第13章:不浄の存在
火竜鱗粉を使った初火の成功から数日——。
俺の魔法修行は、想像以上に波瀾万丈だった。
いや、正直に言おう。**爆発三回、煙充満二回、天井のランプを吹き飛ばしたのが一回。**そのすべての記録が、俺の「練習ノート」にしっかりと書き込まれている。
「ルーン、また焦がしたわよ」
ヴィラは呆れ顔をしつつも、手際よく魔力で煙を消していく。
「す、すみません……でも今のは結構惜しかったんですよ! ちゃんと温度は制御できてたし、火柱の高さも——」
「でも爆発したじゃない」
「……はい」
魔法はロマンじゃない。現実だ。ちょっとでも集中が切れれば、部屋が火薬庫になる。
この世界で魔法を扱うというのは、ちょっとした危険物取扱者資格みたいなもんだ。
とはいえ。
ヴィラ曰く、「この進度は異常」。ふつうの魔法見習いが一ヶ月かけてやっと光を灯すレベルの初級魔法を、俺はもう三種マスターしていた。
火球術(と、たまに火柱術に化けるやつ) 照明術(これは安定してる) そして、簡易浄化(失敗すると全部爆破)
「君、本当に魔法初めてなの?」
「少なくとも、地球では触れたことないですね。見たことも。あ、でもRPGはめっちゃやりました」
「……それが原因?」
ヴィラは小さく首を傾げたが、すぐに笑って訂正した。
「いいえ。きっと、君の中には元から“何か”があったのよ。理論の理解が早すぎる」
たぶん、彼女が言ってる“何か”って、俺の理系脳や現代科学の発想のことだろう。
魔法陣の構造を見れば、「これはフィードバックループに似てるな」とか。
触媒の反応速度を測れば、「これ、反応熱を最小化すれば安定するんじゃ?」とか。
そして、失敗のたびに俺はノートを開いて、化学式のように魔法の構成を再整理していた。
「ルーン、君……魔法を“設計”しようとしてるの?」
ある日、そう問いかけてきたヴィラの声は、ほんの少しだけ震えていた。
「え? ……うん、まあ。“再現性のある魔法”って考え方があってもいいんじゃないかなと思って」
「それ、過去にも誰かが試したことがある。でもね……」
ヴィラは少し沈黙してから、そっと言った。
「最後には“異端”として処刑されたわ。魔法を“秩序”に落とし込もうとした罪で」
「……は?」
この世界、思った以上にアナログだった。
魔法は“感覚”と“直感”が主流、体系化や再現性は「冒涜」扱い。
いや、それってつまり、俺のやろうとしてる“魔法工学”は、ガチで世界の常識をぶち壊す路線ってことか。
「ルーン、私は君を止めない。だけど——」
「分かってるよ、ヴィラ。でも俺、止まれない」
だって俺は、元・化学企業のCEOだったんだぜ?
何もないところから道を作るのが、俺の仕事だった。
異世界でも、それは変わらない。
「この世界の魔法を、もっと便利に、もっと安全に、もっと多くの人が使えるようにする。——そのために、俺は“設計する”。理論と実験で」
ヴィラは少しだけ、寂しそうに笑った。
「本当に……君は変わってるわね」
「よく言われます」
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魔法の練習漬けの毎日は、ほんとにあっという間だった。
火のない光源を作る「照明術」、飲み水や食材の不純物を取り除く「浄化術」、破れたシャツをささっと直せる「簡易修復術」──元素魔法の基礎に加えて、日常でも役立つ実用魔法まで、ヴィラの指導のもとで俺はひたすら覚えていった。
気づけば一週間。
……自分でも驚くほど、進歩してた。
「君の進歩は非凡だ」
その夜、訓練後の実験室で、ヴィラがランプ越しにそう言った。クールな美人吸血鬼の口からの称賛は、さすがに嬉しい。
「特にエネルギー制御の精度において。普通の見習いが君のレベルに届くのは、早くても数ヶ月先よ」
「いやー、俺ってば才能あるかも?」なんて調子に乗りつつも、俺は机の上の魔法ノートに今日の気づきを書き込んでいた。
「魔法の“言語”ってやつが、ちょっとずつ見えてきた気がする。感覚を覚えれば、パズルのピースが自然とハマっていくような…そんな感じかな」
ヴィラは黙って頷くと、本棚から手稿を数冊と黒革のノートを取り出した。
「これ、私が長年書きためてきた魔法理論ノート。中でもこの黒いのは、“静心冥想法”っていって、初心者向けの瞑想テクがまとめてある。持ち帰っていいよ。今後も週に数回ここで会って、学びを深めよう」
「おお、マジで助かる!」
……と、その時だった。俺の頭に突然、現実的な問題が浮かんだ。
「あれ、もう二日経ってる…?」
下水道に落ちてから、ずっとこの隠れ家にいたんだよな。そろそろ地上に戻らなきゃ。
「トビー、絶対俺が死んだと思ってるだろうな。まあ、底辺労働者が二日消えたくらいで誰も探しちゃくれないか……この世界って、そういうとこあるよな」
「君ならもう大丈夫。地上まで案内するわ。工場からそう遠くない場所よ」
そう言ってヴィラが優しく頷いた時、俺はちょっと考え込んだ。
「このノート……持ってて大丈夫かな。誰かに見られたら、魔法使ってるってバレて、マズいことになるよな」
「安心して」
ヴィラはノートを開いて、ページを指差した。
「魔法を知らない人には、これただの意味不明な記号や図にしか見えないから。それにね、ここには『混淆呪文』を仕込んである。関係ない人は、そもそも中身に興味を持たなくなるのよ」
「なにその超便利魔法……。学生時代にあったら、親に見られたくないノートを全部これで……いや、なんでもない!」
俺はノートを服の内側にしっかりしまい込み、深く頭を下げた。
「ヴィラ、本当にありがとう。俺なんかに魔法を教えてくれて、感謝しかないよ」
(いやいや、ちょっと待てよ? 吸血鬼が人間にタダで魔法を教えるとか、展開的に怪しすぎるだろ…!?)
……と、頭の中で警戒アラートが鳴り始めたが、今は学べることが優先だ。危険は後で考えればいい。
「感謝はまだ早いわよ」
ヴィラは笑って言った。
「魔法の道は、特に平民にとって厳しいものよ。でも、あなたの中には可能性があると感じてる。私の目が正しければ、だけど」
それから、俺たちは秘密の地下通路を進んだ。
行きとは違う道。古びた石造りの通路の隙間には、かすかに光る蛍光苔がびっしりと張り付いていた。
「この苔、もし大量に育てて光源にできたら……地下の照明代わりに使えるかも。って、またビジネスのこと考えてる俺、現金すぎるだろ」
「この通路は数世紀前、貴族たちが作らせた脱出ルートだったの。今じゃ存在を知る者はほんの一握りよ」
しばらく進むと、古びた小屋にたどり着いた。中は埃まみれで、明らかに長年使われていなかった。
ヴィラはポケットから小さな丸い鏡と、折り畳んだ紙を取り出す。
「そうだ、これも持っていって。通信鏡よ。緊急時はこれで私と連絡できるから」
「うお、魔法版スマホじゃん!? 信号も電池も要らないで空間越えて通話可能って、普通に科学技術より上だろこれ…」
鏡を大事にしまい、俺はそっと小屋の扉を開けて外に出た。
誰もいないのを確認して、足早にその場を離れる――が、その時だった。
角を曲がった瞬間、俺は本能的に壁の陰に飛び込んだ。
向こうの路地には、白いローブを纏った一団が、下水道の入口に集まっていた。
「白ローブに七芒星の徽章、銀の杖まで……うわ、宗教系の怪しいヤツらだこれ。絶対やばい奴らだろ!」
「このエリアの汚染を徹底的に排除せねばならぬ。ヴァーナ兄弟は既に“不浄の存在”の痕跡を確認した」
高い声で命じる男の姿に、俺はさらに息を潜めた。
「……不浄の存在、だって?」