既知と未知の狭間
【注釈として】
時系列の流れとして「Ep.2 → 3 → 1 → 4 → 5」になります。
冒頭のEp.2~3はエピローグ感覚です。
●聖央ワイネン国/城下町/路地裏(深夜)
――時は冒頭に返る。
薄暗い道端に屈強な男が3人。
そのうちの1人は尻餅をつき、顔をこわばらせている。
中央には、床から山なりに膨らんだ漆黒の外套。
それに敷かれたジェラル。
因縁から口論、暴力へと経過した状況。
すでに酔った男達にとって、過程など忘却の彼方。
今は、罵詈雑言を吐きながら目の前の芋虫を蹴り飛ばすことに夢中だった。
「……もう終わりか?」
外套の端から、棒状の肉塊が伸びた。
確かこれは腕、だったか――とジェラルは悟る。
まだ骨のような芯はある。
しかしそれに纏わりつくは、溶けきった筋繊維。
深紅の血のりと混ざり、いつもの肌色の腕がそこにはなかった。
感覚としては前腕を動かしたつもりだが、気だるい重たさに違和感を覚える。
とろり、ぺちゃり、と。
皮膚や肉だったモノが、結露した水滴のように伝い、落ちていく。
その溶けた腕が尻餅ついた男の左足、その足首を掴む。
「うぇ!? なんだコイツ!?」
と、素っ頓狂な野太い声。
同時に尻餅の男、重たい尻を持ち上げようとする。
が、掴まれた片足が万力で絞められたように動かない。
あまりの男の反応に、周囲の2人もいたぶる手足が止まる。
「ッ、コ、コイツ! は、はは、なせっ!!」
背筋に悪寒と恐怖がはしる、尻餅の男。
それもそのはず。
掴まれた感触は、手のひらで握られたそれ。
だが視界に入るは、黒と赤の醜悪なそれ。
まるで少し生暖かい、炙ったチーズ。
身がこんがりと焼けるも、一部、溶けすぎて雪崩を起こしている。
ぽこり、と。
二の腕あたりから、小さな気泡が破裂する。
嗅覚を刺激するは、さらなる異臭。
外套ごしに漏れていた鼻をつく臭いが、さらに強烈になる。
おそらく、それは腐臭だった。
腕の肉質が変化し、溶けていく過程の臭い。
「……っ………はは…………」
と、外套からの声がどうしても抑えられなかった。
見知らぬ人間から侮蔑されることに。
地位や身分を取っ払った、垣根がない仕打ちに。
今まで生きてきた中で、これ以上ない体罰に。
――弱者とは、本当に生きづらいものだ。
「…………だが…………」
――これがいい。これでワタシは国王でなくなるのだ。
身体中にはしる激痛は、決意の証とも捉えてもいい。
治世での怠惰を恐れ、強者の高見に飽き飽きしたジェラルの決断。
望みが叶えられようとしているのに、心が躍らない理由はないのだ。
「……足りない……」
――ああ、もう体裁など知ったことか。
この男達、呼ばれるかもしれない衛兵、このまま城下町を無事に脱出できるか、この先の顛末まで。
――ワタシはもう人間のことわりから外れる。人間ではなくなるのだ。
頭の端にあった思考が、圧縮されてどこかに消える。
「……なぁ……」
と、表情を引きつらせる男達に問う。
「……もう少し弱者をいたぶる様をワタシに見せてくれよ……」
今は存分に。
弱者としての、新しい生き様を。
身体に刻み付けるとしよう。