第27章 危機
夕暮れの薄光が、聖光孤児院の古びた窓を淡く染めていた。ルーン・ウィンスターが石畳の小道を歩み寄ると、子供たちの明るい声が響き合う。
「ルーンお兄ちゃん、来た!」六歳ほどの少女、エイミが弾けるような笑顔で駆け寄り、その小さな手で彼のコートの裾を掴んだ。
「今日、どんなお話?」トミーという少年が、期待に目を輝かせながら尋ねる。
ルーンは穏やかに微笑み、膝を折って子供たちと同じ目線になる。ポケットからそっと取り出したのは、色とりどりの紙に包まれたキャンディ。
「ほら、今日は特別な贈り物だよ。」
子供たちの歓声が庭に響き、小さな手が一斉に袋へと伸びる。この一週間、ルーンは工場の重労働を終えた後、ほぼ毎日のようにこの孤児院を訪れていた。壊れた戸棚を直し、子供たちと笑い合い、遠い異国の物語——彼の元の世界の童話を少し脚色したもの——を語って聞かせるのだ。
木造の玄関からテレサが姿を現し、その後ろに年老いたマーガレット修道女が静かに続いた。ルーンが子供たちに囲まれ、笑顔でキャンディを配る姿を見て、二人の顔に温かな笑みが浮かぶ。
「一人一つよ。ちゃんと『ありがとう』って言うの」と、テレサが柔らかな声で諭す。
子供たちは素直に礼を言い、宝物のようにキャンディを握りしめて駆け去った。ルーンと二人の修道女だけが、静かな庭に残される。
「ルーン、いつも心遣いが素晴らしいわ」とテレサが感謝の眼差しで言った。「でも、無理しないでね。」
「こんなの、些細なことさ」とルーンは笑って手を振ったが、内心ではその数スーの出費が決して軽くないことを自覚していた。
「オリバーさんはもう?」彼は辺りを見回しながら尋ねた。
「地下室で待ってるわ」とマーガレット修道女が頷く。「道具をたくさん持ってきて、気合が入ってるみたいよ。」
三人は古い木の廊下を進み、軋む階段を下って地下室へ。薄暗いランプの光が、色あせた作業着に身を包んだオリバーの姿を照らし出す。白髪交じりの濃い髭をたくわえた老人は、錆びた蒸気パイプを慎重に点検していた。そばには使い込まれた工具箱が置かれ、配管工具がぎっしりと詰まっている。
「オリバーさん、来てくれてありがとう」とルーンが声をかけ、前に進み出る。
老人は顔を上げ、髭の下でかすかに笑みを浮かべた。「約束したからな。図面は持ってきたか?」
ルーンは一週間かけて心血を注いだ暖房システムの設計図をポケットから取り出し、粗末な木のテーブルに広げた。「これが新しいシステムだ。主パイプの低圧部から熱を効率よく引き出し、特別な熱交換器で安全に運用する。発見されるリスクも最小限に抑えられる設計だよ。」
オリバーはかつて王立工学部で30年以上も蒸気パイプ技師として働いた男だ。年齢と政治の波に追いやられ引退した今、細々とした修理仕事で生計を立てる質素な暮らしを送るが、配管工の間では今なお尊敬を集めていた。ルーンは工場の伝手を頼りに彼を見つけ、孤児院の暖房問題に専門家の力を借りにきたのだ。
オリバーはランプを近づけ、擦り切れた作業着のポケットから古びた眼鏡を取り出し、鼻に掛けた。やや震える手で図面に目を凝らし、複雑なパイプの配置や熱量計算を一つ一つ追う。その粗い指が紙の上を滑るたび、長い年月を刻んだ職人の息遣いが感じられた。
「誰が作ったんだ、これは?」彼は驚きを隠さず、ついに口を開いた。「こんな辺鄙な場所で、こんな精緻な設計を見るとはな。」
「ルーンが描いたのよ」とテレサが誇らしげに答える。「彼、天才なの。」
オリバーはルーンを一瞥し、鋭い目に一瞬の疑念がよぎった。「王立工学アカデミーの出身か?」
「いや、独学だよ」とルーンは首を振った。「子供の頃から機械やパイプの仕組みに夢中だったんだ。」
「ふむ」とオリバーは思案深く頷いた。半信半疑の様子だったが、それ以上は詮索せず、図面に視線を戻した。「ともかく、こいつは見事な設計だ。特にこの熱交換器の構造、実に巧妙だな。理論上、エネルギー消費を抑えつつ、圧力変動の痕跡をほぼ完全に消せる。」
「つまり、役所の検査でも見つからない?」マーガレット修道女が不安げに尋ねる。
「その通りだ」とオリバーが頷いた。「ただ、課題が二つある。」
「材料と工具だろ」とルーンが即座に答えた。「特殊な銅合金パイプと圧力制御バルブは普通の市場じゃ手に入らない。精密な接続には専用の溶接機も必要だ。」
「ほう、さすが設計者だ」とオリバーは片眉を上げ、ルーンの洞察に感心した様子だった。「その通り、それが最大の壁だ。だがな」と彼はかすかに口元を緩めた。「俺は王立工学部で30年働いた。人脈はまだ生きてる。『廃棄』扱いの材料なら、ちょっとした瑕疵で捨てられたものがいくらでもある。こんな小規模なシステムには十分だ。」
「工具はどうするの?」テレサが尋ねた。
オリバーは錆びた工具箱を軽く叩いた。「これまでの年月、ただ飯を食ってきたわけじゃない。引退の時、つい『持ち帰った』ものもある。」その目に一瞬、狡猾な光が宿った。
「この計画、実現できる?」マーガレット修道女が切実な声で尋ねた。
「できるどころか、俺が見た改造案の中で最高のものだ」とオリバーが力強く頷いた。「材料が揃えば、2週間で完成する。子供たちはこの冬、寒さに震えずに済むぞ。」
マーガレット修道女の目には涙が浮かんだ。「聖光に感謝を…。去年の冬、3人の子を失ったの。自分を許せなかったわ。」
部屋に重い静寂が落ちた。ルーンは老修道女の言葉に滲む深い痛みと悔恨を感じ、彼女がなぜ危険な違法暖房に手を染めたのかを理解した。この社会の底辺では、生き延びるために法を破る以外に道がないこともある。
「報酬の話だが」とテレサがためらいがちに切り出した。「私たちに払える額は…オリバーさん、資金が本当に限られていて。」
オリバーは二人の修道女を一瞥し、地下室の入り口でひそひそと覗く子供たちに目をやり、最後にルーンを見つめた。「10エキュ。それと、工事中の3食を頼む。」
「10エキュ?」テレサが驚きの声を上げた。「それ、相場の半分以下じゃない!」
「慈善家じゃないぞ」とオリバーは落ち着かなげに体を揺らし、ぶっきらぼうに言った。「だが、俺だって人でなしじゃない。それに」と彼の視線がルーンに戻った。「この設計に心を動かされた。30年ぶりにこんな面白い案を見た。自分で手を動かしたくなったんだ。」
テレサは涙ぐむような目で彼を見つめた。「ありがとう、オリバーさん。必要なものはすべて揃えるわ。」
その後、彼らは工事の段取りや日程を細かく詰め、孤児院の日常に影響が出ないよう配慮した。オリバーは特に安全面を強調し、工事中の蒸気漏れの危険を徹底的に排除する方針を示した。
話がまとまると、オリバーは道具を片付け、帰る準備を始めた。ルーンは重い工具箱を玄関まで運ぶのを手伝った。戸口に差し掛かったとき、マーガレット修道女がルーンの袖をそっと引いた。
「ルーン」と彼女は静かだが力強い声で言った。「これからも、顔を見せてちょうだい。あなたが来るようになって、テレサの心がずいぶん軽くなったのよ。」
「テレサ?」ルーンは意外そうに聞き返した。
「ええ」と老修道女は意味深く微笑んだ。「あの子、いつも心配ばかりして、責任を一人で背負いすぎてた。でもこの一週間、彼女の笑顔はここ半年よりずっと多かった。あなたが希望をくれたのよ。一人じゃないって、教えてくれたの。」
ルーンは中庭に目をやった。テレサは子供たちと無邪気に遊び、普段は見せない晴れやかな笑みを浮かべている。彼女はルーンの視線に気づいたのか、振り返り、軽く手を振って微笑んだ。
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オリバーを見送った後、ルーンは子供たちともう少し遊び、勇敢な小さな仕立屋の物語を語ってから、労働者地区の寮へと戻った。
月光が、ひび割れた窓からルーン・ウィンスターの粗末な部屋に差し込む。傷だらけの木の床に淡い光が揺れ、工場での苛酷な労働、孤児院での温かな時間、そしてテレサとの再会が、彼の心を複雑に揺さぶっていた。
彼は擦り切れた作業着を脱ぎ、ドアの後ろの錆びたフックに掛けた。部屋に飾りらしいものはなく、ただ隅に置かれた小さな机と、そこで埃をかぶる銅の燭台があるだけだ。ルーンはロウソクに火を灯し、揺れる光が闇をわずかに押し退けたが、部屋の隅までは届かない。
「長い一日だったな」と彼は独り言ち、鏡に映る疲れ果てた自分をじっと見つめた。
ベッドに腰を下ろし、ブーツを脱ぐ。骨の髄まで染み込むような疲労が体を重くする。窓の外、遠く貴族地区の高楼に魔法の灯が瞬く。それは労働者地区の薄暗さとは別世界の輝きだった。
「明日こそ、いい日になるさ」とつぶやき、目を閉じて眠りにつこうとした。
だが、意識が闇に沈む寸前、指の銅の指輪が突然熱を帯び、鋭い刺すような感覚が全身を駆け巡った。ルーンははっと目を開け、本能的に身を起こす。
部屋の空気が一瞬で凍りつき、吐く息が白い霧となって漂う。燭台の炎は弱々しく揺れ、まるで何かに光と熱を奪われているかのようだった。
そして——彼はそれを見た。
床の上、灰色の霧が渦を巻き、ゆっくりと形を成していく。巨大な獣の爪痕だ。鋭く長い爪一本一本が、まるでこの世界の理を切り裂くかのように不気味に浮かび上がる。
「何だ、これは…」ルーンは低く呻き、ベッドから飛び降り、壁際に後退した。
霧の爪痕は止まることなく広がり、徐々に立体的な形——ぼやけた獣の爪——を形成していく。まるで別の次元からこの現実へと侵入してくるかのようだ。爪が床に触れるたび、幽青い霜の痕が光り、冷気が部屋を支配した。
ルーンの心臓が激しく鼓動し、咄嗟に数歩後退して距離を取る。アドレナリンが体を突き動かし、脳はヴィラから教わった超自然現象への対処法を必死に呼び起こす。
「何かおかしい…絶対におかしい」と彼はつぶやき、霧の動きを一瞬も見逃さず凝視した。
霧はさらに濃密に集まり、爪痕を超えて浮かび上がる。まるで何か巨大な存在が、別の世界からこの空間に押し入ろうとしているかのようだった。霧は歪み、伸び、巨大な狼の頭の輪郭を形作る——空洞のような目、大きく開いた口、鋭い牙がぎらりと光る。
ルーンの息が乱れ、瞳孔が恐怖に広がる。体の全てが危険を叫ぶが、彼は冷静さを失わないよう必死に自分を抑えた。「こいつは俺を試してる…まるで狩人が獲物を弄ぶように」と彼は心の中で呟いた。
突然、霧の狼が低く唸り、その音は実体を持ったかのように部屋を震わせ、ガラスや窓を微かに共鳴させた。唸り声とともに、狼の姿が一気に飛びかかり、開いた巨口がルーンの喉を狙う。
その瞬間、時間が凍りついたかのように遅く感じられた。
ルーンの体は思考を待たず動いた。彼は横に飛び、床を蹴って右に転がる。肩が床に激しくぶつかり、鋭い痛みが全身を駆け巡ったが、死の恐怖に比べれば些細なものだった。
霧の狼の突進は空を切り、ベッドに直撃した。接触の刹那、凍てつく寒気が部屋を満たし、ルーンの肌に薄い霜が張るのが感じられた。だが、それ以上に恐ろしかったのは、狼の爪が触れたベッドが一瞬で消滅したことだ。シーツ、枕、木の枠、そして床の一部が、跡形もなく消え去り、漆黒の虚空へと続く穴がぽっかりと開いた。その縁は、まるで酸に蝕まれた布のように、じわじわと広がっていく。
「なんてことだ…」ルーンは息を呑み、自分が死の淵をかすめたことを悟った。あの爪に触れていたら、彼の体もベッドと同じ運命を辿っていただろう。
霧は突進の失敗で一時的に形を失い、ぼやけた塊に散ったが、すぐに再び凝集を始めた。ルーンは時間がほとんどないことを知っていた。次の攻撃が来る。
「ここから逃げなきゃ」と彼は歯を食いしばり、素早く立ち上がると、後退しながらポケットを探った。「何か…武器か、守るものが…」
指先が、銅の指輪と、ヴィラから渡された小さな銅の鏡に触れた。ヴィラはこの鏡を護身用にくれ、危機の際には特定の儀式で彼女に連絡できると言っていた。
霧が再び形を整え、今度はより大きく、より実体化した姿で迫る。低く響く唸り声には、この世界に属さぬ不気味な反響が混じる。一歩ごとに、床に燃えるような霜の痕を残しながら、ゆっくりとルーンに近づいてくる。
ルーンは今、動かなければならないと悟った。彼はドアへ向かって全力で駆け出し、頭の中でヴィラへの連絡方法を必死に組み立て始めた。
助けが必要だ。すぐに。あまりにも急いで。




