第2話
王都を離れたラグファ。彼はある目的のため、西のヤンドラ村へと足を運んだ。
来て早々に、気づく。どうにも異様な景色。建物は半数以上が崩壊し、地は踏み荒らされ、人の姿はどこにもない。こっちの方に魔物の手が及んでいるのは耳にしていたが、まさかここまでとは。
民家の前の柵に引っかかった一枚の布切れが風に揺られパタパタと仰いでいる。
「本当に誰もいないのか?」
ラグファは残された建物を片っ端からノックしていく。丁度三軒目の門を叩くと、少し時間を置いてドアが開いた。ギィっと蝶番のきしむ音が響く。
中から出てきたのは、長い顎髭を生やした一人の老人だ。どういう訳か、随分とおびえた様子でいる。目は血走り、手足は震え、服はボロボロな状態になっている。
「あ……ああ」
老人はラグファを見るや、声にならない掠れた声を上げる。
「村の人はどうした?」
「ああ……」
ラグファが尋ねる。しかし、老人は弱弱しく声を漏らすばかりで、まるで会話にならない。それでも構わず質問を続ける。
「魔物はどこへ消えた?」
反応は変わらず。ラグファは老人にあることを尋ねる。
「眠魔の祭壇を知っているか?」
それを聞いた途端、老人は目を見開くと、両手で後頭部を押さえ、床に突っ伏した。
「帰って! 帰ってくれ!」
やっと口を開いたかと思えば、まさかの反応にラグファはそれ以上詰め寄ることができなくなった。
家を離れ、もう一度村全体を見渡す。これだけの被害をもたらす魔物……少なくとも王都周辺に蔓延っている類ではないな。
ラグファは村の奥へと進んだ。その途中、人の気配を感じる。ふと、横に振り向くと半壊した民家の外壁に、誰かが持たれている。よく見ると、片足を負傷しているようだ。ラグファはゆっくりとその人物に近づく。
「……どうも」
「ん? ああ、まだ生きてる人がいたんだね……ってあれ? 君は……」
「王都から来た。ちょっと調べたいことがあってな。良かったら、話を聞かせてもらえるか?」
「どうぞどうぞ、と言っても御覧の通り村は焼け野原でして……それでもよければなんなりと」
こんな状況だと言うのに、村人の男は景気良く了承してくれた。この楽観差は彼の持つ器量の大きさからなのか、それとも全て諦めた感情からなるものなのか。どちらかは不明だが、この機会を活かそうとラグファは彼に色々質問する。
「ここは、君の家なのか」
「へへ、そだよー」
「……」
家の入口横に、農具がいくつも立てかけられている。彼はここの農家なのだろう。
「魔物はどこへ?」
「さぁね。気づいたときには、もうこの状態だったから」
「眠魔の祭壇について、知っていることはないか?」
「さぁ、聞いたことないね」
ここまで来て収穫なしか……と思いきや、村人は続けざまに話す。
「あー、そういえば昔。おれの爺さんが似たような話してたっけなぁ。おれぁしがない農民だから、そんな難しい話よく分かんなくて、ほとんど聞き流していたけど……」
「教えてくれ」
ここまで来た以上、彼の記憶力に全てを託す。
「なんだっけなぁ……そうだ。爺さんはよく、その地に眠る者を呼び覚ます儀式をやってたっけ。確か、呼霊術って言ったかな」
「呼霊術?」
ある程度の魔術に詳しいラグファでも、これは聞いたことがない。
「ほら。例えば、新しく畑を作ろうと思ったら、その大地を司っている精霊を呼び起こして、豊作をお願いするのさ。おれも爺さんにやり方を教わって一度だけ試したことあるけど、特に何も起こらなくてさ。それっきり忘れちゃってたよ」
「他には何か話していたか?」
「う~ん、特には……」
「そうか……邪魔をした。ではな」
立ち去ろうとしたその時、村人は思い出したように口にする。
「あっ、そうそう。爺さんは儀式を行う場所には厳しくてさ。中には、呼び覚ましちゃいけないやつもいるからって。ここからちょっと北に向かった先に謎のストーンサークルがあるんだけど。あそこに至っては昔っから近づくことすら禁止されてたよ。この歳になってどやされるのも嫌だから、素直に聞いてたけどね」
「ストーンサークル……分かった。情報、感謝する」
「へへ、どういたしまして」
「君はこれからどうするんだ?」
「ま、潔くここで野垂れ死ぬよ。村は壊滅だし、こっちの足はどのみち動かないからね。助けが来れば別だけど。そこは神のみぞ知るってところかな。神なんて信じたことないけど。死ぬにしても生きるにしても、おれの故郷はここさ」
どこか寂しそうにしながら、村人は答える。それが彼の結論ならばと、ラグファは再度村人に礼を述べ、その場を去った。
村を出たラグファは得た情報をもとに、ここより北にあるストーンサークルへと向かった。
「ここか……」
ストーンサークルまでは徒歩で楽にたどり着けるくらい、思ったよりも近くにあった。目の前には文字通り、形や大きさの違う石が一定の間隔をおいて円形状に並んでいる。サークルの中心には長くそびえ立つ岩があり、場のシンボルとしての役割を示している。
「あの祈祷師の話がどこまで本当か知らんが。まぁ、試してみるか」
サークルの中に入ると、ラグファは腰からナイフを抜き、刃を手のひらに這わせる。すると、浅い傷からポタポタと血が滴り落ちる。手のひらを前に出し、血を地面に滴らせる。サークルの内側をゆっくりと歩きながら、頭に浮かぶ文言を口頭で綴る。
ーー穏やかな風と草木の芽生えにより、春の兆しが訪れる。
ーー雲の峰は天への誘い、青時雨の囁きが胸を打つ。きたるは夏の兆し。
ーー惑わす霧は、朝露の息吹によって払われる。寄り添うは秋の兆し。
ーー霜枯れた花は、安らかなる眠り。訪れしは冬の兆し。
ーー日は沈み、月は昇る。
ーー生命は生まれ、そして死す。
ーー流れる血は、ここに。
「血の結びで持って、汝を呼ぶ。この声に応え、今ここに顕現せよ」
ラグファはサークル内を一周し、再びそびえる岩の正面に立つ。
儀式が終わる。何も起こらない……と、思っていた次の瞬間。突如、強い風が吹いたかと思うと、周囲に黒い靄のようなものが現れ、たちまち彼を包み込んだ。
「うっ……」
突然の出来事にラグファは思わずたじろぐ。すると、どこからか声が聞こえてきた。
ーー感じる。
「なんだ?」
ーーお前の渇望。
「誰だ」
ーー己が無力に打ちひしがれる者よ。
ーー憎しみに溺れる者よ。
ーー我が力を貸してやろう。
「ぐっ……一体どこに」
立ち込めていた靄が一瞬にして消え失せる。ラグファは周囲を確認する。周囲はまた、元の明るさを取り戻していた。日も十分に差し込んでくる。
「何だったんだ……今の」
その時、何かの気配を感じ、咄嗟に上を見た。見れば、岩の天辺に誰かが座っている。
「あれは……」
そこにいたのは一人の少女だった。腰まで届く漆黒の髪に紅の瞳。頭からは上に向かってねじれた二本の角を生やし、指先から伸びた爪は竜の腕と見紛うほどに鋭い。服装は裾にダメージの入った艶のある漆黒のドレス。着ているというよりは、体にまとっていると言ったほうが適切だろう。
ずっと見ているとそのまま吸い込まれてしまいそうなほど、妖しくそして美しい姿をしていた。
「我を呼んだのはお前か?」
少女はラグファを見下ろしたまま、一言そう呟く。だが、彼はまだ状況が読めていない。
目の前にいるのが敵か、味方か……それを見定める必要がある。ラグファはいつでもすぐ斬り込めるよう、背中の剣に手を伸ばそうとした……。
フッ……。
「っ!?」
その瞬間、少女の姿が一瞬にして消えたかと思うと、ラグファの胸に重い衝撃が走った。
気が付けば、ラグファは地面に仰向けに倒れ、少女が上に覆いかぶさるかたちとなった。その勢いのまま、少女は口を彼の首筋に近づけると、そのままかぷっと噛みついた。
「いっ」
チクっと鋭い痛みが走り、首筋を伝って血が流れ出る。首に歯を突き立て十数秒。ようやく離れると、少女はうっとりとした恍惚な笑みを見せ、口元の血を指先で拭うと舌でそれをなぞった。
「200年ぶりの血はなんと美味なるものか……思わず滾ってしまったぞ」
先ほどまでの険しい表情とは打って変わり、上機嫌な振る舞いを見せる少女。
「お前は……なんなんだ?」
「なんだとはなんだ。貴様が我を呼び出したのだろう?」
「そうじゃない。何者なんだと聞いてる」
彼の問いに、少女はニッと笑って答える。
「我は孤高なる吸血鬼。200年ぶりにこの地で目覚め。たった今、汝と血の契りを結んだところだ」
「契り?」
「そうだ」
「……とりあえず、そこどいてくれ」
ラグファの要求に、少女はすんなりと言うことを聞いた。立ち上がってすぐ、服についた土埃を払い、目の前にいる吸血鬼の少女と向かい合う。
彼女はたった今、ラグファの儀式により目覚めた。そこまではいいとして、問題はこれからどうするかだ。勢いで召喚したのはいいが、儀式の結果はラグファの想像していたものとはだいぶ違ったようだ。
「呼び出しといて悪いんだが、もう一度お眠りいただいてもよろしいか?」
「断る」
少々食い気味の反応。やれやれ、面倒なことになったもんだ。ただ、今の彼女から、最初に見た時のあの威圧的な視線は感じない。純粋にこちらを窺い、彼の決断を待っているかのようだ。
「それで、さっきの話だが。俺と契りを結んだって、あれはどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。我はお主に力を貸し、お主は我に力を貸す。その関係がたった今出来上がったというわけだ」
ラグファは後頭部を搔く。話の全貌が見えてこないのはもどかしいが、とりあえず敵意はないようなので一安心だ。
「なぜその必要が?」
「簡単な事。我とお主には共通の目的がある」
「共通の目的?」
「我とお主は、共に魔物を憎み、遺恨を持つ者同志。同盟を結ぶに当たってこれ以上の関係性はなかろう」
クスクスと無邪気に笑う少女。
「なぜ分かった?」
「お前の首をひと噛みした瞬間に流れ込んできた。お前の中にある思いの全て」
「俺の……」
「どうだ? 我がいれば、お前の望みなど容易く叶えて見せられる」
「ほう……だが、吸血鬼の契りと言うからには何らかの条件があるのだろう? あいにく、そっちに渡せるものなんて何も持ち合わせてなくてな」
「何を言う。そんなもの、さっき受け取ったばかりではないか」
「さっき?」
「血だ。我はお主の血をいただければそれでよい。お主の甘美な血が我に力を与える。そして我もまた、お主に力を与える。共に魔物共を根絶やしにしようではないか」
力……ほんのわずかながら、先ほど垣間見えた吸血鬼としての力量。瞬時に相手の懐に潜り込み強烈な一撃であっという間に制圧仕切る。凡庸な騎士がどれほど鍛錬を積んだとて、あれほどの技量は得られないだろう。
強大な力を誇る吸血鬼。その身をもって体感する、底知れない狂気と威圧感。気を抜けば、一瞬にして支配されてしまいそうだ。
絶対的な存在である彼女に、ラグファはいつしか魅了されていく。
「教えてくれないか? お前の名を……」
「我の名は……」
ラグファが尋ねると、吸血鬼の少女は再び笑みを見せ、その真名を口にする。
「クトシェラ。理を終焉へと導く者……」