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第46章 石鹸と修道女との子どもたち

——「路地裏のビジネス戦略会議」


夕暮れの光が修道院の図書室に差し込む頃、俺――ルーエン・ウィンスターは、古びた木製の机の前で頭を抱えていた。


机の上には、自作の石鹸が三種類。それぞれに“草薬洗浄石鹸”“ラベンダー沐浴石鹸”“消毒専用石鹸”と、これまた手書きのラベルが貼られている。そして、脇にはぎっしり数字が書き込まれた帳簿と、手描きのパリ市街地図。


……正直、頭が痛い。


「作るのはできる。問題は売ることだ……」


俺は椅子から立ち上がり、部屋をうろうろ歩き始める。視線は地図と帳簿を行ったり来たり。


「まず第一に……俺には販売許可がない。住民登録もない。つまり、完全なる無籍者。ギルド制度がまだ健在なこの世界では、これは詰みレベル。」


この国、フランニカでは、職業ごとにギルドが力を持っていて、無許可で営業しようものなら、即・追放&罰金。特に石鹸なんて“香料・染料ギルド”の管轄だ。俺みたいな“出所不明の職人”が商売を始めるなんて、危険極まりない。


「マルシェで屋台を出すってのも……無理か。」


表向きは自由市場っぽいけど、実際は許可制。しかも、屋台に向いてるのは食べ物とか雑貨。石鹸みたいな日用品は、誰も屋台では買わない。みんな決まった薬局や香水店で“いつもの品”を買うのが常識。


「そして何より……価格の問題。」


俺が作った石鹸は、確かに高品質。肌に優しく、香りも良くて、消毒効果もある。でも原価も高い。その分、値段も上がる。結果的に、一般の農民や労働者には到底手が届かない。


「この時代、パン一斤で暴動が起きる。そんな時に“肌に優しい高級石鹸”って、誰が買うってんだ……」


俺は窓辺に寄り、外を見た。夕暮れに染まるパリの街並み。美しくも混沌としたこの都市。革命の前夜、その鼓動が少しずつ強まっている。


「香水店や薬局に売り込む? ……それも厳しいか。」


長年の専属契約、伝統あるブランド、そして“新顔拒否”の空気。それに加えて、公式な推薦状や貴族の保証がなければ、話すら聞いてもらえない。


「ギルド加入? ……七年の徒弟期間と入会金。うん、無理。」


じゃあ、どうする?


俺は再び机に戻り、今度は別のページを開く。そこには、いくつかの“特殊市場”がメモしてある。


「……病院か。」


俺の“消毒石鹸”は、普通の石鹸より殺菌力がある。これは病院や診療所にとって、有用なはずだ。王立病院や慈善診療所、そこに供給できれば……大きな実績になる。


「それと……貴族向けの理髪店、浴場。“清潔さ”と“香り”を追求する層には、売れる。」


あとは……あまり大きな声では言えないが、“歓楽街”。あそこは清潔命。なおかつ、ギルドの規制も緩い。自由市場、ってやつだ。


「それと……貴族の屋敷。そこで働く執事やメイドが、こっそり買ってくれれば、それが口コミになるかもしれない。」


俺は全ての候補に丸をつけた。


「問題は、“誰にどうやって”届けるか、だな……」


販売ルートをどう築くか。この街は、人脈と紹介状がすべて。無籍の俺が、いきなり病院の購買責任者に会えるわけもない。門前払いだ。


だが――


「……まだ手はある。」


修道女テレサ。あの人なら、教会の病院に顔が利く。彼女経由なら、現場の人間に直接話ができるかもしれない。彼女が聖母病院の“アンドレ修女”に繋いでくれれば、突破口になる。


「まずは、病院だな。信頼と実績を積めば、他の道も開けるはず。」


そう決意し、俺は石鹸の試供品を一つ手に取った。手にしたそれは、俺が異世界に来て、魔法と化学と泥臭い努力で生み出した“最初の成果”。


##

「……まさか、また迷ったか?」


俺は手に提げた麻布袋を持ち直し、見慣れた修道院の門を見上げた。中には今日の“最初のプレゼン相手”――テレサ修女がいる。


袋の中には、自作の精良石鹸サンプルが三つ。香りよし、泡立ちよし、殺菌力よし。自信作だ。あとは売り込むだけ。


修道院の庭を抜けて中庭に入ると、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。テレサは孤児たちを集め、木の下で読み書きを教えていた。


「これは“B”です。バターの“B”ですね、みんなで言ってみましょう~」


「バターって、なに?」


その問いに、テレサは一瞬、笑顔を保ったまま固まった。あ、詰まったな。


子どもたちは首を傾げている。


「あの……牛さんからとれる、白くて……やわらかくて……」


……うん、難しいよね。だってこの世界、バターも限られた家庭にしか出回ってないし。


俺は思わず声をかけていた。


「正確に言うと、バターは牛乳の乳脂肪分を攪拌して分離したものだ。つまりミルクの“脂の部分”を集めた食品。冷えると固まり、温まると柔らかくなる性質がある」


子どもたちの視線が一斉に俺へ。


「それっておいしいの?」「牛の脂って食べられるの?」「なんで固まるの?」


うぉぉぉい質問攻め! ちょ、いきなり科学講義モードか!?


「えっと……そうだな。脂肪っていうのはね、冷えると分子の動きが遅くなって固まるんだ。逆に温まると動きが活発になって溶ける。これは“融点”っていう温度によって変わる性質なんだけど――」


「先生! 難しいけど面白い!!」


なんか妙にウケてる!? いや、ありがたいけどさ。


「ルーエンさんは……すごいですね」

後ろから柔らかな声。振り返ると、テレサが驚いたように笑っていた。


「たまたまですよ。俺、前に……ちょっと似たような仕事してたんです」


――いや、前職は化学企業のCEOでしたとか言っても信じてもらえんし。


「あなたなら、うちの子どもたちにもっとたくさんのことを教えてあげられるかもしれませんね」


「……それは、考えておきます」

(本業、石鹸屋だけどな)


「で、今日はいらしてた理由は?」


俺はようやく袋から石鹸を取り出す。


「これ、商品サンプルです。殺菌力が高くて肌にも優しい。病院や公共施設で使ってもらえたらって思って」


テレサはひとつ手に取って、香りを嗅ぎ、そっと頬に当てるように撫でる。


「これは……本当に手作り?」


「ええ。製法には多少、工夫してます。いくつかの材料と比率、それにちょっと魔法の鑑定も」


「……わたし、あなたを紹介します。聖母病院のアンドレ修女。彼女なら、これを正しく評価してくれるでしょう」


「ありがとうございます!」


テレサは優しく微笑んだあと、十字を切った。


「願わくば、あなたのこの善意が、たくさんの人を救いますように。アーメン」

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