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第41章 聞け、新大陸が歌う声を

夜の帳がエドモントの街を覆い始めるころ、僕は例によって龍牙亭の厨房裏で、焦げ臭い失敗作を処理していた。


 今日もダメだった。草木灰の濃度が安定せず、油脂の質もバラバラ。試作番号七号、またもや泡立ち不良で不採用。財布の中身は……銅貨三枚と、頼りない銀貨が一枚。もう、次の実験分も残ってない。


「……技術移転、ナメてたな」


 思わず呟いた声に反応する者は、もちろんいない。ヴィラはもう五日も戻ってこないし、この屋敷の片隅で一人、僕は肥皂せっけんと悪戦苦闘する毎日を過ごしていた。


 そんなときだった。


 酒場の奥、常連が集う丸テーブルから、ひときわ大きなため息が聞こえてきた。耳を澄ませると、どうやら“赤いベストの男”オリヴァー・ウェバーが愚痴をこぼしているようだった。


「くそっ、なんでこんな依頼受けちまったんだ……」


 隣にいたのは“発条職人”ことヘルマン・シュミット。彼が冗談まじりに返す。


「どうした、チャンス商人も詩の前では沈黙するか?」


 ウェバーは机に肘を突き、苦々しげに続けた。


「明日の夜、フランクリン博士の文学サロンに招かれたんだが……なんと、“新大陸スタイル”のオリジナル詩を一編、朗読しなきゃならんらしい」


 新大陸……この世界における、いわゆる“アメリカ”的な地域。つまり、フランクリン——おそらく歴史的に有名なあのフランクリン博士が、この世界でも科学と詩のパトロンであるらしい。


「十五リヴル。今夜中にそれを書ける者に払う。風刺と格言、自由への賛歌を混ぜた“新大陸風”だ。あの博士が好きそうなやつだ」


 ──十五リヴル。


 僕の耳が、勝手にその額に反応した。


(十五……! 実験三回分どころか、材料の安定供給ルートの契約金にもなる!)


 厨房から顔を出すと、ちょうどトビが酒杯を拭いていた。


「なぁ、今の話、俺でも応募できるか?」


「お前が?」トビは露骨に眉を上げた。「ルーン、お前今、腕にラードと灰くっついてるぞ?」


「ちょっとだけ……詩、書けるんだ。旅の途中、吟遊詩人と一緒にいたこともあるし」


 もちろんそれは、東京大学の講義室で聞いた詩人論と、スマホの詩集アプリの記憶のことだ。でも嘘じゃない。


「……まあ、止めねぇけどな」


「……その詩、私が書けるかもしれません」


 そう口を開いたのは、調理場の隅にいた男——ルーエン・ウィンスターだった。


 赤いベストを着た男——オリヴァー・ウェバーは眉をひそめた。


「君? 君は……誰だ?」


「ルーエンです。ただの労働者ですが……旅の途中、たくさんの吟遊詩人と酒を酌み交わし、詩を聞いてきました」


 酒場の主、トビが慌てて口を挟む。


「オリヴァーさん、こいつ……見た目はアレですが、妙に物知りで、口も達者なんですよ」


「……ふん、では試してみようか」


 ウェバーが組んでいた腕を解き、手を広げて示す。


「新大陸風、格言と進歩への賛美が混ざったものだ。そんなもの、君に書けるのか?」


「できます。内容は既に頭の中にあります。詩とは、感情と知恵のリズムです」


 ルーエンはそう言うと、一枚の紙とペンを受け取り、酒場の隅の机へと向かった。


 五分。


 十分。


 周囲の視線を感じつつ、彼は紙の上を流れるようにペンを滑らせていく。


 そして十五分後、ルーエンは完成した紙を手に、再び円卓へと戻った。


「……できました」


 ウェバーがそれを受け取り、声を整える。


「では、拝聴しよう」


 一拍置いて、彼は朗読を始めた。


「聞け、新大陸が歌う声を。


 多様なる者たちが奏でる、力強くも誇らしき歌。


 機械工は工具を叩きながら、靴職人は革の匂いとともに歌う。


 大地を耕す者も、港で船を整える者も、皆が己の仕事に誇りを持ち、歌っている。


 その一つひとつの声が、互いを邪魔することなく、調和の旋律を紡いでいく。


 これは自由の歌。これは理性と進歩の時代の讃歌。


 科学を恐れず、真実を求める者たちよ。


 教条ではなく、問いを持て。


 権威ではなく、知恵に耳を傾けよ。


 それが、我らの新しい夜明けを照らすだろう」


 読み終えた瞬間、場には沈黙が訪れた。


 まるで空気が凍りついたかのように、誰もが言葉を失った。


 ——数秒後。


「……これだ」


 ウェバーが小さく呟いた。驚きと、歓喜と、何かを見つけたような表情で。


「これが、私の探していた詩だ!」


 彼は椅子から立ち上がり、ルーエンの肩をがっしりと掴む。


「君、名前は? いや、覚えておこう……ルーエン・ウィンスター。君は今夜、私に勝利をもたらした」


 そして、約束通りの十五リーフルをルーエンの手に押し込む。


 金貨の重みは、ただの貨幣の重さではなかった。失敗続きだった石鹸実験の、希望の光そのものだった。


「……ありがとうございました」


 ルーエンは深く頭を下げた。


 その目の奥には、科学者としての冷静さと、商人としての企みが、静かに輝いていた。




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