国王としての最後の失敗
●聖央ワイネン国/城下町(深夜)
冒頭からさかのぼること、数時間前。
半月がのぞく、とある夜更けに決行された。
煤けた灰色の石造りで囲われた城下町。
昼間には商人や住民で賑わう大通りから、少しそれた歩道に1人。
たぶん男だろう、漆黒の外套をまとった高身長の人間が千鳥足で歩いていた。
住宅の明かりで彼――ジェラル・ズマ・ワイネンの横顔が照らされる。
国民や隣国にも知れ渡る、高尚な顔立ちはそこにはない。
普段、凛々しいそれは生気を失い、目は虚ろにさまよっている。
めぶかに被る外套のフードから漏れる吐息は、荒く、間隔も狭かった。
「………くっ………」
もはや身体は自分のものではないような、鈍重でいうことを聞かない。
「……っ……あ……」
朦朧とした意識の中、気づけば壁に寄り掛かっていた。
だが、ひんやりとした壁もすぐに消え失せ、肩口に広がる自ら熱で我に返る。
――熱い。
「……あの悪魔め……確かに呪いとは、よく……いったものだ……」
ジェラルは城を抜け出す際、訳あって禁術”悪魔召喚”を行った。
異界から上位種悪魔と契約をして魔法詠唱者の願いを叶えるというもの。
そして、ジェラルは1つの願いを悪魔に進言した。
願いは、自らの存在――人間という種族を捨て、魔物に身をやつすこと。
人間ではなく、弱者として魔物として生きることを望んだのだ。
対価は、悪魔がジェラルの――
「……っ……がっ……」
――まぁ、いい。今はそれよりこの姿が変わる痛みに耐えないと意識が保てない。
とどのつまり。
現在、聖央ワイネン国の国王という立場のジェラルは、その地位を放棄した。
禁術での悪魔契約で雲隠れを隠ぺい工作し、臣下達や国民を騙しそうとしているのだ。
今夜より、国王ジェラルは悪魔との契約により魔物になる。
――はは。
念願の身体、待望の身分。
今日の今日まで、賢王と呼ばれた20半ばのジェラルにとって、この上ない喜びだ。
――これで弱者に……国王ではない、自分になれる。
×××× ×××× ×××× ×××× ××××
ジェラル・ズマ・ワイネン。
聖央ワイネン国の第14代国王。
彼の人生は生まれてからずっと、人形劇を演じているようなものだった。
王位継承者として、才を磨き。
国民のために治世に心身を捧げ。
彼の元には、得るモノが集まり。
得たいモノを勝ち取り続けた。
隣の芝生は青く見えず、むしろ枯れた草木に見えた。
それはまるで絵本の主人公に出てくる、とても優秀な王子。
民から慕われ、国を統治している、群れの長を演じる人間。
ジェラル自身、それが正しいのだと信じてきた。
しかし、いつからだろうか。
ジェラルの心に魔が差す闇もあった。
『己の才能や役割を、他人のために使った人生が何になる?』
と、囁くはジェラルの闇。
『それが己のためか? 心の底から渇望し、自ら欲したのか?』
『自らが欲するのは、用意された安寧か? それとも――』
その闇は年を重ねるごと次第に大きくなっていった。
その後、王位を継承し正式に国王となったジェラルだったが、闇は消えることはなかった。
心の闇が反転したきっかけは、些細なこと。
ジェラルは国王に怠惰を感じ、光り輝く新しい道のりを望み始めた。
『それとも――王位を脱ぎ捨てた、刺激ある毎日か?』
権力などいらない。
賢王という肩書もいらない。
富には全く興味ない。
あるのは、欲しいのは。
強者には味わえない、刺激。
――そう、弱者としての毎日が。
闇の声は、いつしか希望に代わり早3年。
ジェラルは自身の急死を偽装するため、”悪魔召喚”という禁忌に魅了されていった。
冷めきった人形に、意思という熱がこもるのを感じたことは未だに覚えている。
実際問題、少々計画性にも強引なところは否めない。
が、途中、あふれ出る禁忌の魔法知識がそれを忘れさせた。
×××× ×××× ×××× ×××× ××××
「……しっかし……まぁ……」
なぜだか、まだ人間の姿形を維持しているが、悪魔契約で身体の異常が半端ない。
歩くこともやっとのジェラル。
数歩、また数歩と足を引きづって、ゆっくりと歩道を進んでいく。
目指すはこのまま直進した城下町の入口、北の検問所。
だが、この調子なら1時間はかかりそうだ。
すでに計画の時間から、だいぶ時間が押している。
「……はぁ……ミスったな……これは……」
こんなことなら城下町を出てから悪魔を呼べばよかった。
など、ぼやきつつ視界が霞む月夜を見上げるジェラルだった。