神の声と──錬聖と
慈悲もないヘルハウンドの猛攻。統率された狩りの動き。今までは辛うじて目で終えていた俊敏な動きですら、今は追うことすら出来ずにいた。
ヤクモの数メートル先では、群れのリーダーが強者の余裕を見せつけている。
その顔は笑っているようにも見えた。哀れな人間だと、仲間にも騙され、奮起も憤怒も全てが無駄で無意味だと。お前はここで死ぬんだと。抵抗虚しく、誰にも気が付かれることなく消え失せるんだと。
──否。
ヤクモはヘルハウンドに縋っていた。縋り付いていた。憎しみを怒りを、目の前で赤い瞳孔を向ける魔獣に向けなければ、たちまち意識はヤクモの意思に反し去ってゆく。
「絶対に……殺してやる」
口は乾き、喉にへばりついた血が声を掠れさせる。発声を上手く出来たのかも分からない、憎しみの宿った言葉は眼前で唸る地獄の狂乱に掻き消された。
額の裂傷から流れる血が、ヤクモの左目を赤に染め痛みと共に視界を歪ませる刹那──
「ガルルガァァァァ」
一体が真正面から喉仏を狙い飛びかかる。噛み切られれば致命傷。ヤクモは握った刀で応戦を試みるが、視界の外から腕を噛まれ自由を奪われる。
順応していたのはヤクモではなく魔獣だった。彼等は武器が何かを理解し行動したのだ。恐るべき学習能力。四肢は四体のヘルハウンドに噛まれ、手も出ない。足も出せない。
なら──
「頭ッッ……ダァァア!!」
「ギャヴッ!?」
連なる牙が眼前に迫る瞬間、自由の効く首を思い切り振り下ろした。今繰り出せる最善の一撃。最強の一打。メシャリと何かが潰れる音が鼓膜に届くと同時に、脳を揺する強い衝撃が襲う。
鼻頭を砕かれ、痛みに気を失うヘルハウンドを見下ろしたヤクモは生を痛感していた。生きる事、生き抜く事。これがどれだけ困難であるのか。同時に生き抜いた時の高揚が、全身を身震いさせる。
──生き抜く為には代償を恐れてはならない。
ヤクモはたった今、自分が全力では無かった事に気がついた。強引に振り払い、肉が削げたら。神経が切れて、戦えなくなったら。大量出血で意識を失ったら。
死を恐れ。最悪を恐れていた。生き抜く為の全力ではなく、生き抜いた後の事を考えていた。
「違ぇ……よなぁ……」
──今出来ることを後に成すことは絶対に出来ない。
だからこそ今を全力で。
「ヴルァァァァァァァァア!!」
肉を削がれてもいい。神経を断ち切られても、刀は布で結んでいる。ならば、やる事は一つしかない──
「……ッググ!?」
腕を強引に振り上げ、ヘルハウンドを背中から地面に叩き付けた。赤い花びらを散らしながら跳ね返る魔獣の首をそのまま断ち切る。と、同時に左足に噛み付いた奴の前足を両断。そして、左腕に噛み付いたヘルハウンドを持ち上げ、腹をかっさばいた。
臓物がボタボタと地を叩き、拍動似合わせて血が噴き出す。四肢の動きを封じていた四体の討伐を終えるのに、二十秒とかかっていない。
「残りはお前だけだ」
──ここからだ。
ヤクモは足を引き摺りながら、間合いを詰める。今までの戦闘を見てる奴には、下手な小細工は通用しないだろう。
「グルルルル」
生暖かい息吹が、血糊で固まりかけてる髪を後ろへ撫で付ける。剥き出した牙は腕ぐらいはありそうだ。噛み付かれれば一発で腕をもがれるだろうし、その爪で一撫でされれば首は折れるだろう。
つまり、奴の一撃を貰えば必殺。何としても防がなくてはならない。
「……ふぅ」
「グァルァ!!」
ヘルハウンドの爪撃は、ヤクモの脳天を目掛け振り下ろされる。
ヤクモは語気を荒らげた。
「爪なんか切ってやらぁ!!」
負けじと斜に構えた刀を振り上げ、爪と交わる刹那、ヤクモの体を重く激しい衝撃が襲う。かち合った爪と刀を見て、驚愕せざるを得なかった。
今までのヘルハウンドなら、骨すら両断出来るほどの斬れ味を誇っていた劣化無効が付与されていた刀。なのに──
「爪ですら断ち切れない……だとッ……!?」
眉間に皺を寄せ歯を食いしばり、爪先に力を込め負けじと刀に力を伝える。
──だが。伸し掛る重圧は、他のヘルハウンドの比ではない。徐々に、上げた腕は力で押され始めた。
「ッらァ!!」
ヤクモは相手の体制を崩す考えをやめ、力を受け流す。そのまま刀を振り下ろす手間で、ヘルハウンドは跳躍。その体躯からは想像できない俊敏さを以って、縦横無尽に駆ける。
木の幹を爪で抉りとる音、地面を蹴る音。鼓膜から届く音のみが奴をどうにか捉える事が出来ていた。時々体を通り抜ける突風。その度に袴は踊る。次は右か、次は左か。
呼吸を整え──刀を握り直し、踵を返し刀を振り下ろす。
「届かねぇ……か」
刀は巨大な手で振り払われ、ヤクモが体制を崩すと気に乗じたヘルハウンドが襲い掛かる。どうにか刀で振り払うと、奴も勢いを活かして猛攻をくりだす。
一撃は重く、激しい。反射神経に身を任し、辛うじて受け流すも、完璧にいなす事の出来ないヤクモは、毎回足を取られてしまっていた。気を抜けば命を狩り取られる緊迫した状況。
額からは血の混じった赤い汗が滴り落ちる。
「はぁ……はぁ……」
──しかし。
一手・二手・三手。その猛攻に目が慣れてきた頃だった。
【スキル・劣化無効はスキル・錬聖へ進化しました】
中性的で平坦な声が脳に響いた。ヤクモはこの声を一度聞いた事がある。それは、劣化無効を取得した時だ。
スキルとは、神から賜る天授であり。全員が貰えるものではない。故に、敬意と尊厳を込め、神の声、と言っている。実際の所、声の正体は不明だが──
何せ、人によって聞こえ方がまったく違うのだ。
──だが、効果が全く分からない。一体どんな。
「ちぃっ!!」
ヘルハウンドはヤクモの事を待ってはくれない。力も速さも衰える事ない狂撃が襲う。
鈍く重い音と衝撃が痛めた臓器を苦しめている最中、ヤクモの刀に異変が生じ始めた。淡く発光をする刀、その峰に浮きでた一と書かれた数字。
ヘルハウンドとの激しい攻防を繰り返す中、戦況が一気に傾いたのは、数字が十に達した頃だった。
「……ッ!?」
今まで傷つける事すら出来なかった爪を切断したのだ。
──何が起こった。
理解のできない現象に若干の困惑を見せたがらも、理解出来る事が一つあった。
「──この力が錬聖」