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第39章 石鹸

フラニカ王国の庶民って、基本的に「石鹸」という文明の利器を知らない。いや、知ってたとしても、たぶん使ってない。使いたくても、売ってないし、売ってても高すぎて手が出ない。


貴族様たちは高級香料入りの「サヴォン・ド・ロイヤル」とかいうオシャレな石鹸を使ってるらしいけど、値段は俺の月給の二倍。バカか。身体の汚れを落とすために財産を溶かすとか、もう何を落としたいのかわからない。


でも俺にはある。現代日本の科学力という名のチートが。


石鹸の作り方なんて、正直な話、高校の化学でやった。油脂とアルカリを混ぜるだけ。これぞ「ザ・皂化反応」。名前からして難しそうに見えるけど、やることは台所レベル。むしろ家庭科の範囲ですらある。


つまり、こうだ。


――市場、空いてます。

翌朝。


俺はポケットにある全財産――銀貨2枚と銅貨3枚――を握りしめ、エドモント東区の市場へ突撃した。いや、突撃って言っても、財布の中身がこれだけしかない俺にできるのは“慎重なる物色”だ。騎士団で言うところの待機任務。全然派手じゃない。


まずは油脂。上等なオリーブオイルなんて買えるわけがないので、店のおばちゃんが「こっちは灯油じゃないよ、ホントだよ」って言い張ってた得体の知れない安物をゲット。あと、豚脂の残りカス。これでサラダ作ったら胃袋にバッドステータスがつきそうだが、石鹸には問題ない。たぶん。


次にアルカリ源。こっちは草木灰を買った。袋に「野生の森100%」って書いてあったが、信じたら負けだと思う。


で、材料は揃った。次は――作る場所だ。


「……厨房を、貸してほしい?」


ルーンがそう言った瞬間、カウンターの奥でグラスを磨いていた酒場の店主・アランが手を止めた。濃い赤毛と丸太のような腕をしたその男は、ルーンを怪訝そうに見つめる。


「何を作るつもりだ? まさか毒薬とか……媚薬じゃねぇだろうな?」


「いいえ、石鹸です」


「……せっけん?」


アランは眉をひそめ、ルーンの持っていた麻袋を見やった。中には豚脂、粗末なオリーブ油、灰、それから数種類の乾燥した草が詰まっていた。


「それ、魔術の材料か?」


「違います。これらはすべて、洗浄効果のある製品を作るための素材です。実際に汚れや臭いを落とせる、非常に実用的なものです」


そう説明するルーンに対し、アランは少しの沈黙の後、大きく笑った。


「ふん、面白ぇ! そういう実験なら、ちょうど裏の物置に使ってない釜がある。好きに使っていいが……」


「が?」


「もしその『せっけん』ってやつ、本当に使い物になるなら——うちの皿洗いに使わせてもらうぜ? 条件は三つ。厨房の使用は一か月、それと材料の一部はうちが支援してやる。その代わり、三か月は無料で俺に使わせろ。それと……売るときは最初に俺に見せること。いいか?」


「了解です。条件に異論はありません」


ルーンは即答し、しっかりと手を差し出した。アランの手はまるで鍛冶屋のように厚く、ごつごつしていた。


「よし、契約成立だ!」


こうして、ルーンの「せっけん開発計画」は始動した。


物置はほこりまみれだったが、広さも十分、何より古びた煮釜と火炉が残っていた。彼はさっそく作業に取りかかる。


まずは木灰と水を混ぜ、アルカリ液——すなわち灰汁を抽出する。それを一晩置いて濾過し、豚脂と慎重に混ぜ合わせる。


(——これは、ただの化学反応。高校で習った、油脂とアルカリによるけん化反応だ)


理屈は簡単だが、問題は実地の環境と素材だった。


温度管理は薪火頼りで精密とは程遠く、油脂の純度もまちまち。さらに、灰汁のアルカリ濃度も安定せず、反応には予想以上に時間がかかった。


「……うまく固まらない。液状のままだな……」


初日の実験は失敗に終わった。仕上がったのは悪臭を放つぬるぬるした泥のような物体だった。アランがそれを見て爆笑するのが目に浮かぶ。


だが、ルーンはあきらめなかった。


二日目、三日目と試行錯誤を重ね、豚脂と灰汁の比率、加熱時間、攪拌方法、精油の添加タイミングをすべて記録し、改善を加えていく。


時に香りが腐った藁のようになり、時に完全に固まらず液状のまま腐敗した。


しかし四日目、ついに彼の前に「石鹸」と呼べる物体が現れた。


くすんだ白色、やや柔らかめだが、手に泡立ちを残し、何より悪臭ではなくほのかなラベンダーの香りがした。



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