毒舌
「ということがあったのだよ。どう思う? 友人」
「いや、何があったの? 急に、ということがあったのだよ、と言われても分からないからな? あと、俺の事友人と呼ぶのやめてくれる?」
「酷いことを言うな、友人。こちらは友人だと思っていたのに。私は女子からの罵倒は慣れてしまっているけれども、男子からの罵倒に対し免疫はない。まあつまり……泣いていいか?」
「駄目だよ! てか、俺もお前のことは友達だと思っているよ。でも、いい加減名前で呼んでくれよ! 俺の名前、友人じゃない」
「ふ、私に友人がいるとは知らなかったな」
「俺が泣くぞ」
という訳で、友人に休日の出来事を話す。もちろん、私の不思議能力の事も、彼女が一瞬でチャラ男Cを打倒したことも隠しておいた。
すると、友人は驚いたような表情を浮かべた。そして、彼は何かを思い出すような素振りを見せた。数回頷いた後、
「うん、やっぱりその女あいつだよな? なあ、文人。その女の名前、何て言うんだ?」
私は考えてみる。そういえば、彼女の名前を聞いていなかった。
「いや、聞いていない」
「うん、その状況で名前すら教えない女って言ったら、あいつだな」
「友人よ、先程からあいつあいつと言っているが、あいつとは誰だ?」
「俺らとタメの女。雪城葵だよ。名字は雪城な」
「で、その雪城さんがどうした?」
「お前が言ってた女、たぶんそいつだよ。この学校にいるぜ。雪城は毎時間、図書室にいるらしい。行ってみれば?」
友人に言われて、私は図書室へ行くことにした。ちなみに、私は友人の名前を覚えていない訳ではない。私もそこまで非道な人間じゃあない。
まあそんなことはどうでもいい。
問題は雪城さんである。彼女に会っても、何をしたらいいのか分からない。というか、会う意味が分からない。
そういう思いを抱きつつも、私の脚は図書室へと向かっていた。
現在は昼休み、時間はたっぷりとある。
雪城さんと初めて会ったのは、二日前である。現在は月曜で普通に学校がある日だ。彼女が休みでない限り、会うこと自体は可能。
美少女に会う為ならば、如何なる労力すら惜しまないのが私である。
一々、余計なことを考える必要もあるまい。しかし、私には心配事があった。
図書室に到着した。迷わず、ドアを開けて図書室内に侵入した。
雪城さんを探す為に、私は周囲を見渡した。欲しい本は自分で買う派の私は、今まで図書室に来たことが無かった。だから、いまいち図書室の間取りを把握していない。
見渡す限り本棚。本棚と本棚の間には、多くの人間が右往左往している。
適当な本を引っ張り出して、立ち読みする人。本を借りて出て行く人。図書室に備え付けられている席について、本を読み耽る人。
本を読むには、絶好の場所かもしれない。落ち着いた、穏やかな空気がここには流れている。だが、そんな中、唯一他の場所とは一線を画す空気が流れている場所があった。
雪城さんがいた。
彼女は席に着き、黙々と読書している。近寄りがたい空気を身に纏いながら。
事実、彼女の席に近づく者はいない。
彼女半径二メートル以内を避けるようにして、皆は席についている。
気にせず、彼女に近寄って、彼女の隣に腰を下ろす。
「やあ、雪城さん。久し振り」
「誰ですか、貴方。私の名前を知っているところをみると、どうやらストーカーのようですけれど」
……。私が心配していたことが現実となった。雪城さんに出会ったのは、二日前。そして、彼女の性格を考えて、彼女が私の事を忘れている可能性は高かった。
だが、気にしている場合ではない。一刻も早く、私の事を思い出していただかねば。
「鍵崎文人という。きみとは二日前に会っているから、もう知り合いだと思っていたけれど、こちらの勘違いだったかな?」
「はい、勘違いですね。ですが、思い出しました。貴方は確か、正義の味方ごっこをして、顔を二回も殴られたお人でしたよね」
「お、おう。その思い出し方はあれだけれど、そうさ。私が鍵崎だ」
「さて、男同士の触れ合いで鼻血を出す鍵崎さん。一体、私にどんな用事があるのでしょうか? 二文字以内でお願いします」
「無理! あと、その表現は酷過ぎる! 確かに殴られて、鼻血出したけども」
「仕方がありません。心優しい私は、貴方にもう一度チャンスを与えましょう。ジェスチャーで、伝えてください」
無理難題を突き付けられてしまった。だが、やってみよう。
「……」
「分かりました。つまり貴方は――私に一目惚れして、少しでも私とお近づきになろうと会話をしに来た。ということですね」
合っている。けれども、認めるのも癪だから、否定することにした。これは私のプライドの問題であり、ただ天の邪鬼なだけではない。
「違うね。私の目的はそれじゃあない」
「ジェスチャーでお願いしますと言ったでしょう。何も言わないでください。空気が汚れてしまいます」
まだ喋ってはいけないようだった。私は再びジェスチャーを振るう。少し、楽しくなってきた。
もしかすると、私はジェスチャーが上手いのではないだろうか。
「分かりました。認めるのが癪だから、とりあえず否定した。ということですね」
「何故、何故分かる! やはり、私はジェスチャーが上手いのか? 私はピエロになるべき男なのか?」
「えっ? ピエロじゃないんですか?」
「いや、今は違うよ! これからなるかもしれないが」
「いえ、無理でしょう。貴方は精々、自宅のPC前のポジションを守ることしかできないでしょう。分かっていますよ」
「……」
「おやおや? 傷ついてしまいましたか?」
私が俯き黙っていると、雪城さんは煽るようにこちらの顔を覗いてきた。心なしか、表情が明るい。どんなにドエスですか、この女子は。
しかし、女子に煽られて傷つく私ではない。寧ろ、
「ふふふ、勘違いしているようだが。私は美少女と会話できている嬉しさに、俯いただけで傷付いているという予想は外れさ!」
「今日一番の笑顔ありがとうございます。スマトラオオコンニャクのような、貴方の微笑みに私はもうクラクラしてしまいます」
スマトラオオコンニャクとは何だろうか。ともかく、きっと私の笑顔に見合うような素晴らしいものなのだろう。
「すいません、鍵崎くん。貴方が余りにも大きな声を出すので、図書室内で大変目立っています。という訳で、屋上で話しましょう」
「あ。ああ。すまないな。思わず声を荒げてしまっていた様だ。紳士として、情けない」
「はい、大変見苦しかったですね」
屋上へ行く。私達が通うこの学校は珍しいことに屋上が開放されている。という訳ではない。彼女は器用に鍵などをはずして、屋上に侵入した。
私が唖然としていると、彼女は首を傾げた。
「どうしたんですか、鍵崎くん。高所恐怖症ですか? 仕方がありません、ではスカイツリーにでも行きましょうか」
「いや、そうじゃなくて。私はてっきり屋上前の階段とかで話すとばかり……」
「無駄話はもう良いです。私は貴方が高所恐怖症ではないことを知って、ショックを受けているのです。もう少々、私を気遣ってください」
無視して、私も屋上へと侵入してみた。無視すると、彼女はプクリと頬を膨らませて、不貞腐れていた。正直、かわいい。
屋上へと続くドアを閉め、私はさらに一歩前へと出た。
屋上に吹く風が全身を打つ、周りの建物より高いから景色を邪魔するものが無い。見晴らしがよく、とても気持ちがいい。雪城さんの髪が風に吹かれて揺れている。
とてもよい場所だ。
「さて、本題に入りましょうか。鍵崎くん、私はまどろっこしいお話は嫌いです。だから、聞きますが。ずばり……貴方は私のストーカーですか?」
「はい?」
今までとは違う、真剣な彼女の眼差しにこちらは戸惑ってしまう。今までの毒舌とは違う。真剣な悩みを打ち明けるような声色だった。
「分かっていますよ、鍵崎くん。貴方はストーカーなのでしょう。理由は多々ありますが。一つ目としては、土曜日の事です。私は敢えて、あの男達に捕まり、あの路地裏まで誘き出しました。私のストーカーならば、私が連れて行かれるのを黙って見ている筈はないですからね。そして、私があの路地裏に連れて行かれたことに気がつく人は、私をよく見ている人のみです」
四六時中離れず、私を観察している人のみです。と彼女は続けた。
「ふむ。誤解されているようだが、私はストーカーじゃあないよ。そんな面倒なことをするくらいならば、直接会って告白する。失敗しても、何度も繰り返すのはストーカー風だろうけれどもね。しかし、そこにあるのは紛うことなき愛!」
「はい、ストーカーですね。警察には言わないで上げましょう。ただし、それなりの制裁は受けていただきますが」
言って、彼女は静かに拳を構えた。もしや、まだ疑われているのだろうか。
というより、まさかまさかの鉄拳制裁だろうか。むむ、困った。女子に殴られたことはないけれども、きっと素晴らしい味なのだろう。楽しみになってきた。
覚悟を決めたと同時、彼女の拳が頬を掠めた。私は青ざめた。見えなかった。耳元では、確かに拳が通過した轟音が鳴り響いている。そして、掠めた部分の皮膚は切れて血を噴き出している。
刺すような彼女の視線。暗い影のある顔で彼女は、
「私の拳は少々、痛いですよ。具体的には、学校の壁くらいなら二発で破壊できます」
妄言とは思えなかった。確かに、雪城さんの拳にはそれくらいの威力がありそうだった。青ざめる私を見て、彼女は僅かに失笑した。
「冗談です。貴方はストーカーではないようですね」
「何故、分かる? きみくらい素敵な子になら私だってついストーカーしてしまうかもしれないよ?」
「いえ、分かります。貴方はそういう人です」
無表情で雪城さんは一人納得していた。だがしかし、私は納得いかない。結構怖かったのだ。説明して貰うくらいの権利はあるだろう。
「で、どうして私がストーカーの犯人だと思ったのだ?」
「怪しい人は疑うように教育されてきましたので。真っ先に貴方を疑うのはしょうがないかと。鍵崎くんは怪しいが服を脱いで歩いているようなものですから」
「私は断じて露出狂ではない!」
「鍵崎くん、いい加減服を着てください」
「着ているよ!」
「おや、どうやらその服は馬鹿にしか見えない服なのですね」
「いや、私の友人にも見えている。ちなみに、私の友人はかなり頭がいいぞ」
「いえ、貴方のことが馬鹿にしか見えないと言っただけですが?」
「……く。話が進まない。早く、ストーカーだと思った理由を教えてくれないか?」
「地面に両手をついて、両足を地面から上げ、肋骨でコサックダンスを表現しつつ、いさだくてえしおまさろしきゆ、と叫んだならば教えてあげましょう」
「分かった」
逆立ちしつつ、肋骨でコサックダンスを表現し、叫んだ。上手くいかなかったけれども、熱意は伝わったようだ。彼女は表情を引き攣らせつつ、教えてくれた。
おそらく、物理的にも精神的にも数百歩引かれただろうが、忘れてしまおう。
しばらく、雪城さんの説明に聞き入る。どうやら、彼女はストーカー被害にあっているらしい。これは妄想などではなく、実際、家に気持ち悪い手紙が届いているそうだ。この気持ち悪さは私に違いないと、私を疑ったようだ。というか、最後の説明は不要だった。
「そういうことか。ならば、私もストーカーを見つけるのに、協力しよう。というか、その前にきみは警察には連絡したのか?」
「いえ、面倒なので」
私は呆れた。彼女に警察に連絡するよう助言して、今日は一端ここで別れることとなった。ストーカー探しは明日からだ。今日は何故だか、疲れてしまった。最近、疲れてばかりな気がするのは気の所為だろうか。
「じゃあ、また明日ね」
「ええ? 貴方に明日が来るんですか?」
「……来るよ! じゃあね」
雪城さんが小さく頷いて、微笑んだ。思わず、見惚れていると再び半目を向けられる。
「さようなら」
彼女の背を見送りつつ、私は教室へと向かった。まだまだ授業はあるのだ。