ハミガキセンソウ
真昼の太陽は陽炎に揺らめいて、蝉たちがリハーサルを繰り返している。私たちは、お揃いのボストンバッグを背負い帰宅途中だった。勾配のきつい坂を鈍い足で登れば、姉が珍妙な歌を歌い出す。
「キーンキンキンキーン!……」
とうとうトチ狂ったか。電柱に身を預けて、大層ご満悦である。旨そうに飲み干したのはスポーツドリンクのようだ。
「明美~、虫歯だってな?油断だぞ?」
底意地の悪い笑みを浮かべる彼女。指先で頬を丸くなぞって見せる。顔が汗で上気していた。
「そうです~。悪かったね!奥歯に磨き残しがありました~」
頬を膨らませて居直るしかない。食後の歯磨きを欠かさない姉に対し、おやつを欠かさない私。その優劣は火を見るよりも明らか過ぎて、考えるのも馬鹿馬鹿しい程だ。
「甘い、甘い。寝る前だけなんて横着するからだ。起床直後から歯磨き戦争は始まっている」
姉が大威張りで腕組みをしていた。そして私は『ハミガキセンソウ』なる単語の意味を呑み込むのに一拍時間を要した。
「お姉ちゃんが悪いんじゃないか!洗面台を占拠するから!」
アスファルトの舗装は照り返しもきつくお肌に障る事この上ない。故に下らない姉妹の喧嘩など起こしたくなかったのだが、とうとう感情が爆発したのだ。
「うむ。そこは反省しているよ。朝は皆、戦争だものな…」
水を打ったように静か。目の前の時間が止まった。かつてこれほど殊勝な姉を見たことがあっただろうか?
「お姉ちゃん…」
やめてよ。そんな素直な貴女は私の姉じゃない。別人格のドッペルゲンガー?
私がとんでもないSF用語を口からまろびい出す、まさにその時だった。
「ほれ、電動歯ブラシ。お揃いだが色は違うからな?」
ボストンバッグから取り出したのは、そこそこ値の張る外国製の電動歯ブラシだった。口笛を吹きながら姉が私に手渡す。
「うん、ありがとう…」
炎天下の中、私は頬が更に熱くなる。おやつの後も歯磨きを欠かすまい。
「キーンキンキンキーン」
また、姉がデンタルドリルの口真似を始めた。おちょぼ口が実に間抜けだ。私はぷっと吹き出してしまった。