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妻には内緒の日曜大工

作者: 西禄屋斗
掲載日:2025/10/20

「ちょっとぉ! 日曜だからってゴロゴロしないで頂戴! それに喫煙するなら室内に臭いが残らないようベランダかキッチンでって、いつも口を酸っぱくして言っているじゃないのぉ!」


 ソファで寝転がっているところを妻の沙枝さえに見咎められ、宮塚みやづかいさおくわえたばかりの煙草を危うく落としそうになった。沙枝が持っていた掃除機のノズルで追い払わんばかりに夫の尻を叩く。


 こうなっては抵抗も無駄だ。勲は寝そべっていたソファから退散した。


「まったく、たまの休みだっていうのに」


 沙枝に聞かれないよう、勲はこっそり愚痴をこぼし、そのままベランダへと出た。まだ文句が言い足りないらしい沙枝は一人でブツブツ言いつつ、乱暴に掃除機をかけ始める。勲は煙が流れて行かないようサッシを閉めて、掃除機の騒音と妻の小言を室内に封じ込めた。


 梅雨明けした空は真っ青で、勲は眩しさに目を細めた。こりゃあ、今日は暑くなるな、と夏空を恨めしげに見上げながら、咥えていた煙草に火をつける。


 すると閑静な住宅地には不似合いな身体を震わすほどの 排気音エキゾーストノート が轟いた。釣られるようにして視線を下に向ければ隣の家から真っ赤なオープンカーが発進するところだ。運転席でハンドルを握っているのは、お隣さんの安立あだちエリである。


 勲は思わず口笛を吹きそうになった。エリはかなりの美人で、派手なオープンカーを乗り回す姿も様になっている。顔立ちからはちょっとキツめな性格が窺えるものの、夫の安立あだち和之かずゆきと結婚する前は良家のお嬢様だったという話だ。今でも派手な生活ぶりは変わらないらしい。


 その夫である安立は銀行員という肩書きこそあれ、エリとは不釣り合いに見えるほどうだつの上がらない男だった。亭主というよりも、お嬢様に仕える使用人だと紹介してもらった方がしっくりくる。


 そんな安立がどのようにしてエリという美人と結婚まで漕ぎ着け、一部の富裕層が所有するような豪邸を建てたのか見当もつかない。ただ、三十年ローンを組んで夢のマイホームをやっと手に入れた勲とは、明らかに稼ぎが違うのは確かだろう。


「今日も隣の奥様はお一人で外出か」


 安立とエリが夫婦揃って外を出歩いているのを勲は一度も見たことがなかった。夫妻に子供がいないことからも、夫婦関係はギクシャクしているのかもしれない。その点、同じく夫婦二人だけの家庭でもウチはまだマシな方だな、などと勲は呑気にひとりごちる。


 エリの運転するオープンカーは休日の住宅街を切り裂くように走り去った。


 ようやく静けさを取り戻したと思った矢先、今度は釘を打つような音が隣の家から響いてきた。何処か修繕作業でもしているのか、と勲は隣人宅を覗き込む。


「ああ、安立さん、またやっているのね」


 いつの間にか掃除を終えた沙枝がベランダに顔を出していた。


「また?」


 勲は妻に尋ね返す。すると沙枝は夫の隣に並び、同じように安立の家を眺めた。


「最近、休みの日には決まって日曜大工をしているみたいなのよ。こうやってトンカチの音が聞こえてくるわ」


「へえ、日曜大工」


 勲は意外に思った。うらなりびょうたんみたいな安立が、そんな趣味を持っているなんて。どちらかと言えば、一日中、パソコンの前から動かなさそうなタイプに見える。


「あなたも家で寝転んでいるか、パチンコばかりしてないで、少しは家のこともやってもらいたいわねえ」


 そう沙枝がボヤくのを見て、勲は肩をすくめた。やれやれ、やぶ蛇だ。


「へいへい」


 これ以上、家に居続けたら何を言われるか分かったものではない。勲は妻の目を盗み、こっそりと外出することにした。






 翌朝、出勤しようと自宅を出た勲は、偶然、隣の安立と鉢合わせした。


「おはようございます、安立さん」


「あ、ああ、宮塚さん。お、おはようございます」


 普段から近所付き合いに慣れていない安立は単なる挨拶にもドギマギしていた。つくづく、こんな調子で我の強そうなエリと上手くやっていけているのか心配になる。余計なお世話だが。


 二人とも駅の方向が同じなので、勲は珍しく並んで歩きながら話しかけてみた。


「いやぁ、意外だったな。安立さんが日曜大工をしているなんて」


「えっ?」


 安立は必要以上に驚いた表情を見せた。気のせいかもしれないが、顔色まで青ざめた気がする。なぜ、そこまで動揺するのか、勲は不審に思った。


「昨日、ベランダにいたら聞こえたんですよ。何かを作っているような音。あれ、日曜大工でしょ? ウチの妻もここんとこ、よく耳にするって言っていました」


「あ、ああ、そうですか。宮塚さんのところまで聞こえてしまいましたか。すみません、お休みのところを耳障りな音で邪魔してしまって……」


 安立は申し訳なさそうに頭を下げた。勲は慌てて手を振る。


「いえ、そんなことはありません。窓を閉めていれば、気にならない程度のものですし。ただ、安立さんが日曜大工を趣味にしておられるとは想像もしていなかったので」


「でしょうね。私なんかじゃ、似合わないでしょう」


「いやいや、そんなつもりで言ったわけでは」


「あの……宮塚さん!」


 安立は急に改まった。つい二人とも足を止めてしまう。


「このこと……エリには黙っていてもらえませんか?」


「は?」


 安立からの意外な申し出に、勲は面食らった。


「勝手なお願いであるのは重々承知です。ですが、エリにはどうしても内緒にしておきたいんです。どうか、このことは内密に」


 隣人の勲に向かって、安立は深々と頭を下げた。勲はちょっと戸惑ったが、すぐにそれを了承する。


「分かりました。このことは奥さんに言いません。何でしたら、ウチのヤツにも口止めしておきましょう。安立さんの秘密がバレないように」


「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」


 安立はもう一度、お辞儀をした。


 多分、エリへのプレゼントに何かをこっそり作っているのだろう。てっきり夫婦仲が冷め切っているのかと怪しんだが、案外そうでもないらしい。


 まあ、あの奥さんなら手作りの品なんかより高級ブランド品に目を輝かせそうだけど、と思いながら勲は安立と約束を交わした。






 次の日曜日、先週と同じく家のソファに寝転んだ勲は、のんびりと煙草を吹かしていた。念のため、サッシを開けて換気には配慮してある。煙草臭い、などと、あとで同居人に文句を言われないためだ。


 今日は喫煙をうるさく注意する沙枝がいない。隣のエリに誘われて、デパートに買い物へ行っているのだ。


「私は奥様のお供みたいなもんよ」


 沙枝はそう自虐的に言っていたが、向こうで豪勢な昼食ランチを奢ってもらう約束をしたらしく、ご機嫌な様子で出掛けて行った。


 休日の午後を独身気分で満喫していると、隣からは相変わらず安立の釘を打つ音が微かに洩れ聞こえてくる。エリには秘密にしているため、彼女の留守中に作業しなければならないから、なかなかはかどらないのだろう。一体、何を作っているのか、勲はいささか興味を引かれた。


 朝から何も食べておらず、腹の虫が鳴ったのを機に、カップラーメンでも食べようと勲がソファから起き上がりかけたところで、テーブルの上に放置していたスマホが鳴った。買い物へ行った沙枝からだ。帰りが遅くなるから洗濯物でも取り込んでおいてくれ、という電話なのかと出てみる。すると沙枝の声はこちらがドキッとするくらい切迫していた。


「あ、あなた!? 大変なの! エリさんの車がトラックにぶつかって……!」


「なっ……何だって!?」


 勲は手にしていた煙草を落としてしまった。突然のことに気が動転する。


「そ、それで――お前は!? お前に怪我は!?」


「私は大丈夫! お店の前までエリさんに車を回してもらって、待っていたところだったから! ──それよりも心配なのはエリさんよ! トラックとビルの壁に挟まれて大変なの! 今、救急の人が来て救出を試みているけど、凄く手間取っているみたいで……!」


「わ、分かった! ──で、このことを旦那さんには!?」


「それが、あなたよりも先に安立さんのところへかけたんだけど、全然、出ないのよ!」


 それはおかしい。今も隣からは絶え間なく日曜大工の音が聞こえている。安立は在宅中のはずだ。


「よし、直接オレが隣へ行って知らせてくる!」


 勲は電話を切ると、急いで隣へ向かった。先程と同様、トンカチを叩く音が響いてくる。作業に没頭して電話にさえ気づかないのだろうか。勲は玄関のチャイムを鳴らしてみた。


「安立さん! 大変です! 奥さんが!」


 しかし、待てど暮らせど安立が出てくる気配は一向になかった。勲はいぶかる。


「安立さん! 隣の宮塚です! いないんですか!?」


 どうすべきか、いつまでも玄関前で逡巡している場合ではない。事態は一刻を争うのだ。


 試しにドアを引いてみると施錠はされておらず、あっさり開いた。緊急事態だ、と自分に言い聞かせ、勲は初訪問の安立宅へ勝手に上がり込む。


「安立さん!」


 どうやら安立は二階で作業しているようだった。勲は聞こえてくる音を頼りに階段を上がる。


「安立さん、奥さんが交通事故に! 入りますよ!」


 返事を待たずに勲は安立の部屋に踏み込んだ。そこに異様な光景が飛び込んでくる。


 カツン! カツン! カツン!


 部屋の中では釘を打つ音が途切れることはなかった。そして、得体の知れぬ何かに憑りつかれでもしたかのように、安立が一心不乱に釘で打ちつけている()()を目撃し、戦慄した勲は言葉を失ったまま立ち尽くす。


 なぜならば──


「死ねぇ……死んでしまえ……この浪費家がぁ……お前せいで……お前せいで、私は……銀行の金を使い込む羽目に……もう破滅するしかないんだぁ!」


 それは安立が悪妻のエリに呪詛をかけた何百体ものわら人形だった。

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