第20章 吸血鬼の魔法
ガブリエルは目を細めた。
彼の前に立つヴィラは、たった今、半身を焼かれたはずだ。
だが、その姿はあまりにも自然で、まるで最初から傷一つ負っていなかったかのように見えた。
「再生……か。公爵ともなれば、その程度の奇跡は日常茶飯事か?」
「ええ、まあ。でもね……」
ヴィラはドレスの裾を優雅に払った。その動作すら舞踏会のように気品に満ちていた。
「“三対一”っていうのは、どう考えてもフェアじゃないわよね?」
彼女の声色は変わらず静かで柔らかかった。
だが、その言葉とともに、空気が明らかに変わった。
——ドゥン。
血の池が、微かに波紋を描く。
それに呼応するかのように、ヴィラの周囲から、目に見えぬ圧力が滲み出し始めた。
「っ……気圧、いや、これは“血の圧”か!?」
グラントが思わず唸る。吸血鬼に近い種でなければ感じ取れない“上位の血”の力。それが今、ヴィラの体から溢れ出していた。
「“血霧再生”だけじゃない。あれは……『血波領域』……!」
ガブリエルが身構えた瞬間、ヴィラの影が消えた。
——ドン!
先に動いたのは彼女だった。
一瞬にして狂信者の背後へ回り込む。
その右手には、小さな短剣のようなものが握られていた。
それは刃ではなく、凝縮した“血”そのもの。血族が自らの魔力を圧縮して生み出す、貫通力特化の武器「血槍」だった。
「この熱量。私の血を汚した代償、払ってもらうわ」
ヴィラがそのまま、狂信者の心臓を突き刺した。
「グオオオオオ——ッ!!」
狂信者の白燐の炎が暴走する。体内から力が崩れ、魔力の流れが乱れる。
燃え広がった炎が密室を一瞬で照らし、眩しい閃光とともに狂信者の身体が四散した。
血族の技術と聖炎の反応が暴発したのだ。
「一人目、終了ね」
ヴィラがくるりと振り向き、指先についた血を舌で拭った。
「チッ……!」
グールが吠えた。主を失い、狂ったように突進してくる。
ヴィラはそれを正面から迎え撃った。
彼女の瞳が紅く輝く。
「従属の魔眼」
その瞬間、グールの動きがピタリと止まる。
「お座り」
ボソッと囁く。
グールはまるで操り人形のように、四つん這いでその場に伏せた。
「……従属成功率、30%。たまには上手くいくのよね」
そう言って、ヴィラは片足を高く上げ、踵でグールの後頭部を踏み砕いた。
鈍い音とともに、グールの頭部は潰れ、動かなくなる。
残るは——
「ガブリエル。あとはあなただけね?」
ヴィラは何事もなかったかのように、優雅に歩みを進めた。
「さあ、“白騎士”さん。次は、貴方が踊る番よ?」
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ヴィラの爪がグールの胸を貫いた瞬間、室内に血しぶきが咲いた。
——静寂が訪れる。
返り血も気にせず、彼女は淡々と振り返った。狂信者の息はまだあったが、もはや燃え尽きかけの燈火だった。ヴィラはその額にそっと触れると、指先にわずかな血の波動を乗せる。
「言え。誰がここを漏らした?」
その声に、恐怖ではなくただ冷徹な“義務”の色が滲んでいた。
狂信者の目が一瞬だけ正気を取り戻し、唇がわずかに震えた。
「……依頼……教会じゃ……ない……報酬を受け取った……情報屋が……」
その言葉を最後に、彼の目から光が消えた。
ヴィラは静かにその喉を掻き切り、苦しみの終わりを与える。
「騎士らしい最期ね。」
血の匂い、焦げた空気、そして崩れた石の音だけが、密室に残された。
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朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、俺はギシギシと軋む木のドアをくぐった。労働者宿舎。今日もいつものように、油まみれの街に出撃だ。
擦り切れた帽子をかぶり、色褪せた作業服のジャケットを羽織り直す。うん、これで「それっぽい労働者」のできあがり。街ですれ違う誰かに紛れるための最低限の装備だ。
ポケットには、8スーと十数デニエの硬貨。先週の修理仕事で得た血と油と汗の結晶。これが、俺の所持金のすべて。
「朝から財布が軽いと、胃袋まで空になりそうだな……」
そうぼやきながら、目指すは毎度おなじみの「白鳥パン屋」。労働者の味方にして、コスパ最強の炭水化物供給所である。
パンの焼ける匂いに誘われてドアを開けた瞬間、ふわっと香ばしい湯気が顔を撫でた。うん、この匂いだけで朝ごはん一杯いけそう。
「おはようございます、ホワイト夫人。今日のライ麦パン、まだありますか?」
「おや、ウィンスターさんじゃないかい。ええ、ちょうど焼きたてだよ。何個いるの?」
「……4つください。値段、まだ1つ2スーですよね?」
ここで買い溜めして数日は乗り切る。そんな皮算用をしていたのだが――。
「……ごめんね、また値上がりしちゃって。今は1つ3スーなの」
「……は?」
思わず素で反応してしまった。
「最近の物価、ドラゴンの暴走よりヤバくないか?」
3ヶ月前は1スーちょい、先月2スー。で、今日から3スーって……何? パンってそんな進化する食べ物だったっけ?
「うう、じゃあ……2つだけでお願いします」
ポケットの硬貨を数え直して、泣く泣く選択肢を削る。いつか『パンを諦めた男』として街角の銅像になってもおかしくない。
ホワイト夫人は気の毒そうな顔で、こっそり小さめのパンをオマケしてくれた。ありがたい。泣ける。次生まれ変わったらパン屋のオーブンになりたい。
店を出ると、手の中の紙包みはやけに軽く感じた。というか実際に軽い。ライ麦パン2個分の重さ。ああ、炭水化物の女神さま……俺はまだ飢えてるんです。
……と、そのとき。すぐ横の路地から、小さな声が聞こえた。
「おにいさん、花……いりませんか?」
振り返ると、10歳くらいの女の子が立っていた。ボロボロの服、素朴な野花の束。そして、妙にまっすぐな目。
「恋人に、どうですか? 一束、たったの1スーです」
ポケットの中身と相談しつつ、俺はため息をひとつついた。
「……いいよ。一束くれ」
市場を去ろうとしたとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「ルーン?ルーン・ウィンスター?本当に君なのか?」




