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6.力の自覚

「軽くかき混ぜろ。底が固まってきたらひっくり返して、」

「あれ、こうか?」

「ヘラで寄せるんだ。巻くようなイメージで…」


青き手に依って、卵がオムレツへと形を成していく。監督は俺だ。料理は得意な方だった。料理の才は、仮にも王族出身で舌が肥えていたメリアに比べたら大した事ないが、それでも出来る側に居る筈だ。父が去って母と俺が残された事で、母と俺の結束力が高まり、その一環として家庭料理を教わった訳だ。


「ほー、オムレツってこう作るんだな!」

「卵料理は火加減が難しいが、失敗しても味は悪くならない。とにかく回数だ」


フルードは木皿に完成した物を降ろし、卓へと運び行く。卓上には既に完成された豆煮、汁物、そして市場で買ってきたパンが並んで有る。

席に着き、フルード達と顔を見合わせた。


「じゃ、食うか」


フォークを左手に持ち、煮豆を数粒掬って口に運ぶ。上出来だ。トマトと数種のスパイスを混ぜ込んだのだから、豆本来の甘味にトマトの甘さが加わり、またトマトのほのかに残存した酸味がその甘さを際立たせている。そして、加えたスパイスが口内に軽い刺激と華やかさをもたらして、口の中が幸せだ。


「クラウス、食べるのじょうず!」

「あぁ、ありがとう、フィルフィ」

「治るの早えな」


確かに左腕は治りかけてきたが、右腕の治癒は途上であり、未だに固定されたままでいる。感覚的には固定せずとも大した問題が無いと思えるが、急ぐ必要は無い。

ここでの生活にも慣れてきた。なんて、ルガリアに滞在していた時にも考えていた様な気がするが、これ以外に言い様が無い。


「どうだ?二週間ぐらい過ごしてみて、感想は?」

「悪くないさ」

「良いって言っとけよ」

「あぁ、ここは良い所だ」


あの夜、フルードに同情を寄せてからも、しばらくは魔族の善性と人間の悪性を認め切れないでいた。しかし、受け止めざるを得なかった。なにせ、懸命に生きる魔族の様子は、人間となんら変わりが無いのだから。彼らの苦労を否定する事は、近しい苦労を抱えていた人間も否定する事になる。そうして考えていくと、魔族への愛着は湧かないにしても、存在自体を否定する気持ちにはなれなかった。

怨みの念は簡単に薄れていって、今は目に黒いインクを垂らす事無く魔族を捉えられている。誰かを怨み続ける事は疲れるのだ、と認識出来る程になった。

今なら、リンデが魔族に対して抱いていた感情も理解し難く無い。まだ「人間と魔族が手を取り合える様な世界を」だなんて理想は抱けないが、悪くない考えであるのだと感じられる。


「なぁ」

「なんだ?」

「6月の頭に、チウリツ国まで行くんだろ?」

「あぁ」

「そっから、どうするんだ」


考えなど無い。ひとまずはリンデに会って話をするだけだ。しかし、言われてみれば、その後の予定などを考えていない事に気付く。会って、話をして、それから、何をすると言うのだ。ここに戻るかも分からない。


「なにも考えていなかった。まぁ、今に考える必要はないのかもしれない」

「いなくなっちゃうの〜?」

「どうかな。まだ一月も先のことだ。わからないさ」


不意にフルードの手が止まっているのを確認した。顔を見遣れば、スプーンに乗せられた豆に視線を落としている。


「まぁ」なんて気の抜けた声を発したかと思うと、スプーンを口に運び込んで、咀嚼しながらに手を口元に添えた。目線は変わらぬままでいる。


「戻ってくりゃいいんじゃんか」


それも悪くない。第一、ここの他に行く宛が無いのだから。チウリツ国は魔族の流入も無くは無いと知っているが、魔族になった俺が安心して身を置ける環境では無い。人間が多く住む場所には居られないのだ。魔族に変貌した自分を認めると、人間の世に戻れなくなった事が身に染みてしまう。仕方が無い。

魔族の善性を認めてからも、人間に戻りたい気持ちは依然として変わらない。なにせ、俺の心は人間として確立されていた訳だ。

しかし、その願いは叶わない。この現状は夢では無いのだから。だが、仮に夢であったとしても、悪夢では無い。

フルードは残りの料理を手早に平らげて席を立ち、卓上に置かれていた小銭入れを手にして戸へ向かう。


「お前の手料理も食ってみたいしさ。それに」


彼は戸を開きながらにこちらへ振り返り、俺の顔を見上げる。なぜだか伺うような目つきでいた。単に、身長の差が上目にさせていただけなのかもしれない。


「この生活だって、悪くはないんだろ?」


こちらの答えも聞かず、問い主は外へと足を踏み出した。扉が閉められて、家には俺とフィルフィだけになる。


「いってらっしゃーい」


ふと、卓上に置かれていたフルード作のオムレツが目に付いた。


「フィルフィ、兄さんが作ったオムレツだ。食べるか?」

「たべないの?」

「俺は腹がいっぱいになりそうだ。食えそうにないから、食べてもらえると助かる」


その言葉を聞いた幼子は、嬉々としてオムレツを乗せた皿を寄せて、いじらしい手つきで黄色い身を断つ。

俺も一口ばかりをフォークで切り分けて舌に乗せる。まぁ、期待を超えるでも無い味だ。決して、悪い意味では無い。むしろ、味も見た目も良い出来栄えだ。控えめに入れる様に指示した塩が、卵の甘さを引き立てている。完璧な調和に依って、このオムレツは出来ている。少し火加減が違っていれば、見事な形にはならなかった。少し塩加減が違っていれば、食べられない味にはならなかったとしても、舌に不満を覚えていたのだろう。

オムレツに夢中でいるフィルフィを見て、確かな愛着を覚える。この味に満足出来る程度には不満な暮らしを余儀なくされて居たのだと推測出来る。生まれながらに得た不満ではなく、失くした生活が由来する不満だ。その渇きは、俺も未だ心に残っている。


「食べ終わったら、外にでも出ようか」

ーーー

外に出た俺は、温かな光と、体の熱を心地良く取り去っていく柔らかな風に、心を和ませていた。いや、それだけでは無い。無邪気に跳ね回る純真さを横目にして、穏やかな心持ちであった。

そして、活気に溢れた人々の生活音が心を弾ませる。ここに集う魔族のほとんどは、心に傷を抱えながらも、懸命に生を全うしている。それが生の力強さを肯定する様に感じられて、俺も、明日を手招きして待てるのだ。

なんて、気の良い話だ。劣等と孤独と憎悪と、これらの念に頭を支配されていた時には、世の営みにすら猜疑して居たと言うのに。きっと、今は気分が良い。この気分が一過しない事を願う。


「どこに向かっているんだ?」

「こっち!」


駆けていく小さな背中を追いかけて進み続ければ、村の活気に溢れた人工的な暮らしとは打って変わって、穏やかで緑に溢れた原っぱに景色が変わる。

所々で花が咲き、その桃や黄などの艶やかな色味が目に心地良く主張する。村から反対を、つまり、俺達が向く先を少しを見遣れば、木々が作り出す暗闇が確認出来る。

村から少し外れたばかりにしてこの様な自然に包まれる事に驚かされる。


「ここねぇ、お花がいっぱいあるの」

「ああ、そうだな」


辺りを見回しても、人の気配はほとんど感じられない。せいぜい老婆が二人程度、森の側を歩いているだけだ。

フィルフィは四葉を探しているらしく、小さな体を屈めて草をかき分けている。

俺は何をしようか。子供の世話は慣れないもんで、隣で共に遊ぶべきなのか、傍で見守るに留めるべきなのか、分からない。

仕方が無いから、ひとまずその場に佇む。

言葉を呑み込み動きを止めると、沈黙が案外かしましい事を意識する。単に、魔族になって聴覚が発達した為に、音に神経質に成ったのだと考えられる。耳を撫でる風の音、風が揺らす木々のザワめき、遠くで甲虫が飛ぶ羽音、動物が駆け回る様にリズミカルな足音。

まて、その足音は看過できない。森の方面から聞こえてくるそれは音の主の体格を知らせている。きっと大きいと、直感している。数は二匹。


「フィルフィ、俺のそばを離れるな」

「なんでー?」

「いいから。早く戻ろう」


手を半ば強引に引いて、音の方面を横目ながらに村へと向かう。音は着実に近寄っている。

俺たちが駆け出してから間も無く、白毛を纏う大きな狼が姿を現した。瞬間に、悲鳴とも断末魔とも取れる老婆達の叫び声が耳に主張したが、すぐに止んだ。奴らはこちらを目掛けて寄り来る。

逃げ切れない。こうなるなら、フィルフィを抱えて走るべきだった。後の祭りだ。仮にちびっ子を抱えて走ったとしても、獣の足には適わない。

まぁ、思考なんて野暮だ。逃げ切れないのなら、奴らと向き合う他に仕方が無い。

その場で振り返り、近くにまで寄りつつある二匹を睨む。案の定、奴らは立ち止まった獲物には簡単に仕掛けられないらしく、一定の距離を保ちながらに辺りを徘徊し始めた。

一匹が俺達の後ろ側に回りこんで居る。


「ちっ、まるで…」


勇者狩りに襲撃される前に戦闘した獣達の戦い方と、今回の白獣らの戦い方が被る。奴らは目隠しなんかをさせられていて、人の手が加わっていると推察できる。

あの時の様に、左手側の狼に背を向けた瞬間に、その狼はこちらにまで接近してフィルフィに噛みかかろうとしていた。ダメだ。フルードからその子を奪うのは認め難い。

奴の口が大きく開かれて、鋭く尖った歯を明らかにしていた。先程の老婆たちの血であろうか、一部の歯が赤く照りついている。この憎たらしい口は、拳を顎に突き上げる事によって簡単に閉じるのであろうか。閉じないとしても、フィルフィを噛ませないで済むのかもしれない。

なんて、悠長な思考だ。ただ、その思考を行うだけの余裕が俺には有った。

奴の顎に全力のアッパーをかました。全力でかましたのだから、奴は高く宙へ舞い上がる。殴打した直後、奴の顎が爆ぜていた様に思う。

もう一匹に目をやると、怖気づいたのか、少し後ずさっている。俺が一歩前に出れば、奴は恐れをなしたのか、森の奥にまで駆けていった。あえて追いかける理由は無い。


「…これは」


今日までに忘れていたが、魔族は人間よりも筋力が優れている。魔族化した事に依って力を得るのは、必然であるのかもしれない。

得た力に対し、皮肉めいた物を感じてしまうのはおかしいのだろうか。人間である仲間達を守りたいと、そして魔族共に復讐をしたいと、そう願って力を欲していた俺は、魔族に変貌してから魔族を守るために己の力を知る。人間時代にこれだけの力が有れば、まだ、皆と旅を…なんて、叶わぬ願いに心を寄せるのは無駄か。


「こわかったねー」


なんて、フィルフィは呑気に俺へと語りかけて、その場にしゃがみこんだ。再び地面と睨めっこしている。

まぁ、この力も無駄にはならない。現に、儚くも尊い命を守れたのだから。あぁ、守る、か。シールダーは辞めたが、何かを守り続ける事はできるのかもしれない。


「戻ろう、フィルフィ」

「なんでー」


亡くなった老婆達の事を村の誰かに知らせる必要があるなんて、流石に言えないから口を噤んで歩いていた。

ーーー

「ほえー!白い狼か…見たこともないなぁ」

「まっしろ!」

「ま、無事でなによりだ」


今宵はフルード作のシチューだ。先日に近所の爺さんから貰ったトマトが悪くなりかけていたので、そのトマト達をたんまりと煮込んで作った。普段は味気無く食べているパンも、赤みがかったシチューと並べば、大層な代物に見えるのだから面白い。

一口、トマトの海に沈んだ人参と共にシチューを口に運ぶ。

酸い匂いとは裏腹に、煮込まれたトマトの甘味が強い。人参は人参として主張が強いが、互いの甘さが調和を保って口の中を過ぎる。

この暮らしは、本当に良い。誰かと共に生活を送ると言う事は「自分はここにいる」と、存在を主張しあう様で、それがまた、自分の命をこの世に繋ぎ止める。

だから、守りたい。


「ここでの暮らしは、本当に楽しい」

「だろ!」

「だから、きっと戻ってくる」


朝、彼自ら提案してきた言葉であると言うのに、面食らった表情を見せていた。すぐに表情を持ち直していたが、その口角が僅かに上がっているのを見逃さない。


「なら、料理当番、代わってくれよな」

「考えておく」



ここで二人を見守り続けたい。同じ痛みを持つ者として、簡単に愛着が出来てしまうのだから、自分の単純さに呆れもする。しかし、それでも良い。

この細やかな幸せに満ちた彼らの日常を守る事が、今の俺に出来る事だ。今の俺には、それだけの力が有る。この先、クレイ達の役には立てなくなったが、それでも、この同じ形をした隣人らを守り続ける事はできる。それは何と喜ばしい事か。

復讐だとか、憎悪だとか、そんな大きな感情を失くした今の俺には、小さな幸せを噛み締めるだけで十分なのだ。

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