9・そして、歴史は大きく改変された
日本が米国の博愛や自由に遠慮していたら米国自身が野蛮行為を働いたでござる。
何とも驚くような行為でビックリするが、その後の展開もまた、ワロスと言う奴だった。
北京に逃げた皇帝だが、ロシアから攻撃を受ける韓国政府はとうとうロシアに降伏宣言のようなモノを行い、皇帝を追放してしまった。
その上で、大韓帝国から大韓民国と名を改めた上で、ロシアへ併合を申し出るに至る。
1910年は米国にとってはメキシコ革命の年に当たり、朝鮮問題にそれ以上関われなくなっていた。
韓国の申し出に対してロシアも少々困りはしたが、日本との交渉で軍港を設置せず、治安維持を主として防護巡洋艦までの配備に留める取り決めが行われて、後は日韓条約のソレが踏襲されることとなった。
こうして、日露でまず合意がなされたうえで、韓国はロシアに併合され、ロシア帝国テーハン州となった。
テーハンは大韓の韓国語読みそのままで、そこだけは拘りがあったらしい。
ロシアが併合した後は治安も良くなっていき、なにより南部は温暖で再生すれば農地としても文句なしと言う事でロシア人の入植がすぐさま始まるのは間違いない。
地理的にも風土的にもロシアよりも日本の方がこの地域に適した技術や農具があるという事もあり、ロシアは日本から専門家の派遣や農具の導入を行ってくれるのでなかなかに良いお得意さんとなっていくと予想されている。
そして、権兵衛さんから英国に金剛を発注した話を聞いた。
「史実通りに金剛を発注しましたぞ」
そう言えば、海上警備隊創設で何隻か戦艦や巡洋艦の建造が中止になったはずだがと聞いてみたが、それも上手く作用したらしい。
「あれはちょうど良い隠れ蓑になってますな。ド級ショックを回避出来ました」
との事。
何でも、薩摩型戦艦を建造延期として、装甲巡洋艦を建造中止にしたらしい。
その上で、日本と同じく英国の支援を受けるイタリアに声を掛けて、ド級艦の在り方を共同研究して、三連装砲塔の開発に至ったそうだ。
そして、薩摩型戦艦は再設計のために解体されてしまい、新規に12インチ砲三連装で設計し直された。
ただ、本国イタリアが4基なのに対して船台が小さな日本では3基とされたらしい。
しかも、重量を軽くするために東郷さんが主張した50口径砲だとか、ドイツ式配置などは一切が退けられたという。大丈夫なの?
そうして新生薩摩型戦艦は3隻が起工され、今まさに建造中だとか。
「これで日本は旧式戦艦を背負わずに済みますぞ」
と、にこやかにいう権兵衛さん。
そして、金剛の英国発注と共に、国内では新たに14インチ砲三連装を3基積む扶桑型戦艦を計画しているとか。
ああ、よく言う不幸型戦艦が形を変えて生まれて来るんだと口に出たらしい。
「不幸型とは言い得て妙ですな。14インチ連装6基というのは中々に防御に難がある艦ですからな。しかし、新型艦はどうにも大和に見えてならんのですよ。もしかして、平賀はこちら側かも知れませんな」
しばらく探りを入れて接触してみるとの事だった。
さて、もう一つ気になる。
もちろんあの人だが、そもそもの話、日露戦争で満州から追い出された日本陸軍は縮小の一途である。
樺太や千島に配備する部隊などたかが知れている訳で、しかも、ロシア自身、船が無く、遼東半島を買った米国への警戒感が強い。
シベリア鉄道自体がフランス資本を入れての建設であったらしいが、満州での米国の強引さ、傲慢さはフランスとはわけが違うという。
ほとほと困り果てたロシアは日本との友好関係を求め、昔の様に佐世保や舞鶴での艦艇整備を打診して、日本側も鹵獲艦を売却している状況だ。
一応、ウラジオストクはそれで軍港としての体裁が整い、日本で整備を受ける事が出来るとあって、貧弱なシベリア鉄道に頼らない安心感があるらしい。
そして、伊藤さんがニコニコして語る。
「1909年どころか、もうすぐ大正ですな」
そう言えば、暗殺されてなかったな。
伊藤さんも随分活躍している。
史実、ハルビンで満州について語るはずだった会談は行われず、今もこうしてピンピンしている。
だが、ある報を受けて、唖然とした。
「なぜじゃ!」
叫ぶ伊藤さん。たまたま居合わせた俺も驚いた。
実は、小村寿太郎さんがウラジオストクに赴いて今後の日露関係について話し合っていたのだが、そこが襲撃されたらしい。
「襲撃者はテーハン人。狙いは日露の高官なら誰でも良かったようですね」
との事だった。
1910年。どうやら、小村寿太郎さんは史実より1年早く亡くなることになったらしい。
この事件によってテーハン州の警備は非常に厳重なモノになり、元々入植地では現地人を労働者として雇い入れるはずであったものが、中央アジアやウクライナから農奴を連れて来るという話になったらしい。
そして、日本にも労働者を募るという。
何でも、南部では大規模干拓や区画整理を行うとかで、そうした技術のある日本人をぜひとも雇いたいとの事だった。
そんな、完全に史実からずれて行っている世界。
伊藤さんはある事を言い出した。
「殿下、史実においては1912年、再来年の話ですが、2個師団増設問題というのが起ります。大日本帝国憲法は統帥権を陛下の大権としておるのですが、これが少々難しい問題を引き起こしていましてな、この増設問題でそれが広まるのです」
と、話し出した。
いわゆる統帥の独立という奴であるらしい。
元々は憲法発布直後、伊藤さんがこの問題に気付き、軍を政府の下に置くように制度を作ろうとしたのだが、山縣さんら陸軍の反発で流れてしまっていたらしい。
だが、今や陸軍は敗軍、海軍も権兵衛さんの手の平。
政治の統制下に軍を置くには今しかないという。
「もうすぐ権兵衛さんが総理になるだろう。やるならその時だと考えています」
何やら決意を込めてそう言ってくる。




