠意を持って謝らなければいけないと言う正世の言葉に、最初からあんな態度をとるやつに謝罪も何もあるもんかなんて不貞腐れてしまった。


「おいおい、そんなに乱暴に消したら黒板の汚れが広がるだけだぞ? ……今朝のこと、怒ってんの?」


 不意に聞こえた正世の声に、彼をじっとりと見返せば「だからごめんって」と正世は困ったように頬を掻いた。


「俺もちゃんと確認してたんだよ」「してたらあんなことにはなってないと思うんだけどなぁ」


 ふーんと嫌味っぽく返せば、正世は酷く困ったような顔をして。僕はそれを見て、うぐと声を詰まらせてからそっぽを向いた。

 正世はどちらかと言うと、世渡り上手な方で困ったり自分が不利な立場に立った時は今みたいに人の怒りを逸らすことが多く、何処か大型犬にも似たその様子に僕も何度騙されたか解らない。ただ、今度と言う今度は絶対に許さないのだ。そもそも僕も悪いけど、もとを正せば正世がくっついてきたのが原因なのだ。……なのだけど────

 僕はちらりと横目で正世の様子を窺うと、正世はまだ困ったように眉を下げていて。「ね、綺流社」と、僕の名前を呼んだ。


「……ああもう! 良いよ! ぶつかったのは僕だし、態度も良くなかったし。後で謝りに行かないと」


 心底会いたくはないけれど、僕はまだきちんと謝罪も出来ていないのだ。それに、今朝は流石に態度が良くなかったと思うし────頭の中で言葉を並べながらそう自分を納得させていると、不意に正世が口を開く。


「あのさ、」「……どうしたの?」


 正世は一瞬、酷く言いよどんで。伝えることを迷うかのように、視線を左右にさ迷わせてから、にっこりと微笑んだ。


「何でもない! 謝りに行くときはさ、俺にも声かけてよ! 俺も悪かったし、それに綺流社 橘のクラス知らないだろ?俺多少は面識あるし、それにあいつ誰か一人に押し付けるのとか嫌いだからさ」


 そう言って笑う正世に、「う、うん」と返せば、他のクラスの男子生徒が「おーい、高橋!」と、教室の出入り口から大声で名前を呼ぶ。

 正世は「ちょっとごめん」と断ってから、「何?」と教室の出入り口へ行って。僕は再び、日直の業務を片付けることに勤しむ。

 僕の学校は、名簿順で日直が決まっていて。業務は黒板拭きと日誌の記入、移動教室ごとの教室の鍵の施錠、放課後の教室清掃、日誌の記入など多岐に渡る。その仕事量の多さから、通常は二人一組で業務を行っているのだけれど、今日はたまたま同じ日直の子が風邪で休みで。正世は朝から、僕になるべく気を遣わせない範囲で手伝ってくれていた。


「えっ、部内ミーティング? だって先週無いって────」「そうなんだけど、山本が急に出張入ったとかで今日になったらしくてさー。あっ、でもお前日直?」


 じゃあ無理かと言う会話を聞き、「あの!」と声を掛ける。そう言えば正世はサッカー部だったっけ。活動日はいつも先に行ってしまうから、あまり詳しく話したことは無かったな。


「あの、正世は今日休みの子の代わりに手伝ってくれてただけなんだ。正世、手伝ってくれてありがとう。あとは僕一人でも出来るから大丈夫だよ。日誌書いて提出するだけだし」


「本当に助かったよ。ありがとう」と正世に言えば、彼は一瞬────本当に一瞬だけ、酷く不愉快そうに眉間に皴を寄せて。「でも、」と言葉を続ける彼を、先程の男子生徒が「良いじゃん」と肩を叩く。


「佐々木もこう言ってるんだしさ。それにもうミーティング行かないと、お前を待ってた俺まで怒られるんだけど」


 そう言って教室の壁掛け時計を指した彼に、正世は「じゃあ先に行っててよ」とぶっきらぼうに言葉を返す。「俺は大丈夫だからさ」と言う言葉は、恐らく僕に向けられた言葉で。あからさまな対応の違いに恐縮してしまう。


「大体そのミーティングだって、先週いなかった奴のために開かれてるんだろ? なんで不真面目な奴のためにこっちが時間使うんだよ」「んなこと俺に言われても知らねぇよ。先輩が真面目じゃないんだから仕方ないだろ? 俺だって行きたくないよ」「じゃあお前もいかなければ良いだろ?」


 ────はぁ、と聞こえた溜め息は恐らく同じサッカー部員の彼が発した溜め息で。これ以上押し問答を重ねても、正世と彼の間の友人関係が悪くなるだけだなんて思い、「あ、のっ!」と出来るだけ声を張り上げる。

 正世と彼は、僕の突然の大声にびくりと肩を跳ねあげて。驚いたようにこちらを見つめる正世に、なるべく真実味のある嘘を吐く。


「ご、ごめん。あの、本当にあとはもう日誌を持って行くだけだから。あの、だから────」


 そう言いながらちらりと正世の友人の方を見れば、意図を汲み取ってくれたのか「運動部に入った時点でお前の負け。ほら行くぞ」と正世の腕を引いて。正世も僕の仕事がひと段落ついたのを確認したのか渋々と言った様子で動き出すと、正世の友人にすぐ行くからちょっと先行っててと声をかけて。彼が行ったのを確認すると、相変わらず優しく僕の名前を呼んだ。


「────綺流社」「……っ、な、なに?」


 思わず上擦った声で返せば、正世は「なんだよ、それ」と苦笑して。ふっと息を吐くと、「気にしなくて良いから」と笑った。


「俺が綺流社と一緒に居たいだけなんだ。それに、俺は自分の時間の都合がつくときしか居られないし。……だから今回みたいなことがあっても、綺流社は何にも気にしなくて良いよ」


 ────俺が全部何とかするからさ


 ね?と正世は少し屈んで僕と目を合わせると、甘やかすように正世はゆるりと笑って。それにうまく答えられずにいると、「じゃあ俺、行くね?」と荷物を持ってぱたぱたと教室を出てゆく。

 僕は彼が行ったのを確認してから、ふっと息を吐いて。「日誌、書かなきゃ」と独り言を呟いた。

 時間割と欠席、早退、遅刻者の欄に、少しずつ文字を書いていって。空白が言葉で埋まってゆくその瞬間が昔からとても好きだった。

 

「────ふふ」


 空白が埋まった日誌を眺めながら、ゆるりと頬を緩める。自分一人が残された教室でふんふんと鼻歌を歌いながら、暫くそれを眺めていると────



「────字、綺麗だな」



 不意に、柔く響く低い声が耳を擽った。囁くような甘い声がゆっくりと僕の耳に入り込んで、鼓膜をなぞるように僕の名前を残してゆく。

 慌てて振り返れば、今朝の憎き男が僕のすぐ後ろに立っていて。思わずバサリと日誌を落としてしまう。


「────っ、な、なんで」「お前に会いに来たわけないだろ。サッカー部の奴が高橋が部活ミーティングに来てないからついでに呼びに来てくれって言われただけだ」


 勘違いすんなよとでも言いたげな表情に、思わずむっとして。それでも、それをぐっと堪えて努めて明るく振る舞う。


「っ、そ、そう!たっ、正世はさっき他の子が呼びに来てたからもういないんだ!じっ、じゃあ僕、日誌出しに行かないといけないからこれで────」


 そう言って慌てて立ち上がると、日誌を持って彼のすぐそばをすり抜けるように走って。……だから、気付かなかったのだ。


「────なんだあいつ。変な奴」


 そう言って小さく舌打ちした彼が、僕が走った拍子に落としてしまった生徒手帳を拾っていたなんて。



「……一年三組……「佐々木 綺流社」? ……ふっ、くくっ、変な名前。あーあー、ご丁寧に携帯電話の番号なんて書くなよな」



 つい、個人情報がだだ漏れすぎるだろなんて笑ってしまう。

 俺は拾った生徒手帳をポケットへしまうと、先程のあいつ────佐々木の怯えたような顔を思い出して、ついくつくつと笑ってしまった。


「────さて、どうしたものかなぁ」


 そう言ってポケットへしまった彼の生徒手帳は、まるで発熱しているかのように酷く熱く感じた。

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