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5.歩み寄る

一話あたりの文字数の相場は四千字らしいですね。それを踏まえると、私は一話に情報を詰めすぎだったと思います。

なので、これからは三千〜六千字を目安に書いていくつもりです。投稿頻度はどうなるか分かりません。

「ごめんなさい…ごめんなさい、クラウス」

知らぬ女が俺の頬を撫でる。女の瞳は潤み、時に涙が溢れ出しては頬に光沢を与える。

綺麗だ。影の様な黒い髪に、澄んだ空で輝く満月の様な瞳が俺の鼓動を高鳴らせる。なんだ、悲しいな、どうしてか俺も、涙が止まらない。

その顔に触れたくて伸ばした腕は余りに短小で、己の無力を悟る。悲しい気持ちは言葉にならなくて、嗚咽ばかりが喉から飛び出していく。

やがて視線が草程にまで下がり、女の泣き声と共に喚く流水の音を意識した。体は例え様が無い浮遊感に包まれて不快であるのに、抗えない程に己もまた無力で、それにまた不快感を覚える。

遂に女はその場に崩れ落ち、悲痛な思いを世に主張するかの様に声を上げて泣き出した。なぜ泣くのだ。

なんて、疑問を抱いた俺と泣く女の距離が離れていく。

おい、行くな、離れたくない。なぜだかそんな願いが心に満ちる。しかし、体は願うままに動かなくて、不満を募らせるばかりだ。

話をしたい、待ってくれ。俺はまた、己の弱きに泣くのか。動け、動け。待て、

「待て!!」


やっと、言葉が喉を抜けた。思うままに成った体を跳ね起こす。しかし、辺りは薄暗な部屋に変貌しており、嫌な現実を自覚させられた。


「な、なんだよ…!夢見悪いなお前。ようやく寝れそうだったのに…」


布と木棒で縛り付けられた腕を覗けば、やはり、人間ではない。それを証明させる物が月明かりばかりであるのだから、確証も無い。明室に晒せば確証を得られるのだが、今は無理だ。灯りなんて物はここに無いし、そもそも確かめたくもない。それに、手間を掛けずとも、現状なんて知れている。

人間を憎む魔族が傍の椅子に座っていて、その魔族の家で眠る俺。眠る前と変わらない状況だ。変わらず俺は魔族で、夢ではない。夢の方が良かった。

不快な夢から覚醒した訳で、眠気は無く、頭が覚醒してしまっている。


「おい、なんの用だ」

「用とかねぇよ。寝るとこが無いだけだ。お前が寝てるベッド、俺のなんだよ」


申し訳無く思って貰いたいのだろうか。だとしたら、俺とて不本意だと主張したい。こうする他に方法が無いのであって、頼み込んでなどいない。しかし、言葉にしたら、野蛮か。相手は魔族と言えども、寝床を借りている訳だ。食事だって恵まれている訳で、恩を感じざるを得ない。

ただ、視界に居られるのは居心地が悪い。


「だとしても、そばに居られると落ち着かん」

「仕方ねぇだろ?お前がまたキチガイなことをしたら困るし。いや…」


フルードは視線を落とし、少し言葉を詰まらせた。しかし直ぐに俺の顔を見つめ、不安を滲ませた声音を発する。俺を見つめる瞳は、どこか寂しげでいた。


「俺は、人間の悪さを確かめたい」


その言葉を耳にして確かな憤りを覚えたが、怒るだけの体力が無くて、静かに言葉を待つ。


「お前、本当に人間だったんだよな?正直、人間が魔族になるなんて考えらんないけど、嘘じゃないと思うし」

「あぁ」

「だから、俺の話を聞け」


その要求にも不満を覚えるが、言葉を呑み込む。なにせ、その話を踏まえてなお、人間の善性を信じたかったのだから。魔族視点の話を聞いたとて、人間が被害者であり魔族が加害者である、その認識が揺るぎない物であると確認したかった。


「俺も妹も、ここに来る前は普通に暮らしてた。もちろん、父さんも母さんもいた。生きてた」

「俺たちは争いとは無縁だったぜ?正直、人間なんてどうでもよかったし、ただ平和に過ごしてただけだ」


幼き俺の日々と重なる。あぁ、あの頃俺も、魔族への恨みだとか、争いなんて、気にも留めていなかった。クレイやアルルと遊び呆ける何でもない日々が、何よりも大切であった。


「そしたら…人間の盗賊たちが、俺たちの町に襲撃してきたんだ」

「あいつらは強かった…!物々しく武装してやがってさ、それも、すごい人数で。小さな町だったから、すぐに、みんな……」


フルードは再び言葉を詰まらせた。悩んでいるのではないと理解している。言葉にすら出来ない情景だったのだと思う。

瞬間の沈黙の中で、大きく息を吸った。心を落ち着かせたかった。フルードの話は、俺の悲しみを思い起こさせるのだ。怒りや憎しみなどの矛先が在る感情ではなくて、亡くした者に対するやり場の無い物だ。そんな感情は、奪っていった対象への憎悪に変換するのが手っ取り早いと知っている。

しかし、フルードの場合、その対象は人間になるのだから、どうだ。俺は、素直に認め難い。


「とにかく逃げた、死にたくなかった…そうやって逃げて、父さんと母さんが死んだって知った後で、俺は…どうすればいいのかわからなかった」


その手が固く握られているのが見て取れる。知っている、己の無力に対する怒りだ。そして、遣る瀬無い寂しさに呪われる苦悩。

同じだ。


「おい、人間はどうして、俺たちを襲ったんだ?どうして殺した??」

「それは…」

「怨みなのか?それならまだ良いさ。あいつら、笑ってやがったぞ!俺たちをこんな目に合わせて、喜んでやがった」


胸倉を掴まれ、簡単に体を浮かせられた。抵抗する気も起きなくて、なすがまま、悲哀に満ちた瞳から目を逸らすことしか出来なかった。


「お前に言わせりゃ、俺たちが悪いんだよな!どうなんだよ!」

「いや…」

「俺たち魔族が人間を襲うから、こうなったって言うんだろ!?」


違うのは、明確だ。訳も無く奪われたフルードの痛みは本当だ。しかし、そんな明確な事実を認められない俺の気持ちもまた、違わない。

己の信仰への猜疑心と、積み重ねてきた魔族への嫌悪感が主張し合っている。静かな夜であった筈なのに、フルードの言葉と俺の煩悶する心とが喧しく静寂を壊している。


「…いや、お前たちは、悪くない」


ひとまず、場を治めるための言葉が喉を過ぎていた。中身の無い言葉であった筈なのに、吐き出しただけで心が簡単に軽くなる。

人間の悪事を認め難い?認めざるを得ないんだ。フルードが人間を憎むのと同様に俺が魔族を憎んでいて、そのどちらにも間違いなど無い。


「お前は、どうしたいんだ」


人間が悪いと確認出来たとして、その先に何を望むと言うのだ。


「謝れ…!お前が村長に頭を下げさせたみたいに、お前も!」


その要求を聞いて、自身の愚かさを知る。俺の父を殺したのは一人の下賤な魔族なのであって、人間を襲撃していたのは一部の魔族なのであって、全ての魔族に罪がある訳ではない。逆も然りだ。フルードの故郷を襲撃したのは一部の下賤な人間なのであって、俺に罪がある訳ではない。それだと言うのに、俺たちは、対象を勝手に広げて憎悪の輪を広げている。

あぁ、この輪には、不満と新たな憎しみしか生まれないのか。


「わるかった。人間が、そんなことをして…」


俺の言葉を耳にしたフルードは、俺を緩慢に降ろしてその手を離した。代わりに、手隙になった手で目元を覆う。


「なんだよ…ちっとも嬉しくねぇ…」


震える声が俺を後ろめたい思いにさせた。

下賤だったな、俺は。無関係の魔族に謝らせたとて、何も救われないと言うのに、無為に愉悦を感じていた。俺は被害者の救済などどうでもよくて、本当は俺自身を救うために憎しみを抱えていたのだ。

そんな俺とは反対に、フルードは亡き仲間たちへの純粋な愛によって人間を憎み、泣いている。幼く見えるお前は俺よりずっと立派で、俺は未熟だ。

しかし、俺は今その憎しみの果てを理解し、そして、その憎しみがどこから由来する思いであるのかも知っている。

目の前で泣きじゃくる子供に体を寄せる。


「さびしいんだな」


そんな俺の言葉に肯定も否定もせず、フルードはただ声を押し殺し、涙を隠している。都合が良くて、年長者の話、俗に言う有難い話をすることにした。俺が言えるような立場に居ないことを理解している。ただ、目の前の子供が俺と重なってしまって、居ても立ってもいられなかったんだ。


「俺たちは何も違わないんだ。勝手に奪われて、行き場のない苦しみを誰かにぶつけている。お前も俺も、悪くなんてないのに、だ」

「人間も悪い、魔族も悪い。でも、俺たちは互いに正しかったさ。視点が変われば善悪なんて簡単に揺らぐ、分ける必要なんてないんだ」


口にすると、新たな価値観の尊さを再確認できる。そうだ、人間であれ魔族であれ、悲しいは悲しいし、淋しいは淋しい。悪い行いは悪いし、被害者は被害者だ。俺もフルードも、その他の無為に奪われた者たちも、変わらない。

ありがとう、お前のお陰で俺は、ようやくこの呪縛から解放された。憎み続けるのは、やはり、疲れるんだな。


「どうか、憎むのはやめろ。俺はお前のように憎み続けてきた。でも、誰も幸せになんてならなかった。何も生まれなかった…前になんて進めない」

「その憎しみはいつかお前の悲しみを食って、想い出を忘れさせてしまうぞ」


フルードが、かつての失った孤独と幸福な日々を鮮明に思い出させてくれた。恥ずかしい話だが、俺は過去を、魔族への憎しみに焚べる燃料としてきたんだ。

淋しいな、淋しいことだ。そう思える。亡き父を思い出したためではない。父の不幸を、人々の不幸を、自分勝手に消費してきた事実が情けなくなったからだ。

そんな自分が悔しくて、気付けば涙が零れ落ちる。


「俺は、ダメだった…」

「いつからか俺は父さんを、魔族を憎む理由にしてしまった…!」

「もう、俺は…父さんに顔向けできない……」


段々と悲しみの波が強まってきて、言葉にならない音が喉を鳴らす。しかし、抑えようだなんて思えなかった。俺に泣くことはフルードを慰めることに、フルードに泣くことは俺を慰めることになる、そんな気がしていた。きっと、互いの涙が言葉になっていたと思う。『俺はここにいる、お前は?』なんて、そう語り合っていたように感じている。だって、埋めようの無い孤独感を抱えていた俺たちではあるが、この場所は暖かいのだから。同じ悲しみを抱える存在が傍にいると言うだけで、寂しさもマシになるのではなかろうか。



『憎しみは何も生まない』なんて、誰かが言っていた。それを抱えたことのない愚者の戯れ言であると考えてしまうが、完全に否定することは出来なくなった。

なぜなら、憎み合っていた俺と目の前の子供には、悲しみだけが残ってしまったのだから。遣る瀬無いんだ、結局は。『目には目を、歯には歯を』そうしていたって、いつかは滅ぶ。誰かが不満を呑み込んで、前を向かなければならない。

晴らすことの出来ない気持ちは、呑み込む他にないんだ。

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