ストーカー
大変ためになる授業も終わり、放課後。
やはり私は帰宅する為、道をトボトボと歩いていた。
高校から歩いて帰れるというのはとても楽だ。しかし、だからこそ電車通学には憧れてしまう。電車通学をしている人が聞いたら、怒り狂うかもしれないので、これは胸の内に秘めておく。
何事もない、平和な日常である。変わり映えもなく、何もない、しかしまあまあ幸せなそんな日常である。異常な力を身につけてもなお、日常は決して崩れ去らない。
などと、私は思っていた。
本当は違った。
特殊な力を持てば、その力に振り回される。そう気がついたのは、襲われてからだった。
日も沈んで、周囲の風景に夕日色がさし始めた頃である。お通夜の時のように、空気が静まり返った。そして、その異変に気がついた頃にはもう遅かった。
「お前が僕の雪城さんに近づくゴミ虫か? まったく、確かにそうだ。ゴミのような顔してやがるよ。お前の所為で、雪城さんがどれだけ困っているか知らないな?」
男だった。かなりの小柄。制服が私と違うことから、他校の生徒だということが分かる。彼は若干染めた髪を振り乱して、
「お前だよ、お前が邪魔なんだよ! 僕の雪城さんと仲良くしやがって!」
とにかく、と彼は呟く。
懐から何かを取り出す動きを取る。
何をするのだろうと彼を観察してみる。彼の行動の意図が見え、私は寒気を感じた。ナイフだった。彼は懐からナイフを取り出して、こちらに見せつけるようにそれを構えた。
「そうか。さてはきみがストーカーだな? 馬鹿な真似はやめたまえ。怪我をするぞ、私が。早くナイフを置きなさい」
「うるせえええ!」
近所迷惑な怒声を上げて、彼が走ってきた。
だが、私はここでは慌てない。
「まままままま! まって! 待て!」
だからこれは私ではなく、裏人格ジェームスンである。全国のジェームスンさんは反省してほしい。
「ふぅ」
落ち着いて、現状を考えてみる。前にはナイフを持ったストーカー。終わりだ。この世の終わりだ。
「雪城さんは僕のだ。雪城さんは僕のだ。雪城さんは僕のだ」
雪城さんの名前を連呼し、こちらに向かってくる男。もう距離もない。後一秒もしないうちに、私は彼に貫かれてしまうだろう。
何の抵抗もしなければ。
彼の雪城さんコールで、私は我に返ったのだ。慌てている暇はない。
腕時計を外し、同時それをフライパンと入れ替える。私の手元にはフライパンが現れた。そのフライパンを彼に投げつけた。
「――っ!」
彼は即座にフライパンに反応して、一歩左に動いた。フライパンは見当違いな所を飛んでいる。そこで、私は再び力を使った。
フライパンと机を入れ替える。
ナイフを持った彼は、一歩しか左に動いていない。その位置では、フライパンのような小さなものは避けられても、机レベルの大きなものは避けられない。
突如現れた机により、ナイフの彼は殴打される。
「ふ。ナイフ程度で私が打倒できると? 甘いな」
怖かったけれども、弱みを見せてはいけない。あくまで強気でいく。ここで私は自分の能力について、再度考える。
私の能力、『交換』。これは私が触れたもの同士の位置を交換できる能力だ。投げた物を交換したならば、あくまで位置を交換しただけなので勢いは死なない。だから、私はやろうと思えば車だって投げられる、筈だ。
そして、この能力。あくまで物にしか対応していない。生物には通用しない。
今日触ったもので、武器にできそうなものを考える。フライパン、机、傘、鉛筆、鋏。車など、あまり大きなものを交換したら騒ぎが起こるので、あまり使いたくはない。
ナイフの男が立ち上がる。流石に机をぶつけられたくらいでは、倒れないようだ。ストーカー怖い。逃げそうになる体を押さえつけて、私は真っ向から彼に立ち向かう。
彼が突き付けてくるナイフから視線を外さず、ジリジリと距離をとる。正直な話、私は未だに自分の力を使いこなせてはいない。
間合いも、能力の射程も、よく分かっていないのだ。
それもその筈。
この能力を手に入れたのは最近だし、そもそも私の能力は戦闘向けではない。
宅配のバイトとか、引越しのバイトには最適である。しかし、どう考えても戦闘用ではないのだ。だが、やるしかない。
私が相手との距離を測りかねていると、向こうが口を開いた。
「今の攻撃……もしかすると、お前も能力者か?」
ナイフを持った彼は、今、お前もと言った。その言葉に、私は息を飲む。
相手は能力のことについて知っている。それだけではなく、もしかすると彼自身も能力を持っているのではないだろうか。
いやな予感を感じ、私は逃げることを決意した。
だが、
「逃がさない」
彼に背を向け、私は駆け出していた。その筈だった。だというのに、何故だか彼は前にいた。
ナイフが一閃。私の頬の皮膚を浅く裂く。血液が飛んだ。
私が切られたのは、一か所だけだ。だというのに、私の体にはすでに十の傷が生まれていた。一度しか斬られていないのに、傷は十か所。
こういう不思議現象には覚えがあった。能力だ。
私の交換も不思議な能力である。
相手も能力者。やはり逃げるべきだ。
そう思う。
だけれど、私の中で『逃走』の二文字は消え去っていた。もしもだ。もしも、私がこの能力者を一人で倒したとしよう。
この能力者は雪城さんのストーカーだ。とても危ない。そして、そんな危険人物を一人で倒したとなれば、私はきっとモテるに違いない。
ストーカーを退治した私に、きっと雪城さんもメロメロである。その上、ストーカー撃破のうわさを聞きつけた乙女たちも、私にメロメロになるに違いない。
勝とう、戦って。
決意の元、拳を握り締める。まずやるべきことは、ナイフを無効化することだ。流石の私も、ナイフに貫かれれば死んでしまう。だからやるべきことは一つ。
『交換』
敵のナイフはすでに私に触れている。そして、私は自分に触れたもの同士ならば、何とでも位置を交換できる。
能力を使用して、ナイフと机の位置を入れ替えた。男の手には、突如として机が現れる。
予想外の事態、それにプラスしてナイフから机に変わったのだから重量の変化。それに戸惑い、男の動きが停止した。
そこへ飛び込む。
残念ながら、私に武術の心得はない。だとしても、喧嘩程度なら出来なくもない。
振りかぶった拳は男の頬を打つ。拳に相手の生温かい体温を感じる。今度は蹴りを入れようと試みるが、打たれたことにより正気を取り戻した男の反撃にあう。彼は咄嗟に机を捨てて、蹴りの体制をとる。
カウンターで蹴りを決められ、私は嘘のように後方へと吹き飛んだ。
地面を転がり、そのまま倒れた。
蹴られた痛みで、呼吸が難しい。せき込みつつ、私は立ち上がった。
今の蹴り。一撃にしては、威力が高すぎた。何度も何度も蹴りをいれられたかのような、そんな錯覚を覚える。
胸を抑えつつ、男を見る。
彼は若干誇らしげに、
「これが僕の力。この力で、僕は彼女に認めてもらうんだ」
彼女とは、おそらく雪城さんのことであろう。一体、何を認めてもらうのかは分からないが。
男の目は怪しく輝いている。暗い中で、どこか明るい、そんな奇妙な輝き方だ。
こんな危険人物を雪城さんに会わせるわけにはいかない。
「きみの能力」
「あ?」
「きみの能力が分かってしまったよ」
私の声を聞き、男は行動を起こした。一歩、前へと足を進めたのだ。その動きだけで、彼は私の背後へと回る。やはり、思った通りである。
彼の能力。それは結果を十倍にする能力。だから彼は一歩で十歩分移動でき、ナイフ一振りで十の傷を与えられる。
だとしたら、対策は簡単だ。
「あれ? 分かったところで、どうなるのだろうか」
対策は簡単ではなかった。分かったところで、である。一歩動けば、敵は十歩県内を自由に移動できるはずだ。だとしたら、敵を捕らえることはできない。現に、
「雪城さんのところから、今すぐいなくなれ! ごみ!」
男の拳が私の後頭部を打つ。うめき声をあげ、こちらはふらつく。
振り返り、攻撃しようにもすでに彼はいなかった。十歩県内のどこかへと消える。現れる。殴られる。
彼の一発は十発分の力がある。殴られすぎで、頭がぼうっとしてきた。
だが、考えるのをやめてはいけない。敵の動きを読んで、攻撃を当てる。いや、読めない。ストーカーの心理など読めない。
次にどんな攻撃が降ってくるかも想像できない。
右側から現れた男の拳に腹を抉られた。空を舞い、地面に背中が叩きつけられる。息を口から吐かされる。このままではすぐに殺されてしまう。
耐えられて、あと五発だろう。その程度だろう。
けれども、私の虚勢により、彼にはまだこちらの限界は知られていないだろう。
実際、彼は先程から何度も、「まだ死なないのか、お前は!」と叫んでいた。
どうにかして、打開策を考えないといけない。早く、考えないと。
「もういい! 今すぐ殺す、次殺す」
頭を抱えて、彼は発狂した。目線がかすかに動く。
……分かった。
男の次の行動が分かった。私を一撃で、一瞬で倒す方法など一つだ。ナイフで突き殺す。
こうなってしまえば、もう簡単だ。
男が一歩踏み込んだ。目的はナイフ。
私は一歩踏み込んだ。目的は机。近かった私の方が一足早かった。机に触れて、交換を発動する。机と交換に、私は傘をとりだした。ナイフでもよかったのだが、それは危ない。
傘を持ち、男にかかる。
男もナイフを手にし、こちらを振り向いた。
やはり、敵は冷静さを失っている。敵は私の能力を理解もせず、自分の力に溺れている。確かに、男の能力は――強い。けれども、それは油断していい理由にはならない。
勝って兜の緒を締めよ。勝たずとも、気を引き締めろ。
「おおおおおおおおおおおお!」
私と男。声が重なりあい、攻撃の手が重なる。傘で突きに行く私、一歩動いて私のどこかへと回る男。案の定、私の攻撃は外れた。一歩動かれると、敵の動きはもう分からなくなる。けれども、ここで能力を使う。ナイフと机を再度交換。
「うお」
背後から、男のうめき声が上がった。後ろだ。
傘を薙ぐようにして、遠心力をつけ威力を上げる。傘が男の顔面に衝突した。確かな手ごたえ、勝利の感触。そう思った。
勝って兜の緒を締めていなかったのは、私だった。敵は傘で顔面を打つつけられた程度では、倒れなかった。彼にあるのは強烈な執念。
彼はゆっくり確実に、拳を振るった。
一打目、私の顔面に拳が突き立った。
二打目、蹴りこみによって宙にかちあげられた。それから、三打、四打、五打と続いて、私の意識は遠のいた。