第4章:ロスピエール
「……あの人、ロスピエールって言ったよな……?」
酒場の騒ぎが収まったあと、俺はずっと頭の中でその名前を反芻していた。まるで舞台俳優みたいに堂々とした姿勢、監督を論破して一歩も引かない弁舌――あれはただの貧民街の弁護士じゃねぇ。
いや、世界史で見たことがある。
フランス革命、恐怖政治、ギロチン男……まさか、あのロベスピエール!?
「なっ……まさか、そんなわけ……でも……」
俺は思わず頭を抱えた。だって、この世界には魔法があるし、貨幣は“リーヴル”だし、魔法石なんてSFファンタジー道具も実在してるし、ついでに人の目が紫色に光るんだぞ? もうなんでもアリだ。
だったら、**「ロベスピエールが生きていて、かつ若返ってる世界」**があったって、別におかしくないのかもしれない。やべぇ、理性がどんどん摩耗していく。
ポーストとトビが「もう帰るか」って言ったとき、俺はやっと現実に戻って頷いた。
東区のボロアパートに戻ったのは、深夜近くだった。屋根裏部屋の扉は、相変わらずギィギィとうるさい。
中に入ると、カビ臭い空気と湿った木の床が「おかえり、最底辺労働者くん」って言ってる気がした。畜生……俺の異世界生活、なんでこんなにリアルなんだ。
俺は油ランプに火をともして、机の上にポーストからもらった“魔法石”を置いた。
「魔法か……」
手に取ると、ほんのり暖かい。穏やかなエネルギーが指先から伝わってくる。この世界に来てから、俺の中で何かが少しずつ変わっている気がする。目に見えない何かが、俺の存在を“この世界仕様”に調整しているような感覚だ。
「そういや、ここはどこなんだ? いつなんだ?」
俺は部屋の隅にあった古い新聞紙を拾い、日付を探した。
共和国歴109年、雨月第14日
「……は? 109年?」
思わず吹き出した。これ、地球の西暦じゃねえ。
共和国? 雨月? 何このルナティック革命カレンダー。やっぱり、これはパラレルワールドか……?
「ということは、地球の歴史の“似たような出来事”が別の年号と名前で起きてる世界……?」
だとしたら、ロスピエールも、マリー・アントワネット的な人物も、この世界に存在していてもおかしくない。
そして、なぜ俺がここに来たのか――その理由も、もしかすると“魔法”のせいなのかもしれない。
だが、考えはまとまらなかった。
次の日――
「ルーン、起きろ! 下水掃除の時間だ!」
……トビの怒鳴り声で、俺は寝ぼけ眼をこすりながら起きた。
「今日の仕事はな……下水道だ」
「え、それもう昨日やったじゃん!」
「今日は“別の区画”だよ。城壁の裏側な。うまくやれば拾い物あるぞ」
うまくやれば、ね……。
下水道作業は、朝から地獄だった。
酸っぱい腐敗臭、ネズミの鳴き声、足元を流れる謎の液体。俺の化学知識が「これは絶対に触れたらダメなやつ」と全力で警告を鳴らしてくる。
「で、なんで俺たちがこんなとこにいるんだっけ?」
「さあな。生きるって大変よな」
そんな冗談を飛ばしていた矢先――
ジャラ……ジャラ……!
「……足音?」
金属の鎧がこすれる音。次の瞬間、城防軍が現れた。
「そこにいるのは誰だ!」
うおっ、マジかよ!? こんなとこに巡回来るとか聞いてねーぞ!
「逃げろ!!」
誰かが叫ぶと同時に、作業員たちは蜘蛛の子を散らすように走り出した。俺も条件反射で走る!
「もうこうなったら、社長も労働者も関係ねぇ! 逃げろ、俺!」
しかし、事態は甘くなかった。
逃げ場のない通路。高く積まれた石壁。突進してくる鎧の男たち。
そして俺は――
「っくそおおおおおお!!」
ドボン!
選択肢はなかった。俺は排水溝に飛び込んだ。
急流。冷水。汚水。全身の感覚が一瞬でなくなる。
「マジかよおおおおおおお!? 誰だこの下水道設計したやつ! 倫理観ゼロか!!」
岩壁に肩がぶつかる。どこかで落下した。浮いた。沈んだ。口の中にクソまずい水が入った。
「なんで俺、こんな目に……!」
最後に見えたのは、光――それともただの幻?
意識は、ゆっくりと闇に沈んでいった。