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第 44 章 訓練

 招かれたのは赤いスーツを纏う商人ウェーバー。彼の額には薄い汗がにじんでいたが、動揺を悟られまいと大きく胸を張る。


 「どうぞ、お話を。これはあなたの作品とのことですが……」


 「は、はい……わたしが書きました。以前、新大陸からの旅人に会う機会がありまして、その方々の詩風に強く感銘を受けたのです」


 「ふむ。ではお聞きしましょう。なぜ“錆びた鉄鎖”や“変革の炎”という象徴を選んだのか」


 「ええ、それは……変革とは物理的なものだけでなく、精神の解放でもあると、私は考えています」


 その答えは見事だった。ウェーバーの言葉に、会場には再びざわめきが起きる。少なくとも、表面的には納得のいく説明だった。


 「素晴らしい、詩人としての感性と表現力をお持ちですね」


 博士が杯を掲げた。「詩と詩人に、乾杯を!」


 ――その裏で。


 舞台裏のカーテン越しに、それを見ていたのは三人の若き貴族令嬢。モントロ伯爵家の令嬢コンスタンス、商業貴族ヴァンデルビルト家の跡取り娘オードリー、そしてハートリー女爵の末娘エリノア。


 「まさか、彼がこんなにも注目を浴びるとはね」


 「でも、聞いた話じゃ……あの詩は彼が書いたんじゃなくて、修理工のルーンって人から買ったらしいわ」


 「芸術援助と偽作は違うわよ。でも……彼の説明、本気だったように感じた」


 オードリーが微笑む。赤いスーツの男が、ふとこちらを見て軽く会釈を送った。


 その視線に、少女の頬が淡く染まる。


 ――そして、フランクリン博士は静かに立ち上がり、付き人に命じる。


 「“ルーン”という修理工について調べてくれ。出自、所在、そして……もし新大陸との接点があるなら、それも含めてな」


 博士の眼差しは、再び詩の原稿に向けられていた。その文字の向こうにある思想と情熱を、彼は見逃さなかった。


###


 深夜、時計はすでに午前二時を回っていた。


 それでも、ヴィラ・フォン・夜のよのひかりの別荘地下にある訓練室の灯りは未だ煌々と輝き続けていた。


 「……まだ終わりじゃないわよ、ルーン。立ちなさい」


 目の前で戦闘姿勢を取る彼女は、黒を基調にしたタイトな制服に、血のような深紅のマントを纏っている。その美しい立ち姿は、まるで闇夜に舞う吸血蝶のようで、正直言って……威圧感がえげつない。


 「吸血鬼の力は速度と精密さにあるの。力任せに殴るのは下策よ。あなたの体は確かに人間の限界があるけど、眷属になった今、その限界を越える可能性もあるわ」


 「っ……了解」


 俺――ルーン・ウィンスターは、重たい息を吐きながら拳を握りしめた。


 眷属になってから、明らかに身体能力が向上しているのは事実だった。反応速度、筋力、回復力……全部が底上げされている感じ。けど、それを「意識的に」制御するのは、また別の話で。


 二時間。


 二時間みっちり続いたスパルタ格闘訓練が、ようやく幕を閉じた。


 「ふぅ……今夜の物理訓練はここまでにしておくわ」


 ヴィラがマントを翻し、訓練室の隅にある本棚から一冊の重そうな魔導書を取り出す。その仕草すらどこか貴族的で、正直ちょっとかっこいいと思ってしまった自分が悔しい。


 「次は魔法の訓練よ。昨日、あなたが“影のシャドウ・グリップ”を使った時の反応――あれ、かなり驚いたわ。まさか一発で成功するとは」


 「まぁ……理屈がわかれば、ね」


 俺は額の汗をぬぐいながら、ぼそりと答えた。


 「“影の手”って、要するに局所的な重力場を操作して対象を拘束する魔法でしょ? 原理さえ掴めれば再現できるはずって、そう考えてた」


 「ふふっ、やっぱり面白いわ、あなた」


 ヴィラは笑い、少しだけ目を細めた。


 「ちなみに――カロシア王国ではね、普通の石鹸一個が五リフレルするのよ」


 「……えっ、高くない?」


 「そう、高いの。熟練工が一週間働いてやっと買える程度にはね。でも、あなたは“化学”でそれを変えようとしてる。量産も、配布も、方法さえあれば可能。私は……そんなあなたに、少しだけ期待してるのよ」


 「……ありがとう。でも今は、魔法のほうに集中したい」


 俺は魔導書を開きながら、自然と息を整えた。


 夜は、まだまだ終わりそうになかった――。


###

 《霊視術》《氷の矢》《闇幕の呪》《魔力の爪》《腐蝕の触》――この五つの非公式魔法を、なんとか「そこそこ使える」レベルまで習得完了。ちなみに、昨日すでに詠唱なしで放つことに成功した《影の掌握》については、発動までのタイムを三秒台にまで縮めることができた。


 ……いや、我ながらちょっと怖い成長速度じゃない?


 ヴィラが残していた訓練記録と比較してみたところ、俺の習得ペースは――うん、かなりヤバい。


 たとえば、ヴィラが《氷の矢》を習得するまでに必要としたのは、三日と二十時間以上。実験回数にして二百回超え。それでもようやく実戦投入できる段階に到達したらしい。


 でも俺は? 七回で習得。しかも一晩で。


 《腐蝕の触》に至っては五回で完了、《霊視術》は十回程度で構造を把握できた。唯一、《闇幕の呪》だけはちょっと苦戦したけど、それでも三十回。うん、三十回で「苦戦」って感覚になってる時点で何かおかしい気がする……。


(まあ、理由は分かってる)


 この世界の魔法構造、どうやら数学的なモデルに近いものがあるらしくて。記述の仕方も、六芒星だの四辺形だの、高校の図形問題レベルのシンプルさなんだよな。


 図書館で文献を少し読んだおかげで、非公式魔法くらいならほぼ“読める”ようになってる。そりゃ解析も早くなるって話で。


 しかも、俺の理科オタク人生がここにきて本気を出し始めていた。


 《腐蝕の触》? はい、これは硫酸とタンパク質の化学反応ですね。


 《氷の矢》? これはまぁ、エネルギーの断熱膨張的な魔力変換で冷却した水分を……


 うん、詠唱中に考えるの楽しい。問題は、《闇幕の呪》のように、物理現象じゃ説明がつかない魔法だ。


 「……光を吸収するフィールドを作ってる感じ?」と、なんとなく納得してみたものの、実際には原理が分からないから不安定だった。こういうのは何度も試すしかない。


(前世の知識に頼りすぎるな、ってことだな)


 この世界の魔法には、独自の法則がある。俺の知っている物理や化学と似ているようで似ていない、“似非科学”みたいなところも多い。たとえば“秘銀”や“精金”とか、星占いで運命を読むとか、こっちの常識じゃないこともあるわけで。


 とにかく、慣れるしかない。


 《影の掌握》は例外的に、重力魔法として理解できたからすぐに安定してきたけど、こんな魔法ばかりじゃない。


 少し休憩を挟んで、十分で精神力を回復。魔法の痕跡――腐蝕で穴が開いた床や焦げた石を軽く処理して、次の段階へ備える。


(にしても……非公式魔法って、威力は控えめなんだよな)


 《氷の矢》は、急所を狙えば即死も可能だけど、外せば三発命中しないと戦闘不能にはできない。《腐蝕の触》も同じで、ちゃんと当てる部位とタイミングが重要になる。


 だけど――。


「使い方次第で化ける」


 俺は静かに呟いた。


 どんなに小さな魔法でも、使いどころ次第で戦局をひっくり返せる。それが俺の信じる“合理的魔法戦術”ってやつだ。


 「……ふふっ」


 ふと、部屋の隅でくすりと笑う気配がした。


 見ると、ヴィラがいつの間にか暗がりから姿を現していた。深紅のマントがひらりと舞い、その姿はまるで闇夜に溶け込む影そのものだった。


 「今夜の訓練はここまでにしておきましょう、ルーン」


 赤い瞳で俺を見つめながら、ヴィラは静かに言った。


 「あなたの進歩は驚異的よ。でも覚えておいて――本当の力とは、魔法を使えることじゃなく、“いつ使うべきか”を知っていること。それを忘れないで」


 「……了解」

###


訓練が終わった後の静けさが、地下の練習室を包んでいた。

 魔力の余韻がまだ空気中に漂っている。

 ヴィラはソファに腰かけ、グラスに赤い液体――おそらくワインじゃないもの――を注ぎながら、俺に視線を向けた。


 「ルーン、最近……何か企んでるわね?」

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