抜け落ちていくもの
●聖央ワイネン国/城下町(深夜)
――こういう状況は、なんと例えるのだったかな。
ジェラルは路地の向こうから聞こえてくる野太い声に辟易する。
人の気配、数は3つほど。
視界も思考も熱にうなされる始末だが、なんとか目を細めて状況を理解する。
こちらに歩いてくる3人組の男達。
身長もジェラルを超え、体格も一回り大きい。
月明りが手伝って、男達を照らす。
こちらに伸びきった影の手元には酒瓶らしきものが握られている。
「……っ……泣きっ面に蜂か……」
そうそう悪い場面に転がるとは思えないが、この状況はあまり良くはない。
なぜなら、ジェラルは国王であり、身分を捨て、国を去る者だからだ。
まだ自分は人間の姿で面通しでもされたら、すぐにばれてしまう。
ジェラルなど気にせず、腹を抱えて笑う男達。
呂律の回らない声が閑散とした城下の住宅に響く。
このままお互いに進めば、生憎と、すれ違う形になってしまう。
それだけ男達は道を牛耳り、幅をきかせていたのだ。
左側は民家の壁、10歩も歩けば横道に入れる。
が、生憎と今のジェラルにそんな機敏さはない。
1歩を踏み出すだけでも苦悩しているのだから。
「…………ぐっ……」
――仕方ない、やり過ごせるか?
品のない笑いで、こちらに歩いてくる男達。
あちらもジェラルを認識しているはずだが、恰幅も態度もデカい男達に何がいえよう。
しかし、悪いことに悪いことが重なるようで。
ジェラルは、右足を膝から折って体勢を崩してしまった。
無論、足元から崩れて、鈍重な身体を支えられる道理はない。
「――んぁ? なんだお前、どこ見てんだ?」
ジェラルの右肩が、端の男の肩に接触した。
「――ぐっ!?」
と、焼けるような激痛。
皮膚が突っ張って剥け落ちたような、全面に走るそれ。
言葉にならなくて、肩に手を当てうずくまるジェラル。
「おいてめぇ、ぶつかったせいで大事な酒がこぼれたじゃねぇか!」
どうしてくれんだ、と外套の襟元を掴みかかる男。
「――っ……あ……」
と、顔を見られたくない本心からか。
もしくは、激痛にむせび泣いているからか。
今後は喉をかきむしる痛みに、首を曲げる。
ジェラルは、できる限り男の視界にフードを入れる。
謝罪を言葉にしたくとも、声が出ない。
「つか、うぇ! コイツ、ドブみたいな臭いがするぜ!?」
と、別の男が鼻をつまみながらいう。
「おい行こうぜ? 浮浪者なんか放っておいてよ?」
「いいや、許せねぇな。コイツからぶつかってきたんだぜ!?」
気が収まらねぇとばかりに、乱暴な男がジェラルを突き飛ばした。
べちゃり、と。
外套の足元に、溶けた肉塊が落ちる。
とろみがついたそれは、重力に負け床に伸びきっていく。。
尻から地面に転がり、身体の至るところから激痛がはしるジェラル。
刹那、脳天が焼かれ、視界が純白に支配された。
――おそらく、その衝撃で”何か”が抜け落ちたのだろう。
”何か”とは一体なんだろうか。
王子として生を得て、その生を民衆のために貢献した高貴さか?
いつしか魔法学を極め、希代の賢王とまで呼ばれた名誉か?
治世に励み、他国との貿易で財を成した城の地下に眠る富か?
――いや、違う。
――そう、おそらく、きっと……この時は……
――”人間だったジェラル”の心が抜け落ちた瞬間だった。