8.過去は甘く未来は辛く
「なぜ魔族がこの魔法を!?」
特殊な魔法であると自覚している。しかし、今はその特異性を考察する暇などは無く、新たなる手段を以て全力で相手を無力化するだけだ。
意識の集中を切らして、目の前に浮かび上がっていた魔力性の大盾の形が不明瞭に成っていく。
「俺にも分からないが…」
呆気に取られていた相手の前に踏み込む。
当然、反射的に刃を向けられるが想定済みだ。今度は意識的に盾を出力し、奴の斬撃を弾いて無防備になった衣服を掴んだ。
「守りたい!!」
そんな理想を認識出来たのだから、この盾は俺の魔法として明確に成った。俺の意のままに操れる。
奴は俺が掴んでいた衣服を切り裂き、後ろに宙返りして俺と距離を取った。
迅速且つ確実な対応だ。仮に手を狙われた場合、俺は奴の攻撃を盾で再び防ぎ、遥か遠くにまで投げ飛ばすつもりであった。そのリスクを避け、避難する事に徹したのだから侮れない。
「しかし、魔族は理想郷へ至れません。死して待つのは神の怒り…」
「ですから!私達があなた方への救済を懇願し殺すのです!あなたの抵抗は、魔族の苦しみを助長しているに過ぎません」
訳の分からない事をベラベラと。気が狂う。
「黙れ」
魔力の矢を奴の喉元に目掛けて放つ。これは当たらないと確信している。なにせ、奴の足に目掛けて放った矢を本命としており、上に放った矢は意識を向けさせるだけのブラフなのだから。
狙い通り、奴が首元に放たれた矢を避けると同時に本命の矢が右足に突き刺さる。
「あらら」
「殺しはしない」
「お優しい、あなたはきっと」
盾で奴の右手を、つまり剣を持つ手を挟み込み、再び衣服を掴み上げる。
「人間に転生できましょう」
小石を投げる様に己の腕を回し、太陽を目印にして投げ飛ばした。
「エリスのご加護があらんこ…」
「隊長!!」
ボスが離脱してなおも進行する人間らを確認する。信仰心が奴らを突き動かすのか、分からない。しかし、信仰心も復讐心も、尊き者達を奪って然るべき理由にはならない。
進行する人間らの前に無数の盾を出力し、反対方向へと一辺に押し流していく。
盾々をそのままにして進行を食い止めつつ、広場で魔族を追いかけ回す複数の人間を確認した。
「イヤ…!!」
「汝に救済を与えん」
地面にへたり込んだ女に今にも槍を突き出そうとしていた人間を盾で押し飛ばす。
倒れ込んだ人間に盾を被せ拘束し、無力化した。盾を遠方にまで意のままに出力できるのだから、魔法は使い勝手が良い。
「助けてくれっ!」
「うわぁぁぁ!!!」
「ママぁ…!」
なんて、魔法の使い勝手に感心している暇も無い。今にも命の灯火が潰えようとしている者、逃げ惑う者、呆然と嘆く者、そして、皆を追い詰める人間共。キリが無い。
しかし、今は魔法が己の手に有る。それも、持ち上げるだけで余裕が無くなる物的な大盾ではなく、複数を同時に扱える魔力の盾だ。
残りの人間全員を盾で押し飛ばし、先程と同様にして無力化した。その人間達を二つの盾で挟み、俺の障壁に依って停滞している人間の群れに投げ込む。
「お前達の隊長は無力化した!退け!」
「救済を!!」
「聖皇の名の元に!」
「在るべき世界へ!」
盲信的だ。救済、天啓、理想、それらの念がこの村の魔族達を殺したと言うのか?正当な理由であると言うのか?ならば、それは、
「…貴様ら」
恨めしい。
空に無数の剣が浮かび上がった。全て、俺の魔法であるらしい。
「退かないのなら、殺す」
喧しく響きわたっていた声が瞬間に止み、盾を押し返そうとしていた足達が仰々しくも後ろへと下がっていく。熊に遭遇した者が、息を留めながらに後ずさる様に。
遂には人の波が逆流し、転倒や叫喚など混乱した様子を見せながらに村を脱していく。
しばらくして忙しない足音や人々の興奮を孕んだ叫び声が去り、悲鳴と、嘆きと、怒りと、発狂と、悪念ばかりが村に残った。
この様な光景は、クレイ達と旅をしていた頃に幾度と無く目にしていた。被害者が人間から魔族に代わっただけであり、ここに漂う悲しみはあの頃と同じだ。
「うっ…!」
あぁ、吐きそうだ。
どうやら、魔力を使い過ぎたらしい。無理をした魔法使いに訪れる症状だと知っている。アルルもメリアも、二日酔いの感覚に近いと言っていた。
しかし、この吐き気と不快感と"失望感"が単に魔力不足に依る物では無いと知っている。人間だった頃にも、つまり魔法を使えなかった頃にもこの感覚を経験しているのだ。
「どうしてぇ…どうしてぇ…!!」
母と見受けられる女が、血に塗れた青き小さな体を抱き抱えている。
「おい…!!起きてくれよ…」
青年が臓物を散らした死体を揺さぶっている。
「ぅ…ぁぁ…」
老婆が生きた痕跡をこの世に示す様にして血の道を描きながら、力無く地面を這っていく。
どこを見ても、死体、死体、死体。泣き喚く者、傍観する者、吐瀉物を撒き散らす者。
地獄だ。そう思うのに、なぜだかこの現実が悪夢である事を期待している。なにせ、人間がこの地獄を巻き起こしたのだから。人間の悪性をこの目に認め難い。
奪われる悲劇は人間だけの苦難であると、フルードに絆されてなお、どこか希望していたのかもしれない。しかし、現実はこれだ。
いつだって、理想は取り返しがつかない状況になって初めて自覚させられる。
【守りたい】
しかし、現実はこれだ。
【守りたかった】
これは、悔恨だ。
【人間を信じたい】
いや、いや、信じたかった者共が、ここを地獄に変えた。
なぜ、俺は魔族を悪と盲信していたんだ?つい最近までの俺の愚考が恨めしい。想像力が足れば、人間に対する今程の失望が無かったはずなのに。
「なぁアンタ…」
後方から来た男の震える声を耳にして振り返る。
そこには、涙で顔を濡らし、悲しみに顔を歪ませる中年の男が立っていた。彼は俺の胸倉を掴み、怨みを宿した瞳で俺を見上げる。
「どうして人間を殺してくれなかったんだ…?」
言葉が喉に詰まる。
「俺のカミさん、殺されちまったよ…なのになんで、殺してくれなかったんだ…?」
「…それは」
人間への期待が捨て切れていなかった、から。しかし、それが甘えであったとは認め難い。なにせ、彼が体を震わせているのと同じ様に、人間が魔族に一方的に奪われた現実を何度も見ているのだから。
返せる言葉が無くて、胸に油がじっとりと纏わり付いている様な、そんな不快感を意識した。
「おい…!なんでなんだ…!?人間の肩を持つ気か…!?なぁ…!答えろ!答えろよ!」
肩を持ちたかったさ。フルードと出会って得たのは人間への恨みではなく、魔族が抱える俺と同じ苦しみへの認識だった。この村で得たのは、魔族が持つ善性と尊さへの認識だった。決して、人間への期待と希望を失った訳ではなかった。ここに来てもなお、人間が抱く苦しみを優位に思っていたと認める。
しかし、その苦しみが生み出す物は新たな苦しみであると、フルードが教えてくれた。
「どうなんだよっ…!」
「殺して何になるっ!!」
意図していなかった大声が喉を飛び出す。しかし、発言に誤りは無い。復讐は新たな憎しみを生み出すだけなのだ。この惨状が、それを物語っている
「…俺は、どちらの味方でもいたくない」
居ても立っても居られなくなって、広場から駆け出した。
そうだ、フルードは、フィルフィは、無事なのか?
【守りたい】
そんな理想は二人に依って生じた物だ。
なぜだか、幼き日の俺が脳裏を過る。
《おとうさん…!おとうさん…!!》
あの時も現実を受け入れられず、亡骸を揺さぶっていた。無意味にも懸命に声を掛けて、絶望的で在りながらも願いを口にしていた。
《死なないで…!》
死なないで。
本当にそれだけが願いだ。
まだ、教えたい料理が残っているんだ。幼い頃に、仲間達によく振る舞っていたパンプキンパイ。甘さが足りないが、ほのかなカボチャの甘さが良いんだ。絶対、気に入る。
それに、興味を持ってくれていた俺の冒険話、まだ三回しか話せていない。待ち遠しいだろう?だから、俺を待っていてくれ。
奪われるのは、もう沢山だ。
ようやく、とは言ったものの感覚的な話で、案外すぐだったのかもしれない。とにかく、家に辿り着いた俺は、戸を開ける事をためらった。確認しなければ真偽は不明確なままで在り続け、真実を知る苦しみを味わう事無く居られるのだから。現実に嘲笑われるのは十分であった。
しかし、俺は戸を開けた。一縷の希望が手を支配していた。その時、いつだろうと理想は遅れて頭を訪ねて来る事を思い出した。絶望している時、明るい未来よりも暗い未来を空想してしまうのだから苦しい。そして、空想に終わるのであれば、それは幸せだ。
「フルード…?」
俺は、長い夢を見ていた様に思う。眠りながらに見る夢ではなく、漠然とした期待と言う意味の夢だ。あぁ、どちらも非現実的願望に過ぎないと言う点で一致している。
クレイ達との方向性の違いに依って己が抱く醜き憎悪を再認識し、フルードと出会った事でその憎悪の終着点を悟った。
悟った時点で道は決まっていた。
『人間と魔族が手を取り合う世界に』
リンデの理想。そして、俺の理想に代わった。
【憎悪無き世界に】
いや、理想ではない。目的だ。
思えば、この目的に目を背けていた。クレイ達もリンデも、俺が目指すべき所を示していたと言うのに、俺は人間への期待を捨てきれず、細やかな幸せに留まっていた。そんな自分の甘さを、失ってからようやく気付くだなんて、愚かな奴だ。そして、薄情だ。人間と魔族の苦しみを知りながらも、己の幸福を優先してしまっていたのだから。
【守れ】
あぁ、分かってる。そもそも、あの現実を前にして、居ても立っても居られない。苦しい時、人は向かう先を求める。その方が楽だ。
だから、これを俺の使命にする。
【憎しみの輪を断つ】
なんて目標は、フルードとフィルフィの安否を確認していた時には考えられなかった。
現実を鮮明に描写する視界と、その情報を拒絶する思考に酔って目眩がして、絶望感が溶け込んだ胃液を吐き出す事しかできなかったんだ。
朝にコーンスープを飲んだせいか吐き出した胃液は薄く黄味がかっていて、不意にパンプキンパイの餡が思い浮かんだ。ちょうど、コーンの甘さが連想を手助けしていた様に思う。終いには、酸い臭いと辛味ばかりが残った。
なにより、淡く甘い思い出と惨状が無理に重なった事が、とにかく不快でしょうがなかった。




