4・そして、事態は想定外の展開となる
日露戦争は史実通りに1904年2月に始まった。
が、どうやら史実とはズレがあるらしい。
その辺りの事を南部さんから聞かされたが、それ以上に不思議な事に、軍事教練を受ける俺のところにマシンガンを持ってきた。
「ちょっと形は違いますが、南部試製機関短銃です」
そういって、エアガンでもおなじみMP5みたいなものを渡してくる。
当然の様にMP5をモデルにしたのか聞いてみたが、違うらしい。
「そうですか、MP5に見えますか」
と苦笑してから説明してもらったが、着脱式マガジンの信頼性がまだまだイマイチとの事で、モーゼル拳銃のように固定弾倉らしい。
「機構は南部大型拳銃を踏襲しています。ただ、グリップ式ではまだ時代的にサブマシンガンに不向きもありまして、見た目はサムホール型のMP5に見えなくも無いですね」
と言ってショートケーキがどうのと説明してくれた。
「ケーキではなくショートリコイルです」
と訂正されたが、面白い事に歩兵銃の様に上からクリップを使って弾を装填するというのには驚いた。
「塹壕戦でも威力を発揮するでしょうからそれなりに揃えていますよ。旅順攻略で実戦試験も行う予定ですし」
と言う。
固定式弾倉となっているため装弾数は20発と少なめだが、モーゼルとは違ってそこはMP5をもじったハンドルを持っていて、残弾があってもボルト解放が行えて、弾の継ぎ足しも可能になっている。
「時代に似合わない新機軸満載ですが、そのわりに機構は堅実なので壊れる心配は無いですよ」
と言う。
三十年式歩兵銃の演練も最近やるようになっているが、南部さん曰く、時代不相応な銃であるらしい。
見た目はただのライフル銃だが?
「ええ、6.5ARISAKAと通称されるサイズの弾を用いているのは史実通りですが、時代不相応なマズルサブレッサーの装備やスコープ用のリグが備えられているんですよ。スコープさえ作ればすぐに狙撃銃に出来ます」
という。
そして、更に新たな銃の開発もしているらしい。
「マンリッヒャーを入手してストレートブルを開発しております。工作機械の精度の問題もあってすぐに量産化は出来ませんが、ストレートブル式をベースに自動小銃の開発もしてみようと思ってます」
との事らしい。
なんか、色々飛んじゃってるな。日本なんて1945年まで三八で頑張ってたはずなのに。
さて、南部さんのぶっ飛んだ野望はさておいて、日露戦争についてだが、史実と違うところは旅順攻略戦が速やかに始まった事らしい。
なんでも、旅順攻略のために28センチ榴弾砲を簡易列車砲に改造しただとか、新時代の攻城戦の在り方を開戦以前から構築して、乃木軍団は一斉突撃ではなく、塹壕と擲弾筒や迫撃砲を用いた戦術で史実ほどの犠牲を出さずに戦闘を行っているという。
「榴弾砲を列車砲とするのに苦労しましたよ。狂介を説得して陸軍にねじ込んだんです」
どうやら、伊藤さんが随分関わっているらしい。
史実にはない迅速な28センチ榴弾砲の展開が行われたらしい。
「残念なのは、戦争までに駐退機付きの野砲が間に合わなかった事ですな。南部君や有坂君が頑張ったんだが、戦時とあって製造が出来ていない」
そう言って、史実で三八式野砲と呼ばれるモノが戦前には完成していたんだという。
とはいえ、無い者は仕方がないし、戦争は齟齬なく順調らしいので良かったんではないのだろうか?
そこから予想通りに困難な作戦もあったらしいが、翌年には奉天会戦で何とか勝てたらしい。
「やりましたぞ。擲弾筒の火力投射は機関銃を超えますな。沖縄戦で米軍を苦しめた日本最良兵器だけの事はありますわい」
と、権兵衛さんが語っている。
さて、ここで史実と違う動きを始めることになる。
整備した鉄道を使って徐々に部隊を後送し、日本へと取って返している。
もちろん、最悪に備えて史実より良くなっているらしい生産力を生かして火力を充実させた予備部隊を大連に待機させるのだとか。
「第一次大戦期のような火力部隊など、使う機会も無いでしょうがね」
という権兵衛さんの余裕な表情を見るに、これと言って嘘はないらしい。
そして、史実では樺太攻略は7月だが、日本海海戦とほぼ同時にウラジオストクと樺太を狙うという大胆な作戦が建てられている。
そして、5月28日、日本海海戦勝利を待ちかねたように、本当にウラジオストク攻略が始められた。翌日には樺太攻略も始まった。
「こ・これはどういうことで?」
しかし、思いもしない凶報が届くことになる。
なんと、6月1日、ロシア軍の大攻勢が始まってしまったのだ。
南下するロシア軍に対し、満州に残る見掛け倒しの日本軍ではまるで歯が立たない。
かといって、今更満州に部隊を戻す事も出来ず、ウラジオストク攻略戦は日本優勢の状態で7月を迎え、7月12日には占領に成功し、北上を始めるという。
「ウスリースクまで出てしまえば、ロシア側も戦線を構築してこちらに当たる事になるでしょう」
そんな権兵衛さんの予想を聞いて、更に、ニコニコな南部さんの報告を聞く事になった。
「殿下、旅順での活躍だけでなく、ウラジオストクや樺太でも機関短銃は役に立ちましたぞ。後は、軽機関銃の開発に道筋をつけるだけですな」
と言うので、軽機関銃や自動小銃無くてもマシンガンで行けるんじゃねぇ?と聞いてみた。
「いえいえ、機関短銃は所詮は拳銃弾を用いた代物なので、近接戦では有効でも野戦では使えません。第一次大戦時のドイツ軍も塹壕ではMP18を使い、野戦ではGew98を用いていたのですよ。機関短銃と歩兵銃の役割を併せ持つのは、後の突撃銃と言われる銃で、単発威力はフルサイズ歩兵銃に劣るモノの、歩兵銃として最低限の射程を備えて、必要な時には機関短銃のような連射も出来る。有名なところではAKですな。アレを開発し、戦術を理解しないといかんでしょうな」
と言う事だった。
マシンガンには拳銃弾を使う事で射程が短いという欠点があり、軽機関銃では銃が重たく反動が強すぎるという。
両方の妥協点が、ライフル弾の威力を落して、しかし拳銃弾よりは高威力の弾を造り、それを用いる新しい発想の銃とする事だったらしい。
そうやって出来たのがドイツのStG44という突撃銃だという。
「ただ、7.92×33ってのは少し威力を弱め過ぎた様で、AKの7.62×39や7.62×51NATO以前にスペインで開発されていた7.92×41、英国の7×43と言った辺りが現実的な弾でしょう」
という。
南部さんによると、米帝のポンコツがゴネて横道に逸れなければ、7×43弾がNATO弾となっていたので、ベトナム戦争で5.56×45弾を採用したり、アフガンやイラクでその射程に問題があると喚いて新たに6.8×43の開発を始めるような必要はなかっただろうという。