Episode8
シリウスの部屋の扉は開いていた。扉近くに人影が見えて、鷹は一旦、二足歩行へと切り替えた。おろおろと部屋の様子を伺っているのは女妖精だ。黒いワンピースに、白いエプロン。肩にはフリルが靡いている。シルキー特有の、銀髪はすっきりと纏められておりエプロン同様フリルのついたカチューシャで留められている。少し、垂れた双眸は熟れた赤スグリのような色彩。平素は黙々と自分の仕事に務めているシルキーだが、目に見えて狼狽している。
「シルキー?どうしたのだ?」
八割がた予想はついたが念のため訊いた鷹は、実は自分は結構親切なんじゃなかろうかと数年に一度、思うか思わないかの思考に行き着いた。
足元の鷹に助かったばかりにシルキーはほっと表情を和らげて、ちらりとシリウスの部屋に視線を向ける。部屋からは何やらぶつける音が響いており、思ったよりも荒れていた。鷹はやれやれと嘆息する。困ったような相貌のシルキーに気にすんな、と羽根で足を軽く叩く。シルキーは種族上基本的に言語を発しない。必要がないからだ。魔法使いはもちろんそれを知っている。シルキーは相手の言葉は理解しているので意思疎通は問題ない。
「カストル殿におちょくられただけだ。いつものことだから問題ない。」
掃除は後で来るといいと、告げると首肯が返ってくる。鷹は軽く跳躍するとシルキーの腕に止まった。淡い緑光が煌めくとそこからころり、と飴がシルキーの手に落ちる。真っ白いミルク飴。シルキーの好物だ。
「先に別の部屋の掃除に行って来たらいい これは手間賃だ」
シルキーは屋敷に住みつく妖精で、その家の家事を手伝ったり暖炉の手入れをしたり、守りをしたりしている。その礼にシルキーが手伝いを終えたあとは、窓際にマグカップにたっぷりのミルクをという決まりがある。このシルキーも例外ではなく、一日の仕事の終わりにはミルクを飲んでいた。あとは単純に普段していること以外の仕事が発生したりした場合はこういったもので代用していた。最初は受け取らなかったシルキーだが、一度食べたらお気に召したのか、たまに欲しそうにしているときがある。赤スグリの眼が嬉しそうに和む。ぺこりと一度鷹に頭を下げてシルキーは長い廊下を滑るように走っていった。
「シリウス―…」
ぽてぽてと部屋へ入っていった鷹は、すぐ横に書物が飛んできたので思わず立ちすくんだ。部屋の中はまさしく、惨状だった。燭台は折れ、カーテンは破れ、置時計は倒れている。鷹の横を掠めて行った書物は確かめたら結構な貴重品だった。
そしてシリウスは頭を掻き毟りながら叫んでいた。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉ!!あんのくそじじぃぃぃぃぃ!!!絶対ぎゃふんと言わせてやるーーーーー!!!」
たぶん、ぎゃふんはいわないと鷹はすっかり陽の登り切った瑠璃の空を見ながら、詮無いことをひっそりと思った。