第三話 パフェいっぱいの希望を頂戴
「パセリ……。パセリ。どうしたの? パセリ?」
「こいつ、停まってるぞ。固まっている」
ネコの首が二人を見たまま、動かない。フルフルと動くヒゲも、クルクル動く耳も、チラチラと見回していた縦の瞳も、凍り付いたように動かないでいる。生きている石と化していた。
「ユイ、毛も動かないよ。……痛くない……固まったフォログラフって感じだな」
「パセリぃ、どうしたの? もう。パラダイスに行くんじゃなの。ねえ~、動いてよ」
パセリの背中を叩く。触感はあるが、硬い。温かさはあるが、動物的触覚感が消えている。ユイは、背中が冷えていくような嫌な感じに眉を寄せた。サナが降りて白い空間を歩き出した。
「どうしよう。帰れないじゃん。ユイ、このままじゃ困るよ。僕は今朝のアメリカ市場を確認したい。トレードに間に合わないと、ロスカットされちゃう」
「わかんなよ……。緊急時の修理の仕方……。どうするの?」
ユイは、パセリの首の辺りを引っ張ったり、頭の上に何かスイッチがあるのか、探している。だんだん心細くなってきた。ピンクの虎柄に向けて、涙がこぼれた。
「ユイ、なんか、音がする」
音が鳴りはじめた。風が吹いているような音がする。風も吹いていないのに音がする。
サナの声に、ユイは、顔を上げた。確かに音が大きくなってくる。目の前から聞こえてくる。ユイは、じっと正面を見ていた。
目の前の白い壁が、縦にスゥーっと裂けた。その裂け目を割って、男の子が出てきた。
「天使のお姉さん、ありがとう。さっきは、ありがとう」
ユイとサナの前に現れたのは、助けた男の子だった。フットボール・チームのキャラクター・トレーナーにジーンズを装っている。
「どうしたの。警察の人たちと一緒じゃないの?」
「お礼をいいに来たんだ。お母さんも一緒だよ。お母さん、笑顔になったんだ」
ユイは、不思議なものを見ていた。サナも、ネコの鼻に手をかけて停まっていた。
「お母さん」と子供が後ろに声をかけると、裂け目を割って、女性が入ってきた。
「さっきはごめんなさいね。おかげで目が覚めたの。自分を理想に縛り付けていたの。改心したわ」
オレンジのフランネル・ワンピースを装ったお母さんが親しげに声をかけてくれていた。
「お二人には聞こえるかしら。お二人の活躍が、今、ネットを駆け巡っているわ」
「僕を怪獣から救ってくれたシーンが、すごいって」
親子の後ろから風のような音がしていたのが、言葉の集まりだといわれれば、ブラボーとか、エクサイティングとか、聞こえなくもない。ただ、ユイは風のような音よりも、先に感じていた嫌な感じが這い回っているのを、ぬぐうことができずにいた。
「サナ……。なんか嫌な感じがするの。わたし、この二人がいるのが……」
「僕も、そう思う。ありがとうもいえなかったの……あの子が、なぜ?」
ユイは、もう一度、パセリを叩いた。早く動かないと、大変なことになるような気がしてならない。
子供と母親が動かない。裂け目の前に立っているが、動かない。笑っているが……
ユイとサナも近づかない。声もかけない。ピクリとも動かないピンクのネコから離れない。
二組の間には白々しい空間が広がっている。
「大人は何もしてくれない」
子供と母親の後ろから、低いバリトンの声が響いてくる。
声を耳にしてユイは、あわてた。パセリを叩く。パセリが起きてくれないと、ここから出られないのだ。サナが声を確認するように立っているのが心配だった。
「サナ、サナ」できるだけ小さな声で、呼びかけるがサナは動こうともしない。
「子供の時に受けた傷をそのまま子供に渡している。人の、その輪環を断ち切りたくはないか?」
バリトンの主が見えないが、裂け目の裏から聞こえてくる声の主は、多分、人間ではないように感じていた。ユイは、確信していた。あれは、人じゃあない。
「子供を害する大人を排除するのだ。キミたちふたりがおこなったように。子供が大人を排除することを可能にすればよい」バリトンの声が響いてくる。
「あんた、何者。僕らに、なんの用があるんだ?」サナが、言い返した。
ユイは、やばいよ。声に応えないでよ。そう声をかけるのだが、サナがユイに手を上げて心配しないでと告げていた。
「そろそろ人は、その進化を過去から学び、革新する時期に来ている。場所と所得が違うだけで、世界各国で親によって子が悲しみに消えているのだ。その連鎖を停めたいとおもわないか?」
「あなたたちの行為に賛同しているアクセスの数が5億を超えているわ。もう、押さえ切れない」
バリトンに被って別のソプラノの声が入る。母親の声ではない。女性の声が聞こえた。高い声で、差し切るように響いてきた。
「2006年の子供たちを守ると宣言した大人たちの国際宣言が、今もなお反故にされたままなんだよ」
「子供たちを守るのも大人の都合、お金次第。お金がないから、子供を贄にしている」
声の主が何人いるの? ……こわいよ……。声に出さないように口を手で覆い、ユイはパセリの背中で耐えていた。
「歴史の中で理不尽に消えている子供の魂をご存知かい? ジャンヌや徳姫が受けた悲しさ、行き場のない怒り、消えていった魂たち……」
「魂はねぇ、答えをもとめて彷徨っているのさ。地獄も煉獄も彷徨う魂でもうイッパイになっているんだよ。彷徨っている魂の数は、生きている人よりも多いくらいさ」
誰に向かって話しているの? 声は誰に告げているの? 母親と子供は、話もしない。ただ、ただ笑顔で立っているだけだ。
「人の都合で生まれて、消されている小動物の数を知っているかい」
「一時間に数千にもなる。子犬や子ネコが消える。自動車事故なんかよりも桁違いに多いんだよ」
パセリ。イジワルしないで、起きて。お願いだから。首の横を叩いてみる。動かない。ただの凍りついるアバターのようだ。
「そのネコは動かないよ」バスの低音が、つかさず答えてくる。
「国際委員会の提言に対して、具体的な結論を示さず、仮想現実のボランティアに結末を用意するだけのゲームに50数億円。経済発展に親切を押し売りしている、歪んでいる国のプログラム……」
裂け目の裏から、セナに声がかけられている。セナが声に応じたら……、ユイはその人ならぬ人を捕らえるか、声を止めないとセナが危ないような気がしていた。
「動かない変わりに、もう一匹のネコを用意した」バスの声が、地面を響かせている。
「このアクセスにのって、世の中を変えたいと思わないかい。新しいパラダイスを造りたいと思わないかい。生きている希望、満載だよ」
サナが一歩、踏み出した。ネコから手を離す。ユイは、驚いてサナの名前を呼んだ。だが、サナが歩き出すのを止められなかった。
「生きている希望。……希望……頂戴よ」とサナがつぶやいた。
「ああ、希望だ。子供たちだけが暮らす社会。誤った大人と社会を捨て、もう一度、社会を構築していこう。サナならできる」
バリトンの声が、サナを誘っている。
「ユイもいこう。僕らは一緒に戦ったんだから……」そういうとユイに振り返る。
「ユイとサナなら、きっと希望をいっぱいつくってくれるわね」
ソプラノの声が、サナを揺り動かしている。サナが、男の子の横まで歩いていく。
「子供たちだけの世界をつくろうじゃないか。新しい聖典の誕生……」
「子供の世界だ。子供たちだけで生きていける世界。そうだ、サナを大統領に任命いたしましょう」
サナがおかしい。狂っている。何か間違った感情にリードされている。サナが裂け目に向かって歩いていく。ユイはパセリから離れる覚悟をした。
「セナ。セ、ナァ。大丈夫。あんた、大丈夫なの」
「何が……。大丈夫だよ。僕は大統領だぞ。僕が子供を幸せにする。僕は世界をつくるんだ。僕はハッピーになれるんだ。うふふ」
パセリから下りると、ユイはセナに近づいていった。
「セナ……そうだね。新しい世界だ。その幸せな世界でチョコレート・パフェを食べよう。ある?」
「チョコレート……パフェ……は……?」
ユイはセナに声をかけた。
「そうよ。駅前のワールのチョコパフェ。サナも大好きでしょ。パフェを食べよう。キャラメルたっぷりかけたパフェをたべるんだ。飽きたら、フルーツ・パフェがいいな。パフェをイッパイ希望します、サナ。帰って、トレードを終えて、お小遣いをもって、出かけようよ。なんだっけ、カットとか、サナ、用事があるんじゃなかったっけ?」
「トレ……ド? トレード、そう。トレードだよ。ニューヨーク市場の動きを確認しないと……」
ユイは、振り返ったサナの目が生き返るのを見た。
「僕は……、ナニをしてた?」ユイはサナの隣に立つ。
「子供の世界をつくるって、この裂け目の裏側の声とお話してたよ。出てこい、コイツ」
ユイは、裂け目に手を突っ込んで、裂け目の中の人をつかまえ、引き出した。
虫だった。強大な茶の芋虫をつかんでいた。
茶の体躯にクリスタルの羽、節足をグニャグニャ動かしている。顔には人間のような鼻と口があり、目だけが蜻蛉のような複眼だった。
ユイは、その虫の首を握り締めていた。
「く……くる……しい」バリトンの声がうめいていた。
「ぎゃ、いやああああああ」
ユイは、その芋虫を地面に投げ捨てると、汚いものを払うように手をふりまわしていた。
「なんだ、お前は」つかさず、サナが足で虫首を踏みつけた。
「暴れると、踏み切るぞ、この首を踏み潰してやる」
虫は暴れるのをやめると、サナを下正面から見据えた。男の子と母親の姿が消えた。
「ワレは、バアクヘア。ハスタアの子、クトゥルフに仇名すものにして、人の世を正すものだ。子の嘆きに子の国をつくり、新たな人の進化を始めようとするもの。もう少しで、おまえを……」
「それで。世界をつくるイメージを伝えたワケね。だけどね、いらない夢を僕に見せてくれたことが、気に入らないな」
サナが踏み込んだ。バアクヘアが赤黒くなって、羽をばたつかせて苦しみ出した。
「サナ、まって、まって。そいつ踏み潰して、裂け目から仲間が出てきたら困っちゃうよ。それより……。あの、キミ、バアクヘア。あなたたちが、パセリを止めているの? わたしたち、帰りたいだけなんだ。あのピンクのネコを動かすようにしてほしいんだけど、踏み潰されるより、パセリを動かすほうが良くない?」
「わ……わかった」
サナが足を緩めた。バアクヘアが起きると、切れ目に飛び込んで消えた。切れ目が閉じた。パセリがリロードされて動きだした。
それからの出来事は逆巻き落ちる滝を降るようだった。
サナが投資トレードをはじめいたいと話で戻り、サナとユイはお昼に会う約束をして……。
ユイはベッドのわきに戻ると、パセリを抱いて別れを告げた。パセリがお礼とふたたびアクセスへの注意を告げると、通常システムに移行、ユイはベッドの中に吸い込まれた。目覚めた窓の外には青空が広がっていた。
その日のお昼。ユイは青空の下で春陽のランチ・ボックス・ミーティングを楽しんでいた。
ユイは赤いランチ・ボックスを開けた。
いつものハンバーグに、赤いフルーツ・トマト。サニーレタスにボイルされた芽キャベツと馬鈴薯、キャロット、サニーコーンが並んでいた。
温かな陽射し、ユイは青空を見上げて、深呼吸をひとつ。
レイとリンが、一緒だ。それに、今日は特別ゲストで、サナも一緒。
サナは、メロンパンとターキーのサンドイッチ、オレンジ・ジュース。それと、いつも昼食に市場動向を確認するパッドも持ってきていた。
「ヒーローや。いや、ヒロインやねえ。バトル、えぐかったけど、エキサイしましたわ」
「本当、サナはんのハイキック。よろしかったと違いますう」
レイとリンが関西弁で笑っている。サナが、真っ赤になってサンドイッチの角を口先で噛んでいた。ユイはお箸をカチカチさせながら、仲間の笑顔を見ていた。
「あの蹴りで、お母さんの目が覚めてなあ、男の子にお詫びしたとニュースで聞きましたんえ」
「せや、ママさん、警察に一度は行くらしいけど、病院から自宅に戻るやて。ええ解決したやん」
ロングストレートのレイが漆塗りのお弁当に漆箸で、レイがハンバーガーをほおばっている。
「あの正拳連打からのハイキックをうたれまして、顎を切り落とす。美しい動きを、どちらで学ばれまして?」
「あれはイメージですから。僕はスポーツやったことないので……、イメージです。どうして、それを知っているのでしょう。あれは、非公開でしょう?」
ブラックヘアにオレンジのリボンを揺らして、サナがつぶやくように声を出した。
「どこの誰がハッキングしてたの? わたしたちのボランティア、バレバレなんてひどいじゃん」とユイが答えた。
「アメリカのハッカーらしいんよ。公安さんが発表してたわ。まあ、日本の公安じゃ、そんな芸当できんやろうけど……」
ユイやサナがパジャマや制服で動き回っているのが、世界中で見られたという。プライバシーなんか、どっか別世界の状態なのだ。
「ところで、駅前のチョコパフェ。美味しいんですか?」
「あれ、サナ? 食べたことないの?」
生活にまわる費用を切り詰めている児童養護施設の生徒としては、チョコレート・パフェの存在は遠いのだとサナが言う。昔、どっかで食べた記憶があって、すごい豪華なイメージなのだという。
「あのパフェは、絶品や。ぜったい食べたほうがええよ。……よしゃあ、今日は、サナちゃんとパフェを食べに行こうやないか? なあ、ユイ、リン。パフェ、食べ行こう」
「わたし、行くよ。サナ、行こう、行こう」
青い空の下、またパセリにのっていろいろ見てみたいような気がする。ただし、他の世界からアクセスされて、気持ち悪いアバターと遭遇するのは、正直、嫌だった。特に、一本腕の一つ目とか、蜻蛉目の虫男とか、思い出しただけでも気分が悪くなった。
「でも、ユイ、チョコパフェを食べにいくと、蜻蛉の目をした男がいるような気が……」
「やめえて~。マジ、やめて。サナ。それだけは言わないで……」
ユイは大声でセナを制した。怒っていた。でも、それが実際に起こるような気がして……背筋が寒くなるのだった。




