必要な痛み
ちゃんと文章を書くのも久しぶりかもしれない。
最近は少し忙しいなんて自分に言い訳をしてみたり、実際のところ忙しいのだけど、書く時間がない訳では無い。
じゃあなぜ書かないのか、ダイエットを優先してたから?それもある。
ダイエットって予想以上に精神力を使うもんね。
元々堪え性がなく、何をやっても三日坊主の私が、いきなり毎日8キロウォーキングして、食事制限もしてたら心の許容量が足りなくなる。
心の許容量が器を満たしてくると、当然思考が鈍くなってくる。
そのまま走り続ければ、健康のため、美容の為だって始めたことだって疎かになっていく、まるで本末転倒。
現にしばらくの間、ストレスの逃がし方ばかり探していた。
よく考えたら仕事は適度に全力で、ストレスは全部逃がすって言うのが、無理ゲーだった。
仕事に向き合えば向き合うほど、ストレスってのはどっからかやってくる。
休憩してたら電話がなるとか、仕事をしてたら何回も話しかけられて手を止められるとか、そういった些細なもの。
人によってストレスを感じる度合いは違う。わかってる。
そんな日々を繰り返していたら、食事制限、ダイエット、カフェイン断ちをして、体は健康に近づいてるはずなのに、何故だか頭が重たくなってくる。
だから、少しだけ振り返って考えてみよう、そう思った。
ぶっちゃけた話し、これを書いている時点で、突破口は朧気ながらに、見えている。
多分あと数日もすれば、雨曇も書けるようになるし、ダイエットだって順調、もしかしたら禁煙も気が向くかもしれない。
突破口それはすなわち、ストレスは自分の未来を繋ぐ、必要な痛み。
根性論を言うつもりは無いよ。あくまで私視点の、戯言。
YouTubeとかで、ストレスを溜め込むのは良くない。ストレスからは全力で逃げていい。嫌なことからは逃げましょうって動画を目にする。
他人の評価なんて、視線を気にするから、興味をもたなければ……etc。
わかるよ、わかる。君はそれで上手くいったんだよね。かんじゃさんに奨励して上手くいった例があるんだよね。
だから広まるわけで。
私もいっぱいいっぱいの時、死にたくなって、もうダメだって思って、とにかく心を逃がすようにした。
興味を持たないように、嫌なことは忘れるように、一般で言われるようなことはやった。
でもさ、何が残る?
生きる上でお金は必要、これ重要、お金があればあるだけ、QOLが上がるよね。
たまにお金が無くても心が豊かなら、って綺麗事を言う人もいるけど、言わせておけばいい。
その人の人生だから。
大金持ちとは言わない、好きな物を食べたり、趣味で使う道具を買ってみたりくらいのお金は必要だと、私は思う。
それを担保するのが仕事。
今年、私は辞めない決意をした。
12年続けた会社だ。くそったれな人間関係だけど、給料はいい。
今だって気に食わない人がいる。
でもそれがなんだ。どこにだっているじゃないか。
私が変人だって自覚はある。
反りが合わない人間とはとことん合わない。仕事に真摯じゃない人とは特に、同じ職場で働きたくない。
建設業やってて仕事を適当にするやつは許せないのが私。そこは曲げない。
じゃあ、そこで仕事をやってくにあたって、足を引っ張ってくるやつをどうしたらいいのってこと。
会社に遅刻して、定時にはあがりたくて、平気で残してくやつ。
遊びたいがために、現場を投げ出して定時前に帰るやつ。
この二人がダブルで事故った怪我した。そのつけが私に回ってくる。
理由は私しか出来ないから。
それらを必要な痛みとして受け入れてやるには、仏様くらい心が広くなくちゃ、私は無理だと思う。
現に書きながら少し思い出しイライラもしてる。
私に課せられた仕事に関しては必要な痛みとして受け入れられるのに、そいつらの分もとなるとちょっとね。
だからそろそろ私も一つ、見切りを付けようと思う。どっちに転ぼうが私の自業自得、逆境こそ私を強くする。
やれやれ適度な痛みで最大限に成長したいよ笑笑
まあとりあえず、もう少ししたら復活すると思う。
またせてごめんね。