5・そして、何とか事態は終息する
楽観的な権兵衛さんの予想に反して、ウスリースクに達した日本軍は大きな抵抗を受けることなく戦線構築と進軍を続けている。あまりに予想外の事だった。
7月を迎え、樺太は完全に落ち、カムチャッカにも上陸したが、何より問題なのは満州方面だった。
本当に大丈夫なのだろうか?
どうやら大丈夫ではないらしい。
7月を迎えて、そもそも戦力的に貧弱な日本軍は防御ではなく全面撤退へと移行している。
7月中旬には鞍山にまで撤退してどうにもならなくなった。
予備配置されていた部隊も動員して何とかその火力でもってロシア軍を押し留めてはいるが、それが限界と言ってよく、もうどうする事も出来ない。
さらに8月にはもっと酷い事になった。
「殿下!お逃げください」
8月15日、大韓帝国が日本に宣戦布告するとともに、宮城襲撃事件を起こしたのだ。
近くに近衛が居るとはいえ、隙を突かれた宮城では襲撃部隊が侵入してしまっている。
「マシンガン持ってるんだ。俺は戦う!」
威勢よくそう言って、皇宮警察や当番の近衛兵と戦闘に参加したが、ちょっと教練を行った程度では役に立ちそうもない。
運よく、ごろつきに武器を渡した程度の襲撃犯であったために近衛が駆けつけて事なきを得たが、俺は見当違いの場所に銃弾をばらまいていただけだった。
この事件を受けて征韓論が台頭し、9月初めには釜山へ上陸が行われた。
しかし、同じころにはロシア軍も漢城へ至り、露韓協定を締結している。
この協定でロシア軍は韓国に駐留できることになり、上陸した日本軍と戦う事になるのだが、鞍山で何とか踏みとどまる日本軍陣地も落とせず、か細い補給線に頼る半島防衛戦は上手く進まない。
日本はその状況を見て、ウスリースクから北上させていた軍を転進し、半島へと向けた。
こうした日本軍の動向を見て、ようやく、9月24日にロシアが講和勧告を受け入れる。
そして開かれた講和会議は紛糾する事になった。
だが、それ以前に講和会議の代表団について日本では紛糾し、外相が向かうのか伊藤博文が向かうのかで大混乱が起きていた。
元老や権兵衛さんが何とか外相を宥めて伊藤さんが派遣されることになるが、出発前に見せたあの黒い笑顔は何だったのだろう?
講和会議は強気のロシアとマスコミを巻き込もうとする日本の攻防となった。
ロシア全権団は占領地からの完全撤退を要求してくるが、日本側も半島からの撤退と駐留協定破棄を要求した。
当然だが、遼東半島は日本が保有を主張して譲らない。
まるで進展の無い会議の最中も日本はオホーツク海沿岸へと兵力展開を続けていた。
会議中、日本はオホーツク海沿岸の占領を宣言してロシアに譲歩を迫る。
船の無いロシア側も容易にオホーツク海沿岸を取り返せない事は分かっていたが、引くに引けなかったらしい。
会議は12月を迎えてもまるで進展がない状態だったが、ロシアが脅しのために黒海艦隊の極東回航を口にした時に事態が動いた。
この発言が報じられると、オスマン帝国が過剰に反応し、宣戦布告までほのめかすことになった。
事ここに至ってロシアは新たな戦争の発生を防ぐためと言う大義を口にして、樺太の日本への割譲、カムチャッカでの開発権や漁業権の付与、遼東半島の日本帰属の承認と言う事で何とか話がまとまった。
ロシアが強硬に認めなかった大韓帝国への駐留についても、日本が占領したカムチャッカや沿海州から撤退する事と引き換えに、海軍駐留を撤回することで妥協が行われることになった。
こうして、米国ポーツマスで12月24日にようやく講和条約の調印が行われ、日露は戦争を終えることになる。
ただ、ここで話し合われなかった大問題がある。
日露の戦争は終わったが、日韓の戦争は実は終わっていない。
ロシア軍の韓国駐留に気を大きくした韓国は徹底抗戦を叫んで暴れまわるのだが、それが為に日本でも騒乱が巻き起こり、半島関係者が殺されたりもした。
ただ、日本側もロシア軍の駐留を認めた手前、半島の占領という挙に出る事が出来ず、中途半端なところでロシアの仲介による講和が行われることになった。
1906年4月2日に大連で行われた日韓講和条約には、済州島の割譲や南部の非武装化、海軍の保有禁止と言った厳しい項目が並ぶことになり、現実を認めたくない韓国側が喚く中で、ロシアが一方的に講和を承認してしまう事で何とか締結と言う事になった。
もちろん、話しがそこで終わるはずもなく、これ以後、日本海や黄海、対馬海峡には海賊が横行する事になる。
この事態に、権兵衛さんは海軍に海上警備隊を組織する事を提言し、小型砲や機関銃で武装した、いわゆる巡視船のような船を大量に建造し、治安維持に当たると言い出した。
「陸軍が大きく縮小されることになる。だが、徴兵を続ける。そうなると受け入れ先が無いでしょう?小型船ならば建造費も安い、実際に海賊の脅威もある。うってつけではないでしょうか?」
などと俺に言って来た。
まあ、それよりなにより、暗殺の危機が去って明るい笑顔を見せる伊藤さんに癒されたような、違う怖さを見てしまったような。